第九話 コクリさんと毒キノコ
スミルスは王都リスティにある、キイエロ王国本城の廊下を歩いていた。
キイエロ王国の領土は広い。実にイトラ大陸の北三分の二がキイエロ王国の領土であり、最北端にあるセイレン領から中央の王都リスティまでは、普通に旅をすると二ヵ月はかかる道のりだった。
しかしながらスミルスは、どうやって王都までたどり着いたのか覚えていない。
それもそのはず、これはスミルスの夢だった。
彼はこの日、王都に来る夢を見ていた。
スミルスはまっすぐに、王族の住んでいる宮殿を目指す。
彼はタイアの父親で、今は女王の王配のロアード=キイエロに会いにここまで来た。
そう、どうしても彼に伝えなければならない事があるのだ。
王宮の骨董品の並ぶ廊下を抜け、スミルスはあっさり王の部屋までたどり着く。現実ならばそこには衛兵達がいて、スミルスの様な弱小領主は中々入れては貰えない。しかし残念ながらこの夢には衛兵は一人も現れず、スミルスの通せん坊をしてはくれなかった。
部屋に入ると目の前には、十年前と変わらぬ姿のロアードが、優しく微笑んでスミルスを出迎えた。
しかしスミルスには、旧友を温めているような心の余裕はない。
ロアードに一刻も早く伝えなければならない事がある。
「すまん団長、タイア様が狐になった」
「おう、わかった。じゃあお前は打ち首な」
その日、スミルスの寝起きは最悪だった。
* * * * *
「正夢っすねぇ」
その悪夢に対する部下の感想もまた最悪だった。
スミルスとケニーは食堂で向かい合って座り、今後について話し合おうとしていた。その前にスミルスが今朝の夢の話を持ち出したところ、ケニーから帰ってきた反応がこれである。
「軽く言うがケニー、その時はお前も道連れだからな」
「はいぃ!? いやおかしいでしょう!?」
実際のところ、スミルスは打ち首になる時はケニーやソフィアには迷惑が掛からないようにしようと心に決めている。しかしいくら冗談とは言え、辛辣で皮肉屋な弟子に一言くらい言い返したくなったのだ。
慌てふためくケニーを眺め、スミルスはひとまず満足する。
心が広い事で有名な領主は、そんな嫌がらせで満足してしまうほどに心が荒んでいた。
しかしそれも、スミルスの事情を考えれば仕方ない事だろう。
なにしろタイアが狐になってから、既に一ヵ月以上経っているのだから。
一方でタイア狐化の主犯である娘のフィロフィーは、心配しなくても打ち首になる事はまずないと踏んでいる。
魔石を生み出せる稀有な人間を、そんな簡単に処分するなどありえない。というよりもフィロフィーの能力が王国にバレれば、タイアが狐になった事とは関係なく幽閉され、永遠に魔物飯を食わされる未来が待っているだろう。
そんなのは……よくよく考えると屋敷からほとんど出ず、ひたすらホワイトフォックスを食べている現状と特に変わらない。
むしろ、王宮料理人が腕によりをかけて魔物御飯を作ってくれるかもしれない。女王にさえ逆らわなければ、VIP待遇でちやほやして貰えるのではないか。
「…………まあ、それはさて置いてだ」
「さて置かないで下さい!」
「タイア様を元に戻す方法は思いついたか?」
「……今出ている案以外にはないですよ」
『今出ている案』というのは、馬化や狼化などの何らかの変身魔法を覚えてみる事だ。一度、狐以外の別のものに変身すれば、そこから元に戻る時には狐ではなく人間に戻るのではないかという希望がある。
フィロフィーはさっそくユキウサギの魔石で魔導書を作ってみたが、覚えられたのは変身魔法ではなく冷気の魔法だった。
炎を出すように冷気を出せる魔法で、狐タイアの場合、狐火の様に冷気の玉を操る事ができたが、それはなんの解決にもならない。
ちなみにケニー、スミルス、ソフィアの三人も、ユキウサギの魔石で作った魔導書で魔法を覚えた。
最初に魔導書を試したのはケニーで、彼はフィロフィーの魔導書を開く事にひどく怯えていた。フィロフィーが、今回は魔石をエーテルに漬けて作った普通の魔導書だから大丈夫だと説明しても信用せず、遺書まで書き、死地に赴く様な顔で魔導書を開いていた。
次にスミルスは領内に、魔物の死体が手に入ったら何でもいいから持って来いというお触れを出した。
しかし今のところ、そのお触れで手に入ったのはホワイトフォックス数匹の他、ポイズンマッシュマンという魔物が一匹だけである。ポイズンマッシュマンは紫色のキノコが人の形をしたような魔物で、魔物の魔力とは別に毒があるため、フィロフィーにも食べる事ができなかった。
「ちっ、こんな時に限って魔物が出ない」
「ちょっと退治しすぎたんじゃないですか? 数年前まではあんなに沢山いたのに……」
