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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第五十四話 犬の憲兵さんは仕事をする


 次の日の早朝、人気のないパーティー会場にヨシュアとタイアの姿があった。


 一人と一匹の周囲には誰もいない。会場の入り口や窓の外には見張りの兵士が立っていて、使用人達も入ってこれないようになっている。

 会場内にあるグラスや料理の皿などは、片付けられずにパーティー終了時点のままで残されていた。


「……で、どうですかねタイア様」

『うん、やっぱりワインの匂いに混じってジゴ薬の匂いもするな。他の場所も調べてみるか?』

「お願いします」


 例によってタイアはチワワの姿になっている。彼女の鼻は、昨日フィロフィーがワイングラスを落とした場所からワインとジゴ薬の匂いを嗅ぎ取った。

 その場を離れ、他の場所も手当たり次第に嗅いでいく。


 タイアはそうして時間をかけ、会場内の他の皿や食べ物の匂いも徹底的に調べてみたが、他の場所からジゴ薬の匂いはしなかった。

 その間ヨシュアはヨシュアでフィロフィーのいた場所やドリンクカウンターを調べていたが、特に手がかりがなかったのかポリポリと頬をかく。


『やっぱりワインのこぼれた場所だけだな。――あ、昨日ヘリーシュ姉が回収してたワイングラスとかはいいのか?』

「そちらは昨日のうちに調べているので大丈夫です」

「結果は?」

「……ここでタイア様に隠してもしょうがないですね。やはりジゴ薬が含まれていました」


 本当は外部に漏らしてはいけない情報なのだろうが、こうして捜査にタイアの鼻を借りているのに隠したところで意味はない。ヨシュアは一瞬だけ迷う素振りをみせたものの、すぐに結果をタイアに教えた。

 「他言無用でお願いします」と付け加えるヨシュアに、タイアは「キャン」と鳴いて応える。


「とりあえず、ワインに毒が入っていたのは間違いないとして……

 ドリンクカウンターからここまで結構な距離があるし、他にジゴ薬の匂いもなしじゃあ犯人の特定は難しそうだなぁ」

『ミルカ姉がワインに毒を盛った可能性もあるよな』

「うっ……それはタイア様の前では言わないようにって思ってたのに」

『いや、誰でも思うだろ普通に』


 ワインに盛られていた毒がジゴ薬だった以上、それを常に所持しているミルカのことさ疑わざるをえない。

 ワインをフィロフィーの前に持っていたのもミルカだし、ジゴ薬を盛るのは簡単である。犯人の第一候補だろう。


 事情聴取の段階でその可能性に思い至った人間は、なにもタイアだけでは無いはずだ。

 しかしフィロフィーはそれに気づかなかったのか、宿に戻るのをかたくなに拒み、ミルカと一緒に医務室に泊まってしまった。

 タイアとスミルスはそのことが心配で、今日は日の出と共に登城したのだ。そしてフィロフィーのいる医務室に直行し――ミルカと仲睦まじい様子で朝ご飯を食べていたフィロフィーを見て、二人して脱力したのがつい先程の出来事である。


「てっきりタイア様はミルカ様をかばうのかと思いましたけど」

『確かにドレスも貸してもらったけど、昨日会ったばかりだからな。フィーみたいにずっと一緒に暮らしてた相手なら庇うのかもしれないけれど』

「では、そのフィロフィーさんの自演の可能性も考慮している、と言ったら怒りますか?」

『それは………………怒らない』


 と言うよりも怒れない。


 タイアの知ってるフィロフィーは――死なない保証さえあれば――毒でも魔物でも平気で食べる。彼女に嫌いな食べものがあるとすれば、かつて痛い目をみたワカメくらいのものである。

 痛い目を見たといえばポイズンマッシュマンでも覚えがあるはずなのに、そちらは解毒薬さえあれば平気で食べてみせると言う。警戒して少しだけ食べたものと、無警戒に大量に食べて死にかけたものの違いだろうが、その光景を見守る周囲の不安はつのるばかりだ。


