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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第八十二話 残された謎

 

 テンは――キイエロ王国ではテンと呼ばれているその男は、戸惑いを隠しきれなかった。


「――あの、フィロフィーさんはキャスバイン様に取り調べを受けていたのでは?」

「それならもう終わりましたわ。もちろん無罪でしたので、つい先ほど解放されたのです」

「……無罪?」


 そんな馬鹿な。

 フィロフィーが無罪なはずはない。


 彼女が男の犯行を知らなくても、男は彼女の犯行を知っている。


 フィロフィーは暗殺に使われると知った上で浮遊魔法をミルカに渡し、そしてシェパルドルフを医務室から遠ざけた、紛れもない共犯者のはずだ。

 あるいは、ミルカを殺したのも彼女かもしれない。

 そんな彼女が無罪放免になったということは……


(どうやら俺は、キャスバインの『心眼』を過大評価していたらしいな)


 フィロフィーとの雑談を続けながら、男はわずかに苦笑した。




 男はテルカース帝国がキイエロ王国に送り込んだ間者である。当面の仕事は、キイエロ王国に同盟国であるグレア王国への支援を打ち切らせるための裏工作だ。

 そのために女王の執事という、最高の肩書きを手に入れて潜入したものの――蓋を開ければアークロイナは完全なお飾り女王で、洗脳した所で意味のない人間だった。


 そこて男はレモナの懐柔し、彼女を女王に据えて操ることにした。そのためにロアード、アークロイナ、オリンの暗殺も計画する。

 ただ、そこで問題になるのが、キャスバインという存在である。


 男は、キャスバインの『心眼』が、容疑者達の嘘や冤罪を見抜く瞬間を何度も見ていた。

 男も間者として精神統一の方法くらいは知っているが、それでもキャスバインと対峙するのは厳しいと感じた。

 王族より先に、彼を暗殺すべきかとすら考えたほどだ。



 しかし、男が怖れていたキャスバインは、フィロフィーの犯行を見逃したらしい。


 この娘に『心眼』が誤魔化せたのならば、間者として訓練を受けている自分にだってできたはずだ。

 キャスバインを怖れてミルカを身がわりにしようとし……そのミルカの狂人っぷりのせいで、かえって自分の立場を危うくしそうになったこと、何もかも本当に無駄だったらしい。


 そう思うと、男は苦笑せずにはいられなかった。




「――でも、やっぱり飲んでみたかったですわね、ミルカ様のハーブティー。今度飲ませていただく約束だったのですけれど……」

「それでしたら飲んでみますか?」


 彼女がどうやってキャスバインの心眼をかわしたのか、そして男の犯行に本当に気づいていないのか。

 そのあたりを探ろうと考えて、男はフィロフィーを自然に口説いた。



 *   *   *   *   *



 そして気がつくと、男は囲まれていた。


 城の精鋭騎士達が、男に剣先を向けている。彼らの陰に隠れる様にして、男が一番怖れていた相手、キャスバインがニヤニヤしながら男を見つめる。

 謎の狐が窓際を守り、フィロフィーが少し離れた場所で、とても穏やかな顔で男を見ている。


 何が起こったのかわからない。……いや、フィロフィーに嵌められたのはわかるのだが、何故彼女がこんな暴挙に出たのか理解に苦しむ。


 彼女をただの狂人だと考えていたのが間違いだったことは認めよう。しかし、フィロフィーが男を嵌められるくらい聡いのであれば――これが自分の首を絞める行為だともわかるはずだ。

 男が捕まって自白するようなことがあれば、フィロフィーの犯行も明るみに出ることになる。


 彼女がテンの正体に気付いたとしても、知らんぷりするのが最善だったはずだ。



「あの、やめませんかテンさん。この人数差と装備差ですし、無駄な血を流すことはないと思うのです。もし隙をみて窓から逃げようと思っているなら、それこそ無駄ですわ。窓の外にはあのロアード様が待機しています」

