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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
プロローグ セイレン領の狂騒少女
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第四話 首なし領地

 かつて、全世界の人間と一匹の悪魔との壮絶な戦いがあった。


 当時の人間達は今よりはるかに進んだ魔法文明を築き上げていたが、悪魔の圧倒的な魔力はそれを凌駕していた。

 さらに悪魔は勝利を確実なものにするために、日々進歩していく人間の技術を取り込もうとした。


 しかし、そこに人間の付け入る隙が生まれた。

 悪魔は一瞬の隙を突かれて敗北し、肉体と精神を分離された。そして精神は本の中に、肉体は亜空間へと封印された。


 人間達は平穏を取り戻したが、その悪魔を封じた魔導書、悪魔之書の扱いに困った。悪魔之書を破壊すると悪魔が転生する可能性があり、迂闊に海に沈めたり宇宙空間に放りだすこともできなかった。最終的に、悪魔を封じた書をさらに封印するための施設を造った。



 その後悪魔之書が施設の外に出されることはなかったが、それは文明が滅びるまでの話であった。時の流れが施設を浸食していき、その施設が遺跡と呼ばれるようになった頃には建物に封印の力は残っていなかった。


 朽ち果てた遺跡に侵入して最初に悪魔之書にたどり着いたのが、セルフィーとブリジストという二人組の女盗賊であった。



 そして現在、悪魔之書はセルフィーの娘フィロフィー受け継がれ、悪魔はかつて人間に封印された時以上のピンチを迎えていた。


 魔力の一切ない人間を魔導士にするという無理難題をこなさなければならない。


 できなければ契約の元、その存在は今度こそ消滅してしまうのだった。



 *   *   *   *   *



「…………」

『…………』


 フィロフィーは布団の中で悪魔之書とのにらめっこを続けていた。

 一週間、雑談なども交えてきたが、今はお互いの絶望感からか会話もない。

 稽古中のタイアとケニーは模擬戦を始めたらしい。フィロフィーの部屋にカンカンという木刀を合わせる音が聞こえてきていた。


 フィロフィーは再びため息をつき、この一週間の自称悪魔とのやり取りをなんとはなしに思い出す。


 悪魔は色々と試したが、ついにフィロフィーに魔法を教える事は出来なかった。フィロフィーが魔法を覚えられない以上、亜空間にあるという悪魔の肉体も取り出せない。フィロフィーは絶望した悪魔を励まして、改めて今後の協力を取り付けた。


 手始めにフィロフィーの検査を済ませた。悪魔之書にはその周囲数十メートルの様子が見えていて、障害物越しにも覗き見る事ができる。壁の向こうや地面の中も覗けるし、フィロフィーのパンツも――どころかその奥にある皮膚の裏、筋肉や骨や内臓までも見る事もできた。

 しかしフィロフィーの体の構造は見た目は普通の人間と変わらず、魔力を作れない理由はわからなかった。


 そして一週間かけて悪魔は解決方法を模索し続けたが、悪魔の力、古代の知識をもってしてもフィロフィーの体質の謎を解き明かす事は出来きなかった。古代にも魔力がゼロの人間など存在しなかったらしく、フィロフィーは自分の負わされた業に泣いた。


 フィロフィーはひとまず悪魔にグリモと名付けた。悪魔には古代の人につけられた名前もあるらしいが、それが差別的で気にくわない名前だったそうで名乗らなかったからだ。

 グリモというのは元々はただの絶版魔導書ロストグリモワールだと思っていた事に由来する名前で、万が一グリモの事が外部にばれた時には悪魔である事は隠し、世にも珍しい喋る魔導書として押し通しすつもりでつけた名前だった。


『俺の声はご主人にしか聞こえてないから、そうそう外部に漏れる事はないと思うぞ?』

「あらグリちゃん、人の考えが読めますの?」

『ご主人の考えだけ、それもご主人が拒まなければな。ただ俺の視界より離れると喋る事はできなくなるぞ』

(こんにちは?)

