第七十八話 シンクロ王女
その日の夜になると、タイアから特務憲兵達の捜査状況を聞くことができた。
本来は捜査状況を漏らすべきではないが、タイアはコクリさん絡みのトラブルのせいで、フィロフィーに話さざるを得ない状況に陥っていた。
タイアの話を聞いた限り、丸テーブルのトリックを大きく変える必要はなかった。
それもそのはず、もともと計画を立てる段階で、特務憲兵がミルカを強く疑っていることは想定し、タイアの能力も考慮している。
――ただし、小さな変更は必要になった。
(うみゅう、どうやってシェパルドルフ先生を医務室から誘き出しましょうか? ロアード様に薔薇の実でお腹を壊して貰う予定でしたけど、どうも犬になってしまうようですし)
なんだかんだと揉めた末に、ロアードが偽コクリさんになることが決まったのである。
『いやいやいやいや、率先して犬にしたのはご主人だろ』
(仕方ありませんわ。オリン様や女王にタイア様の能力がバレる方が厄介でしたし)
『そうだけど……ってか、そもそも幼馴染の父親で元国王に、さらっと毒を盛るつもりだったのがおかしい』
当初の予定では、まずは峻下作用のある薔薇の実でお菓子を作り、それを「ミルカ様から、お茶会のお裾分けだそうですわ」と言ってロアードに食べさせるつもりだった。
シェパルドルフを医務室から動かすためには、王族の誰かが倒れなければならない。例えばスミルスの様な地方領主が倒れたところで、シェパルドルフが医務室を動くとは思えない。彼の代わりに、彼の弟子の誰かが診察に来るだろう。
否、それ以前に普通は医者が患者の元に向かうのではなく、倒れた患者の方を医務室に運ぶ。
その点ロアードは王族なので、シェパルドルフが積極的に動く。ロアードは医務室から遠い研究室や研究員棟にいることが多く、そして症状が下痢や腹痛の場合に限れば、医務室に運ばれる前にトイレに行くだろう。
そこでフィロフィーがトイレから出てこないロアードを心配し、医務室に行ってシェパルドルフを呼んでくる――という手筈の予定だった。
薔薇の実による下痢腹痛と、犬にされて大敵アークロイナに向かい合う恥辱プレイ――どちらがロアードにとってマシだったのかは定かではない。
まあ、どっちも地獄だろうが。
『けど、本当にどうするんだ? 医務室のシェパルドルフを何とかしないと、最悪二人とも殺し損ねるぞ?』
(もちろん、いざとなれば切り札を切ってでも、シェパルドルフ先生には医務室を離れてもらいますわ。別に女王は殺し損ねてもいいですけれど、ミルカ様に生きてられては困りますもの)
『あ、女王はいいんだ』
(わたくしに実害はありませんから)
アークロイナはブリジストの仇、ではあるが、現状フィロフィーにとって特に危険な相手ではない。
あくまでもフィロフィーの身を脅かす、倒すべき敵はミルカとテンの二人である。
……とは言え、やはりブリジストの仇なので、無理してミルカやテンの魔の手から助けてやる必要もなく。
ミルカとテンを倒すための計画を立てた所、たまたま女王暗殺が計画の中に組み込まれてしまったが……フィロフィーは気にもしなかった。
* * * * *
フィロフィーは今日も人質として、医務室に泊まることが決まっている。ロアードの魔導書を作り終えると、フィロフィーを連れて(セイレン領に)帰ろうとするスミルスをかわし、医務室に戻る。
医務室ではミルカの相手をしつつ、グリモに書庫の古文書を読ませておく。
それこそがフィロフィーの当初の目的で、本来なら今ごろは、古文書を片っ端から調べつくしているはずだった。それがミルカのせいでまだ一冊も解析が終わってないことが、フィロフィーの目下の悩みである。
それでもしばらくは穏やかな時間を過ごしていると、今日もテンが、ミルカの見舞いに訪ねて来る。
昨日はテンの来訪を純粋喜んでいたミルカだったが……今日はフィロフィーの告げ口により、笑顔の裏に剣呑な雰囲気をまとっている。
テンもそれを感じ取った様子で、僅かに口元を引きつらせていた。
「フィロフィー様は、今日もヘリーシュ様の部屋に遊びに行くんですか?」
「さあ? わたくしが勝手に二階に上がることはできませんから、階段にヘリーシュ様が居れば、ですわね」
夜勤の看護婦の質問は、そのままフィロフィーの疑問でもあった。ひとまず昨日と同じように、グリモを医務室に残して医務室を出て、看護婦と共にトイレへ向かう。
階段のところまでいけば、今日もヘリーシュが待ち構えているかもしれない。
本当は今日の午後、ヘリーシュと話をする予定だったのだが、午後になるとヘリーシュは強制連行されてしまった。タイアのテーブルマナーの研修に、何故かヘリーシュも一緒に参加させられることになったらしい。
階段に差し掛かると、今日の見張りも三人組の女騎士だった。
