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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
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第三十話 人魚の島 ⑥

 魔方陣の淡い光が下から照らす部屋の中。

 ケニーと皮鎧の男とが剣を抜き、メロウの入った檻を挟んで互いに睨みあっていた。


 ケニーは目の前の男――セラップが単身乗り込んできたことから、よほど剣に自信があるのだろうと察した。そこで酷く怯えた表情を作り、一歩、また一歩と後ずさる。

 そうやって気圧されたかのような演技をしつつ、ある程度下がったら来た道を引き返そうと考えていた。

 何もそのまま逃げようという訳ではない。相手が追いかけてくる事を見越して、魔法が使える所まで出たら反撃しようと考えていた。

 ケニーはフィロフィー手製の魔導書をいくつも読んでいるし、タイアの魔法はケニー以上に強力だ。セラップも魔法を使えたとしても、魔法使いとしてケニーやタイアより強い可能性はゼロに近い。


 ケニーはタイアに右足のタップで合図して、そろそろ振り向いて駆け出そうと思った瞬間――

 セラップはメロウの入った檻に剣を差し込んだ。


「きゃぁ!」


 メロウ達がたまらず悲鳴をあげる。


「なっ!?」

「ふん、届かんか。一人くらい刺してやろうと思ったんだがな」


 剣は、先程までケニーと話をしていたメロウの母親の鼻先で止まっていた。

 男の持つ剣は長剣だが、ケニーの構えている長剣よりもやや短い。室内や通路など狭い場所で戦う事を想定しているからだろうが、その事が辛うじてメロウの命を救っていた。

 現時点では。


「な、なんで……」

「いやなに、ここでお前に逃げられたら色々と証拠隠滅しなくてはならないだろう? こいつらも切り刻んで魚の餌にしないといけないからな、その準備だよ」


 そう言って、それまで無表情だった男がいやらしく笑う。

 ケニーが逃げようとしていたのを悟ったのだろう。それは逃げたらメロウを殺すという脅しに他ならない。


「ぐるぅうう……」


 無言で青ざめているケニーに代わり、タイアが非難の唸り声を上げた。


 しかし、今のタイアにできることは少ない。

 魔法は使えず、慣れない体当たりや噛みつきを仕掛けても斬り捨てられる未来しか見えない。

 通気口を通る時に狐火を消してしまった事を、今は酷く後悔していた。


「あ、あの……に、逃げて!」


 そんな中で、メロウの少女がケニーとタイアに向かって声を絞り出す。


 母親が驚いて娘の顔を見ると、少女は体を震わせ涙を流しながらも、ケニーに視線を送っている。

 母親は娘の強さに驚き――そして触発されたのか、覚悟を決めてケニーの顔を見た。


「恨みません、行ってください! どうか皆にこの事を!」


 それにケニーが反応する前にセラップが嫌そうに舌打ちをし、メロウの入った檻をガンッと蹴飛ばす。

 母親と少女は抱きあって身を縮めた。


「あのー、そんな健気なこと言われると、僕としてはますます逃げ辛いんですが……」

「ああ、戦士たるものそうでなくてはな」


 ガタガタ震えつつも逃げる様子のないケニーに、男がやや安堵したような様子をみせる。

 どんな御託を並べても、やはりここで逃げられては困るのだろう。


 ケニーはメロウに笑いかけたあと、タイアに再び目配せした。


「コクリ」

「きゃう?」

「達者でな。野生に戻っても強く生きるっすよ」


 そう言って、ケニーはタイアの腹を軽く蹴飛ばす。

 偽名とはいえ慣れない呼び捨てに、王女の腹を蹴る暴挙。念話が使えずとも、タイアにはそれがケニーの合図である事は理解できた。


「……きゅん」


 タイアは皮鎧の男を刺激しない様に、尻尾を垂らし頭を下げて、悲痛な感じで洞窟へと駆け出す。


「おい、貴様!」

「いいでしょう、ペット一匹くらい逃しても! 喋れるわけじゃ、ないんだ、から!」


 ケニーはタイアを追いかけようとしたセラップに立ちふさがる。

 こうして彼の一世一代の戦いが幕を開けた。



 *   *   *   *   *



「――それで、二人は奥に進んだのね」

「二人?」

「あ、二人っていうか一人と一匹ね」


 北の入り江に着いたアキとロミットは、出迎えてくれたメロウ達に隠し洞窟の前へと案内されていた。

 そこには既に二十人以上のメロウが集まり、洞窟を眺めながら今後の対応を協議している。


(フィロフィーちゃんを置いて来たのは失敗だったわね)


 この時点で、アキは代官がメロウ誘拐の犯人であると確信を持っていた。その理由はやはり魔封じの魔方陣であり、メロウの魔法を封じるために使用していたのだと思えば合点がいく。

