第二十五話 人魚の島 ①
その部屋は石の壁に囲まれていた。
地下室のために窓はない。四隅にランプが設置されているものの、庶民の家なら丸々一軒入りそうなほどに広いので、部屋の中は全体的に薄暗くなっている。
出入り口は二ヶ所あり、重厚な鉄の扉が二枚、部屋の両端に向かい合う様に設置されている。
そんな地下室の中央に頑丈な鉄の檻が置かれている。その鉄の檻の存在を、部屋の床に描かれた巨大な魔方陣が下からライトアップして強調している。
その独特な模様の魔方陣は、知る人が見れば魔法を封じるための魔方陣だとすぐにわかるだろう。淡い光を放っていることから、現在起動中だともわかるはずだ。
そして、檻の中に居るのはメロウと呼ばれる半人半魚の魔物達だった。
中にいるのは全て女性で、一見すると若い女性が数人檻の中に囚われているように見える――が彼女達の下半身には足がなく、かわりに鱗に覆われた魚の尻尾になっている。
ヒレ尻尾の尾びれだけではなく、長い胸びれと腹びれが左右一対ずつ付いている。海中でなら水流になびいて輝く五本のヒレは、今は彼女達の胴体にのっぺりと垂れ下がってる。
メロウが魔法を封じられて地下の鉄の檻に捕らえられている、それ以外に考えられない光景だった。
「お母さん……」
檻の中の一人、一番幼いメロウの少女が小さく呟く。
少女のすぐ隣にいた母親が、少女の肩に手を回してそっと抱き寄せた。母親もまた少女と共に監禁されていて、娘を助けられない事に憤りを感じていた。
それでも少女は少し慰められたらしい。目を閉じて母親に体重を預け、しばらくすると寝息を立てる。
その眼尻に一粒の涙を溜めながら。
* * * * *
フィロフィー達がコジュン島に到着して十日が経った。
借りたコテージのリビングで、フィロフィー達はもう何度目かもわからない作戦会議を開いている。
一同の顔には焦りと疲労の色が浮かび、部屋の空気は暗く淀んでいた。
「メロウの魔石、手に入らないわねぇ…… タイア様を人間に戻す大本命なんだけど」
「友好種ですからねぇ。犯罪を犯した賞金首メロウとかがいれば話は早いんすけど」
『フィー、じれったいからってメロウを襲うなよ?』
「……襲いませんけど、タイア様はなぜわたくしにだけ毎日しつこく言うのですか?」
ソファに座るフィロフィーは、自分の膝の上のタイアに口をとがらせて抗議をする。
しかしフィロフィー以外の全員――グリモまで含めたその場にいる全員が、フィロフィーならやりかねないと本気で思っていた。
これまでがこれまでだったので当然の扱われ方、あるいは自業自得ともいう。
メロウに出会う事自体はとても簡単で、ここコジュン島には大勢のメロウが住んでいる。彼女達はショーを開いたり泳ぎを教えたりしているため、街や海岸に行けばいつでも会える。
しかしそんな友好種である彼らをフィロフィーがとって食べるわけにはいかず、メロウの魔石集めは暗礁に乗り上げていた。
「せめてネコマタの時みたいに、メロウが何かに困っていれば魔石を譲って貰える様に交渉する余地もあるのだけど」
メロウの置かれている状況は、色々とネコマタに通じるものがある。
メロウには友好種認定を受けられるだけの知性はあるが、魔物としてはあまり強い方ではない。一応水魔法への適正があり人間より長い寿命を持つ魔物だが、魔石を生成する事は稀で生成しても魔石は小さい。
魔石は知性がある魔物達にとって肉親や先祖の形見に近いので、単純にお金を積めば分けて貰えるものでもない。
よしんば魔石を手に入れたところで二、三個のクズ魔石では魔導書は作れない。小さな魔石には不純物が多いため、フィロフィーの力をもってしてもかなりの数のクズ魔石を集めなければ魔導書を作るには足りない。
その点では、エホライの森でネコマタがバーバヤーガに襲われていた事は、フィロフィー達にとっては何と都合が良かった事か。
もしもネコマタが平和に暮らしていたならば……バーバヤーガではなくフィロフィーが、ネコマタを襲って食べていたかもしれない。
「あー、一応、メロウが困ってる事件はありましたけれど……」
『ん? 何か天敵にでも襲われてるとかか?』
