第二十六話 人魚の島 ②
ケニーは情報収集のため、島の西部にある観光協会の建物に向かった。
女性のメロウのほぼ全員が観光協会に勤めていることを踏まえ、メロウの事はメロウに聞くのが手っ取り早いと考えての行動だった。ちなみに男性のメロウは漁業関係の仕事をしている者が多い。
そうして観光協会へ入ってみたが、ここには人間の職員しか見当たらなかった。
メロウ達はそこからウォーターショーや室内水泳教室などの各施設に割り当てられているため、ここにはあまり来ないらしい。
ケニーは気を取り直して、人間の職員をつかまえて質問をした。
「行方不明になったメロウについて、ですか?」
職員の女性はいぶかしがってケニーを見つめる。
「ええ、あの泳ぎの得意なメロウ達がどういう状況で行方不明になったのか調べて来いと、僕の主人に命じられまして」
「……彼女、やっぱり随分と変わってますね」
フィロフィー一行はこの職員に――否、コジュン島の職員達に顔を覚えられていた。
もちろん要注意人物として、である。
彼らにしてみればフィロフィー達はろくに観光もしないまま、セイレーンの死体を運び込んだり漁師からウオビトの死体を買い取ったり、あるいは島の雑木林に立ち入って魔物を狩ったりもしている変人集団である。狩っているのはいずれも有害種など問題のある魔物ではないのだが、コジュン島の住民には稼ぎ頭であるメロウを護るという使命がある。魔物の死体を集める少女達を警戒するのも仕方ない。
事実、第一目標は行方不明のメロウを保護して人魚達に恩を売る事で間違いないが、第二目標はメロウの死体を回収してフィロフィーに食べさせる事である。
誤解でも何でもなく、危険な集団で間違いない。
ただしワルワレでのワカメ事件の功労者としてロミット紹介されているため、露骨に拒絶するわけにもいかない。こうして訪ねて来られたら、茶の一杯も出さねばならないような微妙な関係を築いていた。
「ええ、まあ。専門家の考える事は僕にもいまいちわかりませんけれど、フィロフィー様はメロウ達が消える状況というのに興味を持ったそうでして」
「なるほど、そうでしたか。――まさかとは思いますが、メロウの事もセイレーンやウオビトみたいに解剖してみようとか思ってたりしませんよね?」
「ははは、まさか! フィロフィー様は変わり者ですが、今まで一度も友好種に手を出した事はないですよ。今日もこの島の代官様に魔物の話を聞きたいと乞われてお屋敷に出向いていますし、メロウを襲ったりはしませんて」
「……そうですか。それは失礼いたしました」
代官の名前が出てきたことに、職員は僅かに目を開いていた。
「そうですねぇ。あの夜の嵐は確かに強くはあったんですが、それほど珍しいものでもなかったのですけどね。朝になると入り江にあったメロウの家が数軒、無くなっていたんです」
「メロウの家、ですか?」
「はい。……あ、島の北部に入り江があって、メロウはみんなそこに住んでいるんです。
ただし関係者以外立ち入り禁止ですよ、彼らも家まで観光客に押しかけられてはたまりませんので」
「まあ、そうでしょうね」
「それで北部の入り江に専用の家が建てられているんですけれど、その中でも海から近い所にあった数軒が嵐の後に消えていて…… おそらくは高波に呑まれたのだろうと」
「密漁者の可能性はないんですか?」
「まさか。さすがに船を出せるような嵐ではなかったですし、ワカメ事件の影響で、あなた方以外には小型船が島に来たという事もないですから」
代官の名が効いたのか、職員は思ったよりも親切に教えてくれた。ケニーは女性職員にお礼をいって、観光案内所を後にする。
こうなると次の目的はメロウの家のある北の入り江の調査だ。しかし関係者以外立ち入り禁止の場所に普通に突撃しても、不審者として追い返されてしまうだろう。
コテージでカメタロウの世話をしているタイアの元に歩を進めつつ、どうすればいいかケニーは悩み――
「あ、そうか。カメタロウがいたっすね」
これ幸いとばかりに、亀を利用する事に決めた。
* * * * *
コジュン島が人魚の島と呼ばれる様になったのは、今から三十年ほど前の話である。
それまでメロウは海の各地に住んでいたのだが、エルフ化の研究用、あるいは愛玩用などの理由で人間により乱獲され、みるみる数を減らしていた。
そんなメロウ達を救ったのが、コジュン島やワルワレ港などを含めキイエロ王国の東部に広大な領地をもつサラム家だった。
救ったと言っても無償で手を差し伸べたわけではなく、先代サラム大卿はメロウの長と話し合い、庇護の代わりにコジュン島の観光産業に貢献するようにと取引をした。
見世物か芸妓のような扱いに反発し、サラム家に従わなかったメロウもいたが、大半のメロウは安住の地を求めてコジュン島へと移住した。サラム大卿は国に掛け合いメロウの友好種認定を通し、さらにメロウを誘拐から守るために海軍も配備した。
