第八話 そして、彼女の物語が始まる
「――というわけでもう一冊魔導書を作るのですが、前回よりもっと凄いのを作りたいのですわ」
『無理だな』
「グリちゃん、せめて考えて下さい」
『いやご主人、前回の魔導書の出来が良すぎるんだよ』
「そうなんですの?」
この日の夜も、フィロフィーはベッドの上でグリモと話をしていた。
場所はもちろんフィロフィーの部屋で、グリモは昔と変わらずベッドサイドが、ただしウサギ人形に埋め込まれてたままだった。
最初はそろそろ人形から出してくれと頼んだグリモだったが、フィロフィーに面倒くさいと一蹴され、ほぼ泣き寝入りに近い状態でその姿を受け入れる事になっていた。
『ああ。古代人の魔導書と比べても遜色ない、どころか超えてそうな出来だったからな。
スミルスが狐になったケニーの動きに驚いてたのを見ただろ? 変身魔法で初めての変身の直後に、あれだけ動けたら古代でも特級品扱いだぞ』
「それは素晴らしいのですが、でもどうして? 材料はあまり良いものは手に入りませんでしたのに」
魔導書を作るためには、魔石以外にも必要なものがいくつかある。
魔石からインクを作るのにはエーテルという液体に漬け込む必要があるし、そのインクでルーンや魔方陣を書き込むための筆と紙も必要になる。
この中で紙は滲まず、筆は綺麗に描ければ何でも良いのだが、エーテルだけはそうはいかない。インクの質がそのまま魔導書の質につながるため、本来はエーテルでも最高級品が必要なのだが、屋敷にはセルフィーの残した古くなったエーテルが少量存在するだけだった。
さらには魔力抽出時に加える魔力触媒も手に入らなかったのに、完成した魔導書が特級品だというのはフィロフィーには理解ができない。
『ご主人の力で、魔石の形を紙みたいに薄ーくしただろう? あれで魔石から魔力を抽出する効率が跳ね上がったみたいだな』
「はあ。その程度で跳ね上がるのなら、適当に砕いて使えばいいのでは?」
『魔石を無理矢理砕くと、砕いた時に魔力が大量に失われるからな。そんな真似もったいなくて普通はできないから。
かといって小さなクズ魔石は不純物が多くて魔導書作りには不向きだし、結局は多少インクの質が落ちてもデカい魔石をそのまま使うのが普通だったんだ。まあ例外もあったけど』
「例外?」
『大量に用意したデカい魔石をガンガン砕いて作った、金に糸目をつけない威力重視の魔導書もあったにはあったからな。
……あ、たぶんだけど絶版魔導書にはそうやって作った魔導書が多いと思うぞ。古代の連中が大事に保管した結果、この時代にまで残ってるやつがあるんだろうよ』
「なるほど、それで絶版魔導書には強力な魔法が多いのですわね。さすがはグリちゃんですわ」
パチパチパチ、と。
グリモの推論に、フィロフィーは何となく拍手で返した。
それに気を良くしたのかはわからないが、グリモはいつもより少し饒舌になる。
悪魔であっても、自分の知識を披露するのは楽しいらしい。
『ふふん。まあ要するに、ご主人の作った紙状魔石でつくる魔導書は、古代の超贅沢な魔導書に匹敵する威力を持つって事だな。だから前回より凄い魔導書を作るには、もっと良いエーテルや魔法触媒を手配するしかないぞ』
「あー、エーテルも触媒もこの辺では手に入りませんし、残念ですが諦めるしかないですわね」
フィロフィーが残念そうにため息をつく。
『そんな残念がるなよ。十分すごいんだぜ、ご主人の魔導書は』
「そうですわね、タイア様には前回と同じ物で我慢して貰いますわ。 ……どうせわたくしには作る事はできても、読む事はできませんし」
『……お、おう』
「ちなみに、ですが……」
フィロフィーは両手をお皿の形にして、その中に液体状の魔石、魔液を生み出す。
「これで魔導書を作る事はどうしてできないのですか?」
『…………』
「グリちゃん?」
『いや、そういえばご主人はそんな事もできたなって思ってな……』
前回は魔力の抽出に数日間かかったが、フィロフィーの作る魔液をエーテルで薄めても対して変わらないだろうという事に、グリモは今更思い至ったのだった。