「――っ!」



 彼女の言葉は、暗に自殺を勧めていた。

 なるほど、男が間者として、もしもの時は自殺できる訓練もしていることを、彼女は見抜いているのかもしれない。


 しかし、そんなことを言われれば尚のこと、大人しく死んでやるつもりにはなれない。

 せめて、彼女の犯行だけは晒してから――



「――そうだ、そこの気持ちの落ち着くハーブティーはテンさんに差し上げますわ。わたくしよりも、今のテンさんにこそ必要でしょうから」


 男はフィロフィーの言葉を聞いて、机の上に置いたままのハーブティーのグラスに視線を向ける。


 冷たいグラスの側面は結露で曇っていて――


「…………」


 ――そこに『17』と書いてあった。


 水滴が垂れていない所を見ると、服の袖で丁寧に結露を拭きとりながら書いたのだろう。偶然『17』と読めるような形で水滴が垂れたわけではない。


 この状況で、その数字が意味する所は……男にとって自分の命よりも大事な存在、『十七番』以外にはあるまい。



「……ああ、それもそうだな」


 男は理解した。

 単に目の前にいる少女が、キャスバイン以上の化け物だったらしい。



 男はひとつ大きく深呼吸すると、構えを解いて剣を収め――隠し持っていた毒を口に含むと、ハーブティーでそれを流し込んだ。


 男は最後にフィロフィーの方を見る。

 彼女が小さく頷いた所を見ると、このまま死ねば、十七番のことは黙っていてくれるのだろう。



 男は自分の胸に右手を当て「――凍れ」という言葉と共に、自分の心臓を凍らせた。



 *   *   *   *   *



『――でさ、結局女王もシェパルドルフの到着前に死んだんだけど、本当に僅差だったよ。あと少しシェパルドルフ達の到着が早ければ、女王は助かったんじゃないかな?』


 事件の翌日。


 フィロフィーは重要参考人として、城から出ないように指導され、しかし医務室からは追い出され、他の王族への接触は禁止された。

 かといって独房に入れられたりもせず、押し込められたのは従業員棟の一室で、今はグリモと話しながらのんびりお茶を飲んでいる。

 話しながら、と言っても、ドアの向こうに見張りが居るので声は出さない。


 たまにスミルスが様子を見に来るが、スミルスとの面会には立会人が必要なため、込み入った話はできていない。

 暇つぶしになりそうなものは、バンケツに差し入れられた筋トレ器具くらいしかなく……フィロフィーは王都に来てから、一番穏やかな時間を過ごしていた。


(それはきっと、タイア様がすぐに念話でシェパルドルフ先生を呼んだからですわね。ミルカ様が倒れたのが、わたくしの予想より早かったみたいですし)

『ミルカの心臓の調子が、思ってたより悪かったんだな。

 ……けど、そのミルカが女王を精神的に追い詰めなかったら、やっぱり女王は生き残ってたのかもな』



 もしも、ミルカが医務室でアークロイナを罵倒しなかったら。


 アークロイナはベッドの上で安静にしていて、もう少しだけ長生きができ、そしたらシェパルドルフが間に合っていたのではないか。


 ――最後の最後で、ミルカの悪意がアークロイナの悪運を上回ったのではないか。


 グリモにはそんな風に思えてならない。



 グリモが人の業にそら恐ろしさを感じる一方で、フィロフィーはただただ安堵していた。


(別に女王陛下が生き残っても、わたくしは困りませんでしたけど。……ただ、ミルカ様が女王陛下に気をとられて、わたくしに言及しなかったのは何よりですわね)

『……うん、確かにそこが一番大事なんだけどさ。もうちょっと女王とかミルカについて、何かこう、思う所とかあってもいいんじゃないのか?』


 フィロフィーの淡白さに、グリモは思わず苦言を言い――


「えっとぉ……女王陛下モ、カワイソウナ人デシタワネ?」

『…………ああ、そうだな。元凶にそんな風に言われるんだから、本当にカワイソウだ』


 ――すぐに自分の発言を後悔した。


 女王アークロイナの物語は、グリモの『お疲れ様でした』ではなく、フィロフィーの「カワイソウナ人デシタワネ?」で締めくくられてしまった。



『ところでよご主人。危険な橋を渡ってまで、テンを追い詰める必要はあったのか?』


 アークロイナになんだか申し訳ない気分になったグリモは、これ以上彼女の死をけがすまいと思って話題を変える。


『ミルカが犯人ってことで、事件には決着がついてたんだからさ、テンは放っといた方が安全だったんじゃないのか?』


 テンと同じく、グリモにもフィロフィーの行動が理解できていなかった。


 本来の作戦には『テンにミルカ殺害の罪を押し付ける』という過程もあったのだが……ミルカの医務室での行動が、アークロイナと無理心中したようにしか見えなかったので、それは不要になっていたのだ。

 それはテンの方も同じことで、彼にフィロフィーをどうこうする理由はなかったはずである。

 お互いに相手を無視することが一番合理的なのに、普段は合理主義的なフィロフィーが、どうして危険を冒してまでテンを追い詰めたのかがわからない。


(そんなの決まっているではないですか)


 しかしフィロフィーは、何故わからないのかがわからないという顔をした。



(わたくしはキイエロ王国の貴族ですわよ? 敵国の間者を見つけたら、始末するのが当然でしょう?)



『…………は?』


 グリモは耳を疑う。


(本当は生け捕りにしたり、あえて泳がせて情報を引き出したりするべきなんでしょうが……わたくし事でそれができなかったのは、タイア様達に申し訳ない所ですわね)


 侵略者を倒すために、その命を懸ける。


 命の懸け方が百八十度間違っている点を除けば――それは貴族としては当たり前の行為だった。


 まさかフィロフィーがテンを倒した理由が、そんな貴族の常識的な理由だとは思わず、グリモは完全に言葉を失う。


(それにしても……密書に書いてあった『十七番』ってなんだったんでしょうね? できれば始末する前に、それだけでも掴んでおきたかったですわ)


 十七番がなんだったのか、フィロフィーは知らない。


 とりあえず「密通に使っていた特殊なインクの事を知っているぞ」という脅しにはなるだろうと思って書いてみたところ、テンはあっさりと死んでくれたのだ。


 テンが『十七番』を守ろうとして死んだのか、それとも『特殊インク』を守ろうとして死んだのか。

 それすらフィロフィーにはわからない。



『…………サア? ナンダッタンダロナ?』



 フィロフィーの持つ倫理観があまりにも謎で、今日もグリモは困惑するのだった。

 

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