「あ、フィロフィー!」
「……チャコ様? こんばんは」
そしてフィロフィーは階段の上から声を掛けられた……が、その相手はヘリーシュではなくチャコだった。
チャコは少し前まで医務室にいて、ミルカのベッドに貼りついていた。その時にフィロフィーとも世間話くらいはしている。今更フィロフィーと話したいこともないだろう。
フィロフィーはヘリーシュの姿を探すが、周囲には見当たらない。まあ、明日には話す時間もあるだろう。今日は看護婦と二人、トイレで一時間ほど時間を潰すことになりそうだ。
「では、わたくし達はこれで――」
「ちょ、待った待った! 君に話があるんだ、ちょっと私の部屋で話せないかな?」
「…………」
さっさとトイレに行こうとしたフィロフィーを、しかしチャコは呼び止める。
昨日と同じ様な展開に、フィロフィーは嫌な予感しかしない。
「…………えっと、わたくしとしては是非お伺いしたい気持ちですが……」
フィロフィーが笑顔を引きつらせつつ、階段の女騎士達の方に目をやった。女騎士達はフィロフィーと似たような顔をしながら、しかしあっさりと道を譲る。ヘリーシュの時には通しておいて、チャコの時には止めるはずもない。
かくしてフィロフィーは、チャコに再び連行されることになった。
* * * * *
チャコの部屋はヘリーシュの部屋と、さして変わらぬ作りだった。部屋の大きさはまったく一緒で、そこにある調度品もヘリーシュのものと大差ない。
違うのは本がなくて剣があること、そして灯りが少ないために、部屋がやや薄暗いことだろうか。
「えっと、何か飲む? 紅茶は眠れなくなるってミルカが言ってたから、ハーブティーがいいかな?」
「…………ありがとうございます、ではそれをいただきますわ」
そこからチャコがハーブティーを作り始めるところまで、昨日のヘリーシュとのやりとりにそっくりである。
ただし毒魔法以外の魔法が使えないチャコは、やかんをオイルコンロの火にかけるところから始めている。ハーブティーの完成には時間がかかるだろう。
チャコの部屋は医務室から遠く、グリモと会話することもできない。
「それで、お話しというのはなんでしょうか?」
「それはその……うん」
結局ハーブティーが完成したのは、十分ほど経った後だった。待たされたフィロフィーは、開口一番に思わず本題を聞いてしまう。
チャコは言いづらそうに視線を逸らし、しばらく悩むそぶりを見せ。
そして何らかの覚悟を決めると、真剣な顔でフィロフィーの目を見つめ、口を開いた。
「フィロフィー、君にどうしても、お礼と謝罪が言いたかったんだ」
「お礼と謝罪……」
それもまた、昨晩ヘリーシュから聞いた単語だった。
嫌な予感がいっそう強くなる。
「だって君は、ミルカがクリンミルに毒を盛るのを止めるために毒入りワインを飲んで、しかもそのことを黙っていてくれてるだろう?」
「…………」
そして予感は的中した。
ヘリーシュに続き、チャコにも真相が一部バレていた。そしてチャコの導き出した結論は、ヘリーシュよりぐっと正解に近い。
考えてみれば、普段からミルカと一緒にいるチャコは当然ジゴ薬に詳しいだろう。毒魔法をフィロフィーに使ったときに、真相に気づいたのかもしれない。
「ふぅ。気づいていらっしゃったんですわね」
ここまで正確に推理されると、一旦とぼけて相手の推理を聞く、という件をやるのも面倒だった。
フィロフィーはわざと大きなため息をついて、憂いたような表情を作る。
ミルカを庇っているからか、幸いチャコはフィロフィーの奇行に、かなり好意的な理由付けをしてくれている。
ならば否定せずにさっくりと肯定し、話を進めてしまう方が良い。
「うん、まあね。
ほら、私ってミルカと双子だから。夜会の前にミルカの様子がおかしかった事にはさ、薄々気づいてはいたんだ。
でもさ、何をするつもりなのかまではわからなくって、私には止められなくてさ……
たぶんフィロフィーがいなかったら、ミルカは本当にクリンミルを殺してて、その罪でとっくに捕まってたと思う。――だからフィロフィー、本当に、本当にありがとう」
チャコは姿勢を正し、フィロフィーに深々と頭を下げる。
「どうか、頭をお上げくださいませ。わたくしはただ……えっとぉ……そう! タイアに、姉妹が殺しあったり、殺そうとして捕まってしまう光景を見せたくなかっただけですわ。ミルカ様とのお茶会だって、楽しみにしてましたもの」
「お茶会……か」
「どうかされましたか?」
「その、ミルカが言っていた家族全員のお茶会だけど……ミルカは絶対に何か企んでる」
「……き、気のせいでは?」
「ううん、間違いないよ。双子の直感っていうのかな、わかるんだ」
そういうものか、とフィロフィーは首を少しかしげた。
