第七話 穏やかな日々
タイアは母ブリジストの顔を覚えていない。
タイアを産んですぐに亡くなったのだから、覚えてないのも仕方ない事だろう。
顔も知らない相手なので、非業の死を遂げたと聞いてもピンとこない。
タイアは以前、セルフィーやスミルスに心の内を話したら、二人が寂しげに笑ったのを覚えている。
二人ともブリジストとは傭兵時代の仲間だったし、セルフィーはさらに幼馴染だったそうだ。タイアが仇打ちを仕掛ける事はなさそうだと安心していたが、どこか悲しい気持ちもあったのだろう。
スミルスやセルフィーが話してくれる母の話は面白く、タイアは少なからず母に興味を持っていた。
しかし二人がどんな思いで語ったとしても、タイアにとって家族と呼べるのはセイレン家の面々だった。
元国王の実父に恨みはないが、タイアにとっての父親はスミルスだ。
母親はセルフィーだったし、ケニーの事は兄のように慕っている。ソフィアはメイドだが、よくしてくれる祖母の様に感じていた。
そしてフィロフィーは。
「フィーは、フィーだな」
姉妹であり、幼馴染であり、親友であり、家臣であり、相棒であり、ライバルであり、天敵であり。
そんなフィロフィーとの関係を、一言で表せる言葉は知らなかった。
* * * * *
フィロフィーの秘密は、メイドのソフィアにもすぐに教えられた。
なにしろセイレン家の食事は彼女が作っているので、彼女を仲間に加えないと魔物で料理を作ってくれる人間がいない。
フィロフィーは毎日、ソフィアの作る狐料理を食べ続けた。当然生肉ではなく、串焼きや横隔膜のステーキ、シチューやハンバーグに調理され、一日三食の狐づくしである。
元々は食べる予定がなく、血抜きも碌にしていなかった狐肉にはかなり臭みがあるのだが、フィロフィーは気にする様子もなく食べ続けた。
お腹を減らすためにとランニングや筋トレまで始めたのは、フィロフィーの魔法への執念のなせる業である。
スミルスと兵士達が更に二頭のホワイトフォックスを確保して、フィロフィーはひたすらに食べ続けた。
そうして二週間ほど経つと、最初に見つかった天然の魔石と同じくらいの大きさの魔石を生成できるようになっていた。
もちろんフィロフィーが本当に欲しかったのは魔石ではなく魔力、ひいては魔法である。
ホワイトフォックスの魔力を得たフィロフィーはいま、火の消えた暖炉に両手をかざし、魔法の修行を始めていた。
「ふぁいやー! 出でよ炎ぉ! ひー! ふぁいやー! ふぁいやーあっ!?」
『また魔法じゃなくて魔石が出たな』
生み出された球体の魔石が、いつものように床を転がる。
「うにゅぅ、そもそも魔石を出すより魔法を出す方が簡単なはずですのに…… 次は狐に変身する魔法を試してみますわ」
『変身できた時の為に、タイア達にあらかじめ伝えといた方がいいぞ』
ウサギ人形に埋め込まれたまま、机の上に置かれているグリモはそう諭しながらも、フィロフィーには普通の魔法は使えないような気がしていた。
一応、上手くいけばフィロフィーを魔導士にするという契約を果たせるので好きな様にやらせているのだが、グリモ自身は諦め気味に次の一手を模索していた。
いまだ何も思い浮かばないのだが。
(うぎゅぅ!? 息が、息ができませんわ!?)
