第六十一話 茶会に叫ぶ
アークロイナ
オリン レモナ
チャコ ヘリーシュ
ミルカ クリンミル
タイア
次の日は晴れになり、お茶会は予定通りに決行された。
薔薇園は昨日のうちにすっかり整備されている。薔薇園の中心には木製の巨大な丸テーブルが置かれ、それを囲むようにして八つの椅子が均等に並べられた。
薔薇園の一番奥になる席にアークロイナが座り、向かって右にレモナ、ヘリーシュ、クリンミルの順に座っている。アークロイナのちょうど正面にタイアが座り、タイアの左側がミルカの席、そしてチャコ、オリンと続いてアークロイナに戻る。
既にアークロイナやタイアは席に座っているが、ミルカとチャコの双子がいない。
「それで、主催者がまだ来てないのはどういうことだい?」
「ミルカ様はおそらく調理室でしょう。今回、ご自分でケーキを焼いてくるそうですから」
ヘリーシュの疑問にはテンが答えた。彼は薔薇園の隅に設置されたカウンターで、食器やお茶の準備を始めている。
テンの他にはコルナもいるが、他に使用人の姿はない。今回は執事二人で給仕を担当していた。
「ふむ、ミルカ姉がケーキねぇ。今まで料理してる姿を見たことがないけれど」
「ん、そうなのか? いつもお茶会の時にお菓子とか作ってるのかと思ってた」
「ミルカはハーブティーにはこだわりがあって自分で入れるんだけど、お菓子の類はあまり食べないのさ。持病があるせいで健康志向になったんだろうね。
今日はタイアもいるし、よほど気合が入ってるのかな?」
ヘリーシュはなんでもないことの様に話すが、タイアは僅かに緊張が走る。
普段料理をしない人間が料理を作る。
――もしもミルカがクリンミルを害そうと考えている犯人ならば、そのケーキにはジゴ薬が入っているかもしれない。
アークロイナとオリンも同じ考えなのだろう。二人は眉をひそめ、小声でヒソヒソと話していた。
「みんな、おまたせしました! ごめんなさい、ケーキを焼くのに時間がかかっちゃって」
そこに満を辞してミルカが現れた。テンの言った通り料理をしていた様で、ドレスの上からエプロンを付け、大皿を両手に持っている。
ミルカの隣にはチャコもいるが……明るい笑顔をみせるミルカに対し、チャコはひどく引きつった顔をしている。
そしてその理由は、誰の目にも明らかだった。
なにしろミルカが持っている大皿の上に、名状しがたい赤黒い物が乗っていたのだから。
赤黒いケーキといえばベリーを乗せたチョコレートケーキなどが思い浮かぶが、その赤は決してベリーや果物の赤色ではなく、黒は断じてチョレートではない。だったらなんの色かと聞かれてもわからない。
事前に「ミルカがケーキを焼いている」という情報がなければ、誰もそれがケーキ、どころか食べ物だということすら理解できなかっただろう。
「ごめんなさい、型から出す時に失敗して、ちょっと形が崩れちゃったの」
ミルカはそう弁明するが、形などたいした問題ではない。
少なくともタイアの鼻は、ケーキが発してはいけないスパイシーな匂いを嗅ぎ取っていた。
ジゴ薬の匂いこそ感じぬものの、だからと言ってこのケーキ(?)が人体に無害だとは思えない。
もしや、ジゴ薬とはまた別の毒物が混入されているのか。
あるいは、ただの食べ物から猛毒を作ってしまったのか。
(……これ、クリンミルっていうより王族全員亡き者にしようとしてないか?)
その場にいた王族達が、執事達が、チャコとまったく同じ引きつった顔になる。
「それじゃあテンさん、みんなに紅茶を入れてくれますか?」
「え、僕が入れてよろしいのですか? いつもならご自分でハーブティーなど作りますのに」
「うん、今日はケーキもあるし紅茶でいいかな。私はケーキを取り分けるので、その間に入れておいてください」
テンと話しながら、ミルカは食器カウンターで赤黒い物体に包丁を入れた。
八等分したソレを小皿に乗せ、ミルカ自ら配っていく。
タイアの目の前にも小皿が置かれると、スパイシーな臭いが鼻をついた。
この距離になると、もはやタイアの嗅覚でなくともこの匂いを感じ取れるらしい。レモナが顔をしかめて鼻を押さえている。
見た目にせよ匂いにせよ、普段フィロフィーが食べている魔物の内臓の方が、まだ食べ物としての体裁をなしているようにすら思えた。
『……なあチャコ姉。まさか、コレを本当に食べさせられるのか?』
タイアはそんな念話をチャコに送るが、チャコはケーキを覗き込んだまま固まって動かない。
「では皆様、本日は招きに応じていただきありがとうございます。
タイアもクリンミルもすぐに帰っちゃうし、たぶん家族みんなでお話しする機会なんてこれが最後だから、今日は思う存分語り合いましょう!」
他の人間がどうしたものかと困惑する中、一人楽しそうなミルカがお茶会の開始を宣言した。
「…………」
もちろん楽しく語り合える状況ではなく、誰も発言せずに沈黙が落ちる。
誰もが目の前の赤黒い物体に困惑し、視線でお互いを探りあう。
「えっと…… テン、お砂糖をもらえるかな?」
「はい、ただいま」
レモナがお茶を濁すように、スプーンを手に取って紅茶をかき混ぜ初めた。
なんとなく皆の視線がレモナに視線が集中するが、彼女はいつまでたっても紅茶を混ぜるのをやめようとしない。
