第二十話 ネコマタの森 ②
最初にグリモがフィロフィーを起こし、そのフィロフィーが今度はアキとタイアを起こして事情を伝える。二人と一匹は兵士にばれない様に馬車を抜け出し、ネコマタの尾行を開始する。
ケニーのテントは兵士の目の前に建ててあり兵士に気付かれないように出入りすることは不可能なので、彼はそのまま置いてくる事になった。
狐タイアを先頭に、アキとフィロフィーが暗い森を進む。タイアは泥を塗り、アキとフィロフィーは茶色のコートを羽織って夜の森に溶け込んでいる。
ネコマタの姿は既に見えないが、今はタイアの嗅覚を頼りに追っていた。それだけでは追跡は厳しかったかもしれないが、何度もキャンプ地に通っているらしく、けもの道が出来上がっているため追跡は速い。
――そのまましばらくけもの道を進んだところで、前方からギニャアという何者かの叫び声が聴こえた。
一同は立ち止まって周囲を見回す。
『今の声って、ネコマタの悲鳴かしら?』
『あちゃー、兵士達に先をこされたかな』
『だとすると面倒になるわね。死体の買い取り交渉ができればいいのだけれど。
ここはフィロフィーちゃんを魔物の専門家を目指す貴族のお嬢様って事にして……』
「あの、それはかまわないのですが、死体が残ってますでしょうか? 火魔法で灰になってたりしないと良いのですが」
「…………」
フィロフィーの心配に、タイアとアキは慌てて駆け出す。あくまでも目的はネコマタを倒す事ではなく、ネコマタの死体を手に入れる事だ。兵士に火の魔法を覚えさせる領主は少なくないし、川と湿地の多いこの森では山火事を気にして火の魔法を控える必要もないだろう。
タイアとアキは茂みを駆け抜けていくが、大きなリュックを背負ったフィロフィーはどうしても二人に遅れてしまう。
アキとタイアは程なくして茂みを抜け、少し開けた場所へと飛び出した。
そこには地に臥した尻尾が二本ある猫と、それを取り囲むようにしている三人の……老婆が居た。
「きゃうん?」
そのよく分からない光景に、タイアは念話を使う事も忘れて疑問の鳴き声を上げる。
アキは老婆を見るなり目を見開いて、腰の短剣に手を回した。
一方で老婆達も驚いた表情でアキとタイアを見つめている。茂みから飛び出してきたのがエホライの兵士ならばまた違う反応をしたのかもしれないが、女と子狐が飛び出してきたのは老婆達にとっても想定の範囲外だろう。
三人の老婆達は灰色でボサボサの髪にしわくちゃな顔で、痩せこけた体にぼろきれを纏っている。見た目は人間によく似ているが、老婆達が異質なのは全員が臼に乗り、手には直線状の杵を持っている事だ。さらにはその臼は数十センチほど地面から宙に浮いていて、老婆達はフワフワと上下していた。
『まさか……バーバヤーガ!?』
『アキ、知ってるのか?』
タイアの質問に、アキはバーバヤーガを見据えながら小さく頷く。
その横顔はひどく焦っている様に見えた。
『特徴としては人間に近い知能を持っていて、臼に乗って宙に浮き、杵で敵を攻撃します』
『だろうなぁ』
見ればわかる特徴だが、他に説明のしようがなかった。
『そして、危険種指定されています』
『危険種!?』
『それも三人とは、まずいわね……
フィロフィーちゃん聞いてる!? 絶対に出てこないで、戻ってケニーや兵士達を呼んできて!』
アキの最後の言葉に、タイアは全身の毛が逆立つのを感じる。
状況を見る限り、バーバヤーガがネコマタを追い詰めていたのだろう。タイア達の狙いはあくまでの変化魔法を使うネコマタの方で、老婆なんてどうでもいい――かと思ったが、目の前の老婆が危険種ならそうはいかない。
タイアが危険種と対するのはセイレン領でイワメティエプと戦って以来だが、相手は動物を操るしか能がなかったイワメティエプとは違って強そうだ。見た目はガリガリの老婆でも、宙に浮いて重たそうな杵を片手で軽々と持っている相手が弱いとは思えない。
例えるならば、メイスを持った騎兵といった所だろうか。しかもその馬は宙に浮き、足を取られる事はない。
『タイア様。フィロフィーちゃんが応援を呼んでくるまで時間を稼ぎます』
