第八十七話 危険な傭兵団
十七番が案内されたのは、お昼頃にレモナ一行らしき集団が休憩を取っていた広間だった。
ただしあの集団の姿は既にない。あれから二時間以上経っているし、とうに出発したのだろう。今は金属製で四角いフォルムの三頭立て馬車が停まっている。
その馬車のすぐ横で、栗色の髪を短く纏めた男性が大地の上に胡座をかいていた。彼の膝元にはグレイウルフの皮があり、右手には先ほどフィロフィーが持っていたのとよく似たナイフが握られている。そのナイフで毛皮の裏についた脂肪をこそぎ取っているらしい。
ナイフは一本だけでなく、彼の傍にある籠に山盛りになって入っている。奇妙なことにナイフの刃は、色や模様が一本一本違っている。
(解体専用の消耗品、でしょうか?)
獣の解体や皮なめし作業は刃物を駄目にしやすく、狩人が解体専用のナイフを用意するのは普通のことだが……なんとなくそのナイフからは違和感を感じた。
しかし十七番が近づいて確認する前に、隣を歩いていたフィロフィーが小走りで男性に駆け寄っていき……ナイフを全て回収して、馬車の裏へと隠れてしまった。
「お待たせ、スミルス。変わりはないかい?」
「ないな……良くも悪くも。それで、落としたお金ってのは見つかったのか?」
「うん。ただ彼女、乗っていた馬を魔物にやられて足がないらしいんだ。それで近くの街まで乗せていこうと思うんだけど」
「ジーナと申します、ご迷惑おかけします」
十七番が頭を下げると、彼は「スミルスだ。かしこまらないでくれていい」と名乗りながら立ち上がり、毛皮を馬車の屋根の上へと乗せ始めた。
――そのスミルスが毛皮を運ぶのに浮遊魔法を使い、ほんの一〜二分で積み込み作業を終わらせてしまったことに、十七番は目を丸くした。
「で、どっちに行く? 一旦神院行きは中止して、彼女を連れて王都に戻るか?」
「え? 皆さんは神院に向かうのですか!?」
「ああ、俺達は神院のあるイセレムの街に行くところだ」
十七番は心の中でほくそ笑む。
馬を失った時点で既に、移動中のレモナに接触する計画は破綻している。それでも諦めずに神院に潜り込むつもりでいるのだが……その神院のあるイセレムにどうやって行くかが問題だった。
今回死んだ馬はバーグラの用意したもので、信用も保証もないジーナには自力で馬を借りることはできない。なので王都に戻っても、そこから捕まったり指名手配されるリスクを冒して馬を盗むのか、それともグックスやバーグラに襲われるリスクをとって徒歩で向かうのか、頭の痛い問題があったのだ。
「ジーナもイセレムを目指してたのかい?」
「ええ、そうなんです。路銀は払いますので、積み荷に余裕があるのでしたら私をイセレムまで乗せて貰えないでしょうか?」
「うん…………ちょっと乗り心地は悪いんだけど、それに目をつぶってくれるなら路銀なんていらないよ」
「是非お願いします。私なら荷台でも御者席でも大丈夫です。御者の心得もありますので、任せていただけるなら馬車の運転もできます」
バンケツが「で、では俺と一緒に御者席に……」と言いかけたが、ロアードとスミルスがそれを止めて、ジーナを馬車の中へと案内する。
流石に見ず知らずの自分に馬の運転を任せることはできないか。そんな風に軽く考えて、ジーナは馬車へ乗り込み――
「……誰よ」
――馬車の中にいた、目の据わった女性に睨みつけられた。
* * * * *
世の中に、うまい話はそうそう無い。
強くて優しい傭兵団に保護されて、たまたま彼らと目的地も同じ。路銀もなしで、安全にそこまで連れて行ってもらえる。
――それで話が終わるほど、世界は十七番に優しくはなかった。
むしろ見知らぬ人間を馬車に乗せるというのに、傭兵団の誰一人として反対しないことに疑問を持つべきだったのだ。
(バーグラ様やグックスよりは世間ズレしてないつもりでしたが……私にも一般人の感覚が足りないのでしょうね)
十七番は小さくため息を吐いた。
今回はこの程度で済んだものの、もしも彼らが人さらいの類だったらと思うとぞっとしない。イセレムまでの足が見つかった、と深く考えずに飛びついてしまった自分が情けない。
「ちょっと、何見てるのよ」
「……すいません、少し考えごとをしていたのです」
反省中の十七番は今、目の前に座る女性に延々と睨まれ続けていた。
馬車の中に乗っていたのは、レナという名の若い女性だった。胸がとても大きく、丸みを帯びたショートヘアーの金髪美人……なのだが、目の下に浮かぶ大きなクマと、怯えて吠えたてる犬のような態度が、彼女に近寄りがたい印象を与えている。
よくよく観察すると、団長と髪や目や肌の色がまったく同じである。姉弟か何かだろう。
しかしひとりだけ高級そうな衣服に身を包んでいるところを見ると、彼女は傭兵団員ではないのかもしれない。
その腕にはペットと思しき金色の子狐が抱かれているが――それも死んだ魚の様な目でぐったりとしていて、可愛いというより薄気味悪い。
「考えごとって、何を考えてたのよ?」
「え? えっと……」
「私のこと、嘲ってたんでしょ」
「い、いえ違います! レナさんのことを考えていた訳ではなく、その子狐が可愛いなと思いまして」
「…………」
褒められた子狐は言葉を理解しているのか、助けを求めるような眼差しで十七番を見つめてくる。
レナはそれでペットを取られるとでも思ったらしく、警戒するような視線を十七番に向けて、子狐を抱きしめる腕に力を入れた。子狐は「ぎゃふ」と小さく呻く。
どうやら動物ではなく魔物のようだが……たとえ体の丈夫な魔物でも、ストレスに弱いのは動物と同じだとグックスから聞いたことがある。このままレナの瘴気にあてられ続ければ、近いうちに死んでしまうのではないだろうか?