『お、落ち着けご主人! 魔石が頭の周りをコーティングしてるんだ! まずは口の近くの魔石を吸収して気道確保!』
魔法が出る様子はまったくないが、一方でフィロフィーの魔石の形を変える技術だけが日々進歩していた。
「……フィー、何をしてるんだ?」
「けほっ、ま、魔法の練習ですわ」
「それが?」
「ちょっと失敗しまして」
いつの間にか現れたタイアが、仮面でも被っているかのような状態のフィロフィーにジト目を向けていた。
フィロフィーは魔石を一生懸命吸収して、タイアに何食わぬ顔で笑顔を向ける。
「次こそ成功させますわ」
「ん、まあほどほどにな。
そう言えばフィー、そんなにいっぱい魔石を吸収して気持ち悪くならないのか?」
「ええ、そっちも日々特訓してますから」
そう言って、フィロフィーは今度は二個の魔石でお手玉を始めた。
普通の女の子の遊びをするなんて珍しい。タイアはそう思ったがよくよく眺めてみると、やはり普通のお手玉ではなかった。
左手で魔石を上に投げ、右手でそれをキャッチするのは普通だ。しかし右手では魔石を投げずに吸収して、その後に左手で生成している。
一方通行のお手玉である。
「それにいったい何の意味があるんだよ」
「魔石の出し入れが魔力体内貯蔵量を増やすのですわ。これはタイア様も一緒ですわよ?」
「え? ああ、なるほどな」
魔法は使えば使うほど、魔力の体内貯蔵量が増える事が分かっている。タイアも家の暖炉に火をつけたりして、毎日必ず魔力を使い切るようにしていた。
フィロフィーの場合は魔石の出し入れがそれに当たるのだろう。
ちなみに魔力を使い切ると体がだるくなるので、タイアをはじめ多くの魔法使いは夜に使い切るようにしている。兵士や傭兵の場合は有事に備えて完全には使い切らないらしいが、タイアにはあまり関係のない事だ。
「お手玉は?」
「ただ出し入れするのに飽きたので、頭の体操ですわ。こんな事もできますわよ」
そう言ってフィロフィーは魔石を口に含み、おでこから出して見せる。
吸収も生成も、手のひらでなくてもできる様になったらしい。
「うえ、汚いな」
「き、汚くはないですわ! 口に含んだものをそのまま出したわけではないので唾液とかもついてません!」
付いてておでこの脂くらいなのだが、タイアはわかっていても触りたくはならない。
「お尻からも出せるのか?」
「タイア様の発想のほうが汚いですわ」
フィロフィーは嫌な顔をして、再び一方通行お手玉を始めた。
実際にフィロフィーの魔石の出し入れは効果がでていて、最初にホワイトフォックスの体内から出てきた魔石くらいなら魔力酔いを起こして気持ち悪くならなくなっていた。
フィロフィーはスミルスが呼んだ商人が来るまでに、それを二倍位の大きさにしたいという目標を立てている。
そうして魔石がより高く売る事ができた時には、スミルスに新たな魔物図鑑を買ってもらう約束をしていた。
「余った魔石で魔導書とか作りたいよな」
「急にどうしたんですの?」
「いやさ、魔石がいくらでも手に入るんなら、そっからさらに魔導書とか魔道具とか作れたらいいじゃん?」
「魔道具はあまり興味はないですが…… そうですわね、タイア様が望むなら魔導書を作りましょう」
「え?」
「わたくしは魔導書は読めませんが、タイア様は読めるでしょうから」
「おお、本当に!? てか作り方知ってるの?」
「えっと、ちょっと待ってくださいませ。
…………はい、いま家にあるものでも作れるみたいですわ」
フィロフィーの言葉に、タイアは心を弾ませる。
実践主義のタイアは、フィロフィーの様に一から勉強して立派な魔導士になりたいという事はない。戦闘に便利な魔法が使えればそれでいいのだ。
「とりあえず、ホワイトフォックスとユキウサギの魔石で作ってみましょう」
「え、ユキウサギも食べるつもりか?」
「もちろんですわ。というか毎日スープにして飲んでますし。
初めて作るので、それぞれどんな魔法が覚えられるかは読んでみてのお楽しみですわね」
