第二十四話 ワルワレワカメ事件 ②
ワルワレの港を出港して三十分後、海はワカメに包まれていた。
フィロフィー達を乗せた小型船は、その直前までは帆に風を受けて順調に沖まで出てきていた。しかし急に浮かんできたワカメがうねりながら船に向かって集まり、船の動きを完全に止めてしまったのである。
ワルワレ漁業組合での情報通り、ワカメは蠢き続けているものの船に上ってくることはない。フィロフィーにはワカメ達が船の壁面を上れないのではなく、上るつもりがないように見えた。
「これは……夢に見そうっすね」
「ケニーさん、そういう事は口に出すと現実になるんですよー?」
そう言ってケニーに笑うのは、先ほどの女性職員ロミットである。先程はスーツ姿で髪をおろしていたが、今は動きやすい服を着て髪をポニーテールに縛っている。
他に船乗りは乗っておらず、ロミットがこの小型船を操っている。彼女はワルワレの漁業組合の会長の娘で、幼い頃から父親に操船技術を習っていた。
ちなみにタイアは犬の姿では不測の事態に対応できないので、狐の姿になっている。
ロミットには固く口止めをしたのだが、ポロッと喋ってしまうのではないかという不安は否めなかった。
「えっと、ロミットさんは怖くないんすか? 完全に囲まれてるし、転覆したらどうしようとか……」
ケニー達はいざとなれば浮遊魔法で港へと帰れるので冷静でいられるが、彼女に浮遊魔法の事は話していない。
にもかかわらず、ロミットはいたって冷静に見えた。
「あはは、大丈夫ですよ。ワカメに転覆させられた船はないですからねー。
それにしばらくこうして立ち往生させられたあとは港の方に押し戻されるんです。沖には出られませんけど」
「……そういう事は先に言っといてくれるかしら?」
ここまで気を張っていたアキは、へらへらしながら答えるロミットにこめかみを抑えた。
しかし安全性は高いとはいえ、なぜ会長は自分の娘を躊躇なく送り出したのか。
他の職員ほど仕事ができないので必然的に彼女が選ばれたのかもしれないし、何かやらかした事への罰なのかもしれない。あるいは他の職員が嫌がる仕事をロミット押し付けて、自分の娘を雇う事への正当性をアピールしたかった可能性もある。
「さて、これからどうしましょうか」
アキはだんだんと悲しくなってきたので、それ以上ロミットの事情を深く考えるのはやめた。
『んー、駄目だな。匂いじゃ何もわからない』
『やっぱり無理っすか』
犬タイアが鼻をヒクつかせるが、海からはあらゆる匂いがする。ワカメに紛れて別の何かが潜んでいても、それが余程悪臭を放つものでもなければ気づけないだろう。初めから期待してはいなかったが、タイアはそっと尻尾を垂らした。
「とりあえず焼き払ってみるっすか?」
「それより先に、ワカメが海藻なのか魔物なのかちゃんと確認したいですわ」
『フィー、これに触るつもりか?』
「あ、タモなら船に積んでますよ」
そう言うとロミットはタモでワカメをすくいあげる。
そしてロミットはうねうねするワカメを平然と掴み、フィロフィーの前に突き出した。
その光景を見て、アキは先ほどの考えを改めた。
彼女が案内役になったのは、職員の中で一番心が強いからだったのかもしれないと。
「助かりますわ」
唖然とするアキ達を他所に、フィロフィーもまた平然とうねるワカメを受け取る。
フィロフィーについては、今更誰も驚きはしない。
「で、どうするんですかそれ?」
「もちろん、こうしますわ」
そう言って、フィロフィーは周りが止める間もなくうねるワカメに噛みつく。
そのまま何度か齧りとり、咀嚼して飲み込んだ。
「うねっていても、やっぱり普通のワカメですわね」
「おー、さすがは若くても研究者ですね。魔物かもしれないものを平然と食べるとは」
念のためにとそのままワカメを食べ続けるフィロフィーと、尊敬の眼差しを送るロミット。
そんな二人の奇妙な世界を、アキ達は遠い目で眺めていた。
「えっと……じゃあ、魔法で焼き払ってみるっすか?」
『凍らせる手もあるぞ』
「そ、そうね……
ロミット、今までワカメの駆除で試した事ってなにがあるの?」
「あ、魔法で焼くのはもう試しましたよ。領主様に頼んで魔法使い数人に来て貰いましたけど、そんなに燃えませんでしたねー。加熱されたワカメは動かなくなりましたけど」
ワカメの大半は海水の中なので、焼くというより茹でるのに近かったらしい。
「凍らせるのは?」
「それはやってないですけれど、一部が凍って終わりじゃないですか?」
「まあ……そうでしょうね」
「で、最近ではワカメが食べられる事がわかったので投網で回収してましたよ。漁師さん達も沖に出らんなくて困ってましたからね。臨時の仕事って事で漁業組合の方から漁師たちに依頼してしのいでます。
漁師全員が浅瀬で漁をすると滅茶苦茶になりますからね」
「その時、網に何か別のものが引っかかることはなかった?」
「さあ? 多分魚くらいは引っかかったでしょうけれど、漁師さん達に聞いてみないとわかんないですね。特に魔物を見たとかは聞いてないです」
一同はひと通りロミットの報告を聞いたが、魔物の正体はわからない。
「魔物がいるとすれば、このワカメの更に下っすかね」
「だとすると……私達にはお手上げね。ワカメの奥に届くような攻撃魔法はないから」
「それじゃあ困りますよ!