 いずれにせよ、タイアは長年一緒に暮らしてきたからこそ、どうしてもフィロフィーを庇えない。

 ともすればミルカ犯人説よりも、よほどありそうな気がしてしまう。


「はは、タイア様が理性的な方で助かりますよ。まぁ考慮しているだけで、フィロフィーさんの自演の可能性は低いと思ってますけれどね」

『ん、なんでだ?』

「動機が不明だからです。これがフィロフィーさんの自演なら、その目的はパーティーを台無しにしたかったとか、悲劇のヒロインとして目立ちたかったとかが考えられますが……彼女は毒を飲まされたと騒いだりはしていませんし、ただの酔っ払いという不名誉な内容で公表されることにも文句ひとつ言いませんでした。これはその手の馬鹿騒ぎを起こす人間の行動ではありません」

『そういうものなのか?』

「そういうものですよ。

 まあ仮に何かしらの動機があったとしても、彼女が飲んだジゴ薬の量は致死量を大きく超えていました。自殺するつもりだったならともかく、自作自演のために飲んだにしては多すぎですね」


 それはフィロフィーが大量の毒を飲まされていたという極めて物騒な話なのだが――ひょっとしたら本当にフィロフィーが犯人かも、とさえ考えて始めていたタイアには、すこし安心してしまう情報だった。


『そっか。でもミルカにもフィロフィーに毒を飲ませる理由なんてないと思うけど』

「いえ、もしミルカ様が犯人だと仮定すると、ミルカ様は当初クリンミル様とワインの交換をしようとしていたので、クリンミル様を狙っていたことになるので……」

『で?』

「……いえ、何でもありません」


 ヨシュアは少し悩むと、そこで話を打ち切ってしまった。



 タイアはヨシュアの尻に噛み付いた。



「いったぁ! な、なにするんですかっ!?」

『いや、そこで話をやめられると気になるじゃんか』

「だからって女の子が男の尻に噛みつかないでくださいよ!? ケモノですか!」

「きゃうっ!?」


 ヨシュアのもっともな反論に、タイアはハッとして顎を開く。


 ――つい二ヶ月位前までは、タイアは狐でありながら引っ掻いたり噛み付いたりといったケモノじみた戦い方は苦手だったハズなのに。


 また一段と人間らしさを失った気がして、タイアは耳と尻尾を垂らして悄気しょげる。


「まあ確かに、今のは僕が悪いですよ。――今後のことを考えると、タイア様には話しておいた方がいいのかもしれませんね。

 えーっと、タイア様は十年前にブリジスト様が亡くなられた時の詳細は聞いていますか?」

『そりゃもちろん。確かお母様とカリナ様の紅茶には致死量のジゴ薬が盛られてて、女王の紅茶には少なかったって話をだよな。それで女王が犯人かもしれないって話だろ? それと…………』


 タイアは一瞬いい淀んで考えるが、決意した目でヨシュアを見上げる。


『…………それと、カリナ様はお母様の毒魔法で死んだかもしれないんだよな』


 タイアの言葉に、ヨシュアは真顔で小さく頷いて答える。


 表向きはジゴ毒で死んだことになっているが、カリナの紅茶には致死量のジゴ薬が入っていたものの、彼女はほとんど紅茶に口を付けていなかった。

 にも関わらず死んでしまったということは、カリナの死因はブリジストの毒魔法である可能性が高い。


「ええ、その話です。僕の立場では本当は話せないんですが……」


 ヨシュアは周囲をキョロキョロと見回し――パーティー会場内に相変わらず自分達しか居ないことを確認すると、しゃがみこんで声を潜めて話し始めた。


「……実は、当時の事情を知ってる多くの人間は、カリナ様が毒を盛った真犯人だと思っています」

『え、そうなのか?』

「はい。なにぶん王室に関わる事件なので、曖昧な情報は証拠からは排除されているんですが……カリナ様は事件の数日前から様子がおかしかったそうなんです。なんでも熱心に神に祈っていたり、独り言を言うことが増えていたそうでして。