『はいこんにちは』

(おお、なんだか魔法で会話してるみたいですわね。わたくし魔法使えないのに)

『これは契約の力での会話で、もちろんご主人が魔力を発して喋ってるわけじゃない』

(わたくしには魔力がないのですものね)

『…………ん? まてよ?

 ご主人は魔力が無くて魔法が使えないんだよな。だったらMPポーションでも飲めばいいじゃないか』

「MPポーション?」


 聞きなれない単語にフィロフィーが首をかしげる。


『ああ、この時代では名前が違うかもな。ほら、あれだ、飲んだり食べたりすると魔力が回復するアイテムあるだろ?』

「そんな便利なアイテムはありませんわ」

『ないのか? 古代の勇者達はガバガバ飲んでたけどなぁ。

 ……いや、ないなら作ればいいじゃないか』

「作れるんですの!?」


 フィロフィーは目を輝かせてグリモに顔を近づける。

 グリモの持つ古代の知識だけがフィロフィーの頼みの綱なのだ。


『お、おちつけご主人。詳しい作り方まではわからないけど、原材料になる魔物は知ってるから何とかなるはずだ。

 昔はスライムって呼ばれていた魔物なんだが、心当たりは?』

「すらいむ?」

『直径三mから大きいので十mくらいの半透明のゲルっぽい魔物だ。肉食で、主な攻撃方法はのしかかりだな。相手を窒息させながら、強酸性の体液で獲物を焼き殺すんだ。

 剣や弓はほとんど効かないし魔法抵抗もむちゃくちゃ高い』

「それ、見つけたとして倒せるんですの?」

『高威力の魔法をつかえば倒せるけど、無理なら爆弾でも体内に投げ込めば爆殺できんだろ。昔はスライム牧場ってのがあって、スライム専用の巨大な大砲で粉砕してたけど――』

「なるほど。でもそんな魔物は知りませんわね……」

『え?』


 フィロフィーは屋敷にある魔物辞典にはすべて目を通しているが、スライムに心当たりはない。絶滅したかフィロフィーが知らないだけなのかはわからないが。

 その後図書室の魔物辞典を引っ張り出してきて再度確認したが、グリモの言うMPポーションの材料になりそうな魔物は何も載っていなかった。そもそもセイレン家の魔物図鑑には弱い魔物しか載っていない事が判明し、フィロフィーをさらに落ち込ませる。

