第四十二話 親狐に小豆娘
「さあさあタイア様、お父上はこちらですぞ!」
そう言いながらバンケツの向かう先は研究員棟の奥、ではなく玄関だった。
スミルス達三人は戸惑いながらもついていくより他にない。
「おいバンケツ、どこへ行くんだ」
「ふふん、案ずるなスミルス。黙ってついてこい!」
外へ出てしばらく歩くと、城を護る騎士達が訓練に励んでいる姿があった。スミルスはそこにロアードが混じっているのかと思って姿を探すが、バンケツは騎士達も素通りし、その奥にある小さな小屋の前まで移動する。
それは王宮には似つかわしくない木製の掘立小屋なのだが、入り口を護る騎士が立っている。
「団長がこんな所に?」
「うむ。と言っても厳密にはこの地下だがな」
ノックもせずに小屋の戸を開けるバンケツに、入り口の騎士は止めることなく会釈した。
中は住居ではなく物置小屋のようで、よくわからない工具の様なものが乱雑に放置されている。人の姿はなく、その代わり床の中央にハッチがあった。バンケツが右手でハッチを開けると、下へ降りる階段が見えた。
そこでようやくバンケツは歩みを止め、タイアのほうを嬉しそうに見つめる。タイアに前を歩けということだろう。
この先に今度こそ、ロアードがタイアを待っている。
タイアは階段の奥を覗き込んだまま、表情を強張らせて立ちすくんだ。
タイアは父であるロアードの顔を知らない。物心つかないうちに生き別れることになったため、ロアードの顔を覚えてはいなかった。
キイエロ王国では歴代国王の肖像画が各地に飾られているが、ロアードの場合は国王だった期間が短い上に、その大半は兵を率いて遠征していたので肖像画すら存在しない。
退位後に肖像画だけでもという話もあったが、ロアード自身が嫌がったために実現はしなかった。
だからタイアはこの時を、父に逢える日を首を長くして待っていた。
フィロフィーのせいで狐になってからはタイムリミットになっていたが、それでもやっぱり楽しみだった。
母ブリジストの様な奇抜なエピソードこそないが……堅実な傭兵団長で、兄達が滅亡させかけた王国を建てなおした立役者。
そんな父親に、この階段を降りれば会える。
「いかがされましたかタイア様? ささ、こちらを降りればふぐっ」
「バンケツ、ちょっと黙ってろ」
空気を読まないバンケツの口を、スミルスが伸ばした手が塞ぐ。
その様子にフィロフィーが首を振り、タイアは思わず苦笑した。
そう、タイアの持つ父親像は、あまりにも美化され過ぎていた。そのせいで筋肉達磨を父ロアードかと思った時にショックを受けてしまったが、あれが本当にロアードだったら最低の娘となっていた。
若い頃ならいざ知らず、父ロアードも既に三十後半のおじさんなのだ。運動不足で太っているかもしれないし、逆にバンケツ以上の筋肉の持ち主かもしれない。心労から極度に老け込んでいたり、頭が禿げあがっていてもおかしくはない。
そんな場合にさっきバンケツに見せてしまったような、がっかりした顔を作るなんてありえない。
「はは、ありがとうな、バンケツ」
「ふ? ふが?」
タイアはバンケツに笑いかける。
バンケツのおかげで……と言うとバンケツに失礼ではあるが、今のタイアは父がどんな姿でも受け入れられる。
どんな不健康そうな見た目でも、それは父が自分を守るために苦労してきた証だろう。
万が一禿げているならば、手土産に持ってきたネムリヒツジの魔導書が役に立つからいいじゃないか。
タイアはどこかすっきりとした顔で、階段をゆっくりと降りて行き――
「タイアぁぁああああ!」
「へ?」
――階段を降りきるや否や、金髪碧眼の美少年に抱きつかれた。
「タイアぁ! ああ、可愛いなあ小さいなあ似てるなあいい匂いだなあ!」
フィロフィーとさして身長の変わらぬ少年が、頬擦りしたり匂いを嗅いだりほっぺにキスをしたり撫でまわしたり、タイアという少女の身体を思う存分堪能し始める。
あまりにも予想外の出来事に、タイアは硬直したまま顔色だけがみるみる変わり、赤と青の混じったあずき色になった。
その様子にバンケツが何故か感動して涙ぐみ、フィロフィーとスミルスは完全に白くなって固まる。
――そして、タイアは。
「……きゃ」
「きゃ?」
「きゃぉぉぉおおおおおおおん!」
「あああああぁぁぁ!?」
悲鳴……ではなく鳴き声を上げて狐化し、少年の金髪を狐火で焼き尽くしたのだった。
* * * * *
「がるるうぅぅ!」
「がっはっはぁ! さすがは団長とブリジット様の娘よのぅ!」