 本人が子育てのことで相談したいと言っていたことから、事件前は育児ノイローゼではないかと噂されていたんですが――何か思いつめての犯行だったのではないかと言われています」

『そうだったのか。セルフィーは何も言ってなかったけどなぁ。女王のことは何かと嫌ってたけど』


 タイアがセルフィーから事件のことを聞いたのはもうずっと前になるが、セルフィーは客観的な事実のみしか話していなかった。

 ただ事件の話とは別に、女王への恨み言はたびたび言っていたのを覚えている。


「それは多分、陛下に城に出入り禁止にされたり騎士団を解散に追い込まれたりしたからではないですか?」

『そうかなぁ』

「ブリジスト様だって、カリナ様が犯人だという確信を持って毒魔法を使ったのではないでしょうか? カリナ様は薔薇園でも挙動不審で、他の二人が紅茶を飲む姿をじっと見つめていたりしたそうですし。

 カリナ様のカップに毒が入っていたのも、アリバイ作りのためではないかと言われています。それと陛下に罪をなすり付けるためですね」

『んー……そっか』


 タイアはヨシュアの説明に納得できない部分があったが、同時に妙に得心がいったこともある。


 いくらロアードの策略とはいえ、王妃殺しの容疑者が女王になって、よく不平不満が出ないものだと思っていたが……今のヨシュアの推理が裏で広まっているのであれば納得がいく。

 単純に、誰もアークロイナを犯人だとは考えていないのだ。それならばロアードとアークロイナは残された者同士、手を取り合って国を守っている様に見える。


 ――実際のところは仲が悪いのか、昨日のパーティー会場でも医務室でも、話すどころか目を合わせようともしていなかったが。


 逆にカリナの娘であるクリンミルは、さぞかし居心地の悪い思いをしているのだろう。彼女が簒奪者の娘と後ろ指をさされてきたことは、タイアにも想像に難くない。


『でも、それがどうしてミルカがクリンミルを殺すことにつながるんだ?』

「ミルカ様は幼い頃、ブリジスト様にすごく懐いていたらしいんです。まあ生前のブリジスト様は城内で絶大な人気があったので、ミルカ様に限らず王女様全員が取り合っていたそうですけどね。中でも体の弱かったミルカ様は、毒魔法や回復魔法の使えるブリジスト様に度々助けてもらったそうで。

 ――なのでカリナ様を恨むあまり、その娘のクリンミル様にも嫌がらせをしたかったのかもしれません」

『いやいや、それ殺されかけたんじゃクリンミルもたまらないだろ。当時まだ赤ん坊なんだし』

「そうですが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとも言いますからね。

 まあ、なにもミルカ様が犯人と決まったわけじゃありません。沢山ある可能性の一つとして考慮しているだけですよ。……というか違って欲しいですね」

『そりゃ王女が犯人じゃ困るよな』

「それもありますが……ミルカ様が犯人だと、これ以上どんなに捜査しても無駄なので」

『え? ……あー』


 仮にミルカが犯人の場合、ミルカがジゴ薬を持っていても何もおかしくはないし、手元にあったワインに毒を仕込むのは容易い。そこに決定的な証拠なんてものは、まず存在しないだろう。

 もし証拠があるとすれば目撃者がいる場合だが――箝口令が敷かれているのに、使用人や地方領主達に聞いて回るわけにはいかない。

 そうなるとこれ以上の捜査は無駄である。



 それから一人と一匹は更に時間をかけて隅々まで捜査をしたものの、犯人につながるような証拠は何も見つからないままだった。

 諦めたヨシュアは出入り口の警備を解き、使用人達にパーティー会場の片付けをうながした。


『結局、あたしはあまり役に立たなかったな』

「とんでもない! もしタイア様の嗅覚がなかったら、ここにあるすべてをジゴ毒が含まれてないか試験をしなければいけないところです。

 こんな短時間ではわかりませんし、正確さも確保されてません。ろくに捜査もできないところでした」

『そっか? ……ま、役に立ったなら良かったよ』


 タイアは得意げに「きゃふんっ」と鳴くと、短い尻尾を振ってみせた。

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