第二十九話 人魚の島 ⑤
ダゼンがフィロフィーとアキのために用意した昼食は、フィロフィーが今まで食べたことのない豪華なものだった。
魚介がメインのコース料理で、ダゼンが自慢していた通り鮮度が高い。採れたてを味わえるのはワルワレの港でも同じだったが、メロウが直接海に潜って捕まえてきた魚は身が綺麗で、最高級品として扱われている。
そんな魚介が代官お抱えの料理人の手でカルパッチョやムニエルになって並べられているのだから、これが美味しくないわけがない。
加えてダゼンは先ほどのフィロフィーの話が余程気に入ったらしい。秘蔵の一品であろうワインを開けたり、高級菓子をフィロフィーに出すよう指示を出したりして、執事やアキを狼狽させた。
「(フィロフィーちゃん、ちょっといいかしら?)」
「(どうしました?)」
食後のお茶を飲み始めたところで、アキはフィロフィーに小声で話しかけた。
最近は秘密の相談は念話に頼ってばかりだったので、アキはその行為になんとなくやりにくさを感じる。
「(何度かタイア様から念話で話しかけられてたんだけど、この屋敷の中に魔封じの魔方陣が発動してるみたいで返事ができないのよ。急ぎっぽい感じだったから、代官様との話はここで切り上げましょう)」
「(うーん、でもいま切り上げるのは失礼ですわ。ワインやお菓子まで出して貰いましたし……あ、そうですわ)」
フィロフィーはパチンと手を鳴らし、ダゼンの方に顔を向けた。
「ダゼン様、よろしいですか?」
「どうしましたか?」
「実はこのあと、港に荷物の引き取りに行かなくてはいけなかったのを忘れてまして。
わたくしはもう少しここで魔物について語らせていただきたいと思ってますが、こちらのアキさんだけ先に帰してもよろしいでしょうか?」
「え、私だけ?」
「もちろん大丈夫です。アキさんもご心配には及びません、フィロフィーさんの事は、後ほど屋敷の者が責任をもって宿まで送りますから」
「あ、えっとぉ…… では、お言葉に甘えてそうさせていただきます」
この状況で無理矢理フィロフィーを連れて帰るわけにもいかず、アキは一人で席を立つ。
「それではフィロフィーさん、魔物の肉から魔力を抜く方法について伺いたいのですが――」
玄関へと向かうアキの後ろからフィロフィーとダゼンの話す声が聴こえてくる。
フィロフィーの態度が気になったが、まあ危ない事はないだろうと信じてアキは屋敷を後にした。
屋敷を出てもしばらくは念話が使えず、アキは港町の方に歩き続けた。
魔封じの魔方陣の効果範囲は、予想外に広いらしい。
『タイア様、聞こえますか? タイア様ー? ケニー? ……おかしいわね』
ようやく魔法を使える場所に出たアキは、島の中ならどこにいても必ず届くくらいの魔力で呼び掛けたが、今度はケニーとタイアの方が返事をしない。
もしかしたらメロウを探しに沖へと出たのかもしれない。ひとまずコテージに戻ろうかと考えていたアキに、前から走ってくる人間が見えた。
ロミットである。
「あ、やっと出てきた!」
「あらロミット、悪いんだけど今は忙しいから後でね」
「ちょっとちょっと、さっき屋敷から追い出したこと一言くらい謝ってくださいよー。私も代官様のお昼ご飯食べたかったのにぃ!」
「知らないわよ」
手をぐるぐる回しながら飛び込んでくるロミットを、アキは右手で軽くいなす。
「もー、あとでお昼おごってくださいよー? お腹ペコペコで待ってたんですから」
「だから知らないってば。待ってないで港で食べてくれば良かったでしょ」
「そう思って港に行ったら、カメタロウに念話で頼まれたんですよ。アキさんとフィロフィー様を人魚の入り江に連れて来いって」
「カメタロウが? なんで?」
「知りませんよ、理由は教えてくれなかったし。
それで私はトンボ帰りですよ! 絶っ対におごってもらいますからね!」
カメタロウはタイアと一緒にコテージで留守番をしていたはずだ。