「あんなに出てきても困るがな」
スミルス達は昔の事を思い出す。
十年前、スミルスがポロ村に来た頃は、獣型の魔物達が森からひっきりなしに出てきては村人を襲うような状況だった。それをスミルスやセルフィーが数年かけて根気よく殲滅し、最近では村にまでやって来る魔物は激減している。
その事は領民達にとても喜ばれ、スミルス達が領民達に受け入れて貰えたきっかけにもなったのだが、まさか魔物が減って困る事があるとは思ってもみなかった。
「まあ、とにかく一刻も早く元に戻さんとな」
「焦ってもいい事ないっすよ? タイア様には悪いけど、今のところ問題なく過ごせてるんですから、じっくりと考えたほうがいいのでは?」
「そうもいかないんだ。タイムリミットが迫っている」
「タイムリミット?」
ケニーは首をかしげる。
ケニーの言う通り、衣食住に係わる緊急を要する問題はひとまず解決していた。
タイアは動物の狐のように葱が駄目という事もなく、食事に関しては人間と同じものを問題なく食べられた。
また、ソフィアが狐用の服を作ろうか提案したが、タイアは服を着るのはかえって惨めだからと言って、特になにも着ていない。冬の厳しい時期でもないため、毛皮だけでも寒くはないらしい。
トイレに関しては人間用の物を問題なく使っている。お風呂には毎日フィロフィーが入れていた。
コミニケーション方法も確立している。最初は庭を掘って文字を書いたりしていたが、今はヴィジャ盤というこの国の全ての文字を書いた板を使っている。そこに書かれた文字をタイアが順番に指示していく事で、会話を成立させていた。
あとは念のため、村人達にタイアが間違って攻撃されないようにも手を打ってある。セイレン家がホワイトフォックスを手懐け、見分けがつくように着色したと領内に伝えてあるのだ。一応、コクリさんという偽名も用意した。
なお、姿を見せないタイアの事は、別の領主の所に遊びに出かけた事にしている。
ケニーは一通りのタイアの現状を考えてみたが、タイムリミットと言われて思いつくものはない。
「スミルス様、タイムリミットってなんですか?」
「今から十ヵ月後にオリン王女の戴冠式があるんだ。タイア様がそれに参加しないわけにはいかない」
「え、戴冠式?」
ケニーは忘れていたのではなく、戴冠式があること自体を知らなかった。
国王が新しくなるとはいえ、辺境に住むケニーやセイレン領の人々には、さして関係のない事でもある。
国王が変わっても領主がスミルスのままであれば、彼らの生活にはたいして影響はないのだ。
「女王様ってそんなお歳でしたっけ?」
「いや、女王の歳は関係ないんだ。オリン王女は十八歳になると同時に即位する事が決まっていてな」
「へー、王族も色々と大変っすねぇ。でも十ヵ月後か……」
十ヵ月後と言われても、ケニーにはピンとこない。
「まだまだ先の話じゃないっすか」
「ここから王都まで早くて二ヵ月はかかるし、実質は半年くらいしかないと思っておいた方が良い。それにフィロフィーが食べる魔物の量にも限界があるからな」
いくらフィロフィーが特異体質でも、胃袋の大きさは人とは変わらない。
フィロフィーはより多くの魔物を食べるため、少しでもお腹を空かそうとして筋トレしたり走ったり、兵士の訓練に付き合ったりして運動する様になっていた。
それはフードファイターフィロフィーが地味に誕生した瞬間だったが、まだ始めたばかりなので食べられる量はそれほど多くない。
「そう言われると……だいぶ短いっすね」
「ああ。もっともタイア様を何ヵ月も狐にしておくつもりもないのだが――」
スミルスは、食堂の窓から庭を見る。
その視線の先では一匹の金色の毛並みをもつ子狐が、冷気の玉を自分の上空でくるくると回している。
魔法を上手に操る為の訓練をしているらしい。
人間に戻れないとわかり長らく落ち込んでいたタイアだったが、一ヵ月経ってようやく気持ちの整理がついたらしい。三日前からは再び外に出るようになり、ケニーと戦闘訓練もするようになった。
ただし今までの剣が主体の訓練ではなく、魔法が主体の訓練である。
窓越しに、タイアがスミルスとケニーの視線に気づく。
するとタイアは食堂に入って来て、ドアの隣に置いてあったヴィジャ盤をくわえて寄ってきた。そしてケニーの前にそれを置く。
「くぉん!」[ひまなら、くんれん、つきあえ]
「了解っすよ」
タイアは駆け足で庭に出て、ケニーが苦笑しながらその後に続く。
スミルスは庭に出るケニーとタイアを見送り、自身も二階の部屋に戻ろうとした。
――そしてその途中、何となく娘の部屋を覗くと、娘が床に倒れて唸っていた。