 グリモの時代に跋扈ばっこしていた強力な魔物達は、屋敷の図鑑には載っていなかった。


「ウヒュヒュヒュヒュ、きっとスライム達は絶滅したのでしょうね。わたくしに魔法を使わせないために」

『ま、まあ、そう結論を急ぐなよご主人? どっかにいるって、たぶん……』

「…………」

『そうだ、スライム退治用に魔道具作っとこうぜ! 魔道具作成も立派な魔導士の仕事だろ?』

「魔道具、ですか……」


 グリモは何をするにもフィロフィーに動いてもらわなければならないのだから、武器はあっても困らないだろうと考えていた。

 グリモの生殺与奪はフィロフィーに握られているので、ご機嫌取りも兼ねている。


『俺も人間達の使ってた魔道具は解析してたからな。原材料と設備さえあれば作れるぜ。

 古代ではでかい魔石は純金と同じくらいの値段してたけど、現代だとだいぶ安いんじゃないか? たいした使い方もしてないみたいだし』

「現代だと、それなりに大きな魔石は金の百倍は高いですわ。かけらサイズのクズ魔石でようやく金くらいの値段ですわね」

『……でも、ほら、ご主人って貴族だよな? 手に入れようと思えば――』

「借金まみれの辺境領主には無理ですわ。王国もうちが潰れると困るらしく、領地の返還も破産手続きもさせてもらえてません。

 借金はひとまず国が肩代わりしてくれたので無利息ですが、かわりにうちの帳簿は完全に握られてますわね」

『…………屋敷の調度品をこっそり売るとか』

「お父様が領主になった時にとっくに売り払ってますわ。あとこの屋敷に残っているもので売れそうなのは、そこにある風の魔導書とグリちゃんくらいですわね。

 図書室の本も持っていかれそうになったのですが、図書室を公共施設として領民の方に開放して守ったそうですわ。今では屋敷の一階のお風呂や食堂も全て公共施設ですが」

『……………………』


 そして喋る悪魔之書は、黙った。



 *   *   *   *   *



「お帰りなさいませお父様」

「ただいまフィロフィー、調子はどうだい?」

「――お父様こそ、どうかしましたか?」


 その日の夜、ソフィアに夕食に呼ばれたフィロフィーが一階に降りると、ちょうどスミルスも帰宅してきたところだった。

 スミルスが妙にニヤニヤとフィロフィーの顔を見つめてくるので、フィロフィーは口をとがらせて質問を返す。


 先ほど悪魔に肩透かしを食らったフィロフィーの調子が良いはずもなく、スミルスの態度に対しても不快に感じていた。しかしスミルスには、娘のかわいい反応を見たくらいの感覚しかない。

 これを繰り返せば世間に掃いて捨てるほどいる「娘に冷たくあしらわれる父親」が誕生するのだが、スミルスがその事に気づいて嘆くのはだいぶ先の話である。


「なに、今日はいつも通り森で狩りをしてきたんだが、思わぬ収穫があってな」

「はぁ。冬眠明けの熊でも見つけたんですの?」

「いや、いたのはホワイトフォックスだよ」

「はぁ……」


 スミルスの返事に、フィロフィーは怪訝な顔をする。


 ホワイトフォックスは動物ではなく魔物に分類される、大人で体長一メートルくらいの狐型の魔物だ。セイレン領の森にはよく発生する魔物で、特に珍しい事もない。

 人を襲う事は少ないが、畑を荒らしたり鶏を襲ったりする有害種だ。魔物なので食べられないが白い毛皮が綺麗なので、なめして領外に輸出もしている。


 毛皮の売買はセイレン家が貨幣を獲得する為の数少ない手段なので喜んでもいいのだが、それにしてはスミルスは浮かれ過ぎていた。


「もちろん、ただのホワイトフォックスじゃないぞ。二メートル越えの超大物でな。俺が仕留めた後、兵士達に毛皮を剥がせたんだが」


 そう言いながらスミルスは懐をゴソゴソと探り、そして白い石を取り出した。

 その赤ん坊の握りこぶし位の大きさの石を見た瞬間、フィロフィーは目を見開いた。


「魔石!? 魔石ですのねお父様!」

「そうなんだ。ホワイトフォックスごときが持っているなんて珍しいだろう?」


 魔石は魔物が稀に体内に生成する魔力のこもった鉱物で、魔導書や魔道具の材料として使われる。しかしそう簡単には見つからない。

 小型の弱い魔物からは見つかる事は滅多になく、大型の魔物を数百体倒しても見つからない事だってある。魔導書や魔道具の値段がひどく高価になっているのは、この原材料の希少さにあった。


 ホワイトフォックスの様な中型で知能の低い魔物が魔石を持っている事は非常に珍しい。もちろん強力で利用価値が高いのはより強い魔物の持つ魔石なのだが、今回見つかったような珍魔石は魔導士協会が高値で買い取ってくれるのだ。