 あそこに住んでいる代官のダゼンが、魔封じの魔方陣に気づかずに生活している可能性は万に一つもありえない。


『ケニー、タイア様、聞こえてる? 聞こえているなら人魚の入り江まで戻って来なさい。

 メロウ誘拐の犯人は代官ダゼンで、代官屋敷周辺にはメロウの魔法を封じるための魔方陣が発動しているわ。突入しても魔法が使えないし、フィロフィーちゃんもまだ屋敷の中にいるから無茶しないように』


 アキは二人に聞こえている前提で念話を飛ばす――が、その指示は遅すぎた。

 既にケニーとセラップの戦いの火蓋は切って落とされている。


「さてと、それであなた方メロウはこの事態にどうするおつもりですか?」

「どうって言われてものう……本当に代官様による誘拐だとすれば、もうこの島には居られんの」


 アキの問いかけに答えたのは、メロウ達のおさである一番高齢の男性だった。


「長、それは!」

「うむ、また辛い時代に戻る事になる。

 すまんが皆でいつでも逃げられる様に、港町にいる人魚達にも声をかけてきてくれ。他の人間に悟られぬようにな」

「わ、わかりました」

「それなら、カメタロウも連いて行きなさい。囚われのメロウには会った事がないから話しかけられないけど、姿の見えている相手になら念話でこっそり話しかけられるでしょう?」

『それは、できますけれど……』


 カメタロウは嫌そうにして言いよどむ。

 一歩間違えればメロウと共に捕まりそうなミッションに、カメタロウが渋るのも仕方ないだろう。

 しかし。


「むぐむぐ、ごくん。……あ、どうぞどうぞ使っちゃってくださいな」

『……行ってきますよ、ええ、行ってきますとも』


 すぐそばで二枚貝の魔法焼きを堪能していた上司があっさり承諾してしまい、カメタロウが何か諦めた様子で若いメロウと共に港へと泳いで行った。



(うーん、この状況で魔石の話は切り出しにくいわねぇ……)


 そうしてメロウ達が困りはてている一方で、アキもまた困っていた。

 このままメロウがコジュン島を脱出するのを見送ってしまえば、魔石を手に入れるチャンスはない。囚われのメロウの救出を条件に交渉するなら今だろう。


 ただしそれは、代官に喧嘩を売るという事である。

 今回の事件が悪代官ダゼンが勝手に企んだことならばそれも問題ないが、もしも領主の意向だったなら、東の大領主サラム大卿に喧嘩を売ることになる。

 こちらには一応第六王女タイアがいるが、現女王がサラム大卿と喧嘩してまでタイアを庇うはずがない――どころか嬉々として罰しに来るに違いない。

 そもそも、そんなまねをして生きてサラム領を出られるだろうか?


『アキ、アキ! 聞こえるか!』

『あ、タイア様? さっきのメッセージは聞こえて……』

『良かった、つながった! ケニーが代官の手下っぽい奴と戦闘になって――』


 

 そこにタイアから入った連絡に、アキの顔が商人の顔から傭兵のそれに変わる。

 ごちゃごちゃと悩む必要が無くなったアキは、すぐさま行動を開始した。



 *   *   *   *   *



 セラップは対人戦に特化した剣士だった。

 彼の剣術はアキの見立て通り達人と呼べる域に達していて、剣の腕はケニーを越えていた。

 魔法の使える状況ならばケニーの方に分があっただろう。しかし魔法の使えないこの場において、ケニーは誰の目にも明らかに不利で、セラップに押され続けていた。


 ケニーは体のあちこちに浅い切り傷を作りながら、必死の形相でセラップの剣を受け止める。

 セラップは薄笑いを浮かべながらケニーを責め、メロウ達がケニーの奮闘を涙を流しながら見守っている。



 ――しかし単純な実力の差が、そのまま勝敗につながるわけではない。

 なにしろケニーの持ち味は『情けなさ』なのである。



 決着をつけようとしたセラップが少し大きく振りかぶった瞬間、ケニーは突然顔つきが変わる。


「ふっ!」

「くぅっ!?」


 それまでへっぴり腰で防戦していたケニーが素早くセラップの間合いに踏み込で、今までよりも一段鋭い突きを入れる。

 あまりの急転に、余裕の表情で攻め立てていたセラップはどうしても反応が遅れた。それでもギリギリで右に跳んでかわし、続いてケニーが放った横薙ぎの一撃を剣で受け止める。

 しかしケニーはその一撃には力を入れておらず、手首をしならせセラップの剣を受け流す。

 そして更に一歩踏み込んで、セラップの右肩を深く薙いだ。


 それまで紙一重の攻防をしながら切り傷を増やしていたのはケニーだったが、最初に深い一撃を食らったのはセラップだった。

 突然戦況が変わったことに、固唾を飲んで祈っていたメロウ達ですらきょとんとした表情を見せる。




 ケニーはセイレン領の兵士の一人だ。

 彼はかつて常勝無敗を誇ったロアード傭兵団の元副団長スミルス=セイレンと、同じくロアード傭兵団で銀の魔導士と呼ばれていたセルフィー=セイレン夫婦の一番弟子だった。

 少年の頃からそんなスミルスやセルフィーに仕込まれた彼は、セイレン領では師匠二人を除けば一番強い。読み書き四則演算を習い、スミルスが貸し出し自由にしたセイレン家の蔵書もよく読んでいた彼は、決して頭も悪くない。