「いえ、この前の嵐の夜にメロウが数人行方不明になったらしいっすよ。手分けして探してるけど死体も見つからないらしいっす」
「そんなメロウや地元島民が見つけられないものを、私達がどうやって探すのよ……」
アキはケニーが言い淀んだ理由を理解し、一つ大きくため息をつく。
タイアのもつ優れた嗅覚も海の中では役に立たず、念話は出会った事があり頭に思い浮かべられる相手にしか送ることができない。仮にフィロフィーの魔導書で水中を探せる様な魔法を覚えられたとしても、メロウ達よりも海中探索が上手くなる事はないだろう。
嵐で流されたマーメイドの捜索を、フィロフィー達が行うのは難しい。
一方で、メロウ以外の目ぼしい魔物は既に入手済みだった。
コジュン島の北東にあるモカナ島に生息するセイレーンは、ロミットにワルワレから船を出して貰った時についでに近くまで行ってもらって確保した。セイレーンそんなに賢い魔物ではなく、飛んで船に寄ってきた数体を魔法で撃ち落としただけである。
その後コジュン島に到着したら、たまたま漁師の網にかかって死んでいたウオビトがいたので譲ってもらった。
メロウやネコマタにに並んで期待をしていたウオビトとセイレーンの二種だったが、ウオビトの魔石は水流操作魔法、セイレーンの魔石は唄魔法の魔導書になり、タイアが人間に戻れる魔法ではなかった。
今は島の林にいたシビレバジリスクという麻痺液を吐くトカゲのような魔物をフィロフィーが食べている最中だが、見た目が植物に近い魔物のために誰も期待はしていない。
上陸初日の幸先の良さはどこへ行ったのか、今は完全に行き詰まっている。その事もあってタイアはフィロフィーに対してメロウを襲うのではないかと警戒を強めていた。
ちなみにシビレバジリスクは、過去にポイズンマッシュマン用に作った解毒薬で煮込んで食べている。
「メロウは諦めて次に行きますか? そろそろ定期便の来る日ですけど」
「それがもう、メロウの他に有力なアテがないのよね。特にメロウは色んな意味で人間に近い姿になれる大本命なんだけど……」
「色んな意味で? 僕には下半身が魚になる魔法な気がしてならないんですけど」
『これ以上化け物になりたくない』
ケニーの思いつきに、腰から下が魚になった自分を想像してしまったタイアがげんなりしながら拒絶した。
現状でもタイアは子狐と子犬を行ったり来たりして、たまに魔法で毛を伸ばしたり空を飛んだりする不思議生物になっている。
一日分の魔力で数分間は人間に変身できるが、別に人間以外の動物や魔物の姿にもなれるし、狐により近い姿の方が長時間変身状態を持続できる。今のタイアに人間的要素はほとんどない。
「確かにその可能性も否定できないけど、メロウと言えばエルフでしょう?」
『え? ……ああ、最後のエルフの遺言か。でもあれってデマだって聞くけど』
「いえ、確かに最後のエルフは亡くなる前に本当に呟いたのよ、『私はメロウを食べて不老不死を得た』って」
タイアは「きゃう?」と鳴いて、首をかしげる。
「『最後のエルフ』とは四十年前まで生き残っていたエルフの事ですわ。現代ではエルフについては色々とわかっていない事が多いのですが、最後のエルフは亡くなる直前になって自分が大昔は人間だった事、メロウを食べてエルフ化した事を周囲に明かしたのです。
それでメロウは不老不死の薬になるのではないかという憶測から、メロウは友好種の素質がありながら各地で乱獲されるようになりました。その後サラム家に保護を求めたメロウ達がこのコジュン島に集まって、コジュン島はメロウに触れあえる事を売りにした一大観光地になったのです」
『うん、そこは知ってる』
懇切丁寧な説明をタイアにバッサリと切られたフィロフィーは、しかし無反応だった。
『ん?』
「えーっと、それから実際にエルフの遺言を信じてメロウを食べる人間が大勢出てきたんだけど、みんな苦しい思いをするだけでエルフになんてなれなかったのよ。メロウだって魔物だからね、食べ過ぎた人間は当然死んだわ。
だからデマじゃないかって話が出てきたんだけど、メロウの魔石で魔導書を作ればエルフになれる可能性は否定できないわ。そしてエルフなら人間と見た目はそんなに変わらないでしょう?