となればカメタロウに支持を出したのはタイアかもしれない。
「人魚の入り江って?」
「島の北の入り江に、メロウの住む家があるんですよ。普段は立ち入り禁止なので観光案内にも載ってませんね。私も一度だけお父さんと一緒に視察に行った事があるけど中々面白い所ですよ。浮島に浮いたメロウの家がこうぷかぷかと――」
「わかったわ、行きましょう」
「ちょ、お腹空いてるんですけどぉ!」
アキは北へ向かって走り出した。
ロミットの悲痛な叫びは完全に無視して。
* * * * *
「弱ったっすね…… あ、狐火は大丈夫っすか?」
「きゅーん……」
洞窟の奥へと進んだケニーとタイアは、途中から魔法が発動できない場所に突入していた。
二人はまだ知らない事だが、魔封じの魔方陣の効果がその洞窟に及んでいるのが原因である。
発動した魔法の持ち込みは出来る事に自力で気づき、タイアは灯りのための狐火を魔方陣の効果範囲の手前で作り、それを絶やさない様にして歩いていた。
「けどまあ、アキさんが返事できなかったのは何かあったからってわけじゃなさそうっすね。こんな魔法が使えない場所があるなんて」
「くぉん!」
アキが念話に応答しない事を悪い方向に考えていた二人は、何事もない可能性が高くなり胸をなでおろす。
魔封じの魔方陣を知識として知っていれば違う答えも出てきたろうが、その存在も知らない二人はそういう土地なのだろう程度に考えていた。
この洞窟が代官屋敷につながっていない可能性もあると思い始め、少し気を緩ませる。
「けどどうしましょうか? アキさんが無事なら引き返したいところですけど、中にメロウが捕まってるかもって思うと悩みますね」
「きゅーん……きゃう!」
タイアは小さく吠え、洞窟の奥へと一歩踏み出した。
「それは、行こうって事っすか?」
「……くぉん!」
あくまでも本来の目的は、メロウに恩を売って魔石を譲って貰うことである。タイアはこのチャンスを逃すのは惜しいと考えた。
それにアキからの返事がない以上、アキやフィロフィーが無事ではない可能性もまだ残っている。
ケニーもタイアの考えはおおよそわかった様で、タイアの選択を尊重して先へと進み始めた。
――しかしタイアは後に、この選択を後悔する。
そのまま慎重に数分ほど歩くと、洞窟の奥は行き止まりになっていた。
ケニーとタイアは騙されまいとして周囲の岩壁を念入りに調べ始める。先ほど崖で隠し扉を見たばかりなので、これで終わりのはずがないという確信があった。
光源が狐火だけで暗いため、探索に少し時間がかかってしまったが、行き止まりから少し戻ったところに崖と同様の隠し扉と通気口を発見する。
通気口は三メートルほど上にあったが、タイアはその通気口へと三角飛びで軽々とよじ登る。
たとえ浮遊魔法が使えなくても、狐の身体能力を持つタイアには、この程度なら造作もなかった。
「気をつけて下さいよ」
ケニーのありきたりな応援を背に、タイアは狐火を解除して狭い通気口を進む。
今回は通気口の奥が明るく――
そこには檻に入ったメロウ達がいて、魔方陣の光に照らされていた。
その光景に、タイアは思わず息を呑む。
床に描かれた魔方陣が放つ光が綺麗で幻想的と言えなくもないが、魔方陣の中央に置かれた檻とその中にいるメロウ達の悲しい顔を見れば、魔方陣がメロウ達の力を封じるものである事は想像に難くない。
タイアは気を引き締めて周囲を見渡し、誰もいない事を確認すると通気口からひらりと着地した。
「……え、狐?」
メロウの達がタイアに気づき凝視するが、その目は期待する目ではなく恐怖の色を示している。子狐姿のタイアを見て、知能の低い魔物がここまで入り込んだと思っているのだろう。
「きゃふ」
メロウ達を怯えさせないよう、タイアは小さく鳴いて頷いてみせた。
そして後で檻に背を向けて隠し扉の取っ手に飛びつく。
