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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第三章 無色透明な愛情
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第九十七話 迎賓館の三人

 

 迎賓館はそれほど大きな建物ではないが、貴族や王族が宿泊するため、ひとつひとつの客室は広めに造られている。家具は漆を塗られたクローゼットやネムリヒツジ製の掛け布団などが揃えられ、部屋全体を明るくするため、ランプは一定間隔で配置されている。

 そ窓際には装飾の施された机と椅子があり――そこに一人の少女が座り、机に頭から突っ伏していた。入り口側からは少女のつむじが見えていて、机を撫でる少女の金髪の隙間から、束ねられた紙や鉛筆などが見え隠れする。


 スミルスはそんな少女を優しく見つつ、少女に向かって一歩踏み出す。

 すると、寝ているように見えた少女がむくりと頭を持ち上げた。

 少女は幼さを感じる童顔で、金髪は肩のあたりで揃えられている。そのひたいにはくっきりと、机に押し付けられていた跡が残っている。


 スミルスは挨拶しようとして――しかし起き上がった少女が鼻をヒクつかさせながら周囲を見渡しているのを見て、不思議そうに首を傾けた。


「どうかされましたか、タイア様」

「…………スミルス一人か?」

「え? ええ、そうですが」

「ふーん」


 その少女――タイアはスミルスの答えを聞くと、ニヤリと意味深な笑みを見せる。

 どこか下卑た感じを含むその顔に、スミルスは僅かに眉をひそめた。


「な、なんですか?」

「べっつにー? ただ、ずいぶん仲良くなったなぁと思ってさ」

「仲良く?」

「ん、まぁいいや。それで、スミルス一人でここに来るなんてどうしたんだ?」

「ええ、明日領地に戻るので、出発の挨拶に来たんです。 ……なんなら一緒に帰りますか? 勉強も手についてないみたいですし」

「いや、今はちょっと休憩してただけだから」

「そうですか? にしてはずいぶんと、長い休憩だったみたいですが」


 スミルスが彼女の赤くなった額に視線を送りながら言うと、タイアは右手で額を隠し、恨めしそうにスミルスを睨んだ。

 スミルスは小さくため息を吐く。


「無理して王族の勉強なんかしなくてもいいのに……」

「無理はしてないって。午前中ギュンター達に剣の稽古をして貰ったから、ちょっと眠くなっただけだから」

「ギュンターって、囮の騎士の方ですか? それならいっそ、午後も稽古をつけてもらったらどうです? 領地にかえれば、騎士を独占できる機会なんてそうそうないですし」

「なんだよ、スミルスは私がこういう勉強するのは反対か? 別にフィロフィーからセイレン領を奪い取ろうとか考えてないぞ?」

「いえ、むしろタイア様に領地を任せられたなら安心できるんですが……」


 真顔で真剣に言うスミルスに、タイアは「絶対やらないからな?」と嫌そうに釘を刺した。


 会話を続ける二人の間にある机には、農林業に関する本が置かれている。他にも近くの棚には領地の経営に関する本、ベッドサイドには軍の指揮に関する本が置いてあった。

 それらの本は、どれも市井に出回ることのない、貴族の帝王学の本と呼ぶべきものなのだろう。タイアがここで何をしていたのかが伺える。


「俺だって、タイア様が勉強に興味を持ってくれたこと自体は好ましいと思っていますよ。……ただ、そのきっかけがあの女っていうのが気に入らないだけです」


 少しふてくされたように言うスミルスを見て、タイアは苦笑いを浮かべた。


「スミルス、これはオリン姉様に頼まれてやってるんだぞ」

「でも、引き受けたのはあの女の遺言があったからでしょう?」

「別に遺言ってわけでもないけどな。ただ、あの人から唯一聞けたのが『人生何が起こるか分からないから、勉強できるときに勉強しておけ』っていう、格言じみた言葉だけだったからなぁ」

「確かに、その言葉自体は間違ってないんですが……」


 なおも納得できないように口ごもるスミルスに、タイアは話題を変えようとしたのか、「ところで」と切り出した。


「ところでスミルス、ジーナのことも明日セイレン領に連れて帰るのか?」

「は? いえ、彼女のことは全てフィロフィーに任せてますよ。 ――それに、今彼女をレモナ様から取り上げるわけにもいかないでしょう。フィロフィーはブツブツ文句を言ってますが」