――それに、フィロフィーちゃんならメロウだって平気で食べられるでしょうしね」
『なるほど……うん、エルフか。悪くないな』
アキの話にタイアがだんだんと目を輝かせはじめる。
エルフ化という魅力的な提案が、タイアの中二病をくすぐった。
彼女は九尾化に夢を抱いて狐化の魔導書を開いてしまった時の事を忘れているのかもしれない。
一方でケニーはアキをジト目で見つめる。
「アキさん、もしかしておこぼれに預かって不死になろうとか考えてないっすか?」
「失礼ね、これでも元傭兵よ。戦場ではともかく、寿命で死ぬことを怖がったりしないわ」
「……そっすか。それは失礼しました」
「興味があるのは不老の方に決まってるじゃない!最後のエルフも死ぬ直前まで若々しかったらしいし」
「…………」
ケニーはがっくりと肩をおとす。
「なによ、ケニーは興味ないわけ?」
「それは…… 無くはないっすけど」
が、そんなケニーもアキの力説に、エルフに慣れるのかが段々気になり始めたらしい。
『あれ? でもその話が本当なら、メロウを食べた時点でフィーがエルフになるんじゃないか?』
「――――」
タイアがフィロフィーを見上げると、フィロフィーは何か考え込んだ様子で呟いている。
『フィー?』
「あ、すいませんタイア様。ちょっと考え事をしてました。
……そうですわね、エルフになるならご一緒いたしますわ」
『ん? まあ、あたしはもう人間っぽい姿に戻れれば何でもいいんだけどさ』
度重なる失敗を経て、タイアの目標は人間に戻る事から人間に近い見た目になる事にシフトした。
エルフが伝承通りの姿ならば、耳がとがっているくらいで人間に見た目が近いはずだ。身長にコンプレックスのあるタイアとしては、高身長とされるエルフの姿は望むところだ。
ちなみにエルフは貧乳であるともされているが、タイアは胸は元々なく、さらに身長と違ってコンプレックスも興味もない。戦士には胸なんてあるだけ邪魔だろうとすら思っている。
彼女の望みは豊満な巨乳ではなく、たくましい胸筋だった。
「まあ結局、問題はメロウの魔石をどうやって手に入れるか……なんだけどね」
『駄目元で嵐に流されたっていうメロウの捜索するか?』
「そうねぇ、他にできる事もないし、一応港で話くらいは聞いてみましょうか」
ひとまずの方針が決まり、一同が情報収集のためにコテージを出る。
そこに亀がいた。
「へ?」
「あ、フィロフィー様見つけた!」
「ロミットさん? お久しぶりですわ」
そこにいたのは亀を台車に乗せて押している、ワルワレ漁業組合の職員ロミットだった。
台車の上の亀は当然、ワカメを操っていた魔亀のカメタロウである。
「何してるんですの?」
「フィロフィー先生を探してたんですよ! まだこの島にいてくれて良かったです」
「わたくしを?」
探される心当たりなどなく、フィロフィーは首を捻る。
しかしロミットはお構いなしに、フィロフィーの手を握って引っ張り歩き始めた。
「フィロフィー様、それではお代官様に会いに行きましょう!」
「お、お代官様!?」
『ロミット、ちゃんと一から説明しないと』
「あ、そっか」
あっけにとられる一同にかわり、カメタロウがロミットはを引きとめる。
「私、今日はコジュン島の人達にカメタロウの顔見せに来たんですよ。カメタロウがワカメ採取の時に、島の漁師さんに有害な魔物と間違われて襲われるといけないので」
「ああ、なるほどね」
「それでこの島の代官様にも挨拶に行ったんですけれど、その時ワカメ事件を解決してくれたフィロフィー様の話になって。
お代官様は魔物の生態に興味を持たれていて、専門家が島に来ているなら是非会いたいと言ってまして」
「で、フィロフィー様を探してたってわけっすか」
「そうなんですよー。宿屋にいなかったので、だったら貸し切りコテージかなって思ったんですけど、私ったら名推理?」
『いや、さっきまでしらみつぶしに探そうとしてた様な……』
フィロフィーが無事に見つかった事に安堵してか、ロミットはニコニコしながら事情を話す。
ただし信用はできないが。
『どうしますか、これ?』
『代官ならメロウの魔石を持ってる可能性もあるんじゃないかな?』
『もうしばらくこの島で活動する以上、代官様の誘いは断れないでしょうね。
全員で行っても仕方ないし、ここは二手に分かれましょう。タイア様は犬の姿でも屋敷に入れて貰えないかもしれないし』
「どうしました?」
「いえ、急な話だったのでびっくりしただけですわ。
わかりましたわ、お代官様にご挨拶いたしましょう」
「ありがとうございます! いやー、もしも島にいなかったらどうしようかと思ってましたよ」
『ロミットはもう少し考えて行動した方が良いですね、ええ』
ロミットにツッコミを入れるのは、先日まで暴れていたとは思えない良識的な魔亀である。
二人は知らない事だが、カメタロウはロミットのお目付け役に丁度いいかもと、ワルワレ港の職員達から密かに期待されていた。
『頑張れよ、カメタロウ。応援しているからな』
(グリちゃん、どうしましたの急に?)
そして、一冊の悪魔がそんな魔亀にシンパシーを感じているのだった。