第八十三話 エルバ魔導士協会の三人組
王都リスティよりずっと北の、しかしセイレン領よりはやや南に、エルトールという領地があった。
エルトールは三大領地に次いで栄えた領地で、その首都エルバはキイエロ王国でも屈指の大きさを誇る。魔法商店や魔導士協会、都市学校や遊郭なども揃っている。
そのエルバ魔導士協会の建物の前に、一台の馬車が止まり、中から一人の少女が降りる。
灰色の目に灰色の髪、とんがり帽子にローブ服。少女を知らない人間は、その姿を見て王族だとは思わないだろう。建物に入る少女――第七王女クリンミルに、街行く人々が注目することもない。
さすがに魔導士協会の番兵達はわかっていて、クリンミルが近づくと道を譲って頭を下げた。協会の受付嬢は立ち上がり、「お帰りなさいませ、クリンミル様」と頭を下げる。
クリンミルは「ただいま」と小さく答えて奥へと進み……脇にあるカフェスペースに、知り合いの女性二人が座っているのを視認した。
「あ、クリンミル様! お帰りなさい!」
「これはクリンミル様、ご無沙汰しています」
二人はクリンミルの視線に気がつくと、一旦話し合いを切り上げて、クリンミルの方を向いた。
一人はムイランという若い女性だった。魔導士協会の職員だが、彼女自身は魔導士ではなく事務員で、協会魔導士達の魔石や触媒などを管理している。
研究熱心な魔導士には、金銭感覚の乏しい人間も多い。彼らを放っておくと、商人の勧めるままに値段の高い資材を買いあさり、それを湯水のように消費してしまう。資金不足で立ち行かなくなった研究などザラにある。
そこで魔導士と商人の間にムイランが入り、価格交渉を行なっている。複数の魔導士が必要としているアイテムをまとめ買いして割安にしたり、魔導士の無駄遣いを注意するのも彼女の仕事だ。
口を酸っぱくして経費削減を唱えるムイランだが、それでも資材を安く仕入れてくれる彼女は、エルバの魔導士達に評判が高い。中には資金の管理をムイランに丸投げするために、彼女を口説こうとする魔導士まで出てくるほどだ。
クリンミルも、自腹でアイテムを買う時ですら、ムイランに調達を頼んでいる。
もう一人はアキという、この街に魔法商店を構えている商人だった。年齢不詳で、ムイランと変わらないくらいにも見えるが、実は一回りくらい上だという噂もある。
エルバにある魔法商店の中で、アキの店は少し変わった商品を持っていることで有名だ。店長のアキ自身が仕入れに出ているからだと聞いている。
最近は長期の仕入れ旅に出ていたらしく、クリンミルは一年以上、アキに会ってはいなかった。
二人は商談中だったようで、二人のテーブルには大小様々な魔石が並べられている。
クリンミルが近寄って覗き込むと、アキは営業スマイルをクリンミルに向ける。
「いかがですか、クリンミル様」
「……うん、良質な魔石、だと思う」
「ええ、それはもう! 仕入れにはかなり苦労しましたけれど、そのぶん最高級品を揃えましたから」
アキは得意そうに胸をはった。
クリンミルは魔石を見ても無表情なままだったが、内心ではかなり驚いていた。
アキの持ってきた魔石はどれも、ぱっと見ても高品質だとわかるものばかりだ。種類も多いし、サイズも使いやすい大きさのものが揃っている。
中には浮遊魔法の魔石なんていう、とんでもない代物が混じっている。
店長自らが長旅をして仕入れてきたとはいえ、これだけの魔石をたった一年で集めたのなら、とんでもない商才の持ち主だろう。
ただ、そのぶんこれらの魔石は値も張るらしい。ムイランに「あまり余計なことは言わないで下さい」と目で訴えられた。
アキとムイラン、共に笑顔の二人の視線が、ぶつかり合っては火花を散らしているようにも見える。
「えっと、アムバロは来てる?」
「はい。今朝クリンミル様の研究棟に入ってから、まだ出てきていないはずですよ」
「わかった」
クリンミルがこれ以上ここにいても、おそらくムイランの邪魔にしかなるまい。
そう思って退散を決めたクリンミルだったが――その前にひとつ、ムイランに頼まなければならない仕事があるのを思い出し。
「ムイラン、後でこれの換金をお願い」
