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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
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第三十二話 地下に廃される者

 『最後のエルフ』と呼ばれたエルフが亡くなったのは、今から四十年ほど前の事になる。彼女は晩年キイエロ王国の王都に身を寄せていたため、キイエロ王国には彼女やエルフについての数多くの文献が残されている。

 最後のエルフは女性であり、色白で美しかったが胸はなく、耳が長くとがっていた。性格はおおむね温厚だったものの、一度癇癪を起すとしばらく手が付けられなくなる。

 生活様式も人間によく似ていたがエルフは魔物であるため、食事に魔物の肉を食べる事も可能だった。


 彼女がエルフという種族について語った記録も残っている。

 エルフの最大の特徴は不老不死である事だが、他にも人間よりも魔力や身体能力に優れていたし、傷の治りも早かった。

 また、不老不死と言っても老いや寿命とは無縁というだけで、何をしても死なないわけではなかった。最後のエルフの話では、エルフ達は古代に起きた人間と悪魔の大戦争に巻き込まれ、彼女を残してみんな死んでしまったらしい。

 彼女は晩年には心を病んでしまい、最後は自力で食べ物を食べる事も出来なくなって衰弱死という形で生涯を閉じた。



 そんな最後のエルフが自分の世話係に『私達エルフは元々は人間で、メロウを食べて不老不死のエルフの体を得た』と漏らした事が、メロウの苦難の日々の始まりになる。


 世話係の口が軽かったために噂は瞬く間に世界に広がり、誰もがエルフになろうとしてメロウの血肉を求め始めた。昔は世界中の海にメロウがいたが、今ではコジュン島以外にメロウの生息が確認されている場所はない。これまで一度もエルフ化の成功例がないにも関わらず、いまだにエルフ化研究のためにメロウを求める者は後を絶たない。

 中には表向きは普通の魔導士協会でありながら、裏で所属する魔導士全員がエルフ化のために非合法な活動をしていた例もある。

 メロウが魔物である以上、コジュン島以外の場所で魔素から自然発生する事もある。

 ただしウオビトなど知性の低い魔物と比べるとその発生率はとても低く、そしてそのほとんどはコジュン島に辿りつくことなく人間に捕まっているのだろうと言われている。



 ちなみに、エルフが魔素から自然発生した事例はない。



 *   *   *   *   *



「……なに、この状況?」


 地下室に到着したアキの目に、ひどく混沌とした光景が飛び込んできた。

 まずは床に倒れているケニーと、そのケニーを囲んで心配そうに見つめているメロウ達。よく見ると、メロウの一人が倒れているケニーの太ももに手を当てている。その手が淡く緑に光っているのを見て、アキは彼女がケニーに回復魔法をかけているのだと悟る。

 回復魔法の使い手は珍しく、誘拐されたメロウの中に居たのは奇跡だろう。


 壁際には三人の兵士姿の男達が気を失って倒れている。その奥には先ほど会ったばかりの代官ダゼンと、その護衛のセラップがしゃがんでいる。ダゼンはアキの顔を見るなり無言で目を丸くしていたが、セラップの方は無反応だった。

 両腕に大怪我を負ったセラップはダゼンに支えられた状態で、虚ろな目をして震えている。おそらくアキの事を認識できていないのだろう。


 そして地下室で最も強烈な存在感を放っているのが、ダゼンとセラップを睨みつけて見張っている、尻尾を含めて体長三メートルはある大きな金色の狐だった。


『ん、遅かったなアキ』

「タイ……コクリさん、なの?」


 見た瞬間にタイアだろうとは思ったものの、アキはどうしても質問せずにいられなかった。


 メロウの回復魔法、それにタイアに念話で話しかけられたことで、アキは魔法が使えるようになっている事を知る。床には魔封じの魔方陣が刻まれている事、発動中は光るはずのそれが暗い事にも気が付いた。

 それを確認するとアキは安堵の息を吐き、右手に光っていた魔方陣の光を消す。アキは魔封じ対策のために、右手に何か魔法を維持しながら隠し洞窟を走ってきたらしい。


 その魔方陣をタイアは見たことがなかったが、おそらくはアキにとって切り札的魔法なのだろうと推測した。たぶん、アキに尋ねても教えてはくれまい。


「えっと、とりあえずはもう大丈夫、なのかしら? ケニーは無事?」

「あの、ケニー様のお仲間の方なんですよね? ケニー様は怪我が酷く気を失われてしまいました。回復魔法で傷口は治したのですが、足がちゃんと動くかどうかはなんとも……」


