第十六話 かわいそうな少女
フィロフィーは普段から魔物がメインの食事を食べているが、食事は食堂でスミルス達と一緒に取っている。
しかし今日は珍しく、自室に昼食を運び込み一人黙々と食べている。魔物を食べる事をまったく躊躇しないフィロフィーは、ソレを食べる事にも特に抵抗はないのだが、今回は周りの人間に気を使ってわざわざ自室に運んでいた。
もっとも気を使ったのはフィロフィーではなくグリモだった。フィロフィーは何も気にせず食堂で食べようとしていたが、グリモに人前でソレを齧るのはやめてくれと諭された結果の行動だった。
『……なあ、ご主人。やっぱりただ食べる以外の方法も必要だと思うんだ』
(ムグムグ……急になんの話ですの?)
周囲に人がいるわけではないが、フィロフィーは食べ物で口が塞がっているため、声を出さずに頭の中でグリモとの会話をする。
『いやさ、魔力を取り込むためとはいえよ――ご主人も魔物ばっかり食べ続けるのは大変だろう?』
(特に気にはしてませんけど。セイレン領は食べ物が少ないですし、わたくし一人だけでも魔物を食べれるのはいい事ですわ)
『そ、そうか?』
(でもまあ、食べ過ぎて太ってしまうのも嫌ですわね。それにお肉ばかりでも良くないですし、野菜型の魔物とかいませんでしょうか?)
『……野菜ってか植物性の魔物はいるけど、栄養があるかどうかは知らない』
(そう言えば、キノコがありましたわね。早く食べないと腐ってしまいますわ)
『…………』
キノコと言っても毒キノコだが、解毒薬を手に入れたフィロフィーにとっては食べ物だった。ただし既にソフィアによって処分され、グリモも倉庫から無くなっている事に気づいているが、フィロフィーには伝えていなかった。
このまま存在を忘れてくれていればと思っていたが、フィロフィーに限ってそれはない。
(これもすごく美味しいのですが、わたくしでは一度に半分食べるのが精一杯ですわね)
『そ、そうか。美味いのか、それ……』
フィロフィーはいま、片手鍋の中に入った大きくて黒くて楕円形の物体を食べている。大きさは全然違うが、見た目はピータンという卵を灰に漬け込んで作る保存食に似ていた。ピータンを知っている人間が見れば、ワイバーンの卵でピータンを作ったのかと驚くだろう。それでも普通の人間は食べられない事には変わりないが。
無論それはワイバーンの卵ではなく、イワメティエプの頭だった。
人型に近い魔物であるイワメティエプは、スミルスとケニーが嫌々解体し、肉になったものをソフィアが調理している。その際に頭の部分は廃棄しようとしていたのだが、フィロフィーが頭の部分に一番魔力が詰まっている事に気づいて回収、その後ソフィアに調理を求めた。
しかしソフィアが調理を嫌がった結果、フィロフィーが自分でなんとかする事になり、丸茹でというシンプルな調理方法になってしまったわけである。
フィロフィーは茹で卵でも食べるように、時々塩を振りながらソレにかぶりついていく。
魔物の頭にかぶりつく銀髪緑眼の少女。それは悪魔ですら目をそむけたくなる光景なのだが、当の本人は予想外に美味しいソレにご満悦である。骨も脳もないたんぱく質の塊で、今はフィロフィーに半分近く齧られているが、断面は茹で卵のように綺麗だった。味も卵によく似ていて、臭みがないため塩を振っただけのシンプルな味付けでも、ホワイトフォックスよりもずっと美味しい。
ただ、ソレは鶏の卵よりはるかに大きい。最近は運動して食べる量を増やしてきたフィロフィーでも、すべてを食べきる事は出来なかった。フィロフィーは残した下半分を入れた鍋に布をかぶせ、食堂に降りて棚にしまう。夜食にまた食べるつもりだった。
これが後に小腹が空いた子狐の悲劇につながるのだが、その詳細は省く。
『け、けどよ……ほら、あれだ。この先も魔物に毒があると、食いたくても食えないだろ?』
グリモはここでこの話を終わらせるつもりはないらしく、食堂から自室に戻ろうとするフィロフィーにさらに話しかけてくる。
ちなみにフィロフィーは今、グリモを手に持ってはいない。グリモは今は図書室の隅っこ、倉庫で飼っている鼠を見張りつつ、屋敷の中のフィロフィーに話しかけられるような距離に置かれていた。イワメティエプを捕縛した時からずっとそこに置きっぱなしにされている。
「確かに、それはそうですけれど。でも、ホワイトフォックスの死体に裸で抱きついてみたりもしましたが駄目でしたし」
『ああ、あれも本当に酷い絵面だったな……』
フィロフィーは魔石からは指一本でも触れば吸収できるのだが、魔物の死体から魔力を吸収する事は密着してもできなかった。それができれば生け捕りにした魔物から継続的に魔力を吸う事もできたかもしれないが、そうは問屋が卸さないらしい。
