第二十七話 人魚の島 ③
「ところで、お二人はいつからこの島に?」
「十日になりますわね。食道楽も楽しみつつ、長居させてもらっていますわ」
「それは良かった。この島は接客に当たっているメロウの女性にばかり目が行きがちですが、メロウの男達が取って来る海産物なども美味しいのですよ。なにしろ海に潜って直接取って来るので獲物の状態が良いんです」
執事とロミットが退出して、屋敷の執務室にはフィロフィーとアキ、代官のダゼン、そしてその護衛の男が残っていた。護衛の男は皮鎧を着て、腰には長剣を差している。
フィロフィー達は脇にあったソファーに腰かけて自己紹介したり世間話などをしているが、護衛の男は壁際に立ち、無言のままアキとフィロフィーの様子をうかがっていた。
ダゼンも彼の事を特に気にしたり紹介したりする様子もなく、にこやかに話を続けている。
代官とは思えないほどに腰の低いダゼンが彼に一切触れないことに、アキは何となく違和感を感じた。
「それでフィロフィーさんは専門家としてこの島の魔物の調査をしに来たという事ですが、どのような調査をされているので?」
「総合的に――ですが、主に魔物の有効利用についてですわ。
狙った魔物を魔素発生できないか。魔物の魔力や魔石がどのような性質をもっているか。皮や骨が何かに使えないか。それに肉の食用化の可能性についてなど、複合的に検討しています」
「食用化についても、ですか」
食用化と聞いて、代官が僅かに目を細める。
「良かった、実は私が聞きたかったのはまさにそこなんです。
既にご存知かもしれませんが、実はウオビトやウォークフィッシュといった魔物が漁師たちの網にかかったり、貝や海藻などの資源を食い荒らされたりで困ってまして。
彼らが発生しない様にするか、あるいは何か利用法があるなら是非ご教授願いたいと思っています」
「なるほど。……ですがまず、ここが海に浮かぶ小島である以上、魔物の発生を抑えるのは難しいですわね」
「やはり、そうですか」
フィロフィーの回答はダゼンも予想通りらしく、彼は僅かに苦笑いするだけだった。
魔物の発生パターンは二種類存在する。
一つは普通の動植物と同じように魔物同士で交配し、産卵や出産などによって増える『繁殖発生』がある。植物型の魔物なら種、原始的な魔物なら分裂で増える場合もあるが、いずれも元になる魔物がいて、そこから新しい魔物が産まれてくる。
もう一つは『魔素発生』と言って、なんらかの要因で魔素が濃くなった場所に魔物が生み出される、いわば自然現象だ。その際周囲にある物質を少しずつ集めて魔物の肉体に変換するので、どんな魔物が発生するのかは周囲の環境によるところが大きい。
例えばセイレン領では冬になるとユキウサギという魔物が大量発生するが、ユキウサギは温暖なイトラ大陸南部では発生しない。
海での魚型の魔物の発生を抑えようと思ったら、それこそ海を埋め立てる必要があるだろう。
そんなことをコジュン島とワルワレ港を治める代官に提案しようものならば、即刻つまみ出されてもおかしくはない。
ちなみに強い魔物が発生するには大量の魔素が必要になるため、弱い魔物のほうが発生しやすい。
そして人間の近くでは魔素発生は起こらない。人間が周囲の魔素をかき回し、安定しないからだと思われている。
「はい。やはり有効利用の方向で考えた方が良いかと」
「なるほど。私としては、できるなら食用にしたいところですがね。メロウ達の話では、ウオビト等は結構美味しいらしいですから」
「そうですわね、ウオビトの身は脂が乗っていますから」
「ああ、そういえばフィロフィーさん達はウオビトやセイレーンを解体して調べたそうですね。私はメロウ達の話で知っているだけですけれど」
フィロフィーのきわどい相槌にアキは嫌な汗をかくが、ダゼンは気にした様子もないまま会話を進める。
フィロフィー達が集めた魔物はすべて、生態調査のため解体した事になっている。
そして脂の乗りは目視でも判断できるため、ダゼンもまさかフィロフィーが自分の舌で確認したとは思わなかった。
「ウオビトは今のところ、メロウ専用の珍味といった扱いになっているんです。たまにコジュン島に遊びに来た友好種の魔物にふるまう事もありますが、どうにも過剰供給の状態です。
彼奴らは近海の海の幸を食い荒らしてしまいますので絶えず駆除しているのですが、そうして山積みになった死体を海に投棄するわけにもいかず、毎日魔法で焼くのが手間でして」
「それで有効利用ですのね」
「はい。本当に美味しいのであればコジュン島の新名物として売り出したい所ですが」
「なるほど」
フィロフィーは納得して頷いているが、横で聞いていたアキは口元がひきつっていた。
魚が二足歩行で歩いているようなウオビトはかなりグロテスクな見た目である。そのうえ魔物とくれば珍味どころかゲテモノに分類されると思うのだが、そが島の名物になるだろうか?
