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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第六十八話 不可能なトリック ③


 フィロフィーがずっしりと重たくなったリュックを背負って取り調べ室から退出すると、リスティ城内はとても慌ただしくなっていた。

 みんな葬儀の準備に奔走しているらしい。アークロイナが亡くなったことは隠蔽されたが、ミルカが亡くなったことは病死として城内外へ発表されている。

 国王不在の状態なので戴冠式を遅らせるわけにもいかず、葬儀と戴冠式が重なってさぞ忙しいことだろう。


 フィロフィーがせわしなく働く役人達の脇を抜け、地下一階の廊下をトボトボと歩いていると、テンが正面から早足気味に歩いて来るのが見えた。

 彼は今も腰に長剣を差している。執事達はいざという時に自分の主人を護るため、武器の携帯を許可されている。バンケツが大剣を背負っているのもそのためだ。コルナは表向き何も持っていないように見えるが、フィロフィーは彼女が暗器を複数隠し持っていることをグリモを通じて知っている。

 護るべきアークロイナが亡くなった以上テンが帯剣しておく理由はないが、アークロイナが亡くなった事を隠しておくためには今も差しておくべきだろう。


 テンもまたフィロフィーに気づく。フィロフィーがキャスバインの取り調べを受けていたことを知るテンは、フィロフィーが保護者もなく歩いているのを不思議に思って声をかけた。


「あの、フィロフィーさん?」

「これはテンさん、お仕事お疲れ様ですわ。皆さんお忙しそうですわね」

「ええ。ミルカ様の病気は周知の事実でしたので、皆ある程度の覚悟はしていたんですけど……本来ならもっと時間をかけて準備するところ、今回は戴冠式前で日程が厳しくなっていますから。おまけに戴冠式直前で王都に滞在中だった貴族が多く、僕もその対応に追われています。

 ……あの、それよりフィロフィーさんはこんなところで何をしているのでしょう? キャスバイン様に取り調べを受けていたのでは?」

「それならもう終わりましたわ。もちろん無罪でしたので、つい先ほど解放されたのです」

「……無罪?」

「はい。それで今からお父様の所へ戻る最中なのですが……はぁー……」

「えーっと、どうかされたのですか?」


 露骨にため息をつくフィロフィーに、テンは質問せざるをえない。


「実は色々あってセイレン領に不利益を出してしまいまして。これからお父様にその報告しなければならないことを思うと、もう憂鬱で憂鬱で」

「ああ、借金の件ですね」

「え!? どうしてご存じなのですか?」

「さっきまでオリン様と一緒に居ましたので。オリン様が宰相に『取り調べ室に乗り込んででも、その子にサインさせちゃいましょう』と命じているのを横で聞いていましたから」

「…………そこで止めて欲しかったですわ」

「僕には無理ですよ」


 首を振るテンに、フィロフィーはいっそう深いため息をついた。


「はふぅ。こんな時ミルカ様がご存命であれば、こころの休まるハーブティーなど教えて貰いますのに」

「……そうですね、惜しい方を亡くしました」

「あ、すいませんっ! わたくしよりもテン様の方がよっぽどお辛いハズですのに」


 大きくお辞儀して謝るフィロフィーに、テンは苦笑しながら手を小さく振った。


「うゆぅ、でもやっぱり飲んでみたかったですわね、ミルカ様のハーブティー。今度飲ませていただく約束だったのですけれど……」

「それでしたら飲んでみますか?」

「……え? あるのですか?」

「ええ。実はちょうどオリン様に、すぐに女王の部屋に移りたいから部屋に残っている食べ物などを秘密裏に処分してこいと命じられたところなんです。

 確か陛下のお部屋の冷気ボックスの中に、ミルカ様が入れたハーブティーがあったはずです。気分を落ち着ける効果のものだったと記憶していますから、今のフィロフィーさんにはピッタリだと思いますよ」

「では、お言葉に甘えていいでしょうか?」


 上目遣いにお願いするフィロフィーに、テンは苦笑しながら頷いた。


 フィロフィーはテンと共にアークロイナの部屋を目指して歩く。

 二階の廊下には随所に見張りの騎士が立っている。それ自体は以前と変わりないものの、フィロフィーがヘリーシュの部屋を訪れた時と比べて人数は倍以上に増えている。


 女王の部屋に到着すると、テンが鍵を開けて室内に入り、フィロフィーもテンの後ろに続く。室内にアークロイナはもういないが、部屋の主人がつけていた香水の匂いがいまも強く残っている。