あとは市販の風の魔導書からは魔力を吸いあげる事は出来なかったが、フィロフィーが自分で作った魔導書からは魔力を吸い取る事ができた。二人は不純物や魔力の濃さが関係していると推測している。
『――じゃなくて、つまり何か魔道具を作ろうって話なんだ。ご主人が食べなくても魔物の魔力を吸い取れるようになる何かを』
「魔道具ですか。あまり魔道具に頼りたくはないのですが……まあ、そのくらいは作る必要がありますわね」
『頼むぜご主人。あくまでも俺は指示を出す事しかできないからな、ご主人が手を動かしてくれないと始まらないんだ』
真夜中にホワイトフォックスの死体をあさり、ユキウサギをためらいなく鍋に放り込んで火にかけ、怯えて発狂するイワメティエプの頭に容赦なく包丁を突き刺し、集めた鼠で過激な動物実験を行う。
そんなフィロフィーによる戦慄行動の数々に、さしもの悪魔之書も辟易してきていた。
グリモの最終目標を考えればそういったフィロフィーの躊躇のなさは歓迎するべき事なのだが、今のままでは周りの目に無頓着過ぎていらぬ注目を集めてしまう。その結果フィロフィーがグリモと契約していたとばれたなら、悪魔が少女を操り人形にしていた様にしか見えないだろう。確実にグリモはフィロフィーと引き離される。
『とりあえず……そうだな、さっきの片手鍋がいい。あれにルーンを掘って魔石とつなげて作ってみるか』
「では、ソフィアさんに鍋を貰っておきますわね」
こうしてグリモはフィロフィーの手足を借り、魔導鍋の開発も始める事にしたのだった。
* * * * *
「こんにちはソフィアさん。スミルスはいるかしら?」
その日の午後、アキが屋敷へと戻ってきた。
アキがポロ村を出発してからまだ三日しか経っていない。いくら人口の少ないセイレン領とはいえ流石に三日で領内の全ての村を周れるわけはない。アキはポロ村から近い村二つを訪問してきただけなのだが、それで困る事はなかった。
セイレン領の村は南部の盆地に密集していて、村と村の距離は遠くはなく、一日足らずでたどり着く場所にある事が多い。かつては奥の山の麓など、どの村からも数日かかる様な場所にも村がいくつもあったのだが、それらの村は領地の人口減少にともない全て廃村となっている。
その事はセイレン家にとって好ましい事ではないものの、領地の運営はかなり楽にしていた。少ない兵士でも村々を防衛できているし、ポロ村から近い二つの村に物資を送れば、更に奥の村へと配られるように整備してある。
普段はアキも忙しいのでポロ村にまとめて物資を置き、スミルスや兵士達が各村へと送っていくのだが、今回は珍しくアキが輸送までを買って出た。首をかしげるスミルスに対しアキはその理由をただの暇つぶしだと伝えたが、実際はスミルスの秘密を探るため情報収集に励んでいた。
スミルスが留守だったためソフィアはアキをリビングへと通し、そしてスミルスを呼びに出かける。
そしてスミルスが帰って来るまでアキの相手をするのはフィロフィーだった。
「こんにちはフィロフィーちゃん」
「お久しぶりですわ!」
二人は再会を喜び微笑み合う。
フィロフィーは自家製のハーブティーを用意して、そしてアキの正面に座った。
「最近どう? タイア様が居ないって聞いたけど寂しいんじゃない?」
「そうですわね……でも最近は色々と忙しいので、寂しがってる暇がありませんわ」
「そっかー、それで何がそんなに忙しいのかしら?」
「それはもう、色々とですわ」
「あら、教えてくれてもいいじゃない」
ニコニコしながらきつい質問を飛ばしてくるアキに、フィロフィーもまた笑顔で返す。
『ご主人、誰だ?』
(アキさんといって、魔法商店の商人さんですわ。お父様の昔の傭兵仲間で、領地にお塩などの物資を届けてくれる人ですわね)
『ふーん、でもこりゃ、なんか企んでる感じだなぁ』
(まあたぶん、色々とばれていると思いますわ。お父様がわたくしのまんまる魔石を売りつけようとしたらしいですし)
『そりゃ駄目だろ』
(いえ、どのみちお父様ではアキさんを騙しきれませんわ。こうして屋敷に来てくれればセーフですわね)
スミルスからアキが来たという話を聞いていたフィロフィーは、アキに怪しまれていることは想定内だった。
想定した中で最悪なのは、フィロフィーやタイアの秘密を知ったアキが何も言わずにセイレン領から出て行き、どこかの魔導士協会や貴族などに情報を売り渡す事だった。しかしこうして屋敷に戻って来たからには、他の誰でもないスミルスと交渉するつもりなのだろう。ここからアキに色々と強請られるだろうが、外部への情報提供さえ防げるならば魔石や魔導書のひとつやふたつは安いものだ。
ただし、現状フィロフィー達が抱える問題を打開するためには、アキに口封じだけ頼むのでは足りない。
それを理解しているフィロフィーは、アキとの交渉をスミルスに任せるつもりはなかった。
