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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第二章 アークロイナ女王連続殺人事件
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第四十八話 探求者ヘリーシュ


 放り込まれたヘリーシュの部屋を見て、フィロフィーは久しく帰ってない自分の部屋を思いだした。


 もちろんヘリーシュの部屋はとても広く、セイレン家のフィロフィーの部屋とは比べ物にならない。灯りには小さなシャンデリアが下がり、壁には風景画が飾られて、椅子やテーブルも豪華なものが揃っている。掃除が隅々まで行き届いていて、戸棚には高級そうなティーセットが置かれている。


 ただ、その中でベッドの周りだけ、異様な別世界が形成されている。

 ベッド上には十数枚の紙が散りばめられ、さらにベッドを囲いこむように、床に大量の本が積まれていてる。本のサイズは様々で、分厚い図鑑のようなものから簡単に読める薄い本まで幅がある。

 絢爛豪華な家具が部屋の隅に追いやられている中で、本の詰まったよくある頑丈な本棚だけが、ベッドのすぐ近くに置かれている。


 フィロフィーには本に囲まれた空間だけが彼女のテリトリーであり、その外側にある家具も絵画も、ヘリーシュにとっては廊下と変わらないのだろうと思えた。


 その第五王女ヘリーシュ=キイエロはと言えば、ベッドの中心に胡坐をかいて、頬杖をついて文庫本を手に取っている。

 双子の王女によく似た顔立ちと金髪だが、着ている服はドレスではなくニットのセーターにズボンだった。髪をとかしていないのか、髪の毛が一本、頭頂部から大きくはねている。化粧をしている様子もない。ずっと俯いていたからか、大きな眼鏡がほんの少しずり下がっている。


「やあ、いらっしゃい。――見ない顔だね、初めましてかな?」

「初めましてヘリーシュ様。フィロフィー=セイレンと申しますわ」


 ヘリーシュは「そう」と呟くと、それ以降はフィロフィーと関わろうとはせずに、本のページに視線を落とした。


「えっと……部屋に知らない人間が入って来たのに、まったく動じないのですわね」

小生しょうせいにとってはいつものことからね。なんとか小生に取り入って、お母様に気に入られようと息巻いてる人間が多いけれど……貴方はそんな感じじゃないし、姉様達に無理矢理押し付けられたってところかな? だとしたらご愁傷様だね」

「はあ。まあ、その通りですわね」

「そうかいそうかい、まあゆっくりしていきたまえよ。貴方がどんなに説得したって、小生はパーティーなんてくだらない行事に出席するつもりはないけれど……貴方もすぐにこの部屋から追い出されちゃうと、姉様達に合わせる顔がないだろう? なに、貴方は一生懸命説得していたってことにしてあげるさ。

 ――あ、そこの紅茶は勝手に飲んでくれて構わないからね」


 ヘリーシュは本から目を離さぬまま、やや早口気味にフィロフィーに返す。


 饒舌なのに取り付く島もないような奇妙な相手に、さしものフィロフィーでもどうしたものかと思い悩む。


 こんな相手だと説明もせずにフィロフィーを部屋に放り込んだあたり、双子の王女はフィロフィーに期待してないのかもしれない。だとすれば彼女達は妹を連れ出そうとしたという実績が欲しいだけで、たとえフィロフィーが失敗しても、笑顔で許してくれるのだろう。

 だったらヘリーシュの言葉に甘えて、のんびり紅茶でも飲みながら時間を潰そうか。


「ヘリーシュ様も飲みますか?」

「うん、そうだね。そこに置いといてくれるかい? 本の上にこぼさないでくれよ?」


 フィロフィーは本を避けて近づいて、ベッドサイドに入れたばかりの紅茶を置く。

 ヘリーシュは喉が渇いていたのか、すぐに手を伸ばして熱い紅茶を一口すすった。その動作の最中も、視線は本から離さない。


 一方のフィロフィーは何もやるべき事がない。背中のリュックにはグリモしか入ってないのでスカスカで、仕上げ途中の魔導鍋二号も、調整中の魔人化の秘薬も入っていない。手持ち無沙汰なフィロフィーは、熱い紅茶をフーフーと冷まして時間を潰す。

 できればヘリーシュの本を一冊貸してほしい所だが……どう見ても、彼女の本に下手に触るのはご法度だろう。ヘリーシュは紅茶の許可は出したものの、本の閲覧許可は出していない。