アキの頬をひとすじの汗が伝う。思わぬ強敵とかなりの至近距離で邂逅をしてしまったのだから、アキが焦っているのも無理はない。
タイアにもそんなアキの焦りが伝染し――しかしそれと同時に闘志を燃やした。
その心にあるのはかつての初陣、無様な敗北。
ここまでの旅の途中に何度か魔物退治はしているが、いずれも頭の悪い獣型の魔物に遠くから魔法を撃ちこむだけで終わっていた。それはとても戦いと呼べるようなものではなく、タイアはまだあの時の雪辱を果たすという望みを叶えられていない。
タイアは今回のネコマタ狩りに人間に戻る魔導書作りとは別に、まともな戦闘への期待も寄せていた。相手がネコマタより強そうな魔物に変わったからと言って、臆病風に吹かれるわけにはいかなかった。
タイア達がそうして準備を進めている一方で、老婆達も寄り集まって何かひそひそと話し合い、そして何らかの結論を出したらしい。
三人は一様に、アキに対して嫌らしい笑みを浮かべた。
「なんだい、あんたは? こっちは人を殺した悪いネコマタに制裁を加えている最中さ、危ないからそこから動くんじゃないよ」
三人のうちアキから見て中央にいたバーバヤーガが朗らかに話しかけてくる。
その目はアキしか見ていない。足元にいる子狐の事は、おまけ程度にしか思っていないだろう。
「悪いネコマタ?」
「そうさ、知らないのかい? この森には人間に化けて悪さをする、悪いネコマタが住んでいるのさ。あたしらはそれを退治しているんだよ。なぁ、あんた達」
「ああ、その通りだね」
「あたい達はこうして空が飛べるから、この湿地だらけの森でも自由に動けるからね」
左右の老婆はそう言って会釈し、ゆっくりと臼を滑らせて見せた。
「それは……すごい魔法ですね。皆さんは領主様に雇われているんですか?」
「いやいや、あたしらは自主的に活動しているんだよ。何しろ良い魔物だからね」
『おいアキ、このままだと囲まれるぞ!』
左右の老婆達は元いた位置には戻ることなく、ゆっくりと回り込むようにしてアキの視界の外へと移動していく。アキに自分たちが飛ぶ姿を見せるふりをして、そのまま囲い込む腹積もりだろう。
やはり危険種、老婆達はアキを逃がすつもりはないらしい。
『大丈夫、ちゃんと気づいてるわ。
合図したら私が霧を発生させる魔法を使うので、私の後ろに続いて走って下さい。キャンプ地まで逃げましょう』
『ネコマタはどうする?』
『それは……』
アキはそれに対する言葉に詰まる。
無視しましょう、命あっての物種です――とは言えなかった。
ネコマタの魔石から作る魔導書は、現時点でタイアを人間に戻せるかもしれない最有力候補となっている。ここでネコマタの回収を諦めることは、そのままタイアを人間に戻すのを諦めることにつながるかもしれない。
生涯獣の姿でいなければならないかもしれない少女に対し、命さえあればなんてどうして言えようか。アキが同じ立場なら、人間に戻るためならどんな危険にだって挑む。
もっとも質問したタイアにはそんな深い考えはなく、ただ何となく聞いてみただけだったが。
「く、くくく、ひゃひゃひゃひゃひゃ! あーもう駄目だ、おかしいったらありゃしないよ」
「ちょっとゾーヤ、ちゃんと最後まで演技しなさいよ。段取りはどこにいったんだい?」
アキの囲い込みが終了し、ここに来てバーバヤーガ達が態度を豹変させた。
バーバヤーガ達の目にはずっと棒立ちのアキがさぞかし間抜けに見えているのだろう。
「な、何よ急に!?」
「あーあー、本当に馬鹿だねぇ。あんたは今――」
アキが少しでも時間を稼ごうとして慌てふためくピエロを演じると、ゾーヤと呼ばれたバーバヤーガが気持ちよさそうに語り始めた。
アキはそれ適当に相槌をうって聞き流しながら、タイアの事を必死に考え、そして一つの結論を出す。
――タイアを人間に戻すのに手を貸すと決めた。
そして決めたからにはとことん付き合うのが良い女だ。ネコマタは絶対に諦めない。
『――タイア様、作戦を変えます。相手が油断してるうちに各個撃破!』
『おう、そうこなくっちゃ!』
タイアの為に命をかける覚悟を決めたアキに対し、ただ危険種と戦いたかったタイアが軽いノリで返事を返した。
「うん? ちょっとあんた、何を笑ってるんだい」