「そうですわね……例えば魔石を作ったり、ですわ」
「……え?」
「うふふ、驚いたふりなんてしなくても、これはアキさんの想像の範囲内でしょう? あの人工魔石を作ったのはわたくしですわ」
それはつまり、交渉するべき相手がスミルスではなくフィロフィーであるという宣言だ。
仮にスミルスに交渉を任せても、アキに手玉に取られる父親の姿しか目に浮かばなかった。それは別にスミルスの頭が悪いという事ではない。スミルスとアキでは相性が悪いのだ。
フィロフィーにはかつて二人の間に何があったのかまではわからないが、スミルスはことアキに対しては強く出れない節がある。
アキはフィロフィーの思わぬジャブに一瞬呆けた顔で固まったが、それでもすぐに持ち直しハーブティーをすすった。
カップを机に置いた時には根性でその表情を平然とさせていたが、頬を一筋の汗が伝う。
「た、確かに想像通りは想像通りなんだけど……それをフィロフィーちゃんに言われたら驚くってば」
「人工魔石に関しては、わたくしの好きにしていいと言われてますので。というわけで商談しましょうアキさん」
そう言って、フィロフィーはアキにウインクする。
「……フィロフィーちゃん、ちょっとセルフィーに似てきたわね」
対するアキは苦笑いだった。
アキはもとより他の領地で言いふらすつもりはなかったが、スミルスをどう転がしてやろうかと悪い顔で脳内シミュレーション重ねて来ていた。
それなのにフィロフィーに思わぬ先手を打たれたのだから、これには白旗を上げるしかない。
そこへ玄関の扉が開き、誰かが階段を上って来る音が聞こえてきた。スミルスが帰宅したらしい。
アキはひとまずフィロフィーにウインクを返し、口に人差し指を当てて「しーっ」と沈黙の合図を送る。
フィロフィーも笑顔でそれに頷いた。
「スミルス、単刀直入に言うわ。私が安全にあなたの作った人工魔石を売ってあげるから、利益は九一でどうかしら?」
「な!? 何を言って……」
「惚けても無駄よ!」
アキはスミルスを見るや否や、詰め寄って早口にまくし立てた。
それに対してスミルスが必死に誤魔化そうとするが、その目は動揺して泳いでいる。
それを眺めるフィロフィーは、笑いを必死に堪えている。
「あなたと一緒に狩りをした兵士に聞いたけれど、ホワイトフォックスの魔石はもっと小さくてゴツゴツしてたそうじゃない。それにあなた最近は魔物の死体を集めているそうね。特にホワイトフォックスが何匹も運び込まれたとか」
「う」
「別にあなたを強請るつもりはないのだけれど、商人の仲間は必要でしょう? 販売担当の私の方が誤魔化すのが大変なんだから、九一は妥当よね?」
「それは! しかしな……」
「私が二三日調べただけでわかるくらいだもの、他の商人相手に魔石の売り買いでボロをだしたら、王国中にばれるわよ」
「ぐう!?」
「それとポイズンマッシュマンなんていったい何に使うつもりかしらね?」
「いや、それはさすがに捨てた」
「捨てたですって!?」
それまでニヤニヤしながら黙って見ていたフィロフィーが、聞き捨てならない一言を聞いて血相を変えて乱入した。
「本当に捨てたのですか!? どうして!」
「ふぃ、フィロフィー!? その話はまたあとで……」
「ひどいですわ! 食べ物を粗末にするなんて!」
「まて、アレを食べ物のカテゴリーに入れるんじゃない。アレは毒キノコだ」
「毒があるなら解毒薬を飲めばいいのに!」
フィロフィーは顔を紅潮させて涙を浮かべながら、暴君として有名な女王も真っ青になるような台詞を吐く。
領民に食べさせるわけではなくフィロフィー自身が食べるので、暴言という訳ではないのだが。
「ふぃ、フィロフィーちゃん…… 前から残念な子だとは思ってたけど……」
先ほどまでの余裕のある態度とは打って変わったフィロフィーに、呆気にとられたアキがぼそりとつぶやく。
ただでさえ魔物は食べられないのに、更にその中でも明らかに毒があり見た目も気持ち悪いポイズンマッシュマンを食べようとしている。アキはその事に強いショックを受けていた。
アキはフィロフィーへの評価を先ほどまでの『天才少女』から、特定分野に特化したかわりに他の常識が抜け落ちてしまった『かわいそうな少女』へと改める。
その目は少し潤んできていた。
「お前もまて、そんな目で俺の娘を見るな」
「いいの、いいのよスミルス。フィロフィーちゃんを育てるために、あなたにはたくさんお金が必要なのね。変にからかったりしてごめんなさいね」
「そして謝るな! 頼むから!」
「本当にごめんなさい。魔石を売りたい時は私に言ってね。あと、お薬やお医者さんが必要な時も、頼ってね」
「わかった話す! 全部話すから聞いてくれ!」
プルプルと震えながら怒るフィロフィーと、ポロポロと涙を流し始めたアキに挟まれて。
スミルスの胃はキリキリと悲鳴をあげた。