「それで、あなたは何処の誰よ?」
「ジーナと申します」
「さっき聞いたわよ。馬鹿にしてるの?」
「いえ、違います! えっと、私はもっと南の方の出身でして……」
――今ならわかる。ロアード達がろくに自分の取り調べもせずに馬車に乗せてくれたのは、ここで彼女に尋問されることがわかっていたからだ。
というよりも、彼女の話し相手として招かれた気がする。もしや十七番がここに居なければ、団長かスミルスのどちらかが彼女の標的になっていたのではないか。
これが路銀のかわりだとすれば……謝礼金も路銀も受け取らなかった彼らは、第一印象よりもだいぶ人が悪い。
今はバンケツが御者をしていて、フィロフィーは荷台の方に乗っている。この場に居るのは十七番とレナの他には団長とスミルスがいるだけで、二人は微妙な笑顔のまま十七番とレナのやり取りを見ていた。
子供を荷台に追いやって自分が座席に座るなんて……とは言うまい。間違いなく、荷台よりこちらの方が乗り心地が悪い。
ちなみにこの馬車は、御者席、座席、荷台がセパレートした珍しい作りだ。
それぞれが壁で区切られているが、壁にはドアが付いているので行き来は出来るようになっている。
「南って何処よ? 王都に何しに来たの?」
「それは――」
「みなはん、魔物がついへきへまふわ!」
と、そこで荷台側のドアが突然開いて、フィロフィーが口をモゴモゴさせながら警鐘を鳴らした。
彼女は荷台で何か食べていたらしい。レナがフィロフィーのマナーの悪さに眉をひそめているが、それどころではない。
男性陣は真面目な顔になり、うちスミルスが素早く荷台側へと移動する。
「フィロフィー、どこだ?」
「ごくん。――あそこですわお父様。ほら、左手の茂みの中に、灰色のビッグラットの群れがいますでしょう?」
「群れ!? 群れって、いっぱいいるの!?」
「十四匹確認しましたわ」
「そんなに!?」
「落ち着いて、レナ。ビッグラットはビッグって言うほど大きくもないから」
ビッグラットは成体で体調四十センチくらいの鼠型の魔物で、グレイウルフと比べてしまえばかなり小さい。
ただしそれが十四匹もいれば、人間には十分に脅威である。
(ですがまあ、バンケツの敵ではないでしょうね)
十七番にはビッグラットの群れがバンケツに蹴散らされる光景が、容易に想像できていた。
念のため十七番達で彼の背中を守れば、十四匹という数も問題ではないだろう。
「――確かに十匹以上いるが、周囲に他の魔物はいなさそうだ」
「そう? じゃあ、スミルスに頼んでいいかい?」
「ああ、問題ない」
「うん。――バンケツ、後ろに魔物だ。今からスミルスが飛び降りる。一人で大丈夫そうだから、巻き込まれないようにもうしばらく走ってから停止して」
「む、承知した!」
ところがバンケツは今回戦わないらしい。
十七番が戸惑っているうちに、スミルスは馬車の荷台から跳び降りる。
「ちょっと、彼一人で大丈夫なの!?」
「お父様ならあのくらい平気ですわ」
驚いたのは十七番だけではなかったようで、レナもひどく動揺しているが――それに答えるフィロフィーに心配する様子はなかった。
スミルスが飛び降りたあと、馬車はしばらく走ってからゆっくりと速度を落として止まる。
団長達が馬車を降りていくのに十七番も付いていくと――スミルスは既に戦いを終えて、こちらに向かってきている最中だった。
彼は仕留めたビッグラットを、浮遊魔法で運んできていた。
おそらくビッグラットの群れに、冷気の魔法を叩き込んだのだろう。ビッグラットは固まりになって氷漬けになっている。
「ひぃふぅみぃ……フィロフィーの言った通り十四匹か」
「ふむ、よく数えられたものだな。アキに索敵でも習ってたのか?」
「うひゅひゅ、たまたまですわ」
それを出迎える傭兵団員達は、ビッグラットを仕留めたスミルスよりも、索敵したフィロフィーの方を褒め始めた。
まるでスミルスならこの程度できて当たり前、とでも言うように。
(この傭兵団は……危険ですね)
少なくとも、バンケツのワンマン傭兵団ではない。
先ほどアキという名前も出していたし、他にも厄介な仲間がいるかもしれない。
レナの話し相手云々は別として……間者である自分が身を寄せる先としては、危険で避けるべき相手だったのではないか。
笑いあう傭兵団を尻目に、十七番は自分の胸がざわつくのを感じていた。
* * * * *
「さてと、本題はここからですわね」
「本題?」
「そうですわ。この林の中にはまだ何か――おそらくはイワメティイエプのような、他の魔物を操る存在がいるはずです。それを狩りにいきましょう!」
そして、十七番の嫌な予感はすぐに当たった。