「ふぃ、フィロフィー!? どうしたんだ!」
「ああ、お父はま。大丈夫、れすわ。少ししか、齧って、まれんから」
「齧ったって、まさかお前!?」
フィロフィーの机の上に、茶色の四角い物体が乗った皿が置いてある。
元々の色とはだいぶ違うが、それが何なのかスミルスにはすぐにわかった。
そう、ポイズンマッシュマンである。
ポイズンマッシュマンは元々は紫色の魔物なのだが、茹でられて茶色く変色したのだ。
おそらくソフィアが調理したわけではなく、フィロフィーがソフィアの目を盗んで勝手にやったのだろう。
「ポイズンマッシュマンを齧ったのか!?」
「ふ、吹きこほへばはへられるかと」
スミルスは一瞬意味が分からなかったが、フィロフィーはどうやら何度も吹きこぼせば食べられるかもと思ったらしい。
吹きこぼす、というのはよく茹でた後、そのお湯は捨てる方法だ。それによって毒が抜けて食べられるようになるキノコは確かに存在する。
――存在するのだが、ポイズンマッシュマンは駄目だったようである。
フィロフィーはベッドに横たえられ、ソフィアがそれを看病する。タイアも何ができるわけでもないが、ケニーとの稽古を止めてそばに寄り添っていた。
残念ながら解毒薬はなく、解毒魔法を使える人間も村にはいない。解毒魔法を使える人間がそもそも少ないので、魔導士協会のないセイレン領にいるはずがなかった。
「ど、どうしてこんな無茶を」
「も、もしかしはら、これへタイアはまがもろるかもほ」
今回の事は、フィロフィーなりにタイアの事に責任を感じての行動だったようだ。
スミルスも、少しでも人間に戻れる可能性があることは試してみる、という姿勢は良いとは思う。
「それは無理だろう!?」
「くぉーん……」
しかしポイズンマッシュマンの魔石では、どう考えても毒関係の魔導書になるとしか思えなかった。
* * * * *
幸いにして、翌日にはフィロフィーの体調は回復した。
ポイズンマッシュマンの毒が致死性の猛毒ではなくしびれ毒だったこと、そしてフィロフィーが本当に少ししか齧ってないのが不幸中の幸いだった。
不幸、というよりフィロフィーの自爆と言うのが正しいのだが。
「ご心配おかけしましたわ」
「きゃう!」[まったくだ]
「フィロフィー、タイア様を戻そうと頑張るのはいいが、あまり無茶はするなよ?」
「申し訳ございませんでしたわ」
そう言ってフィロフィーは深く頭を下げる。
「体調はもうバッチリなので、今日は少し出かけて来てもいいでしょうか?」
「かまわんが、どこに行くんだ?」
「できれば森に行きたいのですが」
「……何故、森に入りたいんだ? フィロフィーが森に入っても魔物は取れないだろう?」
「いえ、解毒薬を作ろうかと思いまして」
スミルスの、そしてその場にいたフィロフィー以外全員の顔がひきつった。
「きゃ、きゃあう?」[まさか、げどくやく、のみながら、どくきのこ、くう、つもりか?]
「まさか! そんな危ない事はしませんわ」
「そ、そうか。お、脅かすんじゃないぞフィロフィー。
――それで、解毒薬は何に使うんだ? 今後ポイズンマッシュマンが発生した時への備えか?」
「いえ? 毒を抜くために、先にポイズンマッシュマンを解毒薬で煮込んでおくのですわ!」
スミルスはめまいがした。
フィロフィーは解毒薬というより、毒抜きの為の材料を取りに行きたいらしい。
その後みんなでフィロフィーを説得したが、しかしフィロフィーが譲らない。またいつかの様に夜中に抜け出されてもかなわないため、ケニーをはじめ護衛の兵士と一緒を条件に許す事になった。何故かは知らないが、フィロフィーは毒抜きの為に必要な材料を知っているらしい。
知っているなら何故、初めから作っておかなかったのか。
その原因はグリモにある。
ポイズンマッシュマンの毒抜き方法を知っていたのはグリモなのだが、時には毒抜きに失敗する事もあって危険なため、フィロフィーにあえて教えなかったのだ。
その結果フィロフィーはグリモの制止も聞かずに齧り、さらには「でもちょっとずつ食べれば耐性ができるかもしれませんわね」などと言い始めたので、慌てて毒抜き方法を白状した。
ともあれフィロフィーとケニー、今日の森の警備担当だった兵士四人が森に入る事になった。
――それにタイアがこっそりと付いて行き、ケニーと揉めるのは森に入った後の話である。
スミルスはタイアの同行に気づかぬまま、ソフィアと一緒にそれを見送る。
「ソフィア、今のうちにポイズンマッシュマンをどこか遠くに捨てて来てくれるか?」
スミルスのこっそりと出した指示に、ソフィアは力強く頷いて答えた。