 テンは部屋の奥にある冷気ボックスを開けて、グラスごと凍らされたハーブティーを取り出した。


「魔法で解凍しましょうか?」

「お願いできるなら。実はわたくし、魔法は少し苦手でして」

「大丈夫ですよ」


 「ただし直火で炙るわけにもいかないのでちょっと時間がかかります」とテンがフィロフィーに注釈を入れる。

 テンは優しく微笑むと、フィロフィーに近くのソファーを勧めた。フィロフィーがリュックをおろして座ると、自分は腰の剣を外して向かい側に浅く腰掛け、魔法でハーブティーの解凍を始めた。


 テンは手元ではグラスを温めながら、フィロフィーの方を見て問いかける。


「ところで、フィロフィーさんは取り調べ室で何を聞かれたんですか?」

「ええっと、テン様には話しても大丈夫なのでしょうか? ミルカ様と女王陛下に関する事なのですが」

「僕はほとんどの事情は知っていますよ。……医務室でお二人の最後も見届けましたから、誰が陛下を殺したのかも知っています。

 ただ、フィロフィーさんが何故呼ばれたのかは知りません。

 本当は僕の立場でこんな事聞いてはいけないのでしょうけれど――陛下の元執事として――どうしても真相を知りたいんです」

「わかりました、テン様にはお話致しますわ。

 実はわたくし、数日前にミルカ様にせがまれて浮遊魔法の魔導書をプレゼントしていたのですが……ミルカ様はわたくしが教えた浮遊魔法を使って女王陛下に毒を盛ったらしいのです。何でも机ごとくるっと回転させたらしいのですわ」

「それはまた……ずいぶんと大胆な方法ですね。あの場に居て気づかなかったなんて……」

「そう気を落とさないでくださいませ。うまくやれば、カップの動き以外はほとんど見えないはずですもの。キャスバイン様も薔薇の垣根ごしに見ていたものの、まったく気づかなかったそうですわ。

 それでわたくし取り調べの内容ですが、わたくしがどうして魔導書を渡したのか、女王陛下暗殺に加担した共犯者なのではないかと疑われたのです」

「なるほど。で、解放されたということは知らなかったんですよね?」

「もちろんですわ。なんとか最終的にはわかって貰えたのですが、宰相様がいらっしゃるまでは全然話を聞いて貰えず…………あっ!?

 そういえば弁解するのに必死すぎて、大切なことを忘れてましたわ!」

「大切なこと?」


 フィロフィーは何かを思いだしたように手を合わせた。


「ええ、ミルカ様が丸テーブルを回転させるためには、浮遊魔法の他にももう一つ必要なモノがあるのですわ。でもキャスバイン様達はそのことに全然気づいていなかったのです。わたくしが指摘しようとしても、『回転したことは間違いないから』と言って聞いて貰えなくて」

「必要な物ですか。それはいったい何でしょう?

 僕もお茶会の様子は横で眺めていましたので、話していただければ見ているかもしれません」


「ずばり、テーブルを点対称(・・・)にするためのモノですわ! 回転させるためには、回転前と回転後が全く同じに見えるような点対称にしないといけないのです。それができなければこのトリックは不可能なのですわ」


 そう言って、フィロフィーは決め顔で人差し指を立てた。

 よくわからないというように首を傾げるテンに、フィロフィーはさらに説明を加えていく。


「お茶会のテーブルの上には色々な物が乗っていますわ。ティーカップとスプーンはもちろん、お茶菓子だって何種類かは用意しておくものですし、紅茶に入れる砂糖やミルク、柑橘類などもあるはずです。それらが回転前と回転後で置き場所が違ったり、あるいはミルクティーがレモンティーに変わってしまっては、トリックが成立しないのです」

「…………ああ、なるほど。確かに現場を見ていなければ、そう思うのかもしれませんね」

「現場?」

「ええ。実は今回のお茶会では色々と偶然が重なって、テーブルの上には物がほとんど無かったんですよ。お茶菓子はミルカ様がケーキを焼くことになっていたので用意してませんでした。砂糖は一応持ってきていましたけれど、ミルカ様がハーブティーを用意すると思っていたので、ミルクや柑橘類などは無かったんです」