 アキはタイアに話しかけたつもりだったが、答えたのはケニーを魔法で治療をしていたメロウだった。タイアが念話で喋れる事を知らなければ、自分に喋りかけられていると勘違いするのも当然だ。


「――そう、わかったわ。治療してくれてありがとうね」

「そんな! お礼を言うのはこちらの方です。ケニー様のお陰で皆無事に檻から出られました」


 メロウが慌てた様子でパタパタと手を振る。様付けされるケニーに苦笑しつつ、アキは跪いてケニーの前髪をかき分けて顔色を見る。

 そしてひとまず問題なさそうだと判断すると立ち上がり、いよいよダゼンの方へと歩く。


『えっと、タイア様でいいのよね?』

『ああ』

『その姿……については後で聞くとして、そっちの代官と剣士はどんな感じ?』

『え? ああ、やっぱりこいつが代官だったのか。剣士の方はケニーとあたしの攻撃で両腕を大怪我してて、これ以上ほっとくと危ないかも。代官の方は剣を捨ててさっさと降伏したから無傷だけど』


 タイアからの説明を聴き、アキはゆっくり歩きつつ考え込む。

 真っ先にやらなければならないのはケニーを安全な所に連れ出す事だ。かといってケニーをコジュン島の病院に連れて行くのは躊躇われるので、ひとまずはメロウ達と共に沖に避難するしかない。

 今頃はメロウの長の指示のもと、浮島と入り江をつなぐロープを解いて浮島の家をすべて入り江の外に出し、いつでも島から離れられるように準備している頃だろう。

 浮遊魔法が使えればメロウ六人とケニーを運ぶくらいはどうという事もないが、厄介なのはダゼン達をどうするかだ。心情的にはあまり連れて行きたくはないが、ここに縛って放置するのも危うい。こうしてアキの顔を見られてしまった以上、最悪屋敷に残っているフィロフィーに危険が及ぶ。慌てていたとはいえ変装もせずに飛び込んだのは迂闊だった。

 ここで代官達の首を刎ねてしまう事も考えたものの、領主であるサラム大卿がどんな反応をするかまったく読めず、下手に手を下すのは危うい。


 結局の所、ここにいる全員をまとめて連れて行くしか選択肢はないだろう。

 セラップに至っては途中で力尽きるかもしれないが。


「ダゼン様、大人しく連行されていただけますか?」

「これはアキさん、さっきぶりですね。フィロフィー様はあなたの暴走を御存じなのですか?」

「暴走したのはあなたの方でしょう? 大方エルフ化なんてくだらない幻想に惑わされたんでしょうけれど」


 自分の事を完全に棚に上げてしまったアキに、タイアがじとりとした視線を向ける。

 ダゼンもすっと目を細めてアキを見ていたが、その目にはどこかアキへの侮蔑の念がこもっていた。


「わかりました、逆らいませんよ。

 ですがその前に、そちらのメロウにセラップの治療をしてもらう事はできませんかね? このままでは死んでしまいますし」

「……ここでは駄目よ。海に出て、メロウ達に囲まれた状況でなら構わないわ」

「厳しいですね。――ではせめて、こちらの薬だけでも飲ませてあげていいでしょうか?」


 そう言って、ダゼンは懐に手を伸ばし――素早く短剣を抜いたアキを見て、できるだけゆっくりと小瓶を取り出した。

 ハンカチに包まれていたその小瓶の中には、なにやら白い液体が入っている。


「それは?」

「ただの痛み止めです。私は頭痛持ちなので、こうして持ち歩いてまして」


 アキはこれでも魔法商店の店主であり、魔道具に関する知識は豊富に持っている。

 そしてアキの知る限り、この世界には魔力を回復させるMPポーションもなければ、飲めば傷が一瞬で治るようなエリクサーも存在しない。古代にはそういった薬があったとする説もあるが、少なくとも再現できたという話は聞かない。


「――いいわ、さっさと飲んで立ち上がりなさい」

「ありがとうございます」


 ダゼンはアキにお礼を言うと、白い液体をセラップの口に流し込む。

 アキの見た限りセラップはかなり危険な状態になっている。もはや助からないかもしれないが、やはりこの場で治療するのは安全のためにも許可できない。何より先程のメロウが治療を嫌がるだろう。