「ふふ、人間って絶望的な状況に陥ると、現実逃避から思わず笑っちゃう生き物なのよ」
「ふぅん?」
「でも今回は…………あなたの醜い顔が面白かっただけね!」
言うや否や、アキは正面のゾーヤに向かって火球を放つ。
「ちっ、氷よ!」
ゾーヤもそれを見るなり氷塊を放つ。アキにはゾーヤが避けずに魔法を放った事は予想外だったが、しかし足は止めずに走る。
アキは火球を撃った後、短剣を抜いてその真後ろを走っていた。初めから火球でゾーヤを仕留められるとは考えておらず、火球を目くらましに接近戦で仕留めるつもりでいた。暗闇に慣れていた自分の視力を失わないように、片目を腕で隠して走る。
火球と氷がぶつかる瞬間水蒸気の風が発生するはずだ。それをしゃがんでコートで耐えたあと、一気にゾーヤへの距離を――
「なっ!?」
が、それは叶わなかった。
ゾーヤの放った氷塊が、アキの火球よりもはるかに大きかったからだ。
確かに水蒸気の風は発生させたものの、それを蹴散らして突き進む氷塊がアキの目の前へと迫る。
アキはとっさに横へと飛ぶが避けきれず、左足の先が氷塊にぶつかって、回転しながら大地へと打ちつけられた。
『アキ!』
『タイア様はそのまま!』
アキは左足首の痛みに顔を歪ませる。ただ捻っただけか、骨折したかはわからないが、いずれにしろ左足首を痛めたことだけは間違いない。
「なるほど、魔法の後ろを走ってたのか。危ない危ない」
「ちょっと……バーバヤーガがそんなに魔法が得意だなんて……聞いてないわよ」
「はん! なんだこいつ、あたい達を知っていたのか。今のもゾーヤじゃなければやばかったね。さすがはゾーヤだよ」
そんなバーバヤーガ達のやり取りをみて、アキは一つの結論を出した。
「まさかあなた……『魔石持ち』なの!?」
「ひゃひゃひゃっ、ご名答! 正解したご褒美だ、すぐに楽にしてあげるよ!」
バーバヤーガ達は杵を構え、しかし油断せずにアキの一挙一動を観察しながらゆっくりと近づいていく。その慎重な行動に、アキは攻撃する隙が見つからない。
アキは。
「きゅぉぉおおおん!」
「えっ?」
直後、バーバヤーガのうちの一人の頭が赤々と燃えた。
それはここまでずっと怯えた演技で縮こまり、アキが怪我をしても動くのをこらえ、バーバヤーガ達がタイアの事を毛ほども気にしなくなるまで耐え抜いた子狐の放った会心の一撃だった。
狐火をくらった老婆は臼から転げ落ちる。大地に顔をこすりつけて顔の周りの火は消したものの、その顔は焼け焦げてただれ、目玉は白く濁っていた。何よりあまりにも突然の事で炎を吸い込んで肺を焼かれてしまい、その後少しの間は苦しそうに悶えていたが、程なくして動かなくなった。
同時に彼女の乗っていた臼も宙に浮くのをやめて地面に落ちる。
残った二人の老婆達が何が起こったのかわからず口を開いている。
「氷よ!」
「きゃふっ!」
アキとタイアはその隙をついて、更に魔法を行使する。
アキは自分を分厚い氷の壁で覆う。本当はこのタイミングで残るバーバヤーガに不意打ちをする作戦だったが、怪我をしたアキは防御を固めて時間稼ぎに徹することにした。
タイアは続けて三発小さな火球をゾーヤに放つが、流石にこれはかわされる。宙に浮いた臼は、それなりに小回りがきくらしい。
我に返ったバーバヤーガ達はタイアを仲間の仇と認識し、激しい怒りの表情を向ける。
「くそ、畜生ごときに! こいつはあたいがやるよ、ゾーヤはそっちの女を殺しちまいな!」
「任せた、しくじるんじゃないよ!」
『くっ、タイア様はそのままキャンプ地へ!』
『できるか!』
タイアには魔石持ちの魔物がどれほど危険なのかはわからない。わからないが、アキの氷の防壁はあまり持たないだろうとは直感していた。
「くぉおん!」
『タイア様!?』
タイアは牽制のために、冷気球を残る二人のバーバヤーガに交互に放つ。
それはアキに攻撃させるのを防ぐことには成功したが、一方で自分をねらうバーバヤーガにはたやすく接近を許す事になった。
更にこの魔法の連続使用が、タイアの魔力残量を急激に減らしていく。