「え? では皆さんお茶ではなく砂糖水を飲んだんですか?」


 それだとお茶会がお水会になってしまう。

 さすがにそんなわけはないと、テンは苦笑して首を振った。


「いえ、念のため紅茶の葉は用意してあったんです」

「念のため紅茶は用意していたのに、ミルクなどは用意しなかった、と。

 お菓子もミルカ様頼みで何も用意していなかったのですわね。もしミルカ様のケーキが上手く焼けていたとしても、ワンホールのケーキなんて八人で分けたらあっという間になくなってしまいますのに」

「そう言われると……王族の集うお茶会だというのに、用意がミルカ様に頼り切りで怠慢ですね」

「怠慢のひとことで済ますには怪しすぎますわ。お茶会の紅茶やお菓子を管理していたメイドはどういった方なのでしょうか?」

「…………それでしたらメイドではなく、コルナがほぼ取り仕切ってました」

「コルナさんが!?」


 フィロフィーは驚いたあと、顎に手を当てて考え込む。

 テンも半分ほど解凍の終わったハーブティーを机において、姿勢を正してフィロフィーに真剣なまなざしを送る。


「他にテーブルの上に乗っていたものはなかったのですか?」

「テーブルに花瓶がありましたけど……そういえばミルカ様が魔石の入った箱を置く時、途中で降ろしていましたね」

「もしかしてその箱って円柱形ですか? ちょうどテーブルの中央に置いてませんでしたか?」

「よくわかりましたね、その通りでした」

「そうなるとやはり、偶然などではありませんわね。ミルカ様は丸テーブルを点対称にする必要性を、ちゃんと認識していたということになりますわ。ご自慢のハーブティーを用意しなかったのも、あれは一人一人が体調に合わせて違うものを飲むからでしょう。

 ――そうなると、ミルカ様は紅茶用のミルクなどが用意されないようにも何か手を打っていたに違いありません。ミルカ様にはケーキをわざと(・・・)失敗してテーブルの上から排除したり、理由をつけて花瓶を降ろしたりすることはできますが……」

「……が、何でしょうか?」

「このトリックを成功させるには、八人の紅茶の量も一緒にする必要があるのです。それはミルカ様にはどうしようもありません」

「…………なるほど」 


 テンは笑顔で頷きながら――脇に置いた自分の長剣をちらりと見る。



「あの、もしかしてコルナさんは、こまめにお茶を注いで(・・・・・・・・・・)ませんでしたか? もしそうならば、その時に全員のカップのお茶の量を合わせ、ティーカップなどの位置を直していたはずですわ」



 テンはフィロフィーの最後の問いに、目を細め、そして口角を上げた。


「…………ええ。言われてみれば、コルナはとても神経質にテーブルを回っていました。

 本当に、彼女が一口しか飲まれていないようなカップにもすぐに注ぎ足しに行ってしまうので、僕の出番が全然なくて暇だったんですよ。おかげで僕はカウンターの方で、紅茶用のお湯を沸かすくらいしか仕事がなくて」

「やっぱり! ミルカ様に必要なモノ――つまりミルクやお茶菓子の準備を怠り、そして王族達のカップの位置や中身の量をこまかく調節していた共犯者――それがコルナ様ですわ!」

「あ、フィロフィーさん、ハーブティーがだいたい解けましたよ。このくらいが美味しいかと」

「そんなもの飲んでいる場合ではありませんわ! 早くキャスバイン様にお伝えしないと」


 テンはシャリシャリとした氷が四分の一ほど残るハーブティーをフィロフィーに渡そうとしたが、フィロフィーはそれを受け取らずにソファーから立ってリュックを背負い、入って来たドアへと歩き始める。


 フィロフィーがテンに背を向けると、テンは笑顔から真顔になり、自分も立ち上がってフィロフィーのすぐ後ろを歩く。



 フィロフィーがドアまであと数歩という位置で、テンは腰の長剣を抜いて――



『フィー、気を付けろ。テンが抜いたぞ』

「は?」



 ――フィロフィーのリュックが急にもぞもぞと動き、中から顔を出した子狐と目が合った。

 

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