第七十五話 迷探偵ヘリーシュの何だかとっても惜しい推理
ヘリーシュの部屋は昼間来た時と変わらないくらいに明るかった。本が読みやすいようにだろうか、複数の魔道具のランプに照らされた室内は廊下よりもずっと明るい。
ヘリーシュはフィロフィーに椅子を勧め、自分はティーセットがある戸棚に向かう。
「さてと、昼間はフィロフィーに紅茶を淹れてもらったから、今回は小生が淹れるとしよう。ただし夜に紅茶を飲むと眠りが浅くなるからね、ミルカにもらった安眠のハーブティーなどはどうかな?」
「ありがとうございます、ではそれをいただきますわ」
ヘリーシュは魔法も使いながら、ハーブティーを作りはじめた。
『ご主人、そこで何してるんだ?』
(トイレに行く途中、ヘリーシュ様に捕まりまして)
フィロフィーがヘリーシュを眺めながら座って待っていると、下にいるグリモに話しかけられる。
ヘリーシュの部屋は医務室の真上にあり、グリモと会話が可能な距離にある。
(そっちの様子はどうですか?)
『おう、二人はご主人のベッドでイチャつきながら、ミルカがご主人のことを全部テンに報告してる。やっぱり協力者ってのはこいつだな』
(そうですか。予想通りすぎて笑えますわね)
『笑えてたまるか。テンの話だと、さっきのキャスバインって憲兵がかなりヤバいぞ。人の嘘を見抜く尋問のプロフェッショナルで、ミルカとご主人の両方を疑ってるってさ』
(……やはりさっきの頓珍漢な推理は、ミルカ様の反応を見ていたんですわね)
キャスバインは医務室で事情聴取をした時、ミルカに対し「ワインにうっかりジゴ薬を落としてしまったのではないかと」質問していた。
少し考えればありえないとわかる質問をする彼をみて、フィロフィーは特務憲兵もたいしたことはないかと一瞬思ったが――キャスバインの目が鋭く光ったのには背筋が凍った。キャスバインはワザと間違った推測をして、ミルカの反応を見ていたのだ。
ミルカがキャスバインの仕掛けた罠に便乗しようとしては不味いと、フィロフィーは慌てて割って入った。フィロフィーの脈をとったミルカがキャスバインに捕まっては、そこから芋づる式に自分の自作自演もバレるからだ。
ただ、いま思えばあのままキャスバインにミルカを捕まえてもらい、ワザと毒を飲んだことの言い訳を考える方が楽だった。
今となっては完全に共犯者になってしまったので、自分だけでなくミルカやテンも捕まらないようにしなければならない。
……と思ったが、続くグリモの情報に、フィロフィーの方針は大きく変わる。
『んで、テンがご主人の居るうちに女王を殺した方がいいってミルカに提案してな。罪をご主人に着せつつ、そのご主人も殺す方向で話が進んでるぞ。数年後に毒魔法で意趣返しをって話は無くなりそうだな。
さあ喜べご主人、毒魔法の実験台にはならなくて済みそうだぜ?』
(……はあぁ。喜んでたまるか、ですわ)
そう怒りつつも、フィロフィーはどこかすっきりとした顔になり、さっきまでより余裕が出ていた。
それこそ喜んでいるようにすら見える。
(わたくしに女王殺しの罪を着せるつもりなら、逆に言えばそれまでは手を出されないでしょうね。チャンスはありますわ)
『チャンスって、えっとご主人? どうするつもりだ?』
(そんなの決まっているではありませんか。どうにも話し合いのできるお相手ではないみたいですもの)
ここまでフィロフィーはミルカの狂気に辟易しつつも、アークロイナを罰したいという思いには、セルフィーの娘として手を貸すのも悪くないかと考えていた。
――しかし向こうがフィロフィーに悪意を向けてくるのであれば、フィロフィーも遠慮なく悪意を返すだけである。
いまこの瞬間、フィロフィーの中で。
(溶かして庭に捨てましょう)
ミルカはブリジストの仇打ちの同士ではなく、倒すべき敵に分類された。
狐と狸の化かし合いが始まったのである。
「出来たよフィロフィー、熱いから注意したまえ」