この時点で、タイアはパニックに陥っていた。目前まで接近してきた老婆に対し、タイアは後の事は考えずに残りの魔力全てを使った狐火を生み出した。アキの見せたそれよりも巨大な火球を、老婆に一直線に叩きつける。
「ふん、しょせん獣さ!」
「きゃう!?」
狐火が老婆にぶつかると思われた寸前、老婆は大地を杵で強くつき、その勢いで上に大きく跳んで回避した。タイアの放った狐火は、誰もいない地面に激突してはじける。
老婆はそこで浮遊魔法を解除して、重力のままに臼でタイアを押しつぶそうとする。一瞬老婆を見失っていたタイアは反応が遅れたが、それでも大地を転がりギリギリのところで臼を避けた。しかしそこを狙って老婆が杵を振るう。
杵はタイアのわき腹に当たり、タイアが少し離れた場所の木の幹に叩きつけられる。
「タイア様!?」
「ちっ、浅いか」
アキがタイアが死んだかと思って叫ぶが、当の老婆は舌打ちをする。タイアは確かに打撃を食らって大きく吹き飛んだが、その半分はタイアが自分で跳んだ勢いだった。老婆はタイアの位置が近すぎて叩く時に大地も少しえぐり、思う様に殴打する事ができていなかった。
しかし全くダメージがなかったわけではなく、タイアは脇腹の痛みに息が詰まって動けない。
『タイア様、逃げて! タイア様!』
アキが氷壁の中から念話で必死に声をかけるが、タイアは悶えるばかりでまだ歩けない。
老婆はタイアに迫り、その頭を叩き割ろうとして杵を振り上げ――
「ふん!」
「…………えぅ」
――その首に槍が刺さり、小さな断末魔を残して臼から落ちた。
ゾーヤとアキはポカンとして口を開ける。
「さて、間に合ったかの?」
茂みから颯爽と現れてタイアを救ったのは、森で最初に出会った老兵士だった。
老兵士は仕留めたバーバヤーガの首から槍を抜くと、休むことなく残った最後の一人、ゾーヤへと突撃を開始する。
ゾーヤは魔法で迎撃しようと左手を伸ばし――しかし老兵士の後ろの森の中からゆらゆらと揺れるランプの灯がいくつも近づいて来るのを見て反転した。
「必ず殺すよ!」
ゾーヤは毒づきながら、すぐさま踵を返して逃げ出している。老兵士はその後ろ姿に向かって槍を投げたが、残念ながら振り向いたゾーヤに杵ではじかれた。
バーバヤーガの臼はかなりのスピードだ。それでいて小回りがきいて、森の木々を軽々と避けていく。
その様子を見て老兵士はそれ以上の追撃は諦めた。
それから老兵士はアキでもタイアでもなく、ネコマタへと真っ先に駆け寄った。
ネコマタにはまだ息があったのか、怪我の手当てを始めている。
森からは次々と兵士が出て来て、それぞれ老兵士とネコマタ、氷の中のアキ、バーバヤーガの死体へと分散していく。
その後ろから出てきたフィロフィーだけが、真っ先にタイアの元へと駆け寄った。
「タ……コクリさん、大丈夫ですか?」
「きゃう」
既に念話を使うのも辛いタイアは、小さな鳴き声でフィロフィーに返事をする。
それでも一言二言くらいならまだ喋れそうだが、正直な所タイアは痛みや疲労よりも負けたことが悔しくて会話するつもりにはなれなかった。
雪辱を果たそうとして挑んだこの戦い、結果はイワメテイェプに負けた時と何も変わらない。
また勝てなかった、また都合よく守られたという思いがタイアの自尊心を削っていく。
フィロフィーはそんなタイアの様子を見てそれ以上は声をかけず、抱き上げてアキの元へと合流した。
「お嬢さん方、感謝するぞ」
しばらくするとネコマタの治療を他の兵士にまかせた老兵士が、フィロフィー達の元へと出向いてきた。
「そんな、こちらこそ危ないところをありがとうございました」
「ならばお互い様じゃ、こっちはお嬢さん方のおかげで色々と解決の糸口が見つかったのでな。……ふむ、詳しくはキャンプ地で話すとするか」
「あ、でしたらその前に一つお願いをしてもいいでしょうか? アレをキャンプ地まで運びたいのですが……」
そう言ってフィロフィーは、バーバヤーガ達の死体を指さして老紳士に微笑みかける。
フィロフィーはちゃっかりと、仕留めたバーバヤーガの死体の運搬を兵士達にお願いした。
【書かずの一文】
茂みから颯爽と現れてタイアを救ったのは、森で最初に出会った老兵士だった。
……ケニーではない。