「団長、あれはないと思うんだ」
「ですわね。わたくしでもあれをお父様にされたらと思うと鳥肌が立ちますわ」
「……え?」
階段を降りた先の広い地下室に、土下座している先程の少年の姿があった。
何を隠そうタイアの父親、元国王にして現王配、ロアード=キイエロその人である。
いったい誰が彼をスミルスより歳上だと思うだろうか、その外見はフィロフィー達と変わらぬ歳の少年にしか見えない。身長もフィロフィーとほぼ変わらぬくらいで、タイアと並んでも親子に見えず、兄妹としか思われない。いまは、美少年と魔獣だが。
サラサラの金髪に白くみずみずしい肌の持ち主……のはずが、今はタイアに髪の毛を燃やされ、チリチリのアフロヘアーになっている。さらにスミルスに水魔法をかけられたせいで、みずみずしいというより全身ずぶ濡れになって土下座していた。
そんな彼が頭を下げる先には、激昂状態の大狐タイアが毛を逆立ててロアードに対し威嚇している。
「ぎゃあおうぅ!」
フィロフィーとの旅でタイアは多くの魔法を覚えたが――いまだかつてないタイプの身の危険を感じた時、タイアが咄嗟に使ったのはやはり狐化の魔法だった。
既に自分に抱きついてきた相手の正体はわかったものの、いまだ興奮がおさまらない。
何しろ狐化してから約一年、タイアは幾度となく死にかけながらも冒険を続け、ようやく人間の姿を手に入れて城にやってきたのだ。
昨日は緊張でろくに眠れず、今日は慣れぬドレスに身を包んできたのに、結局狐の姿で対峙している自分がいては、憤るのも無理はない。
タイアにはロアードがどんな姿でも受け入れる覚悟はできていたが、同年代にしかみえない父に全力のセクハラをされる覚悟はできてなかった。
「ご、ごめん。本当はもっとかっこよく出迎えるつもりだったんだけどさ、ブリジストそっくりのタイアを見たらこう、抑えが効かなくなって……わかるだろ!?」
「ぐるぅ!」
「ごめんなさい!」
ロアードは額を床に打ちつける。
まるで母親に叱られる子供のような父の姿に、タイアは少しだけ感情を冷ました。
よくよく思い起こしてみれば、犬や狐の姿の時には人々に散々撫で繰り回された体である。生き別れの父親に抱きつかれた位で目くじらを立てる事もないかもしれない。
……王女として、というより女の子としてそれもどうかとは自分でも思うが。
それでも無関心や拒絶されることに比べればよほど良いはずだと自分を誤魔化し――大きく息を吐き出すと、慣れ親しんだ子狐の姿に変身した。
『まったく、次やったら許さないからな?』
「許してくれるのか!?」
『ん』
「ありがとう、タイア!」
嬉しそうにはにかむロアードの笑顔は、男女問わずに見惚れてしまうような破壊力をもっている。
髪の毛がチリチリでさえなければ。
「あの、ロアード様。これをどうぞ?」
「やあ、大きくなったねフィロフィー。僕が最後に見た君は……」
「この状況でそういうのはいいですので、さっさと使ってくださいませ」
フィロフィーはロアードの語りを遮って、木箱から取り出した魔導書を押し付ける。元国王に対する態度としては不敬にすぎるが、この状況でそれを気にする者はこの場にいない。
それはフィロフィーがネムリヒツジの魔石で作った発毛魔法の魔導書だった。フィロフィーが作れるものの中でも一番のネタ魔法の魔導書だったが、スミルスがジョークアイテムのつもりでこれにした。
ちなみにもう一冊は真面目に選んだ、浮遊魔法の魔導書である。
ロアードは魔導書を開いて発毛魔法を覚えると、魔法でアフロを元のサラサラの金髪にもどす。
そばにあった鏡で自分の姿を確認すると、目を丸くして驚いた。
「これは……無駄にすごい魔導書だね。魔法の苦手な僕が、一発で成功するなんて……」
「……本当に、無駄であってほしかったがな」
たった今もの凄く役に立っただろう、とスミルスはロアードにツッコミを入れる。
事情はどうあれ、タイアがロアードに攻撃魔法を使ったという事実はまずく、その痕跡も魔導書で簡単に隠せたのは本当に幸運なことだった。
ロアードはまだずぶ濡れなものの、それを気にした様子もなく立ち上がってタイアに近づく。
「タイア、本当に悪かったよ。君に会えるのが楽しみでさ」
『ん、もうわかったって』
「……さっきも思ってたけど、念話の魔法なんて凄いものをよく覚えてるね。どこでそんな貴重な絶版魔導書を……いや、そんな事よりも、ちゃんと話したいから人間の姿に戻ってくれないか?」
『それは無理』
「や、やっぱりまだ怒ってる?」
『じゃなくて、服がない』