「さすがお父様ですわ! 素晴らしいですわ!」

「はっはっは! そうだろうとも」


 フィロフィーの目が、エメラルドの様に輝いていた。


「それで、お父様? その魔石なんですけれど」

「ああ、もちろんすぐに売るぞ! これで借金が多少は返せるだろう!」

「…………ソウデスカ」


 フィロフィーの目が光を失う。


「できるだけお前の代には借金を残したくないからな。もう少し開拓すれば借金が増える事もなくなるだろうし、もうしばらくの辛抱だな」

「サスガオトウサマデスワ、スバラシイデスワ」


 フィロフィーは見事な作り笑いを浮かべている。目はまったく笑っていないのだが、気を良くしたスミルスは気づかない。

 そばに控えていたソフィアはフィロフィーの放つ不穏な空気に気づいていたが、彼女の警告の視線もスミルスまでは届かなかった。



 *   *   *   *   *



「酷いと思いません!?  散々見せびらかしておいて、あーげない、ですわよ!?」

『ああ、それは確かに酷いなぁ』


 その後フィロフィーは駄目元で狐の魔石を要求してみたが、あっさりと却下された。

 フィロフィーはベッドにダイブして、グリモに愚痴を垂らしている。


 グリモはフィロフィーに合わせて相槌を打つが、スミルスの事を酷いとはかけらも思ってはいない。

 どの角度から見てもスミルスが正しい。借金があるのに娘の道楽のために魔石を与えるほうがよほど駄目親父だろう。

 その借金でさえ先代領主の遺した負の遺産でスミルスがこしらえたわけではないことも知っていて、グリモがスミルスを非難するはずもないのだが――しかしグリモはスミルスを庇わなかった。

 フィロフィーにどうしてもやらせたいことがあったからだ。


『しかし、狐の魔物の魔石か。魔導書の材料にすれば狐に変身とかできそうかな』

「……一応聞きますが、古代の魔導書だったらわたくしでも覚えられたりします?」

『まぁ無理だな。試すなら魔道具だけど、狐の魔石じゃなぁ』

「……貰っても無駄でしたわね」


 フィロフィーは今日何度目かもわからないため息をついた。


『いや、そうでもないぞ? 魔石があるなら試しておきたい事があったんだ』

「試してみたい事?」

『ああ。ご主人は元々あった契約の魔方陣を、ただなぞったら消えたって言ってたよな?』

「ええ、その通りですが」

『それが腑に落ちないんだ。何しろあの魔方陣は特別な力で描かれてたから、水で洗ったって消えるはずがないんだよ』

「でも、実際消えましたし」

『更に言うと、ご主人が自分の血で新しく描いた魔方陣には魔力が宿ってたんだ』

「えぇ!?」


 魔力、と聞いてフィロフィーは目を見張った。

 無いと思われた魔力が、血に含まれていたとはどういうことなのか。 


『最初の契約の魔方陣は、特殊な魔力の塊をインクとして描いたものだったんだ。それをなぞったら消えたって事は、ご主人はその魔力の塊のインクを吸い取ったんじゃないか?

 もちろん普通の人間には魔方陣をなぞって魔力を吸い取るなんてマネはできないんだが……』

「わたくしにはそれができますの!?」

『まだ可能性の段階だけどな。少なくとも、ご主人の血に魔力が籠っていたからこそ契約の魔方陣として成立したし、俺もご主人の異常体質には気づかなかったんだ。

 ――で、そこに風の魔導書があるわけだが、たぶん……』


 フィロフィーはグリモの言葉を最後まで待つことなく、風の魔導書に飛びついた。

 撫でまわし、頬擦りし、それでも駄目なら舐め回そうとして――


『あー、待て待て。その魔導書に使われてるインクは魔力が少ないし不純物も多いし、たぶん無理だ』

「だ、騙しましたわね!?」

『騙してない。ご主人が最後まで聞かなかっただけだ。

 だいたい魔力が吸えてたら壊れてたぞ。そんな粗悪品でも高いんだろ?』

「古代の魔導書がどれほどのものだったかは知りませんが、現代ではこれを粗悪品とは表現しませんわね」


 言いながら、フィロフィーは風の魔導書を机の上に置いた。


『話を戻すけど、魔石ってのは高純度の魔力の塊だ。その粗悪品の魔導書のインクとは比べ物にならないほどの魔力を持ってる。

 だからご主人なら、魔石を撫でれば魔力を吸えるかもしれないぞ?』

「魔石ならば……」

『あーあ、魔石があればはっきりするんだけどなー。スミルスが貸してくれればわかるのになー』


 フィロフィーは考える。

 いや、考えるふりをしているが、結論は既に出していた。



――ちょっとくらい魔石が小さくなっても平気ですわ、と。


 

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