第十八話 平和な旅路
『それじゃあ次の目的地は、エホライ領の森林地帯か』
「ええ。そこに人間に化ける猫の魔物がいるって話があるのよね」
「それは期待できそうっすね」
「まあこの話自体は昔からあったんだけど、最近では旅の傭兵や行商人が実際に森の街道で行方不明になっててね。街では化け猫の仕業じゃないかってもっぱらの噂よ」
一行は馬車をゆったりと走らせながら、作戦会議と称した雑談をしている。
馬車は既にアクデーム領を抜けて、東にあるエホライ領へと向かって進んでいた。
この途中にも魔物集めはしているものの、これといってめぼしい魔物はいなかった。あえて特筆するとすれば、ネムリヒツジという羊型の魔物を飼育している牧羊家から、怪我をして殺処分になる予定だったネムリヒツジを分けてもらい魔導書を作成したくらいだろう。
『ネムリヒツジ』という魔物の名前から、一行は敵を眠らせる様な強力な魔法を期待していたが、完成したのは体毛が生える魔法の魔導書だった。自分の体に毛が生えてくるという、戦闘にはほぼ使えない魔法である。
それもそのはず、ネムリヒツジは別に人を眠らせる魔法を使う魔物ではない。ネムリヒツジの毛で作った毛布などの寝具は軽くて暖かい高級品で、それで眠れば快眠できると謳われているためその名が付いただけだった。
しかしその発毛魔法をアキは手放しで喜んだ。発毛魔法の魔導書ならば、髪の薄い悩める貴族達にかなり高値でも売れると踏んだのだ。それにこの魔導書はこっそり内密に売買する事になるだろうから、原材料である魔石の出所を隠しやすい。
フィロフィーにとってもネムリヒツジの肉はホワイトフォックス等より美味しかった様で、羊肉を食べてアキに対価を払えるならば、これほど楽な事はない。
肝心のタイアに関しては火傷痕に毛を生やした事で痕が見えにくくなった。ただし毛並みが良くなったからといって火傷痕が完全に消えたわけではなく、人間に戻った時には火傷の痕が残っているだろう。背中では毛を生やして隠すわけにもいかない。
もっともタイアは背中の傷をかっこいいかもと思い始めていたので、治っていない事にどこかホッとした様子を見せてもいたが。
「――それで、フィロフィー様はずっと何してるんすか?」
『さぁ? 何かの魔道具を作ってるらしいんだけどよくわからない』
ケニーが荷台のフィロフィーを気にかけるが、フィロフィーは揺れる馬車の荷台の中で銅製の片手鍋にせっせと何かの彫刻作業をしていた。荷馬車の揺れは小さくないが、フィロフィーは手に持った彫刻刀の様な物で器用にルーンや魔方陣などを彫っていく。
フィロフィーは黙々と作業をして話しかけられる雰囲気ではないため、タイアは今は御者席のケニーとアキの間にちょこんと座って雑談に興じている。時々振り返ってフィロフィーの様子を確認しているが、フィロフィーが鍋を手放す様子はない。
その銅製の片手鍋はフィロフィーが持ってきた私物の一つで、料理用ではなくグリモに魔道具作りに必要だからと言われて持ってきたものだ。他にフィロフィーが持ってきたのはグリモの入ったウサギ人形と最低限の着替え、それにピンクのリュックがひとつ。そのリュックの中には魔石や紙など魔導書づくりに必要なものを一式と、何に使うのかもわからない瓶詰の液体などが詰めこまれている。
そしてリュックの側面に、この銅製の片手鍋を紐で結んで引っ掛けて持ってきていた。
旅に出る前、グリモはフィロフィーを魔道具で武装させようと考えて魔石を用いた武器や防具を作る事を提案したが、フィロフィーは何故か魔道具作りに消極的で手を動かそうとはしなかった。そんなフィロフィーが唯一作る事を受け入れた魔道具がこの鍋である。
グリモがフィロフィーに解説しながら指示を出し、フィロフィーは言われるままに銅鍋を刻む。彫刻刀などは持っていなかったが、フィロフィーは魔石をノミや彫刻刀のように成形して使っている。フィロフィーの生み出す高純度の魔石は非常に硬く、加工しても銅の鍋に傷をつける事ができていた。