「ありがとうございます」
フィロフィーはそこでグリモとの話を打ち切った。
ヘリーシュはフィロフィーの前にハーブティーを置くと、自分はフィロフィーの正面に腰掛ける。
ヘリーシュの忠告通り、ハーブティーはフィロフィーにはやや熱かった。フィロフィーはカップを手に取りふーふーと吹いて冷まし始める。
一方でヘリーシュは冷ますこともせずに一口飲み、それからフィロフィーを見てふっと笑った。
「さてフィロフィー、それじゃあ二回戦といこうじゃないか」
「……はい?」
「言っただろう、フィロフィーとはまた勝負をしたいって。まさかこんなにも早く再戦の機会がくるとは思わなかったよ。しかも被害者が巡り巡ってフィロフィーになるとは、実に興味深い展開だね」
フィロフィーは吹き冷ましていたハーブティーを、口を付けることなくテーブルに置く。
「それはつまり、先ほどわたくしが毒入りワインを飲まされた事件の推理対決ということですか? ……まさか、ヘリーシュ様には真相がわかったのですか?」
「ふふん、その通りだとも。そして結論から言うと、さっきの事件を『毒入りワインを飲まされた事件』というのは語弊があるね」
「え?」
「だって、フィロフィーは別に毒入りワインを飲まされたわけではないだろう?」
「――っ!」
ヘリーシュの言う通り、フィロフィーは自ら毒を飲んだのであって、誰かに飲まされてはいない。
内心の動揺を隠しながら「どういうことでしょうか?」と惚けるフィロフィーに、ヘリーシュは得意げに笑い始めた。
「くっくっくっ、どうやら今回は小生の圧勝のようだね。
フィロフィー、貴女が昼間ここに来たときに自分で言ったんじゃあないか、『ジゴ薬は毒魔法のようにすぐ効くわけではなく、二、三十分かけて徐々に効果が出てくる』ってね」
「ふぎゅっ!?」
「だからフィロフィー、貴女はワインにジゴ薬が入っていたから倒れたわけじゃあない。ワインにジゴ薬が入っていたとしても、それが吸収されて体に害を及ぼすまでには五分か十分ぐらいはかかるんじゃないかな? そこまで詳しくはないけれど、いずれにしろ口に含んだ直後にジゴ薬がまわって倒れる、なんてことは起こらないのさ」
そう、ヘリーシュにジゴ薬の性質についてしっかりと説明したのはフィロフィーである。
昼間に教えたばかりのヒントを、ヘリーシュのような知識欲の強い人間が忘れているわけがなかった。こればっかりは魔人化の本に目がくらみ、ヘリーシュとのやり取りを忘れていたフィロフィーのミスであるとしか言いようがない。
「つまりフィロフィー、貴女は――」
ヘリーシュの出さんとする答えを、フィロフィーは首刈りの大鎌を振り下ろされるような気持ちで待ち構える。
「――貴女はワインを飲む十分以上前に、すでにジゴ薬を飲まされていたのさ!」
「…………言われてみれば、それしか考えられまセンワ!」
ヘリーシュの振り下ろした大鎌は、フィロフィーの首を空振った。
「さ、さすがはヘリーシュ様。何しろワインを飲んだ直後に眩暈がしたものですから、完全にワインが原因だと思い込んでいましたわ」
「そういえばフィロフィーは最初、ワインのアルコールが原因だと思っていたんだったね。言っておくけれどそれもないかな。どんなにお酒に弱くたって、アルコールも口に含んだ瞬間に倒れたりはしないものさ」
「なるほど。――ですがそうなると、わたくしはいったい何処で誰に毒を飲まされたのでしょう? もしや会場にあった食べ物に、不特定多数を狙った毒でも入っていたのでしょうか?」
「いやいや、フィロフィーは話に夢中で気づいてなかったみたいだけど、実はフィロフィーの皿には貴女が自分で取ってきた食べ物以外のものが乗っていたのさ。
――レモナが食べ残した茹で卵や骨つき肉を、貴女の皿に乗せていたんだよ」
「それは……まったく気づいてませんでしたわ」
嘘である。
それはパーティー会場でフィロフィーがヘリーシュやクリンミルと話していた時のこと。