 そのため第六王女タイアの指南役――という名の護衛は、当たり前のように彼が務めていたのである。

 それでも達人と呼ぶは一歩及ばなかったのだが、それは若さと実戦経験が乏しかった事に起因する。現在二十歳になったケニーはこの旅で実践経験を積み続け、暇があれば強くなったタイアと訓練したり、アキに戦い方を習ってきたおかげで出発前とは見違えるほどに強くなった。


 セラップに一歩及ばなかったとはいえ、セラップが隙を見せるまで粘れるだけの剣技を持ち。

 魔法に至ってはフィロフィーが絶版魔導書級の魔導書をほいほい渡すものだから、老魔導士にも引けを取らない。


 しかしそんな彼の最大の武器は、剣でも魔法でもなく心だった。


 タイアに振り回され、フィロフィーに嵌められ、アキに邪険にされ続け――

 ある日突然簀巻きにされて出発し、夜間は見張りに立たされて日中の揺れる馬車で眠り、美女達と旅をしていながらエッチなご褒美イベントなどは一切なく、その境遇は行く先々で人々に同情され――


 そうやって体以上に心を鍛えられてきた哀戦士は――本当はかなりの実力者でありながら、その事を情けなさの裏に隠しておける鋼の心を持っていた。




「ふぅ。いやぁ、あなたが僕の師匠より強かったら危なかったっす」

「くそ、貴様……ふざけやがって!」

「いやいや、貴方が勝手に油断したんでしょう?」


 そう言うケニーは汗だくの傷だらけで、やはりあまり強そうには見えない。

 何しろ長い付き合いのタイアですら、ケニーがセラップにこの状況でで勝てるなど露程も思っていなかったくらいである。本来ならばセラップもなかなか致命傷を与えられない時点でケニーの実力を怪しむところだが、ケニーの我慢の方が一枚上手であった。


「あ、この牢屋の鍵ってもってます? それとこの魔方陣を消してくれれば、魔法で止血も手伝いますけど」

「……ちっ、持っていけ」


 そう言って、セラップは牢の鍵を左手でケニーに放り投げる。

 利き手ではない方の手で投げた鍵は、ケニーの立っている場所よりも右にそれる。ケニーはそれをキャッチしようとして手を伸ばす。



 ――その瞬間、ケニーの大腿部から血が噴き出した。



「――っ!?」


 ケニーは何が起きたかわからぬままに倒れこむ。

 彼の右足の太腿は、高速で打ち出された火の矢(・・・)で焼き抉られていた。

 その光景にメロウ達が小さく悲鳴をあげる。


 それを見て笑うセラップの、その左手の中指に付けられていた指輪がキラリと光った。


「ぐぅ……魔道具っすか、それ」

「ああ、貰い物の魔法を一つ込めておける指輪だ。こんな貧弱な魔法しか入らないが、この魔方陣の中でも使えるんでね。……まさか、お前のような奴に使うはめになるとは思わなかったが」


 ケニーはセラップに喋らせながら二発目を警戒するが、彼は追撃はせずに自分の右腕の止血に取り掛かっていた。指輪は一つしかつけていないので、おそらく一度限りの切り札だろう。

 ケニーもセラップが来ないうちに傷の手当を試みる。傷口が焼けているために出血こそ少ないが、右足全体が酷く痺れてどうにも動きそうにない。


 残念ながら、この状況はとても引き分けとは呼べなかった。

 互いに止血が終わった時点で立ち上がって左手に剣を握ったセラップと、立つことができないケニーとでは勝負にならない。


「さて、拷問が嫌なら知っている事を全部喋れ。お前はどこの誰だ?」

「それは……ぐわああぁぁぁ!」


 ケニーは太ももを抑えながらセラップを睨み――しかしすぐに目を閉じて痛そうに呻いてもがく。


「ん? どうした、答える前に死ぬなよ?」


 そう言って、勝利を確信したセラップがケニーに一歩近づく。

 ただし自分に一撃いれたケニーに対し、セラップはもう油断はしなかった。

 今回はケニーの呻き方に演技っぽさを感じ取り、実は動けるのではないかと疑りながら、ケニーの一挙手一投足に集中する。


 事実、この時ケニーが目を閉じて呻いたのは、半分以上演技だった。

 もっとも動けるわけではないのだが、セラップに演技臭いと訝しませたところまでが演技である。



 ――ケニーはただ、自分の汗や瞳に、狐火の光が映るのを防いだだけだった。



「くぉおおおおん!」

「なにっ!?」


 セラップが背後に迫る熱気に気づいて振り向いた時、その目の前には巨大な火球が迫っていた。

 

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