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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
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第十二話 それぞれの初陣 ②

 幼い頃のタイアにとって、セルフィーが寝物語に話してくれる傭兵団時代の経験譚は――それが素晴らしい成功譚であれお粗末な失敗譚であれ――どんな童謡や神話よりも面白くて心が躍った。


 セルフィーが傭兵時代の話をタイアに聞かせ続けたのにはわけがある。傭兵団の団長はタイアの父親のロアードであり、そしてタイアの母親であるブリジストも団員だった。セルフィーはタイアに、滅多に会えないロアードを、そして非業の死を遂げたブリジストを少しでも身近に感じて欲しくていろいろと昔話を聞かせていた。

 そんなセルフィーの目論見は、半分は成功したのだろう。タイアは怪傑と呼ばれ、やる事なす事痛快な母ブリジストの物語に惹かれていった。父ロアードは堅実な良き傭兵団長だったのだが、そのせいでパッとしないエピソードしかないため、あまり興味を持たれなかったが。

 既にこの世にいない分、タイアのブリジストへの思いは強かった。ただしそれは母への親愛ではなく、物語の主人公への憧れだった。残念ながら顔も声も覚えていないので、母と聞いて思い浮かべる相手はどうしてもセルフィーの方だった。

 怪傑ブリジストはタイアにとって愛すべき母親ではなかったが、やがて習うべき戦士となっていく。


 ブリジストは魔法を使えたが剣をメインに戦った。魔法は不意打ちや牽制、足止めばかりに使うので本職の剣士や魔法使いに卑怯者呼ばわりされることもあったが、豪快に笑い飛ばして気にも留めなかったらしい。

 そんな話を聞かされたから、タイアもまた魔法だけでなく剣も学びたいと願ったのだ。

 女としての幸せ、明るい家庭などには興味が持てなかった。

 王女としての立場はただただ鬱陶しかった。勇者に守られるばかりのお姫様の物語が嫌いだった。


 それは初めは漠然とした思いだったが、辺境に追いやられた第六王女という自分の立場を自覚するにつれて、何が何でも成し遂げたい目標へとかわる。ブリジストが架空の勇者でも伝説のエルフでもない、手が届くはずの血縁者だった事も大きかった。

 母の様な戦士になろう。そして両親やセイレン夫婦のように、仲間を集めて旅をしたい。魔王が自分をさらいに来るなら返り討ちにして、勇者からその称号を簒奪してやるのだ。力を手に入れて、成人したら王女の地位なんて要らないと、女王にのしつけて返してやる。

 それがタイアの根幹を成す思いになった。



 やがてタイアは兵士に混ざって剣を振るようになった。最初はスミルスに止められたが、見えない所で見よう見まねで木の棒を振り回し、見える所ではひたすら筋トレをした。そんなタイアにスミルスが根負けし、タイアの安全確保のためにコーチ兼見張り役の兵士をつけてくれた。


 狐になった時は絶望したが、ブリジストならばと考えて立ち直った。タイアの考えるブリジスト像は、狐になったらなったでその事を楽しみ、敵とは噛み付いてでも戦う女だった。




 ――だから今、タイアは逃げるわけにはいかなかった。

 

 既に一度は逃げてしまった。結果的にそれは成功だったが、策として操られたふりをしたのと怖くて逃げてしまったのとではわけが違う。


 他人にはどんなに理不尽で滑稽でも、タイアは今すぐ戻って挑まなければならない。後付けで戦略的撤退だったなどと誤魔化すわけにはいかないし、誤魔化せるはずがない。

 だって誤魔化す相手が自分なのだから。

 たとえ勝てない相手でも、兵士達ゆうしゃに頼ってしまえばそこでタイアの物語は終わる。何もしないで助けを待つ、か弱いお姫様になってしまう。そんなのは死んでも認められない。

 

 タイアは黒頭の魔物に――自分の生き様を決める戦いに挑む。 



 *   *   *   *   *



 タイアは黒頭の魔物のいる場所へと向かう前に、金毛を隠し匂いを消そうとして水たまりに飛び込んだ。そうして体中に泥を塗ったが、さらに側にいるホワイトフォックスの嗅覚を警戒して、できるだけ大回りしながら風下へと向かう。

 風下とは森の入り口、村の方向である。かなりの大回りになったので、ポロ村からは泥だらけのタイアの姿が見えていたが、幸か不幸かアキと商談中のスミルスには気づかれなかった。

