第三十六話 庭に排される者
ズンッという音と共に、代官屋敷が小さく揺れた。
タイアの狐火がはじけたその音は、食堂で密談をしていたフィロフィーとダゼンの耳にも届く。
「……ダゼン様、今の音は一体ナンデショウカ?」
「お待ちくださいフィロフィー様、すぐに確認してきます」
もはや完全にやる気を失ったフィロフィーは三文芝居になっていたが、ダゼンに疑う様子はなかった。というよりも彼はフィロフィーの不快感を敏感に感じ取ったらしく、慌てた様子で地下に向かう。
一人食堂に取り残されたフィロフィーは、脱出のためテーブルの上の荷物をリュックに詰めなおし始めた。不機嫌な表情のまま、手を止めずにグリモに語りかける。
「グリちゃんには言いたいことは山ほどありますが――今の状況は?」
『んーっと……あ、まずいな。代官のやつ庭にいた私兵を連れて地下に向かいやがった』
(私兵?)
『たぶん、メロウ誘拐の実行犯達じゃないか? ダゼンとセラップが二人だけでメロウを六人も誘拐したって事はねぇだろ。
このままだと魔法の使えないタイアじゃ手詰まりだな。ケニーもさっさと治療してやらないと、あの怪我じゃあ長くはもたないぞ』
(まったく次から次へと……わかりましたわ。魔封じの魔方陣を解除して、タイア様を援護しましょう)
『おう! ……って、ダゼンはいいのか?』
(もうどうでもいいですわ。
……グリちゃんは、後で、覚えておいてくださいね)
『お、おう』
グリモを乱暴にリュックに差し込むと、フィロフィーは食堂を出て人知れず――本当に誰にも知られずに行動を開始した。
グリモの目は部屋の中や曲がり角にいるセデスやメイド達の姿も捉えているので、うっかり出くわす事はなく。
隠し部屋や鍵穴の構造も見えていて、フィロフィーの魔石鍵との合わせ技で開けられない鍵はない。
『……なぁご主人、いっそもう魔導士じゃなくて怪盗でも目指したらどうだろう?』
(そうですわね、それで魔法が盗めるなら考えますが?)
グリモの冗談に、フィロフィーは嫌そうに返す。
ギスギスした空気を拭えないまま、フィロフィーは執務室へと侵入する。そのままセラップの立っていた位置まで歩くと不意に足の裏に振動を感じた。そこには地下室へ続く階段があり、その上に立っていれば地下の動きが振動で分かる仕組みになっていた。
フィロフィーはその地下室への入り口は通り過ぎて、その奥にある本棚の前に立つ。本棚には隠し部屋にはいるためのギミックがあったが、フィロフィーはあたかも自分の部屋であるかのように解除して忍び込んだ。
隠し部屋は狭くて窓がなく、中央に円柱形のシンプルな台座が設置されている。台座には魔力を流すための導線が彫られていて、そこから放たれている淡い光だけがこの部屋唯一の光源になっている。
その台座の上に、紫色の魔石が数個置かれている。それこそが魔封じの魔方陣を起動している魔石だった。
フィロフィーはその紫色の魔石に手を伸ばし――
『……ってなんだそりゃあ!?』
「ふぃう!?」
突如叫んだグリモの声にフィロフィーは思わず噴き出し、そして慌てて口元を抑えた。
(ど、どうしましたのグリちゃん!?)