と言って、綺麗な菱型の魔石をムイランに投げた。
「クリンミル様、何ですかこれは!?」
「お城でミルカ姉様に貰った」
「二ヶ月前に亡くなられたミルカ様ですか? それって、形見の品になるのでは? 売っちゃっていいんですか!?」
「いい。見た目だけ良くても意味がないし、その大きさじゃ魔導書にもならない。売って資金にするのが妥当」
クリンミルはそれっぽい理屈をこねるが、その魔石をさっさと処分したい本当の理由は別にある。
二ヶ月前の夜会の時、クリンミルはフィロフィーがわざと倒れたことに気づいていた。
それを憲兵達に指摘しなかったのは、フィロフィーがミルカから飲まされそうになったワインを奪い、そのワインを覚悟を決めた顔で飲み干した姿も見ていたからだ。
三日後のお茶会の時には、今度はチャコがクリンミルからケーキを奪い取って食べ――そしてトイレに駆け込んだチャコの治療に、わざわざシェパルドルフ医師が出向いたと聞く。
後日フィロフィーやシェパルドルフに聞いてもはぐらかされたし、チャコは部屋に閉じこもっていたので聞けていないが……色々と合わせて考えれば、結論はひとつしか出ない。
ミルカがクリンミルを殺そうとして、それをフィロフィーやチャコが庇ってくれた――ということだろう。
その後、どういう経緯でミルカが死んだのかまではわからないが……なんにせよ、例え珍しい魔石であっても、ミルカの形見なんて手元に置いておきたくはない。
それがクリンミルの本音である。
ふと見れば、アキが心底驚いた顔で、クリンミル魔石を凝視している。
珍しい魔石だ。魔法商店の主人なら、それは気にもなるだろう。もしかしたら、この場でアキへの売却が決まるのかもしれない。
それならそこにある浮遊魔法の魔石と交換して欲しいな……などと考えつつ、クリンミルは二人に背を向けて、協会の奥へと歩き始めた。
エルバの魔導士協会は、奥へ進むといくつかの研究所に繋がっている。
研究成果などの盗難を防ぐため、研究施設は番兵の守る協会本部を通らなければ入れないように作られたのだ。
ただし研究室は全ての魔導士が貰える訳ではなく、資質や功績、あるいは寄付金によって、貰える研究室の数や大きさが変わる。
『大魔導士』の称号を持つクリンミルの場合は、研究棟を丸々一棟与えられている。
クリンミルが自分の研究棟の扉をノックすると、すぐに中から鍵を開ける音が聞こえ、四十代くらいに見える黒いローブ服の男がクリンミルを出迎えた。
クリンミルは王都では一度も見せた事のない、満面の笑みを男に向けて――
「ただいま、アムバロ!」
「ああ! お帰り、クリンミル」
――扉が閉まるなりアムバロに飛びつくと、彼の首に両腕を回し、そして彼の唇に吸い付いた。
アムバロはクリンミルを支えるように腰に手を回す。
「んっ……」
一見親子のようにも見える二人だが、その口付けは小さく口を開けて、伸ばした舌と舌を絡ませ合う。
親子がするような軽い挨拶とはかけ離れた、恋人同士の口付けだった。
* * * * *
それから数時間後。
研究棟の休憩所に、三人の男女が集まっていた。
クリンミルとアムバロ、それにムイランの三人である。
「フィロフィーが、無魔力?」
「ああ。前にロアード様から、彼女の身体検査を依頼されたことがあってね。調べたところ、彼女は魔力を生み出せない、人間より動物に近い体質の持ち主だったよ」
「身体検査」
「……彼女を研究したところで動物を研究するようなものだし、エルフ化の道筋にはならないだろうと判断したんだ。それでも、他の同志達に教えると、面白がって解剖する者がいるかもしれないと思って、それで黙っていただけで」
「身体検査」
「…………わ、わかったよ。やましいことはないから」
クリンミルにジトリと睨まれて、アムバロはついに釈明を始める。
「黙ってたのは悪かった。でも後ろめたいからじゃなくて、クリンミルと変わらない歳の少女が切り刻まれる所を見たくなかったんだ。それと身体検査の時は彼女の父親にずっと睨まれてたし、そもそも私はクリンミル以外には興味ないから!」
「――う、うん。わかった、信じる」
(いやいや、信じちゃ駄目ですってクリンミル様!)
