第六十二話 第二の事件
「んぐ、んぐ……ぷはぁっ!」
キイエロ王国の中枢を担うリスティ城。格式高いその城の昼下がりの薔薇園に、まるで安酒をあおぐ労働者のように紅茶をがぶ飲みしている女性がいた。第三王女のチャコである。
マナーもなにもないような姿にも関わらず、普段はうるさいアークロイナが今回ばかりは咎めない。
彼女は紅茶のカップが空になると、無言でテンに差し出しておかわりを要求する。カップを受け取ったテンは紅茶をつぎ足すと、冷気の魔法で冷ましてからチャコに渡した。唇を腫らしたチャコが痛い思いをせずに飲めるように、との気づかいである。
タイアはいっそ魔法で水を出して飲んだ方が早いと思ったが、アークロイナの見ている手前、打診する気にはならなかった。
チャコは何度か紅茶を飲むと落ち着きを取り戻し、カップをテンに渡さずにテーブルに置いた。
「もうよろしいのですか?」
「だ、大丈夫。まだ口の中がヒリヒリするけど……」
テンはチャコの苦痛が鎮まったのを見てとると、テーブルに置かれたチャコのカップに今度は熱い紅茶を注いでおく。
「うう、ごめんぬ、チャコ」
そんなチャコの隣には、すっかり意気消沈した様子で縮こまるミルカがいた。
「しかし砂糖と塩を間違えるくらいならともかく、果物と香辛料を間違えるとはミルカ姉らしくもないね。入れる前に気づきたまえよ」
「だって細切れになってた香辛料が、私の知ってるドライフルーツにそっくりだったんだもん」
「それにしたって、味見くらいすればいいだろうに」
「焼く前のケーキ生地なんて味見できるわけないじゃない」
「そうじゃなくてだね……」
「まあまあヘリーシュ、私ならもう大丈夫だから」
ミルカとヘリーシュの言い合いを、どうにか回復したチャコがなだめる。
ミルカのケーキは見た目通りの失敗作で、ドライフルーツではなく香辛料が入っていたり、焦げていたり生焼けだったりと散々だった。結局、チャコが一口食べた以外は誰も口にしていない。
ミルカのケーキは既に撤去され、テーブルの上には紅茶の入った八つのカップと花瓶が置かれているのみになっている。
「チャコ、あなた本当に大丈夫? 汗が凄いけど、動悸とか息切れとかはない?」
「えっと、今のところは大丈夫……なのかな?」
「ずっと大丈夫です! 私、さすがに食べられる物しか入れてませんからね!?」
ミルカの抗議に、オリンは「そうよね」と視線をそらす。
オリンはミルカが焼いてきたケーキにジゴ薬の混入を疑ったのだろう。しかし数分経ってもチャコに心臓の症状はでてこないし、そもそもタイアが匂いを嗅いだ限りでは、ケーキからジゴ薬の匂いはしなかった。
(こうなると、今日はもう何も起こらないかな?)
あれを食べ物と呼んでいいのかはさておいて――少なくともクリンミルのケーキにジゴ毒は含まれていなかった。
もともと、ミルカが犯人ならお茶会で何か仕掛けてくるはず……といった程度の予想でしかない。キャスバインがミルカが怪しいと言ったので警戒していたが、彼だって犯人だと断言はできなかったし、何か証拠が見つかったわけでもない。キャスバインの心眼が間違っていて、乾杯のワインに毒を盛ったのが他の人間だった可能性は十分に残っている。
あるいはミルカが本当に犯人だったとしても、今日はただお茶会をしたかっただけで何もしてこないのかもしれない。
タイアはここ最近の苦労が全部無駄だったような気がして首を垂れる。
憂鬱な気分を紛らわそうと思って紅茶をすすると、タイアのひとくちしか飲んでいないカップにもテンは紅茶を注ぎ足してくれた。
「テン、何か代わりになるお菓子はないのですか?」
「すいません、ミルカ様が用意してくださると伺っていたので……コルナ、すまないけれど厨房に行って、何か貰ってきてくれないか?」
コルナはひとつ頷くと、駆け足気味に去っていった。
さっきからテンばかりが紅茶をいれて回っていたので、彼女はだいぶ暇だったらしい。
「それじゃあお菓子を待ってる間に、ゲームをやっちゃいましょうか」
「ゲーム? お茶会ってお茶を飲みながら話をするだけじゃないんだ」
「それだけのお茶会もあるけれど、イベントや出し物を用意していることも少なくないね。ま、しょうせ……私はあまり呼ばれないし、レモナにでも聞きたまえ」
「ヘリーシュ、あなたはもうちょっと社交も手伝いなさいよ?
