第八十八話 需要
「イワメティイエプって……あの時のタマゴ頭か。見たのか?」
「いえ、見てはいませんが……」
フィロフィーは話しながら、氷漬けのビッグラットをポンポンと叩く。
「ビッグラットは本来、人間を見るとすぐ逃げ出すような、 とても臆病な魔物です。群れを作るのもあくまで天敵から身を守るためで、グレイウルフのように群れの力で自分より大きな獲物を狩ったりはしないのですわ。
ですので何かに操られでもしない限り、馬車を追いかけてくるなんてありえません」
フィロフィーは最後に「……まぁ、操っていたのがイワメティイエプとは限らないのですが」と小さく付け加えた。
十七番はフィロフィーの説明に納得し、そして焦る。
イワメティイエプという魔物は見たことも聞いたこともないのでわからないが、フィロフィーのビッグラットに関する知識が正しければ――ビッグラットに襲われたのは偶然ではなく、グックスの差し金だったのだろう。
……それはつまり、彼がまだ近くにいるということだ。
十七番はグックスの姿を探して周囲を見回すが、見える範囲に彼はいない。かわりにレナが馬車を降りて、こちらに向かってくるのが見えた。
彼女はこちらが全員無事なのを見てホッとしたような表情を見せたあと、氷漬けのビッグラット達をみつけて口元を歪める。
「それ全部セ……スミルスがやったの?」
「ええ、そうです」
「そ、そう。あなた結構強かったのね……」
彼女はやや引き攣った表情で、ビッグラットとスミルスを見つめている。
彼女一人だけスミルスの実力を把握していなかったところを見ると、やはりレナは傭兵団員ではないらしい。
「まあ、いいわ。終わったならさっさと馬車を出して頂戴」
「あ、待ってくださいレナさん。この林の中に、ビッグラットを使役していたイワメティイエプが居るかもしれないのです」
「きゃう!?」
何故か彼女の腕の中の子狐が驚いているが、レナは少し眉をひそめるだけだった。
「イワ……何?」
「イワメティイエプ、ですわ。別の魔物や動物にテレパシーを送って操る危険種で、魔石が取れれば念話の魔導書の材料になるのです」
「念話ですか!?」
「はい」
フィロフィーの話に、十七番は思わず聞き返してしまった。念話の魔導書は遺跡から見つかる絶版魔導書のみで、現代では作れないと思っていたからだ。
十七番には眉唾なその情報も、傭兵団員達には全く疑う様子がない。彼らはさっそく討伐計画を立て始めている。
ただ一人レナだけが「そんなの兵士に任せなさいよ」とぼやいているが――彼らほどの実力があって、この一攫千金のチャンスをふいにするとは思えない。
(ですが、なんとかして彼らの山狩りを止めければ)
もちろん林の中にいるのはイワメティイエプとかいう魔物ではなくグックスである。この傭兵団が林の探索を始め、万が一グックスと遭遇した時――グックスではバンケツやスミルスに手も足も出まい。
彼が捕まれば当然十七番の身も危うくなる。最悪グックス共々憲兵に突き出されるかもしれない。
「――うーん、僕らだけでも討伐できそうかな?
レナ、ジーナも、悪いけどもう少し待っててくれ。僕とバンケツとスミルスで林の中を見てくるから」
「きゃあう!」
「ごめん、コクリさんはここで皆を護ってくれるかい?」
「きゃうぅ……」
団長がついて行きたそうに鳴く子狐の頭を撫でている……いや、撫でようとしてかわされている。
まあ子狐なんて連れて行っても足手まといだろう。
というより危険種がいるかもしれないと思っているのに、馬車に防衛戦力を残して置かなくていいのだろうか?
……などと気にしている場合ではない。
「あ、あの、待ってください!」
「どうしたのだジーナ、馬車なら十分に安全だぞ?」
「いえ、そうではなく…………林の中に、そのイワメティイエプという魔物は居ないんです」
「居ない? どうしてわかるのだ?」
「それは……」
十七番は必死に理由を考える。
イワメティイエプが逃げて行くのを見たと答えるか?
――否。十七番はイワメティイエプの姿を知らない。足があるのかどうかもわからないのに下手な事は言えない。
魔物を操っている魔物は見たが、イワメティイエプとは違う見た目だったと嘘をつくか?
――否。それだとその事実を今まで黙っていたことに理由がつかないし、魔物に詳しそうなフィロフィーに看破される可能性がある。
いっそ正直に、魔物を操っていたのが自分の知り合いでただの内輪揉めだと言ってしまうか?