「え?」
そこでロアード達は、床に散乱する布きれに気付く。
今回はいきなり大狐に変身したため、着ていた淡いオレンジ色のドレスはびりびりに破けてしまっていた。パンツに至ってはその原型をとどめていない。
ドレスは王都で購入したもので、小さめの魔石を売ったお金で買った古着である。なので特に愛着があるわけでもなかったが、タイアにはいま人間に戻っても着る服がない。
人間に戻ってなお四足歩行を強いられて、タイアはだらりと尻尾を垂らした。
「ふーむ、せっかくタイア様を連れてきましたが、一度地上に戻って服を借りるしかないですなぁ」
『そもそも、ここは何の施設なんだ?』
「ここは僕専用の研究室なんだ。タイアに是非、僕の研究成果を見てもらおうと思ってたんだけど」
地下の研究室は上の掘立小屋よりもずっと広く、更に複数の部屋につながっている。そばの机の上には資料や魔石が並べられ、作りかけの魔道具と思われるものも置いてある。
別の部屋ではカラフルな液体の入ったフラスコが湯煎されていたり、あるいは石炭や金属のインゴットが積まれているなど、物で溢れかえっていた。
『えっと……お、お父様は!? 何の研究をしてるんだ』
「そっか、ふふ、僕もお父様か。でもタイア、できればパパって呼んでくれると……」
「ぎゃぁう!」
「ご、ごめんごめん! 僕は魔道具の開発をしてるんだよ。
年々採れる魔石の量が減ってきているのは知ってるかい? 昔の魔石消費の激しい魔道具は気軽に使えなくなってしまっているし、魔石ごとに希少性も違ってきている。……で、魔石に頼りきらないタイプの魔道具を作ろうと思ってね」
照れ隠しに唸るタイアに笑いながら、ロアードは自身の作品を物色し――筒に銀色の漏斗を逆さまにくっつけたような魔道具を手に取った。
彼がその魔道具についていたボタンを押すと、漏斗の広くなっている方から光が照射される。
「これはヒネズミという魔物の魔石で作った、遠い場所に光をあてる装置でね。昔から使われていた魔道具だけど、最近はヒネズミの数も減っていて、気軽には使えなくなってきたんだ。
そこで少しでも魔石が長持ちするようにと改良して、最初の発動の時にだけヒネズミの魔石を少し消費して、後は手に持った人間の魔力で光を維持できるようになっている」
『ふーん。でも普通に火の魔法で照らしたほうが早いんじゃないのか?』
「炭鉱とか水中とか、火の魔法では代用が効かない場面もあるんだよ。光の魔法を自力で覚えられる魔導士も少ない。その点魔道具なら回数制限はあるけれど、皆で使い回す事ができるんだ。
あとは魔力の少ない人でも長時間使えるように、別の魔物の魔石と連結させるタイプも作ってる。結局は何らかの魔石を消費してしまうけど、貴重なヒネズミの魔石よりは別の魔石を消費するほうマシだしね」
『なるほど、フィーに良さそうだな』
「ん? フィロフィーも魔力が少ないのかな?」
「え、ええ、まあ……」
急に話を振られたフィロフィーは言いよどむ。
フィロフィーに自前の魔力は全くないが、魔物の魔力ならば溢れるほどに保有している。はいともいいえとも答えづらいし、そもそも答えたくない質問だった。
そんなフィロフィーの態度を恥ずかしがっていると勘違いし、ロアードはフィロフィーの地雷を踏んだ。
「まあ、気にする事はないさ。風車の様な技術も進化してきているし、回復魔法の代わりにいろんな薬が開発されている。このまま科学が発展すれば、魔法が使えなくて困る時代も時期に終わるだろうね。
あ、良かったら、記念に何か持っていくかい? これはヒネズミの魔石が貴重だからあげられないけれど、そっちの冷気ボックスとか……」
「結構ですわ!」
「……そ、そうかい?」
「うひゅひゅひゅひゅ、お気遣いなくロアード様。魔道具などに頼らずとも、わたくしは必ず魔法を使えるようになりますので」
「う、うん、わかった」
フィロフィーの笑いに、ロアードは何かを感じて引き下がる。
かつては荒くれ者の傭兵をまとめ上げ、傭兵団団長にまで上り詰めたロアードだったが――フィロフィーの放つ謎のプレッシャーには何故か妙に気圧されるものがあった。
フィロフィーの能力は、ロアードの魔道具とは抜群に相性がいいだろう。
むしろグリモの知恵を借りればここにあるロアードの魔道具を越える物だって作れるが――今のところ彼女が唯一作った魔道具は、魔物を食べるのに必要だった魔導鍋しかない。
あくまでも、悪魔と契約してでも魔法にこだわるフィロフィーにとって、ロアードの研究は相容れないものだった。