合流してきたレモナは三人の繰り広げていた魔物の内臓トークにすっかり食欲を失ってしまい、手に持っていた皿の上の食べ物をそっとフィロフィーの皿に乗せていた。
フィロフィーはそれに気づいていたが……そのまま知らんぷりして食べた。食べ物が毒だったり腐っていたりする時は止めに入るグリモも、特に何も言わなかった。
そんな何の事件性もない出来事を、ヘリーシュはフィロフィーの服毒事件と結び付けてしまったらしい。
おそらくはヘリーシュのミステリーマニアとしての本能が、『フィロフィーの自作自演』『ミルカが犯人』という単純にすぎる結論を嫌い、ミステリー小説のようなあっと驚く答えを探してしまったのだろう。
そこにレモナがフィロフィーの皿に食べ物を移していた光景がぴったりと当てはまり、異次元から答えを導き出したのだ。
それは作者の意図していなかった天然のブラフに引っかかる、深読みしすぎなミステリーマニアそのものだった。
「でも、わたくし何かレモナ様の気に触るようなことをしたのでしょうか? パーティー会場で初めてお会いしたはずなのですが」
「いや、レモナが犯人というわけでもない。
レモナは元々、こういったパーティー会場で食事をすることは少なくってね。ただでさえあまり食べる気がしないところに小生達の魔物トークを聞かされて、完全に食欲をなくしていたんだ。それで毒入りとは知らずに、貴女の皿に自分の食べ物を乗せてしまったんだよ。
――だから、うちの問題に巻き込んでレモナの身代わりになってしまったフィロフィーには、妹として謝罪と礼を言いたくてね」
「うちの問題?」
ヘリーシュの妄想は、はたしてどこに着地するのか。
落とし所を探すフィロフィーに、ヘリーシュは申し訳なさそうな顔で話を進めていく。
「これは被害を受けたフィロフィーにだから話すけど、他言無用で頼むよ? レモナが手に持っていた食事は、お母様が手渡したものだったんだ。つまり、お母様がレモナに毒を盛った可能性が高い」
「女王陛下が、実の娘の毒を盛ったのですか!?」
「……実はお母様には、動機がなくもないんだよ。テンがお母様とレモナに二股をかけているんだ」
「――っ!?」
「テンは元々お母様の愛人なんだけど、レモナが彼に横恋慕したみたいでね。まったく、逢瀬の場所に小生のテリトリーである書庫を使うのには参ったものだよ」
そして出てきた思わぬ情報に、フィロフィーは息を飲んだ。
ヘリーシュの話が真実ならば、テンは二股どころか三股はしていることになり……その相手が揃いも揃って王族という状況は尋常ではない。
「そ、それが女王陛下にバレて……女王陛下は自分の娘を毒殺しようとまで考えたのですか?」
「動機はあくまで推測さ。それにこの城に解毒魔法を使えるシェパルドルフ先生がいる以上、お母様もレモナを本気で毒殺するつもりはなかっただろうね。本気なら解毒できない魔物の血肉を使うはずだし、警告だったんだと思う。
ま、さっきのワインを調べれば毒が入ってなかったこともすぐにわかるだろうから、そのあとレモナと話し合ってみるよ」
「…………」
フィロフィーはごくりと唾も飲んだ。
ヘリーシュがどんなにそれっぽい推理をしても、ワインからは必ずジゴ薬が見つかる。その時ヘリーシュは自分の推理の間違いに気づき、フィロフィーの自作自演に気づいてしまう。
かといって、今から証拠品のワインをすり替えるのは不可能に近い。いくらフィロフィーにグリモの目と魔石を鍵にする能力があるといっても、要所要所に見張りのいるリスティ城内を自由に動くことはできない。それどころか既に検査が終わっている可能性だってある。
「うん? 押し黙って、どうかしたのかいフィロフィー」
「えぇ。もしも、ですが……」
もはやどうしようもない様に見える状況に。
「もしもワインからジゴ薬が検出されたら……女王陛下は警告などではなく、本気でレモナ様を殺すつもりかもしれません」