アキは疑問でならないのだが、いくら物腰が柔らかいとはいっても代官にツッコミは入れられない。ダゼンだけでなく、フィロフィーまでも当たり前の様な顔をしているなら尚更だ。
いつもならこのモヤモヤをケニーやタイアと念話で共有して発散するところだが、今は二人ともそばにはいない。
「それで……魔物を食べる方法はあるのでしょうか?」
「結論から言うと、あるにはありますわ」
「ほ、本当ですか!? どうすればいいのですか!?」
ダゼンが驚いて身を乗り出す。
彼は今度も無理だと一蹴されると思っていたらしい。
「その前に、ダゼン様はそもそも人間が魔物を食べられないのか、理由をご存じですか?」
「確か、魔物は人間にだけ反応する猛毒を体内に持っているという話でしたよね。その猛毒の正体はわかってないみたいですが」
「実はその説は半分正解ですが、半分間違っているのです。
これについて詳しく説明するには、まだ世間に発表されていない話を含んでしまいます。子供の妄想にしか聞こえないかもしれませんが、それでも良ければお話致しますわ」
「是非ともお願いします。どのようなお話であれ、馬鹿にしたりはしないとお約束しましょう」
それまで笑顔だったダゼンが、真剣な表情でフィロフィーを見つめる。
(ちょっとフィロフィーちゃん、そんな話して大丈夫な……あら?)
フィロフィーの話はアキも大いに興味があったが、少し踏み込み過ぎな気がして念話でたしなめようとした。
しかし、念話が発動しない。
(この感じはたぶん、『魔封じの魔方陣』だけど……
常時発動させている?)
アキはすぐに傭兵時代に何度も見たトラップに思い至る。
その名の通り魔法を封じるための魔方陣だが、その効果は発動を封じるだけであって、既に発動した魔法を消す事は出来ない。
例えば魔方陣の外にいる敵から魔法を撃ちこまれても防げないが、魔方陣の中から外にいる敵に魔法を撃つことはできなくなる。拠点の防衛には役に立たない、どころか邪魔でしかないとされているような魔方陣だ。
加えて魔方陣の維持には魔力が必要で、誰かが絶えず魔力を送り込むか、あるいは魔石を魔方陣の台座にセットしておく必要がある。魔石の場合は長持ちはするが、徐々に小さくなってしまう。
魔法使いの牢屋などにはよく使うのだが、まさかアキやフィロフィーが暴れるのを警戒しているわけでもないだろう。
どうにも腑に落ちないが、ここで質問すればアキが何らかの魔法を使おうとしていたことがバレてしまう。
いずれにせよ、念話でフィロフィーに語りかける事はできない。
「まず、人間と動物は別の生き物だと思ってください。人間は魔物を食べられませんが、動物は魔物を食べる事ができますので。
――あ、食べ過ぎた場合には動物でも死んでしまうのですが、ダゼン様はご存じで?」
「いえ、初耳です」
「そうですか。
百聞は一見に如かずと申しますし、できれば実験してお見せしたい所ですわね。鼠などいればよいのですが……」
「鼠、ですか……ええ、それくらいならすぐ用意できるかと。
セラップさん、セデスに伝言をお願いできませんか?」
ここで初めて、ダゼンは護衛の男に声をかけた。
「ここはどうする」
「あなたが戻ってくるまで、私はこの部屋から出ませんよ」
「……わかった」
短いやり取りの後、セラップと呼ばれた男が退出する。
(剣の達人、ってところかしらね)
アキはセラップの動きをさりげなく観察する。別に敵対している相手でもないが、傭兵時代に身についた癖である。
そして彼を強者と判断した。
一方で退出直前、セラップもアキを一瞥していた。向こうもアキに対して思うところがあったのだろう。
「では話を続けますが、人間が魔物を食べられないのは猛毒ではなく、魔物の魔力が原因ですわ。
人間が魔物の魔力を取り込むと、人間の体内にある魔素を魔力に変える力を暴走させてしまうのです。暴走状態になると魔力を過剰生成して肉体に負荷をかけてしまい、酷い場合は死に至ります」
「……えーっと、すいません。少し時間をください」