「よくわからないって、教えてくれないの?」
『いや、作ってる本人も完成するまでは良くわからないってさ』
「……大丈夫なのそれ?」
『さあ? まあ鍋に模様を掘ってるだけだし、とりあえずは危なげなく作業してるっぽく見えるけど』
ここ数日間タイアはフィロフィーの作業を見張っていたが、特に怪我をすることもなく黙々と鍋を彫っている。これだけ話題にしてもタイア達の会話に反応を見せないのだから、本当に集中しているのだろう。
そのまま一行を乗せた馬車は街道を行き――
「ふぅ、完成しましたわ!」
「おーっ……」
フィロフィーがそう宣言して鍋を掲げたのは、数時間後のことだった。
完成したというその鍋の底には魔方陣が、側面にはルーン文字が刻まれている。更にルーンとルーンの間には直線の溝が彫られていて、その溝は取っ手の先にまで続いている。あとは取っ手の先に穴が開いているが、それは台所の壁に引っ掛けて置けるように初めから開いていたものだ。
アキとケニーが何となくフィロフィーに拍手を送るが、その顔は疑問に満ちている。代表してフィロフィーに尋ねたのは、拍手のできないタイアだった。
『完成おめでとう。……で、結局その鍋はなんなんだ?』
「えっと、この鍋に魔力を流すと中にいれた食材を分解してくれるのですわ。例えば……」
フィロフィーはタイアが時々座布団代わりに使っているネムリヒツジの毛玉を鍋に入れ、鍋の取っ手の部分の先に空いていた穴に魔石をはめる。
すると魔石が光り、魔力が鍋に彫った溝に沿って取っ手から鍋底に向かって伝わっていく。最終的に鍋全体に魔力が伝わると、ルーンや魔方陣が光輝いていた。
そのまま暫くすると、ネムリヒツジの毛玉は徐々に溶けていき、最終的にとろみのあるゾル状の物体へと変わっていた。
「――と、この様に、魔物の毛や硬い骨なども食べられるようになるのですわ!」
「これは……地味に凄いわね。どこでこの作り方を?」
「うひゅひゅ、それは企業秘密ですわ」
「きゃうぅ……」『あ、あたしの毛玉が……』
タイアがお気に入り寝具の変わり果てた姿に尻尾を垂らすが、とにかくグリモ考案の魔導鍋一号の完成だった。
しかし提案したグリモ本人は、この出来にいまいち納得できていないらしい。
『本当はご主人が魔物を食べなくても魔力を吸収できるような道具を作りたかったんだけどなぁ。このままだと結局は口にしないと魔力が取れないし、毒が分解できるかもやってみないとわからないし……』
さすがに馬車の中で作れるものでは、この性能が限界だった。今は硬い物質を柔らかくする事しかできないが、グリモは今後も研究を続けていくつもりでいる。
(でも、これでも十分凄いですわ。毛や骨って砕いて食べてみてもそのまま排泄されてましたし)
頭の中でグリモと話しながら、フィロフィーは鍋の中の液体をすする。元はネムリヒツジの毛で、タイアがよくお尻に敷いていた毛玉だ。見ていたタイア達は一様に顔をしかめる。
「えっと、飲んでも大丈夫なんすか? 気持ち悪くなってません?」
「それは平気ですが、どうやらネムリヒツジの毛には魔力が全くないみたいですわね」
『それはいいけど、その鍋かなり危なくないか? うっかり人間を溶かすなよ』
「あ、生き物は溶けないらしいのでご心配なく」
『らしいって……』
フィロフィーはそのまま鍋を傾けていき、くいっと中身を飲み干した。
『……ご主人、調子に乗って毛やら骨やらを飲み過ぎるなよ? カルシウムとかも取り過ぎは毒だからな』
そう忠告するグリモの言葉には、どこか諦めの気配が含まれていた。
そのまましばらく馬車を進め、一行は化け猫が住むというエホライ領へと到着する。
平和で順調な旅路であったが、オリン王女の戴冠式まではすでに半年を切っていた。