第五十二話 解毒の時間
倒れゆくフィロフィーを見て、タイアとスミルスがすぐさま駆け出す。
ただし最初にフィロフィーのそばに寄ったのは、すぐ近くにいたミルカだった。周りの貴族達はざわつくものの、フィロフィーに駆け寄ったりはしない。
そばにいた他の王女達は呆然と立ち尽くしている。中でもレモナとクリンミルの二人はひどく怯えた顔でフィロフィーを見つめていた。
「どうしたのフィロフィーちゃん!?」
「し、心臓がすごくドキドキしてまして。ワインに酔っ払ったのでしょうか?」
「……ちょっと、ごめんね」
ミルカは人形を抱きしめているフィロフィーの、その白くて細い腕を握って脈を取る。
「どうしたフィロフィー!?」
「大丈夫か!?」
「えっと、脈拍がどんどん上がっきてるみたいです」
そこに駆けつけたスミルスとタイアに、ミルカが困った顔で報告をする。
タイアはフィロフィーの顔を覗きこむ。
――そしてフィロフィーの口からワインのアルコールの匂いに混ざり、独特な生薬の匂いがするのに気がついた。
「フィーの……っ!」
「どうしましたかタイア様」
『フィーの口から、ジゴの薬の匂いがする』
「なんだって!」
「っ!?」
タイアは地声で叫びそうになるのを抑え、念話でスミルスとフィロフィーに伝える。その冷静な判断ができたのは、長い間念話に頼ってピンチを凌いできたからだろう。
一方で念話にあまり馴染みのないスミルスは、驚愕から悲鳴をあげてしまう。
フィロフィーは声は上げず――ただタイアの顔を見て、目を見開いて驚いていた。
「す、すぐに医務室に……」
「待って! あの、動悸があるみたいなので、チャコの毒魔法で応急処置だけでもしたらどうでしょうか? ここから医務室までは少し距離があるし」
「え?」
「チャコ姉は毒魔法が使えるのか? だったら頼む!」
「チャコ様、娘をどうかお願いします!」
「え? ええっ!?」
ミルカの提案に、タイアとスミルスは即答で賛同する。
それがかつてブリジストがジゴ薬を飲まされた時に使った手段であり、そして一定の効果があったことは、この国の貴族なら誰もが当然のように知っている。当然タイアもスミルスも知っているので、毒魔法と言われて混乱するようなことはない。
指名を受けたチャコは動揺しつつも、フィロフィーのそばにしゃがみ込む。
「じゃ、じゃあ弱めの毒魔法を何回かに分けてかけていくから、大丈夫になったら教えて」
チャコは頼まれるまま、恐る恐るフィロフィーに毒魔法をかける。
チャコの手からフィロフィーに向かい、緑色の光が放射され――
「うぎゅ!? も、もう大丈夫ですわ! ありがとうございますチャコ様、だいぶ落ち着きましたわ!」
「……え、もう? ならいいんだけど」
「ほ、本当に大丈夫なのか!? 大丈夫なのか!?」
フィロフィーが叫び、チャコが慌てて魔法を止める。
スミルスが覗き込んで声をかけるが、フィロフィーはだいぶ顔色が悪い。
そこにロアードとバンケツ、さらに会場の入り口付近にいたメイド達も駆けつけてきた。
ロアードの手には近くのテーブルからひっぺがした、白いテーブルクロスが握られている。
「みんなそこをどいて! これを担架の代わりにして……」
「必要ない!」
タイアが宣言して浮遊魔法をかけると、フィロフィーの体が床から数センチの高さで宙に浮かぶ。
浮遊魔法はロアードも、フィロフィーが手土産に持ってきた魔導書で覚えていたが、やはり使い慣れてないためにこの発想は出てこなかった。
タイアの浮遊魔法を見た周りの貴族達がより一層ざわつくが、周りを気にしている余裕はない。
「お父様、医務室ってどこだ!?」
「先導するからついて来て」
「ねえ、チャコも一緒に行ってあげて。途中でまた毒魔法が必要になるかもしれないし」
「え、でも私は……」
「私なら大丈夫だから。お願いチャコ」
「わ、わかった!」
ざわついている会場を、ロアードを先頭にして一同が飛び出して行く。
その慌ただしい光景を、壇上のアークロイナは何も言わずに見送った。
* * * * *
医務室は同じ地上一階の、パーティー会場からはやや離れた場所にあった。
一同が医務室に飛び込むとそこには白衣の男性がいて、突然の訪問に目を丸くしている。彼は折悪く食事中だったようで、手にはパーティー会場にあったのと同じサンドイッチが握られている。
「シェパルドルフ、いてくれたか!」
「ろ、ロアード様!? どうされましたか」
「急患だ。この子がパーティー会場で急に倒れて……」
「ジゴの薬を飲まされたみたいなんだ! 今はチャコ姉様の毒魔法で落ち着かせてる」
「ジゴ薬!?」
「なんだって!?」