フィロフィー先生、なんとかなりませんか!?」
「そうですわね。グリちゃんを連れて来ていれば一発だったのですが」
「ぐりちゃ?」
「あ、いえ、こっちの話ですわ」
今のフィロフィーはリュックもウサギ人形も念のため港に置いてきたため、手ぶらで船に乗っていた。グリモ自体は濡れないような特殊な存在らしいがウサギ人形の方はそうはいかないし、何かの拍子に海に落とすと二度と回収できない可能性がある。考えた末に、漁業組合の役場に預けてきたのだ。
ロミットの期待する視線に、フィロフィーは俯く。
「お手上げですわ! これはどうしようもありません!」
「そんなぁ!」
そして俯いたまま大声で放たれたフィロフィーの宣言に、ロミットはガックリと手をついた。
『ん、船が動き始めたな』
「ワカメに押されてるのね。――ロミット、どうする?」
「……うう……ワカメに合わせて、取り舵いっぱいで」
「取り舵ってどうするんすか?」
不貞腐れるロミットの指示のもと、アキとケニーが手伝い船を旋回させる。
『フィー、どうしかしたのか?』
「いえ、別に」
港へと戻る船の上で、フィロフィーは何故か俯いたままの姿勢でニヤニヤと笑みを浮かべていた。
* * * * *
「うぎゅぅ……」
『大丈夫かご主人』
「大丈夫じゃ、ありませんわ……」
海から戻り、その次の日の事。
フィロフィーはトイレに引きこもっていた。
「まさか、こんなワカメにこんなトラップを仕込んでいたとは……うぷっ。
危険な相手かも、しれませんね……」
『いや、魔物もご主人の行動は完全に予想外だったと思うぞ。俺がいれば止めたんだがなぁ』
「……いろんな意味で、グリちゃんを連れて行くべきでしたわね」
元々肌の白いフィロフィーが、今はまさしく顔面蒼白というべき状態で便器と睨めっこしている。
鮮やかな紅色の唇は、今は紫色になって震えていた。
その原因はもちろん、船の上で食べたワカメによる食中毒である。
そこにはワカメが蠢いていた事も、魔物かどうかという事も一切関係はなかった。
海から上げたばかりのワカメを洗いもせず、茹でもせずに食べた結果である。その日の夕方から激しい下痢と嘔吐にさいなまれ、フィロフィーはトイレで眠れぬ夜を過ごす事になった。
フィロフィーの食中毒は港では珍しいものではなかった。それが人にうつりにくい事もわかっていたので、宿を追い出されずにすんでいるのが不幸中の幸いである。
昨日の夜はアキとタイアと宿屋の女将に交代で看病されていたが、朝になるとだいぶ吐き気が落ち着いてきたこともあり、タイア達はフィロフィーを女将に任せて海へと魔物退治に出かけて行った。
『ワカメも別に新鮮なら生で食えるんだが、せめて水でよく洗わないとなぁ』
「うゆぅ、まさかこんな形で魔物退治に行けなくなるとは」
『まあご主人にはいい薬だろうよ。これに懲りたらなんでもかんでも無警戒に食うのはやめるこったな」
「そうしますわ……」
さしものフィロフィーでも今回ばかりは懲りたらしい。
普段はフィロフィーが口にする魔物はグリモという超高性能なスキャナーが毒や寄生虫を調べていたのだが、珍しくグリモと離れた途端に食中毒を起こしたのだ。
さすがに自分の悪食を見直す時がきたのである。
「グリちゃん、魔導鍋二号、早めに作る事に決めましたわ」
『おうよ』
フィロフィーが以前作った魔導鍋一号は硬い魔物を溶かすくらいにしか使えないため、魔物をより安全に食べるための魔導鍋二号の製作も裏で進んでいる。
まだろくに一号を使ってもいないが、フィロフィーは早めに二号の完成を目指す事を決意した。
* * * * *
「大丈夫っすかねフィロフィー様?」
『フィーにはいい薬だと思う』
「食中毒が薬って言うのも皮肉が効いてるわね」
フィロフィーが病原菌と戦っていた頃、タイア達はボートに乗りオールを漕いでワカメの出る沖へと向かっていた。