「確かに、レモナ姉様はジーナのおかげで落ち着いてるけれど……遠慮せず、連れていきたかったら連れてけばいいと思うぞ? レモナ姉様だって、きちんと話せばわかってくれるって。セルフィーが死んでからもう何年も経つし、フィロフィーだって気にしないだろ。バンケツには可哀想だけど……」

「あの、ちょっと待ってください。なんの話ですか本当に?」


 混乱しているスミルスに、タイアは「ふー」っと言いながら肩を持ち上げる動作をし。


「隠したって無駄だぞスミルス? さっきまでイチャついてただろ、ジーナの匂いがこびり付いてるぞ」


 そう言って、スミルスに歯を見せて笑った。


「…………はぁ!?」


 タイアの指摘に、身に覚えのないスミルスは素っ頓狂な声を出す。


「ちょ、知りませんって! 彼女には今日は会ってもいません!」

「あ、その反応ケニーっぽいな。やっぱり師弟か」

「話を逸らさないでください」

「んー? なら、ジーナと同じような体臭の違う女に手を――」

「出してません!」

「でも確かに、ジーナっぽい匂いもするんだけどなぁ。最初、二人で一緒に入って来たのかと思ったくらいだし」

「ここに彼女を連れてくるわけないでしょう、変な言いがかりをつけないでください……」


 スミルスが抗議をしても、タイアは納得できないような顔をしていたが。

 ついにはスミルスが怒ったように「もう行きますからね」と言って出て行ってしまい、それ以上の指摘はできなかった。



 *   *   *   *   *



「ちょっと、大丈夫ですかお姉様!」


 女子寮に戻ってきた十七番ジーナを見て、部屋にいたレナは慌てた様子で駆け寄った。

 ただでさえ十七番がなかなか戻ってこなくて心配していたのに、ようやく帰ってきた十七番の顔が青かったのだ。レナが驚くのも無理はないだろう。


「…………すいません、お昼に食べたものが悪かったみたいです」

「まぁ! すぐに薬を貰ってきます」

「いえ、だいぶ落ち着いたのでそれには及びません。すいませんけれど、今日はこのまま寝かせてください」


 十七番はそれだけ伝えると、レナの横をするりと抜けて、自分のベッドに潜り込んだ。

 レナはそんな十七番に不安そうに視線を向けると、思い出したように「そうです」と手を打って、棚からティーセットを取り出し始めた。


「でしたらせめて、ハーブティーだけでも飲んでください。確か整腸作用のあるものを持っていましたので」

「…………」


 十七番は背を向けたまま返事をしなかったが、レナはそれを気にした様子もなく、魔法も使って手際よくお茶の準備を始めてしまった。

 しばらくすると、ハーブのフルーティーな匂いが十七番の鼻にまで届く。

 

「飲めますか、お姉様?」

「……ええ、頂きます」


 それ以上無視もできず、十七番は魔力切れでだるくなった身体をどうにか起こし、ハーブティーの入ったカップを受け取って口を付けた。

 レナが飲みやすいようにしてくれたのか、思ったほどは熱くない。甘く優しい味わいのそれが、十七番を少しずつ潤していく。


「――落ち着く味です」

「そうですね。このハーブティーには整腸作用のほかに、気持ちを静める作用もあるそうですよ」

「詳しいんですね」

「……妹が、詳しかったので習ったんですよ」


 レナはハーブティーを自分の分も用意していて、椅子に腰かけて口へと運ぶ。

 背筋を伸ばし、カップの耳を挟むようにして持ち上げるその動作は――改めて一挙手一投足を観察すれば、どこまでも洗練された、上流階級の人間の動きをしていた。


「生まれつき体の弱い子で、こういう健康に繋がりそうな食べ物や飲み物には目がない子だったんです」

「そう、ですか」


 そういって遠くを見つめるレナの顔は、心なしか微笑んでいるようにも悲しんでいるようにも見える。

 彼女が過去形にして話す理由は、わざわざ尋ねる必要もなかった。


「私にも、兄がいました。……いつでも私のことを最優先してくれる、とても優しい兄でした」


 十七番がそう伝えると、レモナ(レナ)も「そうですか」とだけ返して微笑んだ。

 

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