 タイアが回り込んだ時、魔物達は移動してはいなかった。一旦魔物達とはかなり離れた場所の茂みにかくれ、黒頭の魔物と二匹のホワイトフォックスの様子を伺う。そこから魔物達の視界に入らないよう気をつけながら、徐々に徐々に近づいていく。黒頭の魔物には目も何も無いので、視界は体の向いている方にあると信じるしかなかったが。


 タイアは音を立てないように慎重に魔物達との距離を詰めていくが、タイアが近付いても黒頭の魔物は気づかなかった。タイアにとっては賭けだったが、黒頭の魔物はグリモの様に全方位が見えているわけではなく、体の前方向しか見えていなかった。

 真冬でも真夏でもなかった事が、タイアが魔物に近づくのを援護していた。雪の積もった上を歩けば子狐でも沈んで足跡を残す。草が伸びていれば音を立ててしまっただろう。残雪の白と泥の黒と草の緑が混じった地面は、泥を塗ったタイアの姿をうまくカモフラージュして隠してくれた。人間ならば服の汚れが気になって歩かないような場所が、今のタイアには都合が良かった。


(ん。これ以上はもう厳しいか)


 タイアは木の陰から魔物のほうを伺う。魔物たちとの距離はまだニ十メートル以上あり、第三者が見ればもう少し近づけそうだったが、タイアにとってはそこがもう心理的に近づけない距離だった。


(いつまでもここに居たら、見つかるかもしれないし、逃げられるかもしれない……)


 見つかってから慌てて飛び出したのでは後手に回り、それはタイアの死へと直結する。

 そして逃げられてしまったら、今のタイアにはもうその後を更に追うだけの気力はないだろう。


 この場に来る前に、既にタイアは作戦を決めている。一撃離脱、最大火力の火球を黒頭の魔物にぶつけ、そのままフィロフィー達のいる方に一気に走り去るつもりでいる。

 黒頭の魔物の力は不明だったが、身体能力はそこまで高くないと判断した。少なくとも四足歩行の自分より足が速い可能性は低いだろう。そんな素早く動ける強い魔物ならば、兵士を恐れて熊に待ち伏せさせたりはしないハズだ。

 問題はその後のホワイトフォックスの追撃だった。成体の彼らはたぶん、子狐の自分よりも足は速い。奇襲で混乱している隙に距離を取り、追いつかれる前に兵士達の元へと逃げ切るのだ。


(できれば全員魔法で倒したかったけど、それはもういい。

 さあ、行け、行くんだ、行ける!)


 タイアにとって、これは黒頭の魔物との戦いであると同時に自分との戦いだった。

 戦士として自分の意志で生きていくか、それとも場末の王女として守られてながら生きるのか。

 ここから飛び出せるかどうかで自分の人生が決まるような気がしていた。


 黒頭の魔物と二匹ホワイトフォックスが全員、フィロフィー達のいる方を見上げている。

 チャンスだが、タイアの足は動かない。まだ動けない。


(……くそ、行けよ! 戦いたいんなら、走れ!)


 覚悟を決めて飛び出そうとすると、ホワイトフォックスの一匹が振り返る。

 いま飲み込んだ恐怖心が、再び喉まで上がって来る。このまま後ろに下がってポロ村に向かい、そして村で最強のスミルスを呼んでくれば、ホワイトフォックスの五匹や十匹片付けてくれるだろう。


 タイアの覚悟を問う様に、こちらを向いていたホワイトフォックスが、再びタイアの方から視線を逸らした。


(――っ!)


 ――タイアは、動いた。

 前に、魔物達の方に向かって。


『なに?』


 背後から聞こえる小さな足音に、黒頭の魔物と二匹のホワイトフォックスが振り向く。

 見られた瞬間、タイアは出せる最大火力の狐火を発生させる。

 タイアの魔力の大半を吸い取ったそれは、子狐タイアの体よりも大きかった。


『うそ!?』


 魔物の視界には、突如現れた巨大な火球がこちらに突っ込んで来るように見えている。

 その火球を発生させたのが、火球の真下を走る子狐だとまでは気づかない。むしろ火球に目がいって、タイアの事は視界に入ってはいるものの、その存在に気づいてはいない。


 魔物は横に転げるように走り出し、回避を試みる。

 タイアもそれを追う様に方向を変える。


 黒頭の魔物は子狐と火球が同時にこっちに向かって曲がったのを見て、ようやく地面の子狐が魔法で自分を攻撃してきているのだと察した。


 タイアは魔物のすぐ近くにまで迫っていた。


「きゅおおおおおおお!」

(いっけええええええ!)


