第四十九話 ブリジストを殺したのは誰か?
昔々あるところに、ブリジスト、アークロイナ、カリナという三人の王妃様がいました。
もっとも厳密に言えば、当時の王妃は国王ロアード様の妻であるブリジスト様だけになります。アークロイナ様とカリナ様は、前国王リーグル様の本妻と側室です。
ある日、カリナ様が他の二人に子育ての相談をしたいと言い出したので、三人は庭の薔薇園でお茶会を開くことになりました。
三人は紅茶を飲みながら、最初は和やかに話していましたが……突如、ブリジスト様が血相を変えて呪文を唱え、自分も含めたその場の三人に毒魔法を掛けたのです。
――あ、毒魔法について説明しておかないとフェアになりませんわね。
ここで言う毒魔法とは、心臓の動きを止めてしまう魔法のことですわ。一度魔法をかけると数十分間効果が持続します。威力が弱ければ胸が少し苦しくなる程度で済みますが、威力が強いと大型の生き物でも心臓を止めて、簡単に殺してしまいます。
ちなみに心臓以外の臓器には、何の効果も与えません。
毒魔法のかかった三人のうち、カリナ様はすぐに死んでしまいました。
アークロイナ様はかなり苦しそうにしているものの、生きていましたし意識もちゃんとありました。
ブリジスト様は自分にも毒魔法をかけたはずなのに、顔色がやや悪くなっているくらいで、余裕があるように見えました。
生き残っている二人を救うため、お城で唯一解毒魔法を使えるシェパルドルフ医師が駆けつけます。
――はい、解毒魔法についても説明しますわ。
その名の通り毒を解毒する回復魔法で、体内の異物を徐々に分解していく魔法です。分解に多少の時間はかかりますが、毒魔法から一般的な毒薬まで、なんでも消すことができますわ。
ただし、魔物を食べた時の中毒症状は治りません。その理由は……まぁ、興味があるならまた今度お話しますわ。
それと昔から毒と薬は紙一重などと言われてまして、毒だけでなくお薬の効果も消してしまうという欠点があります。
普段から薬を飲んでいる人には迂闊に使えない魔法ですが、薬を飲み過ぎた時の中和剤としても使えますわ。
駆けつけたシェパルドルフ医師に、ブリジスト様は「うちはもうしばらくは平気やし、先にアークロイナを治療したって」と言いました。
シェパルドルフ医師はその言葉を信じて、アークロイナ様の治療を開始します。
しかしアークロイナ様が治療を受けているうちに、ブリジスト様の体調はどんどん悪くなっていきました。ついには治療を受ける前に意識を失い、そのまま亡くなってしまいました。
最終的に、アークロイナ様だけが生き残ったのです。
すぐに当時の特務憲兵達が捜査を開始します。
王妃達の飲んでいた紅茶を調べると、三つともジゴ薬が盛られていたことがわかりました。生き残ったアークロイナ様も、毒魔法をかけられる前から動悸が出ていたと証言します。
特務憲兵達は、ブリジスト様が毒魔法を使ったのはジゴ薬の中和目的だったのだと結論を出しました。
――それでは、ジゴ薬についても改めて説明いたしましょう。
ジゴ薬は心臓の弱い方が、心臓の動きを強くするために使っている薬です。特に味はしませんが、わずかに枯れ木のような匂いがあり、犬並みの嗅覚があればはっきりと匂いを感じとれるそうですわ。
用量依存性で、飲んだ量が多いほど心臓の動きを強くしますが、飲み過ぎると心臓が痙攣を起こして死んでしまいます。
つまり毒魔法とは真逆の効果ですわね。
ただし心臓にしか効果のない毒魔法とは違い、ジゴ薬は心臓以外の内臓にも負担をかけてしまいます。致死量のジゴ薬を飲めば、肝臓や腎臓をボロボロにしてしまうでしょう。
なお、薬を飲んでから二、三十分かけて段々と効いてきますので、落ち着いていれば自分の心臓の鼓動がちょっとずつ早くなっていくのがわかるそうです。
特務憲兵達は現場検証を切り上げて、今度は紅茶にジゴ薬を盛った犯人を探します。
来る日も来る日も捜査しましたが、犯人は見つかりませんでした。
……ところで、実は特務憲兵以外にも、この事件について調べていた人物がいました。
その名はセルフィー=セイレン、ブリジスト様の幼馴染にあたる女性です。
彼女は特務憲兵達が捨てようとしていた紅茶のカップをこっそりと回収し、さらに詳しく調べていました。
すると、カップごとに入っていたジゴ薬の量やその残りに差があることが判明します。
カリナ様のカップには致死量のジゴの薬が盛られていましたが、ほとんど口を付けていないのか、カップになみなみと紅茶が残っていました。
アークロイナ様のカップには紅茶が半分も残っていませんでしたが、盛られていたジゴの薬は少量で、致死量には満たなかったことが判明します。
ブリジスト様は紅茶をほとんど飲み干していました。残ったわずかな紅茶からジゴ薬が入っていたことはわかりましたが、具体的な混入量まではわかりません。
彼女はさらに詳しく調べるために、二人の亡き骸の解剖を提案しましたが……逆に城を追い出され、出入り禁止になってしまいました。
さて、王妃達を殺した犯人は誰でしょうか?