顔を赤くするクリンミルに、ムイランは心の中で突っ込みを入れる。
(その男は自分が不老不死になることより、歳を取らない少女を作りたいって変態ですよー!?)
ムイランはアムバロの性癖を知っている。彼は子供にしか優しくできない変態紳士で――だからこそ、こんな危険な研究に手を染めていることも。
「何か言いたそうだな、ムイラン」
「いーえー? そうやってアムバロ様が助けた女の子が、今度はクリンミル様を助けたんなら、情けは人の為ならずってやつだなーって思いまして」
「ふん」
鼻を鳴らすアムバロに、ムイランは内心で舌打ちをした。
ただムイランとしても、アムバロとクリンミルの仲は良好であるに越したことはない。
ムイランはそれ以上言わず、話題を変えることにした。
「とにかく、これで一安心できますね。クリンミル様はお城から無事に帰ってきたし、サラム大卿は何も知らなかった。つまりうちとダゼン様のつながりはバレてない、ってことですよね?」
「まあな。これであとは、逃亡中のダゼン達が見つかれば文句なしだ」
「どこ行っちゃったんでしょうね、ダゼン様……というかセラップさん達」
「任務失敗で、殺されると思って逃げているのかもな」
「でもうちに、そんな簡単に同志を切り捨てるような人的余裕はないですよね」
「ないな、残念ながら」
アムバロは眉をひそめてため息をついた。
「次のコジュン島の代官を買収はできそう?」
「難しいですね。どうやらメロウの強烈な推薦で代官になった人物らしいので」
「そう」
「しかも浮遊魔法が使えて、『大魔法使い』のハーフル様に気に入られて、毎日魔法の特訓をしているそうです。密漁も難しくなりそうです」
「厳しいね、それは」
クリンミルは呟くように言った。
「あ、そうだ。クリンミル様のおかげで、アキさんからは魔石を安く買えました」
「私、何かしたっけ?」
「ほら、さっきのミルカ様の形見の魔石。あれをチラつかせて、アキさんに他の魔石の値段を下げさせたんですよ」
「そっか、それなら良かった」
「はい。その分あの魔石の売り値はちょっと安くなりましたけど、ちゃんと上乗せしますからね」
ムイランは嬉しそうに笑った。
「――じゃ、そろそろ会議室に行きましょうか。今日の会議にはコジュン島の現地に行った調査班がいますので、詳しくは彼らの報告を待ってください」
「わかった」
そして三人は席を立った。
彼らは思いもしないだろう。
話したバラバラの話題が全て、一人の少女に関係していることだとは。
そして自分達の命運が、その少女に握られているなんて。
フィロフィーはコジュン島の代官屋敷で、当時の代官ダゼンとエルバ魔導士協会との繋がりを示す証拠品を全て回収していた。
クリンミルがエルフ化を目指していることを、フィロフィーは把握していたのである。
それ故、フィロフィーはクリンミルを『切り札』と呼び、いざとなったらあらゆる命令をするつもりでいた。
その命令は「ケーキを食べてお腹を壊せ」という優しいものから、「ミルカとテンを暗殺しろ」という無理難題まで可能性があり……当然、その後の口封じまで含んでいる。
しかし様々な偶然が重なって、フィロフィーはクリンミルという切り札を使うことなく敵を殲滅する。
クリンミルはフィロフィーに、温存されただけなのだ。
「そういえば、今度フィロフィーに遊びに来てもらいたいと思ってたんだけど、やめた方がいいかな?」
「大丈夫だと思うよ。無魔力なんて、そうそうバレるもんじゃないからね」
「そっか」
「嬉しそうですねクリンミル様。なんなら、仲間に誘ってみたらどうですか?」
楽しそうに笑いあう三人は、自分達が何を呼び込もうとしているのか、まだ理解してはいなかった。
これにて第二章終了です。