二人と一匹の乗るボートはロミットの小型船よりもずっと小さい。港からここまでオールで漕いできたわけではなく、ワカメのでる手前近くまでは漁業組合の船に牽引して貰い、ワカメスポットに到達する前に別れていた。今は他の船は近くにないが、一時間後に迎えに来てもらう手筈になっている。
しばらくすると、海面からワカメが浮いて来る。
「わわわわ!? またワカメがががが!?」
『ケニー、嘘くさい』
『全然駄目ね、ケニー』
『だったらアキさんがやってくださいよ!』
ケニーは念話で抗議の声を上げる。
『それはさておき、フィーの予想が当たっているかどうかだな』
『準備はできてるっすよ』
『念のため、もう少し騒いでおきましょうか。
じゃ、ケニーお願いね』
『だから、アキさんもやって下さいよ!』
しかしケニーの抗議がアキに受け入れられる事はない。ケニーは渋々一人で「ボートでも駄目かー」とか「こうなればオールでワカメをー」などと大声で騒いでみせた。
そして。
『じゃあ、そろそろいくわよ。
はい、さん……にぃ……いち……』
そしてアキの『ゼロ!』という掛け声と同時にタイアが船から飛び出し宙に浮く。
それとほぼ同時にアキとケニーがボートに浮遊魔法をかけ、ボートを五メートルほど宙に浮かせた。
「見つけた!」
『……はい?』
タイアはボートの真下に潜んでいた魔物を発見する。
その姿は体長二メートル弱の、亀の姿の魔物だった。
魔亀の方も自分の真上にあった小船が突如として無くなった事で、宙に浮いて自分を見下ろす魔狐の姿を発見していた。
意図せず二匹の目と目が合うが睨みつけているタイアに対し、魔亀の方は戸惑った様子で呆けている。
「きゅおおおおおん!」
『は、はいぃ!? ちょ、ちょっまぁぁあああ!?』
タイアが魔法で巨大な冷気の球を発生させると、魔亀は念話で叫びながら慌てて海へと潜ろうとする。
魔亀が念話を送ってきた事に一瞬驚いていたタイアだったが、逃すまいとすぐさま冷気の球を魔亀へと放つ。
魔亀は直撃こそ避けていたが、強烈な冷気の塊が海水をワカメごと凍らせる。氷は背中の甲羅にまで達して融合し、真亀は背中に巨大な氷を背負う形になって身動きが取れなくなってしまう。
魔亀は諦めず、ワカメで自分の体を強引に海中に沈み込もうと試みている。それを見たケニーとアキは真亀の背中の巨大な氷に小船で体当たりをして、氷を魔亀ごとひっくり返した。
丸見えとなった亀の腹に、タイアがしゅたっと着地する。
勝負がついた。
『ま、参りました』
魔亀の降参とともに、海中へと沈んでいくワカメ達。
こうしてワルワレワカメ事件はあっけなく終わったのだった。
* * * * *
二時間後、海の関係者が漁業組合に集まっていた。
彼らの足元には急遽用意された風呂桶があり、その中では先ほどの真亀が不安そうに首を伸ばして人々の顔色を伺っている。
そこには吐き気の収まってきたフィロフィーを含む、旅の一行の達の姿もあった。
既にフィロフィー達に仕事はなく報酬も貰っているのだが、このあとロミットがコジュン島への船を出してくれる事になっているので話し合いが終わるのを待っていた。
何気にロミットはワカメ対策の責任者だったらしい。
実は優秀だから責任者を任されていたのか、それとも領主から派遣された魔法使いにも解決できないような案件だったから尻尾切りのために押し付けられたのか。
アキ達はだんだんと、このロミットという人物の事が良く分からなくなっていた。
「流石はフィロフィー先生です! もちろん亀を捕まえたアキさん達も凄いですけど、まさか船の真下にいたとは!」
「ど、どうも……」
当のロミットはキラキラとした眼でフィロフィーを誉めたたえているが、体調の悪い今のフィロフィーにはそれを受け止めきれていない。