* * * * *
フィロフィーが語り終えた時、ベッドの上のヘリーシュはうつむいて、親指の爪を噛んでいた。胡座をやめ、膝を抱えて縮こまり、眼鏡の奥に見える瞳はすさんだ視線をフィロフィーに向ける。
『なあ、おい、ご主人よ。ヘリーシュが怒ってるように見えるんだが、今の話ってもしかして……』
(はい、実際にあった事件そのままですわ)
『やっぱりか。……って、さすがに女王のやった毒殺事件はまずいだろ!?』
(いえグリちゃん、別に女王が犯人とは限りませんわ。
確かに生き残ったのは女王一人ですが、むしろ一番疑われているのは最初に死んだカリナ様ですし、ブリジスト様真犯人説なども存在します。本当のことは本人達にしかわかりませんわね)
『そ、そうか? ……って、それだと問題として成立しないじゃねーか。正解がわかんないだろ』
(いえ、正解はちゃんとあるのですわ。犯人は『謎の第三者』です)
『は?』
(まず、『謎の第三者』が王妃達三人を殺そうとして、紅茶にジゴの薬を盛った。
紅茶を飲んでそれに気づいたブリジスト様が、一時しのぎのために紅茶を飲んだ三人に毒魔法をかけた。
しかしカリナ様には毒魔法が間に合わず、すぐに死んでしまった。
そして先に治療を受けたアークロイナ様は助かったけれど、後回しになったブリジスト様は、ジゴ薬で心臓以外の内臓もボロボロになって亡くなった。
――と、いうのが正解ですわ)
『なんだそりゃ?』
フィロフィーの話した正解には、グリモはまったく同意できない。
何が本当かは知らないが、その答えが間違っていることだけははっきりとわかる。三人の王妃には皆一様におかしな点があり、全員が潔白だというのはありえない。
(でもそれが、キイエロ王国の公式発表ですので)
『あ、そういうことか』
――が、続くフィロフィーの一言で、グリモはこの問題の趣旨を理解した。
王妃が二人も亡くなって、国としてなんの発表もしないわけにはいかないが、「たぶん王妃が殺し合いをしました」などと言えるはずがない。
誰が犯人かも断定できないのだから、『謎の第三者』を犯人にするしかなかったのだ。使用人をむりやり犯人に仕立てたりはしないだけマシだろう。
『てことは、ヘリーシュが真面目に推理して犯人を特定しても、それは全部不正解ですって言えるわけだ。
……全然フェアじゃねぇ』
(いえ、これ以上フェアな問題はありませんわ。だってヘリーシュ様も、この公式発表は知っているはずですもの。
ほら、すでに推理なんてしてないと思いませんか?)
『……は?』
グリモは再びヘリーシュの方に意識を向ける。
彼女は爪を噛むのはやめていたが、あいかわらず膝を抱えたままの姿勢でむくれてそっぽを向いていた。
その姿を見る限り、確かに推理しているようにはみえない。
『あれ? じゃあもしかしてこの勝負、やる前からご主人の負けが決まってたのか?
