第四十一話 狐の子は頬白?
キイエロ王国の本城であるリスティ城は、高い城壁に囲まれている。街からは城壁と物見の塔しか見る事しかできず、どのような城なのかは王都の住人にもあまり知られてはいない。
そして運よく城内に入ることが許された平民が、期待を胸に城壁をくぐれば……そこに待っている二階建ての平たい城に、やや期待外れに感じてしまうことだろう。
これにはもちろん理由があり、遠距離からの魔法攻撃を防ぐためにはどうしても城壁を高く、城そのものは低くしなければならなかった。
一部の魔法の射程距離は、弓や大砲よりもずっと長い。もし高い城など建てようものなら、いざ戦争となれば街の外側から絶えず魔法弾が飛んできてしまう。
その代わりリスティ城は面積が広く、更に地下三階まで存在する。書庫や穀物庫などの場所を取る施設はおおむね地下に作られていて、地上一階と地下一階で政務を行ない、二階が王族の居室になっている。
しかし、タイアの父ロアードは城の二階には住んでいなかった。
それを知らずに面会申請をだしたスミルスは城の衛兵達にいじめられ、通りかかったサラム領の領主トラーキに助けてもらい、今は研究員棟の談話室に来ている。
城壁内には城とは別に幾つかの建物があるが、そのうちの一つがこの研究員棟と呼ばれる建物だ。その名の通り研究員や宮廷魔導士などが住居としている建物で、他にも騎士の住居となっている騎士団棟や、庭師や掃除婦のための従業員棟が存在している。
「ロアード様にお知らせしてきますので、こちらでしばしお待ちください」
そう断って部屋を出る研究員棟の管理人の背中を、ソファーに座った一人の少女――タイア=キイエロが見つめていた。
彼女は背が低く童顔で、昨日切ったばかりの金髪が肩のあたりで揃えられている。普段は派手な服をを好まぬタイアだが、今日は淡いオレンジのドレスに身を包む。
彼女の瞳には緊張の色が写り、頬がうっすらと紅色に染まっていた。
タイアの右側にはスミルスが姿勢を正して座り、左側にはフィロフィーがゆったりと腰かけている。彼らの服装もいつもとは違い、スミルスは白を基調とした礼服を着て、フィロフィーはニットのワンピース姿だ。スミルスは普段は帯剣しているが、城門で預けたために今は手ぶらになっている。
フィロフィーもいつものリュックは背負ってきたものの中身がスカスカで、禁薬も魔導鍋も宿に預けたので所持していない。
ただし、母の形見のウサギ人形はリュックの口からちょこんと顔を出している。
そして三人の目の前にあるテーブルの上には、いかにも高級品が入っていそうな漆器の木箱が置かれている。その中にはロアードへの手土産である魔導書が二冊と、例のホワイトフォックスの球体魔石が入っていた。
『そういや今更だけどよ、タイアの複雑な事情って何なんだ?』
そうフィロフィーの頭の中に問いかけるのは精神を本に封印された悪魔、悪魔之書のグリモだった。
今でこそグリモはウサギ人形の中に収まっているが、城の門を通る時には貢物用の木箱の中にいた。
不審物を隠す場所として人形の中では不十分だと考えたフィロフィーは、貢物の魔導書とすり替えたり魔石の中にエーテル液を入れたり、トイレで持ち込んだ白紙のノートを魔導書にしたりと先ほどまで大慌てだった。
そうして万全の態勢で門番のチェックを受けたフィロフィーに、しかし門番はフィロフィーの荷物や人形をろくに調べようともしなかった。門番は魔石の方に目を奪われていたのだが、自分の秘策が徒労に終わり、拍子抜けしたフィロフィーはどこか疲れた表情を見せる。
(あー、そういえば話してなかったですわね。でも説明してる時間があるでしょうか?)