その体制のまま扉を爪でカリカリと引っ掻いて音を出すと、合図を聞いたケニーが重たそうに扉を開けた。
「うわぁ、まさかメロウが本当にいるとは……」
「ひ……」
「あ、皆さん怯えなくて大丈夫っすよ。僕らはメロウの皆さんを助けに来ましたから」
怯えるメロウ達に、ケニーがパタパタと手を振ってみせる。
「た、助けてくれるの!?」
最初に問いかけてきたのは、警戒する母親に抱き締められたメロウの少女だった。
「もちろん。ねえコクリさん」
「きゅん!」
ここでタイアは鉄格子の隙間から中に入り、メロウの少女に近づく。
母親や他のメロウ達が警戒して距離を取ったので触れる事はしないが、目の前に座って尻尾をパタパタと振ってみせた。
大人のメロウ達が顔を見合わせる。
まったくもって信用できない男だが、こうして魔物を使役してこっそりと忍び込んで来た以上、少なくとも誘拐犯の仲間ではないのだろう。このまま檻の中にいても未来は暗く、ケニーの申し出を受け入れるより他にない。
「――わかりました。あなたを信用します」
「いや、全然信用してる顔してないんですけど!?」
そう言いつつほとんど睨みつけているメロウにやや引きつつも、ケニーは檻の具合の確認を始めた。
これがアキやフィロフィーならば、もっと上手く交渉するのだろうかと思いながら。
――実際アキやフィロフィーならば、ここで魔石譲渡の交渉をしているだろう。そうやってあえて欲を見せる事で相手に信用してもらう交渉術があるのだが、ケニーにそんな技術はない。
ケニーの持ち味は『情けなさ』である。
「うーん、開かないっすね…… 鍵の場所とかってわかりますか?」
「いえ。おそらくは代官のダゼンが持っているのかと」
「あー、やっぱり代官屋敷ですかここ」
「どこだと思ってたんですか?」
「偶然、北の入り江の近くで秘密の抜け道っぽいものを見つけたから、もしやと思って見に来たんすよ。砂浜にいたメロウの夫婦が、代官屋敷の方角に伸びてるって言ってたから覚悟はしてましたけど」
「あの二人、また浜辺でいちゃ付いてたんですね……」
「あ、そう言えばここで銀髪緑眼の女の子と、美人だけど意地の悪そうな赤毛の女の人を見てないっすか?」
「いえ、見てませんけど」
「そうですか。今ごろ美味しい物でも食べてるのかも。お腹すきましたねコクリさん」
「きゅん」
このメロウの母親との緊張感のないやりとりで、メロウ達のケニーへの警戒は薄れていった。
……が、同時に不安は強くなった。この男に任せて大丈夫なのかという不安である。
「魔法さえ使えればこんな檻壊しちゃうんすけど……」
「でしたらこの、魔封じの魔方陣を壊してしまえばいいのでは?」
「え? ああ、そういう事っすか!」
ケニーは足元に光る魔方陣の正体を知り、しげしげと観察する。
それから持っていた剣の柄でこすって傷つけてみるが、線が消える様子はない。淡く光る魔方陣はただ床に描かれたわけではなく、溝を掘って何かセメントの様なものを流し込んで作られているらしい。
「うーん、ちょっと剣で傷つけた位じゃ消えそうにないっすね」
「――その通りだ。その魔方陣は簡単には消えぬよう奧に深く彫ってある。たとえ貴様が剣の達人であっても一撃では斬れんよ」
突然男の声に話しかけられて、ケニーは慌ててその場を飛び退く。
隠し扉とは反対側にあった扉が開くと、そこには皮鎧を着た声の主――セラップが立っていた。
タイアはも慌てて檻から出て、ケニーの脇に陣取り威嚇する。
「がるうううう」
「ほう、どんな鼠かと思ったが、まさか狐とはな。これではあの子の実験動物にはならないかな」
セラップは自分にしかわからない冗談を言いながら、無表情でタイアを見下ろしている。
『タイア様、聞こえますか? タイア様ー? ケニー? ……おかしいわね』
二人の耳にアキの無事を知らせる念話が聞こえてきたが、それを喜んでいる余裕はなかった。