* * * * *
「タイア様、魔導書が完成しましたわ」
「え、もう? …………てか、それは何?」
「何って、魔導書ですが」
そういってフィロフィーがタイアに差し出したもの、それは端を蝶番で留められた二枚の木の板だった。
「えーっとぉ……」
「あ、木の板はまだ重ねたままにしておいてください。そこに魔方陣とルーンが刻まれていますから、開けると発動してしまいますわ」
そういって、フィロフィーはタイアにウインクする。
最終的にフィロフィーがタイアに用意したのは、エーテルを一滴も使わない、魔液だけで描いた魔導書だった。
否、もう描いてすらいない。
魔液がしばらくすると固まって魔石になる事を発見したフィロフィーは、彫刻刀で木の板に魔方陣やルーンを掘り、そこに魔液を原液のまま流し込んだのである。
一応魔導書としてのポイントは押さえてあるのだが、最早魔導書として機能するのかも怪しかった。
その魔導書に、タイア以上に顔を引きつらせたのはスミルスだった。
前回ケニーに使わせた魔導書とは別物にしか見えずもう一度誰かに試させようとしたのだが、もう一冊作ると商人のアキさんに売る魔石がなくなるというフィロフィーの指摘によって、渋々タイアが魔導書を読むことを承知した。
かくしてタイアが魔導書を読む事になり、ケニーを含めたいつものメンバーで庭に集まっている。
変身魔法ならわざわざ庭でやる必要はないと思い、スミルスが食堂に移動しようと提案したのだが、
「タイア様のはケニーさんのより凄いので、巨大狐になって屋敷を破壊してしまうかもしれませんわ」
というフィロフィーの不穏な一言により、引き続き庭に集まっているのである。
タイアはケニーの様に変身後に服に絡まったりしないようにワンピースに着替え、下着も人に晒すのが嫌だったので脱いでいた。
「フィーが脅すから、読むのが怖いんだが」
「まあ、巨大狐って言っても限度があると思うっすけど」
「あくまで予想ですわ。普通のサイズで、身体能力が凄いだけかもしれませんし」
周囲の人間の根拠の乏しい予想に、タイアは不安を募らせていた。
「あるいは、尻尾が九本になるかもしれんな」
「よし! そろそろ読むぞ」
が、すぐにやる気を出す。
九尾の狐はこの世界で有名な伝説の魔物で、多彩な魔法を操ることで知られている。
尻尾が九本、にタイアの中の中二病がくすぐられたらしい。タイアはいともあっさりと――自分の運命を大きく変える事になる――木版魔導書を開いたのだった。
ケニーの時と同様、魔導書から飛び出した白いルーンがタイアの体に吸収されていく。
「やっぱり、誰かに魔導書を開いて貰って、間にわたくしが飛び込めば…………うう、無理ですか」
今回もフィロフィーがウサギ人形を抱きしめて何かつぶやいていたが、タイアは気にしない事にした。
ルーンを吸収し終わると同時に、タイアの体が変身していく。
そしてすぐにタイアの髪の毛の色と同じ、金色の毛並みをもつ狐の姿へと変化した。
着ていたワンピースを抜け出した狐タイアが、すぐに振り向いて尻尾を確認する。残念ながらそこに尻尾は一本しかない。
さらには体長も尻尾を入れても一メートルに届かない、ケニーの狐化よりもずっと小さな子狐の姿だった。
「きゃうぅ」
露骨に落ち込む子狐は、周りの人間の愛くるしい小動物を見つめる視線に気づけない。
「か、かわ、かわ……」
「きゅ?」
「かぁわいいですわあああぁぁ!!」
「きゅおん!?」
そして我慢のできなくなったフィロフィーが飛びついてくるのを、狐のタイアは避けられなかった。
思う存分タイアを撫でくりまわすフィロフィーをみて、スミルスとケニーもついつい尻尾に手を伸ばし、そしてソフィアに叩かれる。
元は年頃の少女、と言うより王女である。たとえどんなに可愛くても、成年男性がモフってはいけない。
――もっとも、同年代の少女でも何をしても許されるわけではない。
「きゅおおおん!」
「きゃああぁぁ!?」
タイアを絞め殺さんばかりに抱きしめていたフィロフィーに天罰が下る。