フィロフィーは隣に座る幼馴染のタイアの横顔を盗み見る。緊張から黙り込んで手に汗を握る彼女には、とても話しかけられる雰囲気はない。
ひとまずロアードが来るまでは、と前置きをして、フィロフィーは自分の知るロアードの話をグリモに教え始めた。
* * * * *
ロアード=キイエロは今から三十五年前、この国の王子として生を受けた。
彼は第六王子という継承順位の低さで、さらに魔法適正が低かったこともあり、ロアードが王になる可能性はまずないとされていた。
ロアード自身、王には興味もなかったらしい。幼きロアード少年は騎士になりたいと強く願い、城の騎士達と共に研鑽する日々を過ごす。
その一方で、彼は兄達に混ざって宮廷魔導士から魔法も学んだ。いくら魔法適正が低いといっても、フィロフィーのように一切魔法が使えないわけではない。魔導書を読めば小さな火球を生み出す程度の魔法は使えたし、騎士として魔導士と戦う時のことも想定していた。
魔法を上手く使うことに専念した魔法使いの兄王子達と違い、ロアードは魔導を学問として修めた魔導士になった。
そうして修練を続けたロアードに、決定的な転機が訪れる。
父王の病死後、兄弟達が王座をめぐって血生臭い争いを始め、騎士団を巻き込んだ大騒動に発展したのだ。
継承権の低く王に興味のないロアードは、巻き込まれる事はなかったものの、騎士への思いも冷めてしまった。
彼はすぐに短い書置きを残して城から飛び出す。兄達にライバルとも思われてなかったロアードには、連れ戻すための使者も、暗殺するための追っ手も差し向けられる事はなかった。
城を飛び出したロアードはロドと名乗り、無名の小さな傭兵団へと入団する。
『……なんというか、そこまでの話だけでも間違いなくタイアの父親だな』
(否定できないですわね。
あ、王座争いの方は最終的に第三王子のリーグル様が生き残って、他の皆さんは亡くなったそうですわ。ロアード様は継承権第二位のまま世界を放浪していた事になりますわね)
王宮で魔術と学問を学び剣の腕もたつロアードは、すぐにその傭兵団の幹部にまでのし上がった。
スミルスやアキと出会ったのもその頃だった。傭兵団には身寄りのない孤児などが入って来る事も多く、スミルスやアキもそれぞれの理由で傭兵団に入団したのだ。
ロアードは彼ら年下の子供達に剣と魔法、それに学問を教えた。ロアードは教師としても優秀で、スミルスやアキなどロアードの弟子達が、傭兵団の中で徐々に頭角をあらわしていく。
月日が経ってロアードの弟子達が傭兵団の中枢を担うようになると、ロアードが団長の座におさまった。その時はかつて巻き込まれた王座をめぐる骨肉の争いとは違い、団員達の満場一致で決まったという。
ロアードが傭兵団を率いるようになると傭兵団そのものが肥大化していき、無名だった傭兵団は常勝無敗のロド傭兵団として認知されるようになる。
しかし有名になったせいでロドの正体がキイエロ王国にばれてしまう。ロアードは仲間に自分の正体を明かし、それを受け入れた傭兵団の仲間達とともに海を渡り、活動の場をここイトラ大陸から隣のドミ大陸に移すことになった。
(そこで当時盗賊だった、ブリジスト様とセルフィーに出会ったのだそうですわ)
『なるほどな』
(というか、お父様達とお母様達の出会いはグリちゃんなら知っているのでは? なんでもグリちゃんを保管していた遺跡の中で出会ったそうですから)
『いや、俺はご主人に触られるまではずっと休眠状態だったから……』
コンコンコンッ――と。
そこで待合室のドアをノックする音が聞こえ、タイアがビクンッと肩を震わせる。
フィロフィーとスミルスが横を見れば、タイアは緊張しすぎて不気味な置物の様になっていた。変化の魔法が解けかけて、耳が狐に戻っている。
フィロフィーとスミルスは目が合うとどちらからともなく苦笑して、スミルスがタイアの右耳、フィロフィーがタイアの左耳に自分の手を重ねて隠す。