「おーよ!」
そこまで話して、タイアはフィロフィーと別れて庭へと向かう。
この時のタイアは新しい魔法が得られる事に心を弾ませていた。
* * * * *
今日の午後も、タイアはケニーと一緒に剣の特訓の予定である。
ケニーはセイレン領の兵士の一人だ。
まだ十九歳と若いが領内の兵士の中では一番剣術にたけていて、火炎魔法もそこそこ使える。それは少年の頃からスミルスやセルフィーに仕込まれたからで、気づけば兵士の中では一番強くなっていた。
強いと言っても二十人程度しかいないセイレン領の兵士の中では、である。セルフィ亡き今、領地で一番強いのはスミルスだ。
忙しいスミルスにタイアが訓練して貰える日は少ない。ケニーが護衛も兼ねたタイアの専属トレーナーになっている。
「それじゃあ、今日も走り込みから始めましょっか」
「おうよ」
一時期はタイアの身長より高かった積雪も、気温の上昇とユキウサギの食事によって、薄っすらと残る程度なっていた。
前よりだいぶ走りやすくなった平地を、ケニーとタイアが並んで走る。
「そろそろウサギ送りっすねー」
「あー、今年はもう少しギリギリの時期になるかもな」
「そうなんですか?」
「うん、スミルスが色々忙しくてさ」
(フィロフィーがユキウサギを食べてるから、とは言えないな)
ユキウサギは村のマスコット的魔物であり、フィロフィーが狩っている事を村人に知られるのはまずい。
ばつが悪い思いをしながらも、タイアは誤魔化した。
「それでケニー、この後は?」
「いつも通り素振りして、型の練習して、あとは僕と練習試合っすかね」
「なんかマンネリだなぁ」
「基本は大事ですよ。まぁタイア様はそろそろ魔物相手の実践経験が必要な時期なんですけど」
「十歳になるまで駄目だって止められてるからなぁ。スミルスは心配性なんだよ」
「いやいやいや、王女様に十歳で魔物退治を許可ってだいぶおおらかっすよ? たぶん」
領民の大半はタイアが預かりものの王女だと知っている。スミルスが、王女や王子が地方領主に預けられるのはよくある事だと嘘をついたので、王女が片田舎のセイレン領にいる事に疑問を持つものはいない。
第六王女だからこんな辺境にまで来たのだろう、くらいの感覚だ。
ケニーが気軽に接しているのは、タイアが村人達にそれを望んだからである。
「でもセルフィーはあたし位の時にはもう旅してたらしいぞ」
「それは初耳ですね。まあセルフィー様みたいな領主夫人はそうそういないでしょうから、比べてもしかたないっすよ」
そんなたわいのない話をしながら。
タイアは残り少ない平穏な日常を過ごしていった。
* * * * *
数日後、フィロフィーは約束通り魔導書を完成させてきた。
さっそく使ってみることになり、タイアはフィロフィーやスミルス、ソフィアと共に庭に集まっている。
セイレン家の庭は広く、そして高い塀に囲まれているため、外から覗かれる心配は少なかった。
「それではタイア様、こちらをどうぞ!」
「おお、これが魔導……書?」
フィロフィーがタイアに渡した魔導書は丸められた紙、すなわちスクロール状だった。
グリモの厚さを見ていれば違和感しかなく、作ったフィロフィーも少し申し訳なさそうにしている。
「いえいえタイア様、魔導書の大半はこんなものです。以前使った火の魔導書にもスクロール状のタイプもありますから」
「ん、そうなのか?」
タイアのイメージと違う魔導書に、スミルスが説明をする。
「はい。一部の絶版魔導書にはすごく分厚いものがありますが、少なくとも現在作られている魔導書はどれもこれと似たようなものです。領主や王族に売りつける時のために、無駄にカバーやページを増やして販売される魔導書は多いのですが」
「そっか。フィー、疑って悪かったな」
「いえ、作ったわたくし自身も正直不安でしたので」
タイアとフィロフィー、お互い見合って恥ずかしそうにはにかむ。
「それでは、さっそくタイア様に……」
「待ちなさいフィロフィー。いきなりタイア様に使う事もないだろう」