 何か暇つぶしになりそうなことはないかと部屋の中を見渡すが、やはり本の他に面白そうなものはない。


 こうなるとヘリーシュの説得をこころみて、さっさと追い出されてしまった方が楽かもしれない。ヘリーシュはフィロフィーの立場を気遣って、部屋に滞在することを許したが……よく考えればフィロフィーにとって、それは無用の気遣いである。

 フィロフィーが今までの訪問者達と大きく違うのは、ここでヘリーシュに取り入って、王族に対して媚びを売るつもりが全くないということだ。ミルカとチャコに幻滅されようが、ヘリーシュに疎まれようが、フィロフィーには些細なことでしかない。


 そんなことよりさっさとスミルス達に合流し、タイアがアークロイナに害されないよう手を打たなければならない。

 フィロフィーは念話とグリモの目があれば、離れていても問題ないと思っていたが――地下に降りたタイアの様子はヘリーシュの部屋からでは遠過ぎて、グリモの目でも見えないらしい。


(――というわけですので、グリちゃん、ちょっとここにある本を全部調べてください)

『はいよ。でも全部となると時間かかるぞ?』

(だったら本のタイトルと種類ぐらいで十分ですわ)


 フィロフィーはグリモに本を調べさせる。これならば、本に触ってヘリーシュを刺激することもない。


 その結果、この中で最も多いのは推理小説で、ここにある本のほぼ半分がミステリー小説だった。ただし彼女は乱読派なのか、他にも神話や時代小説、恋愛小説や学術書など本の種類は多岐にわたる。

 床の本は無造作に置いてある様に見えて、きちんとジャンル毎に場所を決めて積まれているらしい。もしかしたら既読と未読、良作と駄作などでさらに細かく分けているのかもしれない。


 その中でフィロフィーがヘリーシュの気をひくのに、最も適した一冊があった。


「ヘリーシュ様は、魔物図鑑も読まれるのですか?」

「読むよ。魔物が出て来る本はたくさんあるし、その時オークとオーガの違いくらいは知っておかないと、話についていけないからね。特にオーガなんて現実世界ではとっくに繁殖発生できないように根絶しているのに、騎士道小説の中では必ずと言っていいほど登場するんだから調べないわけにはいかないよ。

 けれど、それがどうしたっていうんだい?」

「いえ、そこに置かれている魔物図鑑はわたくしも見たことがあるのですが……実はいくつか誤った情報がありまして。もし今夜のパーティーに参加していただけるのならば、この場で書き直させていただきますわ」


 フィロフィーの提案に、ヘリーシュのはねている髪の毛がピクリと動く。

 彼女は読んでいた本に栞を挟み、眼鏡の位置を直すとついにフィロフィーの顔を見た。


「――へぇ、図鑑の間違いを直す、か。

 くっくっくっ、なかなか面白いことを言うね。姉さん達もわかってきたじゃないか」

「はあ。よく意味が分からないのですが」

「なに、こっちの話だよ。さっきも言った通り、小生を外に連れ出そうと色んな人間が送り込まれて来るんだけどね、大体面白くない人間ばかりだからさ」

「そうなのですか? 同じ趣味の――読書家の方などが送り込まれて来るのでは?」

「その通りなんだけど、大概は自称本好きの貴族の娘ってところかな。『本好きだけど分厚い本は苦手です』なんてのはまだいい方で、馴れ馴れしく小生に近づこうとして、ドレスのスカートで積んである本を崩すやからもいるね」


 フィロフィーは今一度、彼女を囲っている本を見下ろした。

 やはり不用意に触らなくて正解だったようだ。

 

「それは、嫌な思いをされていますわね。ここの本は綺麗に種類分けもされているみたいですし」

「ほう、背表紙だけでそれがわかるのかい? ――ああ、ここに送り込まれてきたってことは、君もかなりの読書家なのかな?」

「うちは新しい本をたくさん買えるほど裕福でもありませんので、実家にあった本を暇つぶしに読みつくした程度ですわ。わたくしは魔物の専門家という肩書きを買われて、ここに連れてこられたので」

