第十四話 狐の願立て
セイレン家の屋敷の二階に、廊下を行ったり来たりしている領主スミルス=セイレンの姿があった。彼の短く纏めた栗色の髪が、夕日の光を受けて真紅に輝く。
じっとしていれば絵になりそうな男だが、今の挙動不振な彼からは残念な印象しか受けない。いつもならばタイアかソフィアが彼を宥めたり諭したりするのだが、今日はスミルスを止める人間がそばに誰もいなかった。
スミルスが廊下を何往復したのかもわからなくなった頃、二階にあるタイアの部屋の扉が開き、中からタイアの看病中のはずのフィロフィーが出てきた。スミルスはフィロフィーを見や直行し、引き気味のフィロフィーの両肩をがっちりと掴む。
「フィロフィー、タイア様の容態は!?」
「だ、大丈夫ですわ!? お父様、昨日の夜には既に落ち着いていたではないですか」
「それはそうだが、今日になって具合が悪くなることもあるだろうが」
「火傷はそこまで深くはなかったですし、あとは打ち身程度ですからすぐに治りますわ。すりつぶした薬草をぬり込んだ時なんて、痛がって暴れまわるくらいに元気でした」
「そ、そうか」
タイアが使った火傷に効く薬草は、フィロフィーが解毒薬の採取の時に集めておいたものだ。もののついでのつもりで集めていたものが解毒薬より先に役に立ってしまい、フィロフィーは複雑な思いをしながらもそれをすり潰して調合した。
ちなみにアキは、フィロフィー達が帰って来た時には既に隣村へ行商に向かった後だった。
そして昨日今日とタイアの大怪我やイワメティエプに大騒ぎになっているので、フィロフィーはまだポイズンマッシュマンが屋敷の倉庫から消えた事に気づいていない。
「あとは背中の毛が焼けてなくなっちゃってますけど、見て笑ったら駄目ですわよ」
「笑えるか!」
皮膚の怪我は回復魔法ですぐに治してしまえれば痕が残る事はないのだが、村に回復魔法を使える人間がいない。このまま薬草とタイア自身の治癒力に任せる以上、タイアの体に火傷痕が残る可能性があった。
狐のうちは体毛に隠れて気にならないだろうが、人間に戻った時にその痕が残っていたらと思うと笑えない。なにしろタイアは女の子であり、それ以上に王女なのだ。
火傷が顔や頭部になく、背中に限定されていたのが不幸中の幸いである。
スミルスも最初はタイアの見舞いをしていたのだが、こんな調子のスミルスが看病の邪魔で、ソフィアによって部屋を追い出された。
そこからはフィロフィーとソフィアが交代で看病のため付き添っているが、タイアの調子は良好のため二十四時間体制の看病は終了する事にした。
「それとお父様、タイア様のおかげで危険な魔物を排除できたのですから、あまり怒らないであげてくださいね」
「それは……わかった、無事ならいい。それはそれとして、あの魔物は結局なんだったんだ?」
「イワメテイェプという、動物を操る魔物ですわ」
「それはもう聞いたが、何故あんな魔物が現れたんだ?」
「それはきっと――喋れないタイア様を不憫に思った神様からのプレゼントですわ!」
手を組んで祈る様なポーズをとるフィロフィーに、スミルスは俯いて首を振る。
イワメテイェプの魔石からは念話の魔導書が作れる。今回はグリモの知識からの引用なので間違いない情報なのだが、スミルスは期待しつつもフィロフィーの思い込みではないかと疑っていた。
『イワメティエプは熊や狼みたいな獣を操って人を襲うんだけどな、その魔石で魔導書を作れば念話って魔法が使えんだよ』
「念話? それってやっぱり熊とか操れる魔法ですの?」
『いや、俺とご主人みたいに念で会話できるようになるんだ。ある程度距離が離れてても会話できるから便利だし、魔道具の材料としても人気があったな』
グリモ曰く、イワメティエプは古代ではよく知られた魔物で、その魔石は常に狙われていたらしい。
そんなイワメテイェプは当初、生きたまま簀巻きにされてセイレン家の屋敷に連行されたのだが、昨日の夜のうちにフィロフィーよって屠られた。
スミルスがフィロフィーに聞いた話では、真夜中にイワメティエプがその能力で鼠を集め、自分を縛る縄を齧らせていたのに気づいたらしい。フィロフィーは慌てて現場に急行し、イワメティエプの縄が切れる前に、魔石を尖らせて作った簡易ナイフを黒頭に突き刺さしたのだと証言した。
フィロフィーは証拠である鼠を捕まえて、大箱の中に放り込んでいた。スミルスはその大量の鼠を処分しようとしたが
「せっかくですから、これはタイア様を人間に戻す実験に使いますわ」
とフィロフィーが言うので、今は物置小屋の一角に鼠の飼育箱を置いて育てている。
スミルスには色々と気になる点の多い事件だが、どのみち危険種であるイワメティエプを生かしておくわけにはいかなかったので、それ以上フィロフィーを追求はしなかった。
スミルスはむしろ、どうしてイワメティエプという危険種が突如、ポロ村付近の森に現れたのかが引っかかっていた。彼の頭の中では悪の組織の陰謀説や女王の嫌がらせ説まで出てきているが、もちろんそういった事実は一切ない。
そもそもイワメテイェプはずっと昔から――それこそスミルスがセイレン領の領主になる前から森に隠れ住んでいたので、突然湧いて出たわけではなかった。