フィロフィーがタイアに渡そうとした魔導書を、スミルスが間に入って取り上げた。
「魔石さえあればいくらでも作れるんだろう?」
「え? ええまあ」
「それなら、先に一冊を兵士に読ませてみよう。タイア様に教えるのは、どんな効果かわかってからでもいいからな」
「ですが……いえ、わかりましたわ」
何となく不満なタイアとフィロフィーだったが、スミルスのいう事ももっともだと考えて、渋々と言った雰囲気で頷いた。
「――で、なんで僕なんすか?」
「まあ、お前は俺の弟子だし、一番うちに出入りしてるからな。面倒がない」
庭でしばらく待たされた後、スミルスが連れてきたのはケニーだった。
最初は訝しんでいたが、フィロフィーがケニーの目の前でホワイトフォックスを食べて見せ、更に一方通行お手玉を見せて納得させている。
「はあ。でもフィロフィー様の手作り魔石で、更にフィロフィー様のお手製魔導書なんですよね」
「そんなに怯えるな。魔導書を無料で一冊くれてやるんだ、喜べ」
「それ、女体化とか変な魔法の魔導書じゃないですよね」
「元になった魔物からして、そんな事にはならない。大丈夫だ」
無論、本当に大丈夫ならケニーで人体実験などしない。
ケニーの疑念は晴れないが、フィロフィーの秘密をこうして聞かされた以上は逃げられない。
まな板の上の鯉状態のケニーに、タイアは哀れむ様な申し訳ない様な目線を向けた。
「それじゃあケニー、これが魔導書だから」
「へいへい了解っすよ」
ケニーはヤケクソ気味に魔導書を開いた。
するとすぐに魔導書の中から白く光るルーンが飛び出し、ケニーの体へと吸収されていく。
それは一瞬の出来事だったが、幻想的な光景にタイアは見蕩れた。
隣にいたフィロフィーは、何やら暗い顔でブツブツと呟いていたが。
「どうだケニー。体に異常はないか?」
「えっと、異常じゃないっすけど、今覚えた魔法の事がなんとなーくわかってます。さっそくいきますよ」
ケニーはドヤ顔でニヤリと笑い、そして目を閉じて瞑想する。
ケニーの全身の皮膚から毛が 濃く生えていく。
それと同時に体の骨格が徐々に変わる。
どうやら変身魔法らしい。
その過程で前のめり倒れこむが、両手で、もとい前足で受け身をとった。
そして。
そこには見事に大人の狐の姿に変身したケニーが、自分の服に引っかかってモゾモゾしていた。
「…………きゅうん」
しばらく無言でモゾモゾケニーを見下ろしていたが、見かねたソフィアが服を引っ張り脱がせてやる。
そうしてようやく狐になったケニーは服の呪縛から解き放たれた。
「ケニー、喋れるか?」
「きゅ、くぅ? きゃあう、きゃお!」
「人間の言葉は喋れないか」
「わぉん!」
狐ケニーをじっくりと観察する。ホワイトフォックスは名前の通り白い狐の魔物だったが、狐ケニーは主に焦げ茶色の体毛だ。ケニーの髪の毛の色が反映されたらしい。
しょんぼりとうなだれて尻尾を下げているのは、単に恥ずかしいからだろう。
体長は1.5メートル位で、大人のホワイトフォックスとほぼ変わらないか少し大きい。
その後スミルスは狐ケニーに庭を駆け回ってみたり木に噛み付いてみたりさせ、概ねホワイトフォックスのもつ能力と変わらない事を確認した。
「いやぁ面白かったっすよ。できれば服ごと変身したかったっすけど」
屋敷の脱衣所で変身を解いたケニーが、服を着てそうぼやきながら戻ってくる。
「あれ、どうしましたスミルス様? 何か問題でも?」
「いや、問題はないんだが、なさすぎると言うか……」
「なさすぎる?」
「何でもない、もう一冊作ればはっきりする事だ。それじゃあフィロフィー、タイア様の分も頼むぞ」
そう言って、スミルスはフィロフィーの頭に手を置いた。
「はい、次は二回目ですし、一回目を超える凄い魔導書を作って見せますわ!」
「おう、頼むぞフィー!」
意気込むフィロフィーと期待に胸を膨らますタイアを、スミルス・ソフィア・ケニーの三人が笑顔で眺めていた。