 火球をコントロールするのをやめ、魔物に向かって飛ばす。

 ドズンッ! という重い音がして、広がる炎がタイアの視界を遮った。



 ――しかし、火球は黒頭の魔物には当たってはいなかった。



 付き従っていた二匹のホワイトフォックスが、火球と黒頭の魔物の間に飛び込んで遮ったのだ。

 炎が消えた後タイアの視界に飛び込んできたのは、焼け焦げたホワイトフォックス達が吹き飛び、黒頭の魔物は衝撃と爆風にしりもちをついている光景だった。


 タイアは黒頭の魔物に一瞥し、しかし追撃はせずに走り抜ける。

 黒頭の魔物は無防備にも見えるが、タイアの魔力は残り少なく絞り出しても先ほどの狐火ほどの威力は出ない。そして魔力を完全に枯渇させると、体がだるくなって動けなくなってしまう。

 あとは噛みつくくらいしか攻撃方法がないが、頭が弱点なのかもわからないし、子狐の小さな牙で致命傷を与えられる気がしない。


(けれど、やった、やってやったぞ!)


 しかしそれでもタイアは結果に満足し、そして歓喜していた。

 自分が戦えた事、恐怖に打ちった事が嬉しくて、気持ちが高揚していたのだ。


 タイアは自分が冷静でない事を自覚し、自分に対して冷静になれと念じながら走った。そして時々振り向いては、黒頭の魔物が動かない事を確認しつつ、森を走り抜ける。

 ――けれど初陣の、年端もいかない少女が自分の感情を思い通りにできるハズがない。


(……え?)


 背後の黒頭の魔物ばかり気にしていたタイアに、正面の茂みから――風向きは弱い向かい風で、タイアが本当に冷静であれば、嗅覚で気づけたであろう場所から――牙をむいて飛び出してくる獣がいた。


 狼型の魔物、グレイウルフ。

 ホワイトフォックスよりひと回りは大きなその魔物が、大きく開けた口をタイアに向けて飛び掛かる。


 タイアはとっさの判断で自分とグレイウルフの間に狐火を発生させた。

 その時すでにタイアとグレイウルフの距離は近く、さらに生み出した狐火のコントロールもまともにできてはいない。グレイウルフがギリギリで踏ん張り横に飛んだのに対して、タイアは足がもつれてしまい、背中から自分で作った狐火に飛び込んでしまった。


「ぎゃぅ!」


 ボッ という先ほどよりも軽い爆発音をさせ、タイアは小さな悲鳴を上げて吹き飛ぶ。一方でグレイウルフは熱風に驚きたたらを踏んだが、目立った外傷は見られない。

 最終的には警戒して唸る無傷のグレイウルフと、魔力を出し尽くした倦怠感と背中の火傷のダメージで立ち上がれないタイアが残った。



 タイアの後ろから黒頭の魔物が追いかけてくるが、しかし瀕死のタイアに襲い掛かることはせず、むしろ遠巻きに避けるようにしてグレイウルフのそばに行き、その後ろに隠れた。

 タイアが思っていたよりも遥かに、黒頭の魔物は臆病で弱かった。


『ああくそ、死ぬかと思ったわ。ただの狐かと思ってたけど違うわね』


 タイアがかろうじて頭を向けると、黒頭の魔物がグレイウルフの頭を撫でていた。

 このグレイウルフもまた、黒頭の魔物の操る手駒だった。ホワイトフォックスは黒頭の魔物が身を守る為の護衛であり、グレイウルフはもしも兵士が来た時に、兵士に茂みから不意打ちをする為配置しておいた攻撃手だった。


『あんた何者? って聞いても喋れないでしょうね。……殺しなさい。食べていいわ』


 黒頭の魔物はタイアに近づかず、グレイウルフをけしかける。

 たとえ死に体に見えても、魔法を扱う謎の狐に近づく気にはならなかったらしい。その表情はわからないが、おそらくは焦りや恐怖があるのだろう。


(……ん。もう、駄目っぽいな)


 徐々に詰め寄るグレイウルフをみて、タイアが自分の死を悟る。

 気力で目を開けていたタイアだが、その気力も完全に尽きてしまった。

 意識が朦朧として、何かを考える力もなくなっている。 


 タイアのぼやけた視界が、自分にトドメをさそうと飛びかかって来るグレイウルフをかろうじて認識し――


 ――そしてグレイウルフが吹き飛んで、何者かの背中がタイアの視界を覆いつくした。



「きゃふ……」

(なんで……)


 最後に一言つぶやいて、タイアは完全に意識を失った。

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