前領主時代のセイレン領は荒れ放題で蒸発する人も多かったために、イワメテイェプが村人達を襲っていたのに気づけなかったにすぎない。それがスミルスの代になって改善され、追い詰められたイワメティエプがようやく姿を現しただけである。
そもそも数年前、スミルスが借金を増やしてでも火の魔導書を兵士に買い与えたのは、イワメティエプの操る獣達が度々村人を襲撃したからだ。そのせいで魔剣まで手放す事になったのだが、その事実をスミルスは知らない。
スミルスとイワメテイェプはお互いに因縁の敵同士だったのだ。
イワメティエプのほうはその事を自覚して、スミルスの娘のフィロフィーを意地でも手にかけようとした。一方でスミルスがその事実を知る事はついになかった。彼にとってイワメティエプは突然森に発生し、そして何も出来ぬままタイアとフィロフィーによって殺された、少し哀れな魔物でしかなかった。
* * * * *
タイアの部屋のベッドの上には、毛布の入った籠が置かれている。子狐の姿になったタイアには元のベッドは大き過ぎて落ち着かないので、いつもこの籠の中で眠っていた。
イワメテイェプとの死闘から一日が経ち、ほとんど回復したタイアだったが、大事をとって籠の中で丸まっている。側にはソフィアが椅子に腰かけて本を読んでいたが、本に熱中しているわけではないようで、定期的にタイアの様子を伺っている。
「きゅん」[もうへいき]
「…………」
そろそろソフィアが夕食の準備を始める時間になる。それに気づいていたタイアは自分が元気である事をヴィジャ盤で伝えた。ソフィアはタイアに静かに会釈して部屋を後にする。
ソフィアはたまたま森に入ったら火傷をしたタイアを見つけたとだけ伝え、自身の武勇伝は黙っていた。
タイアは気絶する前にソフィアの背中を見ているのだが、意識が朦朧としていたために覚えていなかった。そこにソフィアがだんまりを決め込んだため、自分がどうして助かったのかがわかっていない。
さらにタイアの無謀な戦いは、彼女が気絶している間に真実とはかなり違う形でスミルス達に伝わってしまっている。
トイレに行ったタイアが偶然近くに隠れていたイワメティエプとホワイトフォックスに気づき、不意打ちの狐火でまずホワイトフォックスを仕留め、イワメティエプをフィロフィー達の方に追い立てた。そこまでは良かったのだが、イワメティエプに追撃しようとしてまだ使い慣れない魔法を暴発させてしまった――という話になっている。
その話ではタイアの暴走はかなり抑えられ、グレイウルフのグの字も出てはこなかった。
タイアにとっては都合の良すぎる作り話になっているが、その話をあえて訂正はしなかった。真実をそのまま伝えれば、スミルスがタイアを家から出さない勢いで過保護になると恐れたからだ。
この作り話でもスミルスは十分怒るだろうが、そこまでひどい事にはならないはずだ。魔法で大失敗をした事になっているが、貴族や王族が魔法を習得するのは当たり前という認識があるので、それで魔法の練習を禁止されることはないだろう。
タイアは少し卑怯な気がして気を病んだが、人生の分水嶺に立っていると思えばその選択しかできなかった。
実のところ、その作り話をでっち上げて広めのもソフィアである。
彼女が優先したのはタイアの擁護と言うよりも、フィロフィーがポイズンマッシュマンを回収しない事だった。ポイズンマッシュマンとグレイウルフの死体は同じ場所に隠したために、グレイウルフの話を出すわけにもいかなかったのだ。
タイアはソフィアにどれだけ助けられたのか知らないまま、部屋を出て行くソフィアを見送った。
ソフィアの背中に、何か見覚えの様な物を感じながら。
フィロフィーお手製の塗り薬は――塗った直後こそ痛くて身がよじれたが――時が経つにつれて背中の痛みを和らげていった。心身ともに癒されていく中で、タイアはまどろみながら自分の行動を振り返る。
(なんて言うんだろうな、こういう気持ちを)
今に冷静になって考えてみれば、あれは本当に馬鹿馬鹿しい妄執だった。自分一人で戦わなければならないなんて思い込み、結果的に怪我をして、いろんな人に迷惑や心配をかけてしまった。おまけに自分がどうして生き残ったのかもわからないとは、我ながら呆れかえるくらいにお粗末だ。
そんな自分の愚かさを表現する言葉がありそうなものだが、何も出てこない事にモヤモヤとしていた。
読書家のフィロフィーならばこの気持ちを、この状況を上手く表現できるのだろうか?
タイアは怪我をした事に落ち込み、一日かけて自分がどうするべきだったのか考えていたが、今は答えが出せていた。
確かにスミルスやケニーに守ってもらうのは無しだった。
自分のためにも勇気を出して戦うべき場面だった。
ただ、一人で挑んだのは間違いだった。スミルスやケニーと一緒に戦えば良かったのだ。留守番していろと言われただろうが、蹴飛ばされたって付いて行けばいい。
よくわからない相手に一対多数の不利な条件で突っ込むなんて、それはもう勇気ではなく無謀でしかない。
その結論を出してからというもの、昨日の馬鹿な自分を何度も思い返しては身悶えしていた。
――それでも。
(それでもあたしは、戦えた。戦えた事が嬉しいんだよ、お母さん……)
そんな事を考えながら、彼女は毛布の中で微睡んでいった。