ただ、思えば犯人を断定しきれなかったアークロイナやキャスバインも、ミルカがお茶会で何か企んでるのではないかと睨んでいる。それでコクリさんを机の下に配置することが決まったくらいだ。
双子の直感はさて置いて、ミルカが犯人だとわかっているチャコであれば、お茶会により強い確信を持ってもおかしくはない。
「ではチャコ様は、お茶会でミルカ様がもう一度クリンミル様に毒を盛ると思っているのですね?」
「うーん、ミルカにクリンミルを恨んでるような素振りないんだけどなぁ……何か別に狙いがあるような気もするし……」
「…………」
フィロフィーの頬を、一筋の汗が伝う。
チャコの双子の直感とやらは――対象をミルカのみに限定すれば――キャスバインの心眼よりも数段危ない。
「では、タイア様かロアード様に何かするつもりなのでしょうか?」
「……えっ!? いや、それは絶対にない。だってミルカはブリジスト様やロアード様のことが大好きだし、タイアに逢うのを本当に楽しみにしてたから」
「でしたらやはり、狙いはクリンミル様しか考えられませんわね。他の王族の方はずっとリスティ城に居るからいつでも会えますし、わざわざお茶会で狙う必要はありませんもの」
「確かに、それもそう、なのかな……」
フィロフィーはミスリードをしてみたものの、チャコは納得したのか腑に落ちないのか、俯いて考え込んでいる。
これはあまり考える隙を与えない方がよいと考えて、フィロフィーはどんどん話を進める。
「チャコ様は、ミルカ様を止めたいんですわよね?」
「う、うん。ミルカにお父様みたいなことはして欲しくない。 ……でも、だからと言って、ミルカが憲兵に捕まるのも絶対に嫌だ」
「ミルカ様を説得はできないのですか」
「…………できない」
チャコは顔を歪めて、呟くように語り始める。
「私にはミルカがどんな悪いことをしても、憲兵に突き出すことなんてできない。それどころか私はたぶん、例え憲兵を殺してでも、ミルカを守ろうとすると思う」
「…………」
フィロフィーはゴクリと唾を飲む。
フィロフィーがやろうとしていることは、チャコにだけは知られてはならない。
「ミルカもさ、そんな私のことをよくわかってるんだ。
……本当は私の方が、ミルカに依存してるのをわかってる。
だから私が何を言っても、ミルカは無視して突き進む。最終的には私のほうが折れることを、ミルカはいつもわかっているんだ」
「そう、ですか」
「ごめん、フィロフィー。せっかく君が庇ってくれているけれど、たぶん特務憲兵はもうミルカのことを疑ってる。
はぁ、せっかく双子なのに、入れ替わって誤魔化すようなこともできなくて……」
「そんな風に落ち込むのはまだ早いですわ! まだ、事件は何も起こってないではないですか!」
「……え? だから、ミルカは夜会の時のことでキャスバイン達に――」
「万が一の時は、わたくしが自作自演でジゴ薬を飲んだことにしてでも、特務憲兵からミルカ様をお守りしますわ」
「フィロフィー、本当かい!?」
フィロフィーの宣言に、チャコは目を丸くする。
「だからチャコ様も諦めないでください。ミルカ様を止めることができないのなら、徹底的に邪魔をして、事件を無かったことにし続けましょう! ひとまずクリンミル様が魔導士協会に帰るまで守れば、ミルカ様だって諦めざるを得ませんわ」
「そっか……うん、そっか! 私、やるよ! どんなことをしてでも、ミルカを牢屋送りになんてしないから!」
「その意気ですわ! わたくしの方で、ミルカ様が何にジゴ薬を盛るつもりなのか調べてみます。そしてそれを――」
「私が地面に落とすなりして、妨害する!」
「いいえ、食べてしまいましょう!」
「…………へ?」
チャコは一瞬にして固まるが、フィロフィーは無視して高いテンションのまま話し続ける。
「とにかく、証拠を残さないことが大事ですわ。地面に落とした程度では、特務憲兵に調べられてしまいます。だから食べてしまうのです!」
「え、いや、でも、えっと……食べちゃうと、死んじゃうよね!?」
「チャコ様はご自分で毒魔法が使えるではありませんか。心臓が止まらないように注意しつつ、シェパルドルフ先生の治療を受ければ良いのです。
……そうですわ! チャコ様の治療が遅れないよう、わたくしが前もってシェパルドルフ先生を薔薇園から近い研究員棟に呼び出しておきましょう。『ミルカ様がお腹を壊し、研究員棟のトイレに籠っている』とでも言えば来てもらえるでしょうから」
「な、なるほど? 先生の治療をすぐに受けられれば大丈夫……だよね?」
「絶対に大丈夫ですわ! わたくしが生き証人です」
その生き証人も一歩間違えれば死んでいたのだが。
「それではチャコ様、ミルカ様を止めるため、共に頑張りましょう!」
「う、うん、ソウダネ、ガンバロウ!」
やる気満々のフィロフィーに、チャコはヤケクソ気味に同調した。