フィロフィーが船の真下だと気づいたのは、海藻を操って嫌がらせをするような魔物がそんなに強いはずがないという推測によるものである。
そう考えればワカメとはいえあれだけの量を操るのには、遠く離れた場所にいては難しいだろう。魔法や投網の届かないような海中深くに潜んでいる可能性は低いとなれば、一番安全なのは船体の真下という事になる。
大型船を止められなかったのは――大型船を止められる程の量のワカメは操れないというのもあるだろうが――危なくて船の真下に近づく事ができないからではないかと考えたのだ。
そしてその推察は当たっていた。
グリモの眼があれば推察するまでもなく一発でわかったのだが、グリモの助力なしでも気づいたフィロフィーは確かに称賛されてしかるべきであろう。
あとは生ワカメの拾い食いさえしなければ完璧だったのだ。
「ところで、その亀は結局どうするんですか?」
「ああ、うちで働かせる事にしたぞ。まあ怪我人はでてないからな。
色々と大赤字だが、こいつの能力で海藻を集めさせりゃあ、長い目でみれば黒字になんだろ」
答えたのは漁業組合の会長である。頭の禿げたがっしりとした体格で、いかにも海の男といういで立ちをしている。
ロミットにはこれっぽっちも似ていないが、血のつながった親子だという。
ちなみに魔亀が人間に嫌がらせをしていた理由は、砂浜で港の子供達に虐められた腹いせという実に情けないものだった。
海中でワカメに包まれて眠っていたらうっかりと浜辺に打ち上げられ、通りすがりの若者が助けてくれるといった事もなく、子供達が飽きるまでいじり倒されたらしい。
甲羅には子供達に石か何かで削り彫られたのであろう「カメタロウ」という落書きが残っていて、その哀愁漂う姿に大人達も溜飲を下げたのだった。
「彼の能力だと海に潜らせてワカメの生えている場所にいかせないと集めてこれないと思いますわ。
その時逃げてしまうのでは?」
「そうなのか? どうすっかな」
「お父さん、彼の両手両足ちょん切って、縄で縛って海に投げ込めばいいんですよ」
『は、反省してますから! そんな事しなくても逃げませんから!』
フィロフィー並みに物騒なロミットに、彼はだいぶ慌てた様子で念話を飛ばしバシャバシャと水を掻いていた。
「意思の疎通ができるみたいですから、真面目に働くなら友好種として領主様に申請、逃げるなら逆に危険種申請をちらつかせればいいかと思いますわ。人間並の知性もあるみたいですし、危険種認定の怖さは理解してくれるのでは?」
「なるほどな。
どうだカメタロウ? 赤字分を回収した後は、給料も出してやるぞ」
『是非、是非働かせていただきますとも、ええ! 私はカメタロウです、ええ!』
そう言って魔亀が二本の前足を擦り合わせる。
その姿は手揉みする商人のようで妙に人間染みていて、そこにいた人間を大いに笑わせたのだった。
『そういやご主人、今回は亀を食べようとは言わないんだな。てかこいつも魔石持ちだぞ?』
(ワカメを操る魔法なんて要りませんわ!)
フィロフィーは顔に青筋を立てながら、周りに合わせてウヒュヒュと不気味に笑っていた。
【登場人物紹介】
・フィロフィー=セイレン
現在11歳。
キイエロ王国の最北端にあるセイレン領の領主一人娘。
色白で長くふわりとした銀髪をもち、緑色に輝く瞳の少女。身長はやや高い方で胸は年相応程度。
マナンプ因子という魔素を魔力に変える体内因子を持たない特殊体質で、体内で魔力を作る事ができない。代わりに魔物を食べる事で魔力を取り込む事ができるが、それでも魔法は使えず、魔石や魔液として体外に放出する。
何故魔法ではなく魔石が出るのかは現在不明。
魔導士になるという夢を叶えるために悪魔之書と契約し、陰で怪しげな研究をしている。
好きな食べ物は特にないが、余程まずい物でない限りは何でもおいしく食べてしまう。
嫌いな食べ物は海藻類。特にワカメには箸もつけない。