タイアは慌てて耳を人間に戻し、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
顔の赤いタイアをソファーに残し、スミルスとフィロフィーは立ち上がって来客を招き入れる。
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします。ロアード様の……」
「がはははは! 久しぶりだなぁスミルスよ!」
そう言いながら管理人である老紳士を押しのけて出てきたのは、大剣を背負ったタキシード姿の大男だった。
逆立った短い金髪で、長身のスミルスよりも更に背が高い。それ以上に特徴的なのがその筋肉で、今にも溢れ出しそうな筋肉を、全く似合わないタキシードが必死の形相で押さえつけている。
彼はスミルス目がけてずんずんと迫ると、その肩をバシバシと叩いて豪快に笑い始めた。
「はっはあ! 久しぶりだなスミルスよ、相変わらず筋肉が足りないな!」
「あ、ああ……そっちは元気そうで何よりだ」
スミルスは叩かれた肩を痛そうにしながら苦笑いで答える。
その突如現れた筋肉達磨を、フィロフィーがポカンと口を開けて眺めていた。
『ご主人、口が開いてるぞ』
「……はっ」
『ああ、うん。今のご主人の説明だと、スミルスみたいな偉丈夫って感じの男を想像するよなぁ。まあでも、元傭兵だしな』
グリモの呼びかけに意識を取り戻したフィロフィーは、恐る恐る隣を見る。
ソファーの上に、絶望がいた。
そこにいるのはまごうことなくタイアという名の王女なのだが、父親が予想外で落胆した――という表現では足りないほど、彼女は狂気に染まっていた。先ほどまで紅く染まっていた頬は白を通り越して青くなって、目の下のクマが浮いてキツネ憑きの様である。
死体がソファーに腰かけているようにすら見え、フィロフィーは思わずグリモを床に落とす。人形の落ちるトスンという音に反応し、首から上だけを動かしてフィロフィーの顔を見た。
「ひぎゅっ……」
その動きは怪談話に出てくる地縛霊と目と目が合った瞬間そのもので、フィロフィーは小さく悲鳴を上げる。
「あー、タイア様? それにフィロフィーも、何か勘違いしてないか?」
スミルスに質問され、フィロフィーは我に返った。
「おおお! やはりそっちにいるのが団長とお前の娘達か!」
「バンケツ、気持ち悪い事を言うな。それだと俺と団長の間にできた子供みたいじゃないか」
「……ふひゅ? えっと、誰ですの? ロアード様ではないのですか?」
「そんなわけないだろう? どこをどう見てもタイア様に似てないじゃないか」
そこでタイアの様子も変わる。どうやら筋肉達磨は父親ではないようだと悟り、タイアの顔に急速に活力が戻っていく。
その様子にフィロフィーもホッと胸をなでおろした。
バンケツはタイアの前に膝をついて頭を下げ、そして顔を上げるとニヤリと笑った。
「お懐かしゅうございますタイア様! 我が名はバンケツ、ロアード様のバトラーにございます!」
「バトラー? ……執事!?」
予想だにしない役職にタイアとフィロフィーが叫ぶ。
タキシード姿に大剣を背負った筋肉達磨な自称バトラー。タイアの理解が追い付かない。
そこから自分の父親がそんなバトラーを雇っているという事実に、タイアの胸に再び不安が押し寄せてきた。
『タイア様、補足するとバンケツは元傭兵団の一人でして。
こんな感じに馬鹿でほっとけないので、解散の時に団長が引き取ったんです』
『そ、そっか』
「んん? どうされましたかタイア様?」
「い、いや、何でもない」
「そうですか? ――それでは早速、団長の元へ参りましょうぞ!」
「え?」
そう言ってバンケツは立ち上がると、談話室の外へとずんずん歩いていく。
そもそもロアードはここには来ないのだとわかったところで、三人は苦笑いを浮かべながらバンケツの後に続いた。