ただの砂糖がそんなに溶けにくいことはないだろう。無駄に紅茶をかき混ぜながら、自分以外の誰かがケーキに触れるのを待っているのだろうか。
レモナが何もしないとわかると再び視線が錯綜し――最終的に作り主であるミルカに集中する。
「あ、私も薬を飲まなくちゃ」
ミルカは視線に気づかないまま、懐から持薬を取り出して紅茶に入れて混ぜ始めた。
隣にいたタイアの鼻が、独特な枯れ木の様な匂いを嗅ぎ取った。
「…………え? ミルカ、それは?」
「これ? ケーキ作りに夢中で、お昼の分の薬を飲み忘れてたから」
戸惑うタイアに、ミルカはスプーンを回しながら答える。
アークロイナとオリンの二人が顔を見合わせ――そしてテーブルへと視線を落とした。
『お父様、ミルカが自分のカップにジゴ薬を溶かしちゃったんだけど……鳴くしかないかも』
タイアは慌てて念話を送り――
「きゃ、きゃん、きゃん……」
――その直後、テーブルの下からぎこちない犬の鳴き声がした。
そう、このお茶会には参加者がもう一匹いた。
丸テーブルの四本の脚に、板を張り付けて作った箱の中。そこに恥ずかしそうに鳴く一匹の犬。
説明するまでもなくロアードである。
「え、何!? 犬?」
事情を知らないレモナ達が驚いて下を覗きこみ……アークロイナやオリンは目を閉じて小さく首を振る。
タイアも小さくため息をつくと机の下に潜りこみ、板を外してロアードを取り出した。
「アレ、コクリサンジャナイカ。ドウシテココニ?」
「え? ……え!?」
中から突然出てきた犬に、王女達は様々な反応をするが……中でも一番混乱していたのはミルカとチャコの二人だった。双子は目を見開いて、タイアと犬を交互に見やる。
二人の混乱が解けぬうちに、ヨシュアが現場へと駆け寄って来る。
「あ、こんなところにいたのか! すいません陛下、うちの捜査犬がお邪魔したみたいで」
「ヨシュア、動物を逃がすとは何事ですか。子犬とはいえ、貴族達に噛みついたらどう責任をとるのです」
「ほ、本当に申し訳ございませんでした。……ところでうちのコクリさんが鳴き声を上げてましたが、何かありましたか?」
「……何もありません」
「…………え? えーっと、何もないんですか?」
「ありません。犬を連れてさっさと仕事に戻りなさい」
『ヨシュア、失敗。ミルカが普通にジゴ薬を取り出して、自分の紅茶に溶かしいれたんだよ。それでジゴ薬の匂いがしちゃったから、手筈通りにお父様が鳴き声を上げたんだ』
「わ、わかりました。どうも失礼いたしました」
ヨシュアは顔を引きつらせながらも、ロアードを抱いて退場する。
コクリさん(代理)の役目はジゴ薬の匂いを感じたら鳴き声を上げて知らせることで、実際にはタイアが匂いを感じたら、念話でロアードに伝える手筈になっていた。
本当はここでコクリさんが鳴いたからという理由でヨシュアが不審に思い、ケーキなり紅茶なりを調べてみる予定だったのだ。それはクリンミルが毒を飲まされないための保険だったのだが、こんな形で堂々とジゴ薬が出てきてしまったのでは意味がない。
早くから犬の姿になり。暗い箱の中に押し込められ。
その結果が何の役にも立たず、もはやなぜ犬になったのかもわからないロアードは、たとえ犬の姿であっても悲しみに満ちているのが一目瞭然だった。
一方の双子は立ち尽くしたまま去っていくヨシュアを眺め、それから説明を求めるようにタイアへと視線をうつす。
『あれは影武者っていうか……コクリさんの正体がバレないように、女王陛下にあたしとコクリさんの両方を同時に見せておこうって話になってさ。よく似た犬を探してきたんだよ』
タイアがそれっぽい言い訳を念話で送ると、二人は納得したように手を打った。
「ささ、みんな座って。びっくりしちゃったけれど、気を取り直してお茶会を楽しみましょう」
ミルカが仕切り直し、一同はやれやれといった感じで着席する。
「ねえクリンミル、このケーキの味はどうかな?」
「え!? あ、その……」
しかし問題は何も解決していない。
いろんな意味で危険なケーキが、今もテーブルの上に残っているのだ。
タイアはアークロイナとオリンを見る。
アークロイナが口をはさもうとして――それをオリンが制止していた。オリンは毒入りかもしれない物体を、クリンミルに実際に食べさせて判断するつもりらしい。
逃げ場のないクリンミルは顔面蒼白になっている。
震える手でフォークを握り、ケーキ(?)に突き刺すと、ブチュリというケーキにあるまじき音がした。
そこからどうしても口に入れる事ができず、マジマジと見つめたまま固まっている。
そんなクリンミルにしびれを切らしたのがミルカ――ではなくチャコだった。
「クリンミル、ちょっと見た目が悪いからってそんなにビビることないだろ?」
「あ、でも、そのっ」
「そんなに食欲ないなら、わ、私が食べてやるぞ!?」
チャコは立ち上がってクリンミルに近づくと、その手からフォークを奪い取る。
「チャコ、待ちなさ……」
そしてアークロイナが止める間もなく、チャコはソレを一気に頬張ってしまった。
彼女は二回、三回と咀嚼して……
「あががががが!?」
叫び声と共に火を吹いた。