――私の友達はお茶会に吟遊詩人や吹奏楽団を呼んでいるわね。私達だけのお茶会だと宰相に国内外の近況報告をさせることが多いけれど、今日は違うのかしら?」
「レモナ姉様、さすがに今回は宰相は呼んでませんって。今日は私からみんなに、ちょっとしたプレゼントを用意したんです」
ミルカはそういうと、テーブルの上の花瓶を持って立ち上がる。その花瓶を食器のカウンターへと退けると――カウンターの下に隠してあった、円柱形の箱を持ち出して来る。
「中から魔力を感じますね」
「はい。この箱にはトレート大陸にいる、スーパーカリフラジリスティックイクスピアリドウシャスルナールという魔物の魔石が入っているんです」
「ス、スパ?」
「スーパーカリフラジリスティックイクスピアリドウシャスルナールです。変わった形の綺麗な魔石を作るんですよ。
それで今日のお茶会の記念品としてみんなに配ろうと思い、何個か取り寄せたんですけど、大きさがバラバラになってしまって。
それならいっそ、誰がどの魔石を貰うのかを競うゲームにしようと思ったんです」
一人楽しそうなミルカに「さあみんな準備して」促され、タイア達は椅子から立たされる。
「この箱には蓋を開けると八個の魔石が飛び出すように細工がしてあるので、一人一個早い者勝ちでキャッチしてください。頑張って大きいのを狙ってくださいね」
ゲームの内容は、自分の欲しい魔石をキャッチするだけという簡単なものだった。
ミルカは丸テーブルの中央に円柱形の箱を置き――そして全員の準備ができたのを見計らい、その箱の蓋を開ける。
直後、ミルカの説明通りに中から魔石が真上に飛び出した。飛び出した八つの魔石は二階の天井付近で一度停止する。
八つの魔石にはそれぞれパラシュートがついていた。二階の天井付近まで飛んだ魔石がパラシュートを開き、そよ風に揺らされながらゆっくりと落ちてくる。
「ん、あれって……っ!?」
見上げたタイアがその魔石の形を認識し、絶句する。
魔石は確かに面白い形をしていた。星形や三角形、球体にトゲトゲのついたような魔石が、小指の先くらいの物から赤子の拳くらいの物までゆっくりと落下してきている。
他の王女達は上を見上げながら「凄い!」「おお、これは!」などと驚きの声をあげ、そよ風に流される魔石を追いながら、より大きな魔石に向かって手を伸ばしているが……
(あれ絶対フィーの仕業だろ!?)
タイアはゲームのことを忘れ、口を開けてフィロフィーの人工魔石を眺めてしまう。
フィロフィーが作った面白い形の魔石など、タイアには見飽きた代物である。ミルカはトレート大陸の魔物の魔石と言っていたが、見間違えようはずがない。
問題はミルカがフィロフィーの秘密を知っていて出鱈目を言ったのか、それとも彼女もフィロフィーの出鱈目に騙されているのか。
タイアが唖然としている間にゲームは終わり、大きな魔石は他の姉妹達に確保された。彼女達は興奮した様子で魔石を眺めたり見せ合ったりしている。
タイアは最後に薔薇の垣根に引っかかっていた一番小さな立方体の魔石を手にとった。
手元の魔石は、ホワイトフォックスの魔石とまったく同じ白色にみえる。
(……うん。後でフィーをとっちめよう)
タイアは今は考えないことに決めた。
「あれ、小生の紅茶が少しこぼれている?」
ミルカの用意したゲームが終わり、席のつこうとしたところでヘリーシュが声を上げる。
「おい、まさか誰か飲んだりはしてないだろうね。紅茶が熱くて冷ましていた最中だったんだけど」
「誰もあなたの紅茶なんて飲まないわよ。魔石を取る時に誰かテーブルを蹴飛ばしたんじゃないの?」
「ふむ、それならいいんだけど」
こぼれた紅茶はテンが拭きとり、ヘリーシュは不満そうな顔をしつつも席につく。
他の王女達も次々と座り、そんな中でチャコだけは立ったままお腹の辺りをさすっていた。
「チャコ、どうしたの?」
「えっと……ごめん、ちょっとお手洗いに行ってくるよ」
「大丈夫? 動悸と息切れ……」
「それはないですから」
足早に薔薇園から去っていくチャコを、ちょうどクッキーを手に入れて戻って来たコルナが不思議そうに見ていた。