サラム家の目論見は成功し、コジュン島は人魚の島として、ワルワレ港とセットで王国屈指の観光スポットになっていく。
一方でコジュン島以外ではメロウの目撃情報はほぼなくなった。大半が人間に捕まったか、さもなければ人の及ばぬ無人島などに隠れ住んでいるのだろうと言われている。
それ以来メロウ達はコジュン島で安心して暮らしているが、それにはサラム家による庇護の他に、エルフ化の研究が行き詰まっているのも大きい。
人間が魔物であるメロウを食べても死ぬだけだし、死なないくらい少量を食べても気持ち悪くなるだけで何も起こらない。
亡くなる直前の最後のエルフがやや耄碌していた事もあり、メロウによるエルフ化はデマであるとする意見が強くなって、コジュン島まで人魚を攫いにくる人間も少なくなった。
「――先代の頃は密漁者との戦いに明け暮れて大変だった様ですが、私はなんとも暇なものです。島の経済も安定しているので本当にやる事がありません」
そう語るのはワルワレ港やコジュン島を統括するダゼンという名の代官で、彼はまだ若い青年だった。
場所は島の東部にある代官屋敷で、セイレン領にあるセイレン家の屋敷の二倍は大きい。なにしろ国内屈指の観光地である、ここだけでセイレン領全体の経済活動をはるかに上回っている。
その屋敷の一階にある執務室で、アキとフィロフィーとロミットの三人は横並びになって代官ダゼンと面会している。
応対するのはダゼン一人だが、その背後にはここまでの案内をした執事の老人と、護衛と思われる革鎧の男が控えていた。
「領地が平和なら、それだけでダゼン様の功績でしょう。愚かな領主や代官が治安を悪化させる事だってありますもの」
「私は主人であるサラム大卿の意向に沿っているだけですから。
――そういえば、北にそんな酷い領地もありましたね。ああはなりたくないものです」
「……」
フィロフィーはアキとダゼンの会話を聞きながら、父スミルスの事を思い出した。
旅に出るときにふん縛ってきた父の事を。
十年近く領主を続け、ポロ村近辺の人間とはなんとか良好な関係を作ったスミルスであるが、領内の遠くの村にはまだまだ反感が残っていると嘆いていたのを思い出す。
本当はこの旅に一緒に来たかっただろうが、理由の言えぬ旅に出て一年間も領地を投げ出してしまえば、全てが元の木阿弥になりかねない。だから縛って転がすのが最善なのだと、アキは満面の笑みで力説していた。
「さて、そちらのお嬢さんが魔物の専門家のフィロフィーさんでしたか?」
「初めましてダゼン様、フィロフィーと申しますわ」
フィロフィーはファーストネームだけを名乗り、裾をつまんで小さくおじぎをした。
セイレンの名を出さないのはたった今話題にのぼったからではなく、タイアの事が悟られないよう旅に出てからは一切名乗っていない。
ただしスミルスと違いフィロフィーの名前はまったく世間に知られてはいないので、コクリさんの様な偽名までは使わなかった。
「まずは港のワカメ事件を解決してくださった事にお礼申し上げましょう。ロミットの話では、なんでもうねるワカメが魔物でない事を瞬時に見抜き、その場で食べて見せたとか」
「え、ええまあ」
「ただその際お腹を壊したとお聞きしましたが、お加減は大丈夫ですか?」
「も、問題ありませんわ!」
フィロフィーが珍しく引きつった笑みで答え、隣でボケッとしているロミットに恨みがましい視線を向けた。アキはその様子がツボにはまり、吹き出しそうになるのを必死にこらえる。
およそ恐怖やトラウマに縁のない――むしろそれらをばらまく事の多いフィロフィーにとって、ワカメは数少ない弱点となった。
「それは良かった。まだお若い様ですが、魔物にだいぶお詳しいと伺いました。私も仕事柄魔物について日頃から気になっている事があってお呼びした次第です。ただ半分は道楽程度のものですから、どうか構えないで下さい」
「ありがとうございます、ですがなんでも聞いてくださって大丈夫ですわ!」
「ははは、それは頼もしい。では立ち話もなんですし、ワカメ事件のお礼も兼ねて食事を用意させましょう。――セデス」
「すぐ準備して参ります」
ダゼンの目配せを受けて、執事のセデスが部屋の入口へと歩く。給仕の元へと向かうのだろう。
「やった、代官様のご相伴だ」
「あ、ロミットはもう帰って良いですよ。連れてきて下さりご苦労様でした」
「……え?」
「では給仕の者に、お客様は二名と伝えておきましょう」
そう言ってセデスは今度こそ扉を開けて部屋を出て行った。
「あ、あの、フィロフィー様? 私も一緒の方が話もはずむんじゃないですかね?」
「ご心配には及びませんわ。わたくし、ダゼン様とは気が合いそうですから」
ロミットに自分の苦い失敗を暴露されたフィロフィーは、優しい笑顔をロミットに返す。
隣のアキもフィロフィーに並んだ。
しょんぼりと猫背になって歩き、そしてちらちらと後ろを振り向きながら屋敷を追い出されていくロミットを、引き留めようとする者は誰もいなかった。