タイアの叫び声と同時にフィロフィーの頭に突然火がついたのだ。
「フィロフィー様!?」
「動くなフィロフィー!」
スミルスは水魔法を使うのも忘れ、フィロフィーを抱え上げて頭を雪の中に突っ込む。
もがくフィロフィーを必死に雪へと押し込むスミルス。
わたわたと慌てるタイアとケニー。
ソフィアだけは落ちついて素早く台所に戻り、そして水を汲んで戻ってきたのだった。
消火後、幸いフィロフィーは大きな火傷をする事はなく、頭に小さなアフロを乗せるだけで済んでいた。
一同はあらためて、タイアの狐化について調べてみる。
タイアは見た目は子狐だが、その素早さや筋力はケニーの狐化を上回っていた。
さらには火の玉を生み出して、自分の周囲で操って見せた。火の玉を大地にぶつけると、爆音を鳴らして弾け飛ぶ。
どうやらフィロフィー頭に火をつけた時は全力ではなかったらしい。フィロフィーは嫌な汗をかいた。
「どうやら僕の狐化と違って、変身中に強力な魔法も使えるみたいですね」
「むしろ人間の時の魔法よりも強力だな。タイア様には暖炉の火をつけるくらいしかできなかったはずだ」
「これはきっと狐火ですわ」
「でもホワイトフォックスは狐火なんて使わないっすよ?」
野生のホワイトフォックスは攻撃魔法など使わない。
もしホワイトフォックスにこんな魔法を使われたなら、とてもセイレン領の兵士に相手できるものではないだろう。
「タイア様、試しにその姿でいつもの魔法を使ってみて下さい」
「きゅおん!」
タイアは前足を上げて火の魔法を出してみる。
それはいつも暖炉の火起こしに使っている、冴えない威力の火炎放射だった。
「他の魔法も使えるけど、狐火の方は固有能力みたいですわね」
「きゃう!」
思いのほか便利そうな狐化の魔法に、タイアが嬉しそうに声を上げた。
検証が一通り済み、タイアは風呂場の脱衣所へと向かった。着ていたワンピースはフィロフィーが持ち、タイアの後ろをついていく。
残った木板魔導書は再利用できそうなので、フィロフィーが回収していった。
スミルス達は食堂でタイアが服を着て戻ってくるのを待ちながら、ソフィアの用意してくれた紅茶をすする。
「それにしても、フィロフィーの魔導書は何故あんなに強力なんだ……」
「やっぱりさっきのは普通の魔導書とは違うんすか?」
「全然違うな。そもそもケニーの使った魔導書からしておかしいんだ。知り合いに狼化の魔導書を買って読んだ奴がいるんだが、最初は歩くのにも苦労していたし、年単位で訓練しても結局は元になった狼の魔物の様には動けなかった」
「でも僕の読んだ弱い方の魔導書、凄く身軽に動けましたけど」
「ああ、正直ヨボヨボの狐モドキになると思っていたからケニーに頼んだんだがなぁ」
「それはあんまりっすよ!?」
ケニーは抗議するが、今回のケニーの役回りはタイア王女の毒見役なのだから仕方ない。
ただし、毒見役なのだからタイアと全く同じ魔導書を読まなければ意味がないのだが、ケニーが読んだのはタイアのそれとは別物だった。
つまりケニーは毒見役としてまったく機能していなかった。
その結果、悲劇が起こる。
ちょうどタイアとフィロフィーが食堂へと戻ってくるが、タイアは狐の姿のまま、フィロフィーの腕に抱えられていた。
「あの、ケニー様?」
「様って……どうしたんすか」
「ケニー様に伺いたい事がありまして」
「きゃうぅ」
ケニーはスミルスと顔を見合わせる。
二人はこれまでの経験から、フィロフィーの態度に凄く嫌な予感がしていた。
二人は喉を鳴らし覚悟を決め、その視線でフィロフィーに先を促す。
「どうやったら、人間の姿に戻れるのでしょうか?」
しかし落とされた巨大すぎる爆弾に、二人はあえなく撃沈した。
* * * * *
タイアにとってフィロフィーは。
姉妹であり、幼馴染であり、親友であり、家臣であり、相棒であり、ライバルであり、天敵であり。
そしてこの日、『飼い主であり』が追加された。
長いプロローグとなってしまいました。次から第一章「タイア王女の儚い願い」が始まります。