「ほほう、その歳で魔物の専門家ときたか! えーっと、フィロフィーだったっけ? なるほど、小生の興味を引くにはいいチョイスだ」


 フィロフィーの正体に満足したのか、ヘリーシュは口角を上げた。


「でもねフィロフィー、積み上げた本を崩される程度なら、小生は笑って許せるんだ。

 小生の記憶にある限りで最悪だったのは、評論家気取りのルレロ卿さ。彼はこの部屋にある推理小説をことごとくつまらない駄作だと否定してきてね。なら面白い本とは何かって聞いてみたら、自分で書いた本を差し出してきたよ」

「はぁ……聞かなくてもわかるつまらない質問かもしれませんが、その本は面白かったですか?」

「お、良い質問の仕方だね。

 さきに結論から言うと、彼の小説はとても面白かったとも。

 何しろ肝心要のトリックに、なんの脈絡もなく出てきた絶版魔導書の魔法が使われていたんだからね。――あんな紙屑がルレロ領と彼の友達の間では大流行、という情報とセットでなら、十分に面白いと思えるさ」


 ヘリーシュが、いい顔をして言い放つ。


 それはつまるところ、作品ではなく作者のルレロ卿が滑稽だったということだろう。

 領主という立場であるために、領民や友人達には絶賛されるばかりで批判はされず――推理小説のタブーすら知らないままのルレロ卿が、無様で面白いという意味だ。


 これにはフィロフィーも苦笑いで返すしかない。


「さて、フィロフィー。君は中々面白い人間のようだから、話くらいは聞いてみようかな? 図鑑に間違いがあるのかい?」

「このタイミングで面白いと言われるのは複雑な気分ですわね。

 えっと、この図鑑は情報量が多くて良くできているのですが、そのせいで細かい間違いが目立つのですわ。それと最近になって新たに解った情報などもありまして。

 それを直すのでパーティーに参加して下さい……では、面白くはありませんわよね?」

「そうだね、面白くないし、断って終わりさ。

 図鑑の誤りは気になるけれど、フィロフィーにしか頼めないわけじゃないからね。後で専門の魔導士にでも頼んで直させれば終わりだよ」

「うーん、わたくしは魔物の専門家の中でも解剖を専門に活動してきましたので、王都の専門家が知らないような情報も知っているかと思いますが――では、ここはひとつ、わたくしとゲームをしてはいただけませんでしょうか?

 もしわたくしが勝ったら、ヘリーシュ様は今日のパーティーにご参加ください。逆にヘリーシュ様が勝った時は、わたくしは何でも言うことを聞きますわ。

 この勝負を受けていただけるのであれば、勝っても負けても図鑑は直しましょう」

「ふむ、それならゲームの内容次第では考えなくも……」

「推理対決、ではいかがでしょうか?」


 フィロフィーの一言に、ヘリーシュの髪の毛がピクリと反応する。

 直後、彼女はにんまりとして笑いだす。


「くはははは! いいねいいね、本当に面白いよフィロフィー!

 ああもう、こんなの乗るしかないじゃないか!」

「乗っていただけて何よりですわ。それでルールですが――わたくしの出す問題の真相をヘリーシュ様が解けるかどうか、でいかがでしょうか?」

「了承した! フィロフィーには言う必要もなさそうだけど、問題はフェアでなければならないよ」


 推理小説におけるフェアとは、読者が謎を解くための情報が文中に全てあるということだ。

 一方で、探偵が犯人を言い当てる段階までに必要な情報がなかったり、突然未知の絶版魔導書を持ち出したりする小説はアンフェアとされる。


「もちろんですわ。フェアかアンフェアかの判定は、ヘリーシュ様にお任せします」

「ああ、安心したまえ。小生の誇りに賭けて、ちゃんと客観的にジャッジしようとも」

「うひゅひゅひゅ、ではさっそく始めましょう」



 こうしてヘリーシュから必要な言質げんちをとると――フィロフィーは声を出して笑った。


 ヘリーシュはフィロフィーを認める一方で、どこか下に見てしまっていた。

 目の前の少女がどれほど狡猾で悪意にまみれているのかを、彼女はすぐに思い知らされることになる。



「それでは、コホンッ。

 ――昔々あるところに、ブリジスト、アークロイナ、カリナという三人の王妃様がいました」


「……え?」


 フィロフィーの語り出しに、ヘリーシュの笑顔が凍りついた。

 

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