『ああ、すまん。何というか……タイアが進化してあっさりと勝った』
「……はい?」
どうやら吉報らしいとは思いつつも、フィロフィーは何がなんだかわからずに混乱する。
『ああでも、魔方陣はさっさと解除した方が良いな。ケニーの傷もヤバいし』
「本当にもう、これ以上のトラブルは勘弁して欲しいですわね……」
フィロフィーは釈然としないものを感じながらも、そこにあった魔石を丸ごと吸収した。
魔封じの魔方陣を起動していた台座から光が消え、フィロフィーのいる隠し部屋は暗闇に包まれる。
「あ!」
『どうしたご主人? それがメロウの魔石なのか?』
「いえ、この魔石は……まあ、後にしましょうか。それより地下室の状況を詳しく説明してくださいませ」
『えっと、タイアが体長三メートルのでっかい狐に進化して兵士三人を撃退、セラップは死にかけててダゼンは降伏。メロウが檻から出てきて……治療魔法を使える奴がいたみたいだな。ケニーに回復魔法をかけてる。あ、アキも合流したな』
「ほとんど大団円ですわね。
――では、グリちゃん。ちょっとお話があります」
フィロフィーはグリモの入ったリュックを床に置いて、自分も暗闇の中で座り込む。
『あ! かなりまずい事になった!』
「いい加減にしてください!」
『いや、ご主人が調子に乗ってダゼンに渡した魔人化の試薬を、ダゼンがセラップに飲ませたんだが』
「……………………」
――そして、暗闇に静寂が訪れる。
「まあ、誰しも間違う事はありますからね。お説教より今後の事を考えましょうか」
『…………うん』
地下室でアキやタイア達が、ダークエルフに追い詰められていた頃。
その隣の部屋では一冊の悪魔が、廃魔人によってきつい追及から救われていた。
* * * * *
(ふう。どうですかグリちゃん?)
『ああ、うん、良いんじゃないかな』
(ちゃんと見てますか? 服を選んでるんじゃないのですわよ?)
『……じゃあ、今触ってるとげの二つ左のとげ、もう少し鋭い方が良いかな。あんま変わらんと思うけど』
フィロフィーは魔封じの魔方陣を解除した後も、その光のない部屋の中で待機していた。
今は足音もさせないように靴を脱ぎ、入り口扉のすぐ隣に潜んでいる。
そしてその悪意の充満する部屋に、慌てた様子で駆け込んでくる男が一人。
言わずと知れたこの島の代官、ダゼンである。彼はこの部屋にある魔封じの魔方陣を再起動しに訪れたのだ。
ダゼンはダークエルフ化したセラップの命が十数分しか持たない事を知っている。フィロフィーに聞かされていたし、だからこそ自分では飲まなかった。セラップの命がいつまでもつのかがわからない以上、のんびりしている暇はない。
元々魔法の使えないセラップがエルフ化しても、強力な魔法を使うアキや魔狐を仕留めるのは一筋縄ではいかないだろう。ならばここは魔封じの魔方陣を再起動してセラップを援護するのが一番だ。
魔封じが解除されたのは魔石が消耗したからである可能性が高いが、しかし彼の懐には都合よくフィロフィーに貰った狐の魔石がある。
――そんなダゼンの安直な考えを、フィロフィーが読めないはずがない。
『ご主人、もう一歩前に。半歩右にずれて、そこ!』
「っ!?」
それはまるで、目隠しをした人間が声援を頼りにスイカを割るゲームのように――
フィロフィーの作った魔石モーニングスターが、暗闇の中のダゼンの後頭部を直撃した。
どさりと倒れたダゼンに対し、フィロフィーは更に追撃しようとして魔石モーニングスターを振りかぶる。
『必要ないぞ。今の一撃でうまい具合に脳幹がぐちゃってなったから』
「ふぅ、そうですか」
グリモの言葉にフィロフィーは腕をおろし、そしてモーニングスターを吸収した。
フィロフィーは屋敷から拝借してきたランプの灯りをつけ、痙攣するダゼンの体を確認する。モーニングスターの棘が上手く首筋の骨と骨の隙間を捉えたらしい。
「ふう、こっちはこれで大丈夫ですわね」
『大丈夫って、いや、どうすんだこれ……』
「あとで溶かして庭にでも捨てましょう。魔導鍋がようやく役に立ちますわね」
『…………』
「それで、地下室はどうなってますか?」
『メロウがかなり追い詰められて……と思ったけど、たった今セラップが死んだ』
グリモは色々な感情を押し殺し、呟くように報告する。