 ならばせめて、痛み止めくらいは使わせてやればいい。



 そんな魔法薬の知識と敵への情けが、彼女の判断を狂わせた。



「あ、がぁぁああああ!?」


 ダゼンが薬をセラップに強制的に飲まされた直後、彼の全身から黒い蒸気が溢れ出した。

 蒸気が出ている以外にも変化があり、セラップの体が胸の辺りから黒く変色していく。その過程で腕や胸にある火傷や傷が、みるみるうちに修復していく。


『な、何だ!?』

「火よ!」


 タイアは戸惑っていたが、アキは慌てながらも躊躇なく火の矢の魔法をセラップに撃ちこんだ。

 アキの放った魔法が再びセラップの胸を焼く――と思われたが、黒い蒸気がそれを阻む。


「嘘!?」


 アキは思わず叫ぶが、しかし結果は変わらない。

 更に数発、タイアと共に魔法の種類をかえて撃ちこんでみたが、いずれも黒の蒸気によってかき消される。


 やがて彼の体から噴き出ていた黒い蒸気が少し薄まってきた所で、セラップはついに正気を取り戻した。


「くぅ、ダ、ダゼン殿? これは一体……」

「素晴らしい、素晴らしいですよセラップさん! 私が貴方に飲ませてあげたのは、さる方に頂いたエルフ化の禁薬です。あなたは今、『最後のエルフ』以来のエルフになったのです!」

「エルフ化だと……俺が、エルフになったのか!?」


 セラップはじっと自分の両手を見つめた。

 元々は黄色人種だったはずのセラップの肌は、今は黒に近い褐色に変化していた。そして傷も火傷も完全に治っている。

 それから確認のために自分の耳を触ってみれば、明らかに縦方向にとがっている。


「エルフの肌は白いと聞いていたが……」

「残念ながら、まだ試作品だとおっしゃられてましたからね。そういう事もあるのでしょう。

 さあ、本当は私が自分で使おうと思っていた虎の子の一本をあなたに差し上げたのです。務めを果たしていただきますよ」

「ふん、何が虎の子だ。自分で飲む勇気がなかっただけだろう?

 ――だが、くくくっ、感謝するぞダゼン殿」


 嬉しそうに口元を吊り上げているセラップに、タイアは全身の毛が逆立つの感じた。

 タイアは既に彼を護っていた黒い蒸気がおさまっているのを確認すると、今ならと思って大きめの狐火を叩きこむ。


「ぐぉおん!」

「どれ!」


 セラップが怪我の治った右腕に力を籠めると、再び黒い蒸気が発生する。彼が念じると、黒い蒸気はまるで巨大な腕がボールをキャッチするかのようにタイアの狐火を包み込んだ。

 狐火は爆発を起こすことなく、蒸気に呑まれて融けて消えた。


「ぎゃうぅ」

「は、はははははは! ああ、こいつは凄いな、魔法を吸い込んじまうのか!

 正直エルフにこだわる協会の連中を馬鹿にしていたが、なるほどこれは面白い! くくっ、はぁ、ははは!」


 セラップは腹を抱えて身をかがめ、狂ったように笑い続ける。



 ――そこを隙とみて、セラップの死角に回ったアキが黒塗りのナイフを投げる。

 それがセラップの左肩を突き刺すと、彼はピタリと笑いを止めた。


「……おい、女。お前はいったい何をしている」


 彼は首を回してアキを見る。

 その顔からは笑みは消えて、目は大きく見開かれている。


 アキは無言でナイフの二本目、三本目を投げるが、セラップは自分の肩に突き刺さっていたナイフを引き抜いて打ち払った。


「づああ、いてぇじゃねえかぁ! 女ぁ、貴様よくも、俺の気分を台無しにしてくれたなぁ! 糞が、糞が糞が糞が糞がぁ!」


『なあアキ、こいつやばくないか? いや強そうって意味じゃなくてさ、エルフってもっと冷静沈着なイメージだったけど』

『ええ……完全に狂気に落ちてますね。好都合ですけど』


 暴言を吐きながらナイフを振り回すセラップは、この場の誰の目にも正気には見えない。

 その勢いに当てられてタイアは思わず肩に力が入り、メロウ達は怯えて出口に向かって這っていく。

 一方でアキは冷静な敵と戦うよりは遥かにマシだと考えて、彼の一挙一動を冷静な目で観察していた。そこがタイアとの経験の差なのだろう。


(ナイフに毒でも塗っておけばよかったわね。

 まあ今は傷跡は修復されずに残ってるみたいだし、攻撃が入らないわけじゃない。あとは……)