* * * * *
「……遅いわね、チャコ」
「そうですね。私、ちょっと見てきます」
それからは紅茶を飲みつつ落ち着いて話をしていたのだが、しばらく経ってもチャコが戻っていない。
ミルカは見てくると宣言すると、ジゴ薬の入った紅茶を飲み干して椅子から立つ。
「あれ? ミルカ姉、もしかしてたったいま薬を飲んだばかりかい?」
「え? うん、ゲームやお喋りに夢中で飲み忘れてたから」
「だったらしばらくは安静にしてたら? コルナに代わりに見に行かせるわよ」
「いえ。動悸が出たらどのみちシェパルドルフ先生かチャコの所に行くことになりますから。……あ、そしたら念のためタイアについて来てもらおうかな? いいかなタイア」
「ん、わかった」
タイアはミルカ付き添いを、二つ返事で引き受けた。
ちょうど先ほどの魔石の入手方法について、ミルカを問いたださねばと思っていたところである。
タイアはミルカに従って薔薇園を出る。
ミルカは城内に入り、更に階段を上がって二階に向かう。
「ん? 随分と遠くのトイレに行くんだな。薔薇園からなら研究員棟のトイレが近いんじゃないか?」
「そうだけど、私達はよほど緊急の時でない限りはこっちのトイレを使うことになってるから、先にこっちから見てみましょう?
――それに、タイアは私とお話したいこともあるでしょ? さっきの魔石のこととか」
「あー、やっぱりあれってフィーの魔石?」
悪戯っぽく笑うミルカをみて、タイアは大きくため息をついた。
「そうだよ。凄いよね、あんな形の魔石が古代遺跡からいっぱい出てきたんだって?」
「……へ?」
「それで魔石を貴族に売りさばきたいんだけど、私達王族が先に持っていてくれれば魔石の売買がしやすくなるからって相談されてね。私もお茶会の出し物を考えていたからちょうど良かった!」
「……あー、うん。そう、実はそうなんだよ」
フィロフィーが吐いたと思われる嘘を、タイアはそのまま肯定した。おおかたアキと魔石を売る方法について何か密約でもしていたのだろう。タイアに詳しい事情はわからないが、今はその嘘で貫き通すより他にない。
あの幼馴染の奇行にいちいち腹をたてるのも馬鹿馬鹿しいと思い、タイアは閉口してミルカに続く。
それから更に歩くこと数分。二人は城の二階にある王族用のトイレに到着したが、そこにチャコの姿はなかった。
「居ないな。やっぱり研究員棟の方に行ったんじゃないか?」
「……そうみたいだね」
「あるいはもう薔薇園に戻ってるかもな。あたし達も帰るか」
「あ、待って! 一応チャコの部屋を覗いてから帰ろ!?」
「さすがに部屋には居ないだろ? ……というかミルカ姉、なんか顔色が悪くなってる気がするんだけど大丈夫か?」
「え? だ、大丈夫。さっき薬を飲んだばかりで心臓がドキドキしてるだけだから」
「いやそれ大丈夫じゃないだろ!? 医務室いくぞ!」
タイアは医務室に行こうとミルカの袖を引っ張るが、ミルカは動こうとしない。
「本当に大丈夫だって! 薬を飲んだ後に気持ち悪くなったり動悸が出たりすることはよくあるの。でも、いつもすぐに収まるから」
「そうなのか? まあ本人がそう言うなら信じるけど、やばい時は早めに言えよ。念話で助けを呼ぶか、浮遊魔法で医務室に連れて行くからな」
「だからだい、じょ…………あれっ?」
「ミルカ!?」
トイレを出て歩きだそうとしたミルカが、急に胸を押さえてたたらを踏み、そのまま廊下に尻餅をついた。
驚いたタイアがミルカに駆け寄ると、彼女の顔は土気色で汗が浮かび、目は焦点が合っていない。
「ミルカ、どうした!? 全然大丈夫じゃないじゃないか!」
タイアは今にも倒れそうなミルカの肩をだく。
タイアの叫び声を聞いて、近くの見張りに立っていた近衛騎士達が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「ごめんね、ちょっと眩暈がして……あれ、おかしいな、いつもこんな……に…………」
近衛騎士が到着する前に、ミルカは意識を失った。