ダゼンはここで慌てて紙と筆を持ち出してきて、フィロフィーの話のメモを取り始めた。
「では、その、魔物の体内に未確認の猛毒が存在するというのはデマなのですか?」
「そうなりますわね。ただし魔物の魔力こそが猛毒の正体だとも言えますが。
……それにこの話とは関係なく、シビレバジリスクの様に体内に毒をもつ魔物はいますけど」
「はあ。ですが、魔力なら人間だって持ってますよね? 動物だって多少は魔力を持っているはずです」
「人間の持つ魔素を魔力に変える因子――わたくしはマナンプ因子と呼んでいますが、これが他の動物とは少し事情が違うのですわ。人間はマナンプ因子の獲得によって他の動物よりも多くの魔力を手に入れましたが、魔物の魔力はこのマナンプ因子の暴走を引き起こすのです」
「ちょ、ちょっと待ってください、メモしますので!」
ダゼンはフィロフィーに質問をしながら、必死に右手を動かしてメモを取る。
アキはそんなダゼンを見て、本題でもないのに熱心なものだと感心しつつ、自分は後でフィロフィーに執筆させて儲けようかと考えていた。
「ちなみに動物の持つ魔力は体内に留まることなく霧散して魔素に戻るので、マナンプ因子の暴走は起こしません。なので動物は動物を食べても問題がないのです」
「な、なるほど。では、動物は魔物を食べるとどうなるのですか?」
「基本的には問題ないのですが、過剰な魔力摂取は動物の体にも変化をきたします。わたくしは魔力酔いと呼んでいる現象ですが――それも後で実験でお見せしましょう」
そう言って、フィロフィーは微笑む。
ダゼンが新たな知識に興奮気味に見えるのに対して、アキはうっすらと背筋に寒気を感じる。
ふと、旅に出た時の出来事を思い出す。
フィロフィーは旅立ちの直前まで、動物実験用の鼠を飼っていたらしい。
本人曰く「タイア様を人間に戻すための実験」だったそうだが、いったいどんな実験をしていたのかはタイアやケニーに聞いてもわからなかった。
その鼠達は旅立ちの日にフィロフィーが処分したそうだが、誰もその場を見ていない。
……本当に、タイアのための実験だったのだろうか?
他人に見られてはいけないような、何か別の実験だったのではないか?
(うーん、フィロフィーちゃんの学説が凄すぎて、ちょっと当てられてるのかしらね)
アキは正解に辿りつく前に、小さく首を振って考えを止めた。
「あ、それと実は魔物でも、爪や髪の毛のように魔力を含んでない部位ならば食べられますわ。
例えばセイレーンの羽根には魔力が籠っているので食べられませんが、メロウの爪や髪の毛などは残念ながら食べられますわね」
「残念ながら?」
「……いえ、先日メロウに頼んで髪の毛を分けて貰ったのですが、魔力がこもっていなかったのでサンプルにならなかったものですから」
そう言って、フィロフィーは大きくため息をつく。
今回はアキにもフィロフィーの考えていることがよくわかり、隣で小さく苦笑いをする。
フィロフィーが頑張って作った硬いものを溶かす鍋『魔導鍋一号』は、いまだろくな活躍をみせていない。
「なるほど。ですがさすがにメロウの髪の毛では名物にはなりそうもないですね」
「ウオビトの有効利用という事であれば、たしか鱗には魔力がなかったはずです。煎じて漢方薬として売り出してみてはどうでしょうか?」
「はあ。身を食べる方法はないのでしょうか?」
「ありますわ。単純な話ですが、ようは魔物の肉から魔力を完全に抜いてしまえばいいのです」
「……本当に可能なのですか?」
「はい。ただし時間もコストもかかるので実用的ではないのですが――」
そこで執務室の扉がノックされ、執事のセデスと護衛のセラップが入室してきた。
「ご歓談中すみません、昼食の用意が整いました」
「わかった。――フィロフィーさん、続きは食後に伺っても良いでしょうか?」
「ええ、もちろんですわ」
ダゼンに先導されて、フィロフィーとアキ、それに執事が食堂へと向かう。
アキは部屋を出る時にセラップを気にかけたが彼は付いて来るつもりはないらしく、執務室の壁際に立ち続けていた。