脳をフル回転させたフィロフィーは、起死回生の策をひねり出した。
「……どういうことだい?」
「わたくしが飲んだジゴ薬の量は、致死量を大きく超えていたそうなのです。治療が少しでも遅れていたら危なかったそうで、いくらシェパルドルフ医師がいたとしても、ただの警告にしては多すぎるのですわ」
「なんだって!?」
「しかしヘリーシュ様のおっしゃる通り、わたくしの気分が悪くなったタイミングから考えて、ワインにジゴ薬は含まれていなかったはずですわ。にもかかわらずワインからジゴ薬が検出された――と、特務憲兵が報告した場合、それは特務憲兵が嘘を吐いたことになります。
その場合は女王陛下と特務憲兵が完全に裏で繋がっていて、特務憲兵がそれを隠匿したことになりますわ。レモナ様への警告にもなりません。
実の母である女王陛下ならば、もう一度レモナ様に毒を飲ませるのも容易いでしょうね」
ヘリーシュの目が泳ぐ。
フィロフィーの話はあまりにも飛躍しすぎているが、自分の推理に自身を持っているヘリーシュに対しては説得力があった。
「そ、それは……ワインからジゴ薬が出たときの話だろう!?」
「はい。ですが、見つかるような気がしますわ」
「どうしてだい?」
「わたくし、見たのですわ。さきほどヘリーシュ様が凍らせたワイングラスを取り出した時、キャスバイン様が一瞬すごく嫌そうな顔をしていたのを」
「そんな……いや、でも、それは貴女の見間違いで、小生の推理が間違っている可能性だって」
「いえ、ヘリーシュ様の推理には間違いはありませんわ! 言われてみれば、わたくしにも思い当たる節があるのです。
わたくしが医務室で治療を受けていた際、女王陛下が気分が悪くなったミルカ様の肩を担いで医務室にやって来たのですが……あの時、わたくしは自分の目を疑いましたわ。どうしてミルカ様の移送を使用人にまかせず、女王陛下自らが運んできたんだろうと」
「――っ!」
「あれはきっと、わたくしが『レモナ様の軽食で倒れた』と医務室で供述するのではないかと心配になり、大切なパーティーを抜け出してでも探りに来たのでしょう。そのために都合よく倒れたミルカ様を利用したんだと思います。
そしてわたくし達が全員ワインが原因だと思い込んでいるのを確認したので、安心してパーティー会場に戻ったんでしょうね」
ヘリーシュの顔がみるみる青ざめていくのを見て、フィロフィーは口元が緩みになるのを必死に堪えた。
明日になれば第一の事件についての様々な情報が出てくるだろう。しかし確認しようのない出鱈目と確実な真実を混ぜ込んだフィロフィーのこの嘘は見破られず、それどころか情報が出ればヘリーシュを特務憲兵から遠ざけることができる。
「ヘリーシュ様は、どうしたいですか?」
「え?」
「すべては明日のワインの検査結果を見てからですが……もしも女王陛下がレモナ様を亡き者にしようとしていて、特務憲兵に頼るわけにもいかないとしたら」
「しょ、小生は……」
自分でも気づかないうちに爪を噛んでいたヘリーシュは、ハッとして手を降ろし――その拳をかたく握りしめる。
「小生……私は、レモナを守りたい」
「女王陛下に逆らってでも、ですか?」
「そうだ。私は姉妹を守りたい。お母様に逆らってでも、たとえお母様を――」
最後、ヘリーシュの口は動いていたが。
フィロフィーには彼女が何と言ったのかは聞き取れなかった。
「では、そのお手伝いをさせてくださいませ」
「え?」
「レモナ様を守るため、わたくしにも出来うる限りのことをさせてください、ということですわ。取り敢えずは情報集めからですけれど」
「それは助かるけれど……いいのかい? お母様に逆らっても」
「もちろんですわ。だって、どうやらわたくしはヘリーシュ様のお友達みたいですから」
いい笑顔のフィロフィーに対し、ヘリーシュは「その言い回しは、どうにも感動できないね」と苦笑した。