「タイア様達は無事ですの?」
『ああ、メロウも含めて全員無事だ』
「ふひゅぅ、しのいでくれると信じてましたわ。
けど、思ったより廃魔人の崩壊が早かったですわね。まだ十分も経ってませんが」
『それが崩壊したんじゃなくて、その、普通にケニー達に負けて死んだ』
「……弱すぎですわ、魔人」
フィロフィーはがっくりと肩を落とす。
タイア達が生き残ったのは素直に嬉しいのだが、フィロフィーの魔人化して魔導士になろう計画にとっては特大の不安要素である。
『うーん、そうなんだよなぁ。魔法使いじゃなかったとはいえ、妙に弱すぎる。
あの廃魔人ってすぐ死ぬ代わりに、動けてる間は普通の魔人よりも何倍も強いはずなんだけど……』
「エルフ化の試薬が不完全――いえ、その検証も後回しにしましょう。それで、タイア様達の様子は?」
『……なんか色々と喋ってる』
「何を?」
『…………』
グリモの目はスキャナーとしてよく活躍しているが、耳は人間の耳とそれほど変わらない。
グリモは悪魔之書の元へまで届いた音の振動を感知している。本全体が人間でいう鼓膜のような役割を担っているのだが、イルカや蝙蝠の様に高周波や低周波が聞き取れる訳ではなく、人間よりちょっと耳が良い程度だ。
それこそグリモよりも狐化したタイアの方が耳が良い。
「グリちゃんも魔導鍋で溶けるでしょうか?」
『まて、わかった! これから頑張って読唇術とかバイタルチェックとか身につけるから、今はこの状況を片付けようぜ、な!?』
グリモの言う通り時間はない。フィロフィーはそれ以上グリモを追及するのはやめて、階段を駆け下りて鉄扉の向こうのタイア話しかけた。
鉄扉が簡単には開かない事を告げ、タイア達に洞窟側からの脱出を促す。
――そして、フィロフィーは今までとは違う嘘を吐く。
「エルフ化の薬がまだ残っているかもしれませんし。……あ、見つけてもわたくしの物ですから。タイア様にはあげませんから」
フィロフィーは今日一日のタイアやダゼン、そしてグリモとのやりとりで、自分が人にどう見られているかを十分に理解した。
それを踏まえて今までの単純な理屈詰めではない、感情を乗せた嘘を吐く。タイア達はあっさりと引き下がり、フィロフィーの忠告通りに撤退を開始した。
タイアが後悔に学んで進化したように――フィロフィーもまた失敗に学び、別の進化を遂げていく。
そうしてタイア達が去った後はセラップの死体だけ回収するつもりでいたが、そこには一つ誤算があった。
とても、嬉しい誤算があった。
「さて、グリちゃん。――わかってますわね?』
『わかってる。今度はちゃんとやるよ』
閉まっていた鉄扉がガチャンと音を立て、重低音をたてつつゆっくりと開く。
鉄扉に魔術による細工がされていたのは事実であったが、グリモとフィロフィーのコンビに開けられない程のものではなかった。
そこには氷漬けのセラップの死体と……フィロフィーの予想とは裏腹に、アキが連れて行かなかったダゼンの私兵達の姿があった。
彼らは三人とも既に目を覚ましていて、突如現れた銀髪緑眼の少女に戸惑いの視線を向ける。
「ご心配なく、わたくしはダゼン様に頼まれて皆さんを助けに来たのですわ。
……ところで、皆さんはエルフに興味はおありで?」
フィロフィーはにっこりと笑った。
* * * * *
その後メロウ達は浮島の家を入り江から沖へと移動して、ダゼン捕縛のために海上封鎖をおこなった。突如島内から消えて島を取り囲むメロウ達にコジュン島全体が大騒ぎになり、ダゼンの悪事はたちどころに知れ渡る。
島民達はダゼン捕縛のために山狩りをおこない、代官屋敷の中や隠し洞窟も徹底的に調べつくされた。
――が、ダゼン本人を見つける事は出来ず、それどころか捕縛しておいたはずの三人の私兵も行方が分からなかった。
さらに氷漬けのセラップの死体までもが消えてなくなっていたが、それはメロウにとっては不幸中の幸いだろう。この島でエルフの痕跡など見つかれば、再びこの島にメロウを狙う密漁者が殺到していた。
それでもメロウ達は不安で眠れぬ夜を過ごし。
浮島の家に身を寄せていたタイア達も、ダゼン達の襲撃に備えて心休まらぬ日々を過ごした。
そんな中で、ただ一人。
フィロフィーだけがおやつに乾燥肉など齧りつつ、異国情緒溢れる浮島生活を笑顔で満喫するのだった。