それにしてはヘリーシュが臍を曲げてるし、わけがわからん。ご主人は一体何をしでかしたんだ?』
(要は、ヘリーシュ様のようなミステリーマニアにとって、この問題は答えを知っているけど答えたくない、とても嫌な問題なのですわ。
だってそうでしょう? 公式に謎の第三者が犯人になっているのですから、変に推理して真犯人を特定してはいけません。
それどころか、絶対に間違いだとわかっている答えを、自分の推理として言わなければならないのですわ)
『…………』
(ヘリーシュ様が「犯人は謎の第三者です」と言って、わたくしが「正解です、さすがヘリーシュ様」と返す。
そんなつまらないやりとりを許容できるのであればヘリーシュ様の勝ち、許容できなければわたくしの勝ちですわね)
『推理対決はどこいった!?』
(溶かして庭に捨てておきました)
グリモはついに沈黙し、そしてヘリーシュに同情した。
ヘリーシュは何もかもわかっていて、フィロフィーの仕掛けた罠をすべて完全に理解していて――だからこそ追い詰められている。
この問題に答えてしまえば、ヘリーシュのミステリーマニアとしてのプライドはひどく穢されることになる。こうなると、答えても答えなくても負けに等しい。
これではふて腐れるのも無理はない。
まさか悪魔に同情されているとはつゆ知らず、ヘリーシュは無言という必死の抵抗を続けていた。
ここで澄まし顔で「はいはい第三者第三者」とでも言えればヘリーシュの勝ちになるのだが、それができない性格だということを、フィロフィーはしっかりと見抜いていた。
フィロフィーはヘリーシュの気が変わらないうちに決着をつけるため、彼女にさらに追いうちをかける。
「確認ですが、わたくしが勝ったらヘリーシュ様には今夜のパーティーに参加してもらいますわ。
そのかわり、ヘリーシュ様が勝ったらわたくしは何でも言うことを聞きますので」
「ぐうっ!?」
フィロフィーの言葉にヘリーシュがうめく。
この場合、「何でもする」は、決してご褒美の言葉などではない。
「ヘリーシュ様に限って、『謎の第三者が犯人だ』なんてつまらない回答はしませんわよね?」という、フィロフィーからの悪辣なプレッシャーに他ならない。
なによりヘリーシュは、この勝負に負けても今夜のパーティーに参加するだけの話である。
それは、彼女のミステリーマニアとしてのプライドと天秤にかけるにはあまりにも軽い。
「……小生の、負けだ。
ああ、君の勝ちだよフィロフィー」
ヘリーシュはついにフィロフィーを見ながら、口惜しそうに呟いた。
* * * * *
「……ふぅ、まさかこんな風に負かされるとは思わなかったよ。まったく、この国のタブーに触れることに抵抗はなかったのかい?
そりゃあ小生は、このことを人に告げ口したりはしないけれどさ」
「申しわけございませんヘリーシュ様。意地の悪い問題でしたが、タイア様のためにもどうしてもヘリーシュ様をパーティーに参加させなければならなかったので」
「え、タイアの? ……そうか、貴方はセルフィーの娘だったのか!」
「はい、最初に名乗りましたが、わたくしはフィロフィー=セイレンですわ」
「くそ、聞いてたのに忘れていたよ。……けれど、それなら仕方ないか。セルフィーの娘であるフィロフィーになら、この問題を出していい権利もあるだろうさ。
小生はゲームを受ける前に、それを推理するべきだったんだ。ああ、そう考えるとすっきりと負けを認められるよ。これはもう完敗だ!」
ヘリーシュは大きくバンザイをすると、そのままベッドに倒れ込んだ。
それからおもむろにベッドの上の本を一冊取って、ページを開く。
しかし、彼女が読み進めている様子はない。ただ文字を目に入れているだけの行動に、彼女の心を安定させる効果があるのかもしれない。
「そう言っていただけると助かりますわ。不愉快な思いをさせて、本当に申しわけございません」
「ああ、謝罪は確かに受け取った。理由はよくわからないが、タイアのためと言うのが本当ならば許そう。今夜のパーティーには出席すると約束するよ」
「ありがとうございます」
「魔物図鑑は持って行って、直し終わったら返してくれたまえ。それと今回のことは気に病まず、いつでも遊びにくるといい。
――できれば、フィロフィーとはもう一度勝負をしたいしね」
「はい。その時は今度こそ、フェアな戦いを致しましょう」
フィロフィーは笑顔でそう返した。