「糞、もういい、死ね!」


 セラップは黒塗りのナイフを構えると、二人に向かって切りかかる。

 タイアとアキはバラバラに跳んで避けたが、セラップはアキへと追撃をかけた。


 アキも短剣を抜いていたが、明らかに人間以上の筋力を持つ彼と、剣を交えるのは危ういと判断した。追撃しようとするセラップの目の前に火球を作り、それを目くらましに残して後ろに跳ぶ。

 セラップは左腕を伸ばして黒い蒸気を発生させ、アキの火球を飲み込んだ。


 ――と、その黒い蒸気にアキの投げたナイフが刺さる。

 もしも黒い蒸気が魔法だけを飲み込み物質を通さないものだったなら、今のはセラップの顔か首に刺さっていただろう。


「ぐるぅ!」

「どうどう、タイア様。なるほど、あの黒いのは魔法も物質も通さない、と」


 タイアは攻撃が通らなかった事を悔しがったが、アキはそれに落胆する事無く情報を脳裏にメモしていく。


 ただし、今ので情報を得たのはアキ達だけではなかった。 


「ふん、こざかしい真似を! ――だが、なるほどな。ああ、面白い事を思いついたぞ」

「何を……!?」


 セラップは持っていたナイフを投げ捨てると、黒い蒸気をその手のひらに収束させる。 

 黒い蒸気が密度を高めていき、禍々しい大剣の形となって彼の手の中に落ち着いた。


 彼は試しに剣を振り、そばにあったメロウの閉じ込められていた檻に刃を当てる。

 檻に使われていた太い鉄柱が、木の枝でも斬ったかの様に切断された。


 タイアとアキが複数の魔法を撃ちこむが、彼はとても人間業ではない剣技をもってすべて斬り落とす。

 もともとセラップは剣術に優れていたが、エルフの筋力がその動きを更に数段階上のものに引き上げていた。

 それまで怒り狂っていた彼に、再び狂気の笑顔が戻る。


「ああ、実にいい感じだ! そろそろ攻守交替の時間だな」

「くっ……」

「だが、お前たちは簡単には斬れないだろうからなぁ。

 ――先に、そっちの魚類共を刺身にしておこうか!」

「あっ!?」


 さっきまでの攻防でアキやタイアとセラップの位置が入れ替わってしまい、今はセラップの方が隠し洞窟に近い場所に立っている。

 メロウ達はアキとタイアが戦っている間に洞窟に向かって這っていたが、ケニーを引きずりながら移動していたメロウ親子がまだ近くに残っているし、当然そこには気を失ったケニーもいる。


 アキとタイアはセラップを止めようとして魔法やナイフを放つが、しかしセラップはそれらを全て黒い大剣で受け止めて、俊足でメロウの目前に移動した。


「ひぁ!?」

「まず二匹!」


 セラップは振り向いてタイアの魔法を受け止めた後、そのまま一回転してメロウの母子を纏めて横なぎに切った――


 ――が、メロウ達は間一髪のところでそれをかわす。




 上に。




「……は?」


 宙に浮かび天井に頭をぶつけたメロウ達を、セラップは思わず口を開けて見上げる。

 アキとタイアもその異様な光景に一瞬戸惑い。


「あなた、人間だった時の方がよっぽど隙がなくて強かったっすよ?」


 その瞬間にドスリという音をさせて。

 ケニーが魔力を込めて作った巨大な氷の牙が床から生え、セラップの腹部を貫いていた。

 セラップの手から黒い剣が消える。


 そう、ケニーは起きていた。

 一度は消耗から気を失ったものの、これだけ大騒ぎをしている中、更にメロウ達に床をずるずると引きずられては嫌でも起きる。

 そして情けない戦い方が得意なケニーにとって、死んだフリなど基本中の基本である。


「ぐっ、ぁああああ!? 舐めるな――」


「水よ!」

「ぎゅぉぉおおおおおおん!」


 腹から氷の牙を引き抜こうとしたセラップに、天井からメロウが水をかけ、タイアが背後から特大の冷気球を叩きつける。



 セラップは氷の中に閉じ込められて完全に動かなくなり、戦いは今度こそ決着を迎えた。



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