タイアの補足説明にシェパルドルフだけでなく、そのことを知らなかったロアード達も驚いた。
宮廷魔法医のシェパルドルフはフィロフィーをベッドに寝かせると、引き出しから木製の筒を取り出した。それをフィロフィーの服をめくって胸に押し当てて、心臓の鼓動を確認する。
「これは……確かにジゴ薬を飲んだときのように、段々と心臓の鼓動が早くなってきていますね」
「はい、自分でも感じてますわ」
「チャコ姉様の毒魔法が切れてきたのか?」
「いや、威力はかなり弱めだったけど、まだまだ効果時間中のはずだよ?」
「本当にジゴ薬が原因なら、飲んだ薬がどんどん身体に吸収されて、毒魔法の威力を上回ったのかもしれません。とにかく解毒魔法を使ってみましょう。
――お嬢さん、もしどんどん苦しくなっていくなら教えなさい。一緒に毒魔法も消してしまうし、場合によってはもう一度毒魔法をかけるから」
「はい、わかりましたわ」
シェパルドルフはフィロフィーの腹部に手を当てて呪文を唱える。
すると解毒魔法の青い光がフィロフィーの全身を包み込んだ。
その光景を、タイア達が固唾を飲んで見守っている。
スミルスに至っては両手を固く組んで、神に祈るようなポーズを取っている。
そのまま魔法をかけ続けられることおよそ三分――フィロフィーは顔色も良くなって、むくりと起き上がってみせた。
「フィー、起きて大丈夫なのか?」
「はい、嘘のように良くなりましたわ」
ケロリとしているフィロフィーを見てタイアは安堵の息を吐き、スミルスはその場に座り込んだ。
「こんな簡単に良くなるなんて……もしかしたらジゴ薬ではなく、アルコールに酔っ払っただけなのかもしれませんわね」
「え、あんな子供用ワインに酔っ払うわけないだろ?」
「いえ、実は色々あって、わたくしは普通の大人用のワインを飲んだのですわ」
「なんでまた……じゃあ、あたしがジゴ薬の匂いがしたのは気のせいだったのかなぁ」
「いや……気のせいじゃないと思うよ」
フィロフィーとタイアのやりとりに、シェパルドルフ医師が待ったをかける。
「乾杯用のワインだよね。フィロフィーちゃんだっけ、君はいったい何杯飲んだんだい?」
「……乾杯の時の一杯だけですわ」
「ふむ、それだけなら治療にこんなに時間はかからないな。確かに解毒魔法はお酒のアルコールも消すけれど、乾杯用のワイン一杯分のアルコールなんてほんの数秒で消してしまうからね。君はそれ以外にも体が毒と認識する何かを摂取していたはずだよ。
動悸が強くなっていったことを思えば、このおチビちゃんの言う通り、ジゴ薬の可能性が高いかな」
「あ、シェパルドルフ様。そちらにいるのは第六王女のタイア様ですわ」
「えっ!?」
シェパルドルフにおチビちゃん呼ばわりされたタイアは何か苦言を言わなければ思って振り返り――そこでようやく、自分以外の全員がひどく青い顔をしていることに気付いた。
そこには三種類の人間がいた。
スミルスは娘が助かった安堵と、やはり毒を飲まされたことへのショックに顔面蒼白になっていて。
バンケツとチャコとシェパルドルフは、怯えた表情でロアードを見ている。
そして、ロアードは――
「ロアード様、落ち着いてくださいませ。わたくしはもう大丈夫ですし、そんな顔しているとタイア様に嫌われてしまいますわよ」
「――っ! ご、ごめん」
ロアードはフィロフィーに諭されると、いつもの優しい少年の顔に戻り、笑いながら手を振った。
しかし彼の手のひらには、拳を握りしめて爪の食い込んだ時の跡がくっきりと残っている。
「いや、別に嫌ったりしないけど……で、あたし達はこのあとどうすればいいんだ? パーティー会場に戻って犯人捜し? それともフィロフィー連れてセイレン領に帰る?」
「それはもちろん、犯人さがしに――」
「か、帰るぞ二人とも!」
タイアの問いかけに、スミルスが吠えた。
ここまであまりの出来事の連続に放心していたが、それまで青かった顔が真っ赤になっている。
「ええい、こんな城にいられるか! 俺はセイレン領に戻るぞ!」
「おい、落ち着けスミルスよ。戴冠式はどうする」
「知るか! あんなもん王冠を頭に乗っけるだけじゃないか!」
「ほう。中々面白い皮肉を言いますね、セイレン卿」
背後から聞こえたその声に、紅潮していたスミルスの顔が、再び青くなっていく。
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは女王アークロイナと執事のテン――
「シェパルドルフ、次はこちらをお願いしますよ」
「ミルカ!?」
――だけではなく、その二人に肩を貸されて苦しそうにしているミルカだった。