――否。これだけは絶対にない。敵国の傭兵団に秘蔵の絶版魔法を教えられるわけがないし、十七番達の素性も疑われる。
では、十七番が……
「うん? どうしたんだジーナよ」
「あの、切り出せなかったんですが…………実は私、魔物に好かれやすい、というか襲われやすい体質なんです」
「は?」
苦し紛れの言い訳に、傭兵団員達はポカンとした顔になった。
十七番は喉を鳴らす。
(くっ……流石に無理がありましたか)
「ふむ。なるほど、エリックと同じ体質だったのか」
「あの、疑われるかもしれませんが…………エリック?」
しかし次にバンケツが呟やいた言葉に、今度は十七番の方が間の抜けた声を出す。
「うむ、昔の傭兵団の仲間だった奴で、魔物を寄せやすいのがいるんだ。寄せ付ける力はジーナの方が強そうだがな」
「一度体内に取り込んだ魔素が魔力に変換されないままフェロモンと混ざりあって出てきてしまうと、そういう体質になるそうですわ。知能の低い魔物ほど良く惹きつけるそうです」
更にフィロフィーまでも、十七番が適当に吐いた嘘に解説を入れた。
十七番としては、そんな体質の人間が現実に存在することに驚きだった。エリックという人物はさぞかし苦労しているのだろう。
瓢箪から駒が出たが、ともかくこれで傭兵団の山狩りは止められた――
「……それってつまり、貴女と一緒にいると魔物に襲われ続けるってことよね」
――が、すぐに別の問題が発生し、十七番はこの嘘を吐いたことを後悔した。
レナが一歩、二歩と十七番から後ずさる。それも当然の反応だ、魔物が寄って来るような危険な人間と一緒に旅ができるわけがない。
(これは……諦めるしかないですね)
今更嘘だったとは言えないし、たとえ馬車から追い出されようと、この路線で話すしかない。
「はい、その通りです。
……実は私、先月行われたオリン女王の戴冠式に、さる高貴なお方の身の回りの世話役として同行していたのですが……その道中で度々魔物に襲われまして。その原因が私かもしれないと疑われ、この地で暇を出されてしまったんです」
「では、イセレムを目指していたのは?」
「王都では仕事が見つからなかったので、ひとまず南方にある故郷まで帰ろうと思っていたんです。具体的な領地の名前などは、前の主人に迷惑がかかるので御勘弁下さい」
十七番は開き直って、自分をすぐにでも追い出したくなるようなエピソードを作り上げた。
イセレムまでの安全な切符を手放すのは惜しいものの、この傭兵団が宿り木にするには危険なのもまた事実である。イセレムまでの移動方法は、一旦王都に戻ってからまた考えることに決めた。
「騙すような真似をして申し訳ありませんでした。私は自力でどうにか旅を続けますので、皆さんはどうぞ先に行ってください」
「いや、ちょっと待……」
「素晴らしい、素晴らしいですわジーナさん!」
「は?」
そうして立ち去ろうとした時――突如フィロフィーが目の前にいたバンケツを押し退けて寄ってきて、十七番の両手をかたく握った。
十七番を見上げる彼女の瞳は、キラキラとエメラルドの様に輝いている。
「ただ居るだけで魔物を引き寄せるなんて――ジーナさんこそわたくしが求めていた人材ですわ!」
「え? ……え?」
「仕事を探していたんですよね!? でしたらわたくしが雇いましょう!」
少女の予想だにしない提案に、十七番は固まった。
「おいフィロフィー、勝手に決めるな」
「駄目なんですかお父様!?」
「いや、駄目じゃないが……その給料を払うのは俺だろう?」
「え、別にわたくしが払いますが?」
「……ああ、そうか。払えるんだったな」
スミルスはこめかみをおさえているが、彼に本気でフィロフィーを止めるつもりはないらしい。
更にバンケツは「妙案だなフィロフィー」と支持を表明し、団長もそれが一番だとばかりに頷いている。
「い、いえ、お世話になった皆さんにこれ以上御迷惑をおかけするのは――」
「迷惑どころか! 可能ならエリックさんも雇いたいくらい、わたくしにはその魔寄せの力が必要なんです。
むしろ絶対に逃がしませんわ! 頷いてくださるまで追いかけますから!」
(そ、それはそれで困るんですが……)
十七番はただ、イセレムまで送って欲しいだけなのだ。イセレムの神院でレモナ王女から兄の仇を聞き出して、その首を手土産にバーグラのもとへと戻る。それが計画の全てである。
フィロフィーに付き纏われている暇はないし、そもそも十七番に魔寄せの力なんてない。
十七番はこの場で唯一反対してくれそうなレナに、助けを求める視線をおくる。
彼女は不機嫌そうに十七番を睨み返し――
「そ、そんなすがるような目で見られたら反対できないじゃない! 卑怯よ!」
――それだけ言うとレナは十七番に背を向けてしまい、そのまま馬車の中へと入って行った。
完全に真逆の誤解だった。出会ったばかりの彼女と目と目で分かり合うのは無理があったようだ。
「さて、レナの許可も出たことだし、詳しい話は馬車の中でにしたらどうだい?」
「そうですわね。さあ、行きましょうジーナさん」
フィロフィーは十七番を逃すまいと、手を握ったまま馬車へ向かって歩き始める。
(まぁグックスがこれ以上無駄に魔物をおくりつけて来なければ、すぐに解放されるでしょうけれど……)
ジーナはフィロフィーに引きずられながらそんなことを考え――何故か駄目な気がして心がざわついてならなかった。