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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第一章 タイア王女の儚い願い
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第十一話 それぞれの初陣 ①

 フィロフィーはタイアとケニー、それに護衛の兵士四人を引き連れて森の中を探索していた。


 ケニーや兵士達の本来の仕事は領の村々を守る事、つまり森の害獣や魔物と戦う事である。セイレン領には盗賊すら現れず、少なくともスミルスが領主になってからは、兵士達が人間の敵と戦った事はない。

 魔物は繁殖して増えるほか、魔素から自然発生してくる事がある。なのでどんなに魔物を倒しても、兵士達が暇になるという事はない。

 魔素からの自然発生は人間の近くでは起こらないのだが、セイレン領には人の住んでいない場所がとにかく多い。そのため兵士が四人一組になり、普段から近場の森だけでも見回る様にしている。

 今回はそこにフィロフィー達三人、もとい二人と一匹が追加されただけなので、護衛の兵士達にはそれほど戸惑いない。彼らはもともと、今日は森の見回りを行う予定だったのだ。

 一番戸惑っているのはタイアがついて来てしまい、追い返す事にも失敗したケニーだろう。


 森の奥へは緩やかな上り坂になっていて、上の方には雪が残っている場所も多い。

 一行はそんな森の奥へと、フィロフィーのペースに合わせて進んでいく。


 フィロフィーは何も気にしないで歩いているように見えて、薬草類をしっかり見つけ出しては採取していた。解毒薬にこだわらず、火傷に効くものや回復力を高めるもの等も、見つけ次第採取していく。

 時にはどうして見つけたのか、雪の下から匂いもしない薬草をピンポイントで発掘してみせた。


「おお、また見っけたぞ! フィロフィー様ってすげぇんだなぁ」

「だな。初めはなんで自ら危険な森にて思ったけど、こら俺らにゃぁ真似できん」

「わふっ」(いやいやおかしいだろ!?)


 凄まじい勢いで薬草を採取していくフィロフィーに、兵士達が感心する。タイアは異様に高性能なフィロフィーが不思議でたまらなかったが、兵士の前で筆談はできない。

 もちろん、薬草を探し出しているのはグリモである。フィロフィーは背中にリュックを背負っているが、その入り口からはウサギ人形が顔を出していた。

 グリモの視覚は遠くを見る事はできないが、近場なら障害物の裏でも中でも見えている。雪の中でも木の陰でも薬草を見逃すことはない。


「コクリは疲れてないんか?」

「きゅおん!」


 兵士の問いに、子狐タイアは元気に返事をする。

 タイアはむしろ、実際は駆け回りたい気持ちをこらえてフィロフィーの後を付いてきているくらいに元気である。

 タイアにとっては森の探検がいい気分転換になったらしい。その姿はつい先日まで消沈して引き籠っていたとは思えず、タイアの同行に反対したケニーも連れてきて良かったと思い始めていた。

 一方で森の斜面を登り続け、一番疲れているのはフィロフィーだった。その様子に兵士達が心配し始めたが、フィロフィーは引き返そうとはしない。


「フィロフィー様、必要な物はまだ集まらないんですか?」

「んー、あと一種類、必要な薬草が見つからないのですわ」

「この辺に存在しない薬草なんじゃ」

「いえ、そこは確認済みですわ。この季節でも採れるはず――なのですけど」


 グリモから薬草の特徴を聞き、フィロフィー自身もグリモの見えない遠くを見渡しながら歩いていく。



 それから更に歩いたところで、フィロフィーはグリモの視界の外に、それらしき薬草を発見した。


「見つけました、あれですわ!」


 フィロフィーは喜び、その場所に向かって駆け足気味に二、三歩足を踏み出し――


「きゃん!」

「はひゃうっ!?」


 すぐに子狐タイアが飛び出して、フィロフィーを追い越し、そしてUターンしてフィロフィーにタックルした。その勢いで、フィロフィーは尻もちをついてしまう。


「フィロフィー様!」

「なっ、こいつ!」


 護衛の兵士が慌ててフィロフィーに駆け寄る。うち一人は剣を抜いて子狐タイアに向けた。

 彼らには本当は飼いならされていなかったホワイトフォックスが、領主の娘に牙を剥いたように見えたのだ。

 向けられる殺気にタイアがたじろぎ、ケニーが慌ててその仲裁に割り込む。


「わー待った待った! タイ、コクリさんはフィロフィー様を意味なくし攻撃したりしないっすから! ねぇコクリさん」

「きゅーん」


 タイアは縮こまりながら、鳴き声で肯定する。

 実際にタイアだけが気づいていた事――子狐タイアが獣の嗅覚で感じとった匂い(・・)があった。


 なおも訝しがる兵士に背を向けて、タイアはある場所を前足で指し示す。そこには汚れた雪がこんもりと盛り上がり、入り口のないかまくらの様にも見えた。

 それはフィロフィーが見つけた薬草のすぐ側にあった。岩か何かの上に雪が積もったようにも見えるが、その場所だけは雪の下が一切見えない。泥も雪の上に付着したような感じである。


 兵士達もその異様さに気づき、タイアに向けていた剣先を、雪のかたまりへと向け直す。他の兵士も弓や槍を、ケニーは魔法を準備して横に広がり、距離を徐々に詰めていく。


「コクリさん、雪の中身が人間だったりはしないっすよね?」

「きゅん」


 タイアは横に首を振るが、兵士達がそのやり取りに眉をひそめる。それで本当にわかるのかと疑ったのだが、ケニーが当たり前の様に子狐を信じていたため、とりあえずはそれに習った。


 実際のところ、子狐タイアの鼻が感じとったのは獣特有の鼻をつく臭いだった。タイアはケニーの足元に陣取って、魔法を使う準備をする。


 そこでようやく雪の中のモノ(・・)は、待ち伏せに失敗した事に気づいたらしい。黒くて大きな生物が、雪の中から兵士達の方へと飛び出した――



 *   *   *   *   *



「ビビり過ぎだろケニー」

「たはは、ついやっちゃったす」

「フィロフィー様いたし、安全第一でえんじゃねか?」


 雪の中に潜んでいたもの、それは熊だった。魔物でもない動物の熊である。

 驚いたタイアが狐火を叩き込んだため、その毛皮はボロボロになっていた。肉もかなりが焼け焦げている。

 熊の毛皮は交易品としての価値があり、肉や内臓は村人みんなで食べているため、普段兵士達はできる限り綺麗に狩っているのだ。タイアもその事はよく知っているので、丸焼きにしてしまった事を悔やんでいた。

 ケニーが何も言わずに自分がやった事にしている事が、尚更タイアの後悔を強くする。


 もっとも今回は護衛対象のフィロフィーがいるし、高級品である熊のは無事だったので、目くじらを立てて怒るほどの事ではない。

 中年の兵士が熊の屍体の解体をはじめ、ほどなくして内臓を全て取り出した。内臓の大半は草の上にドサリと置かれたが、熊のと呼ばれる胆汁の詰まった胆嚢たんのうだけは、大事に取り出して隅を縛った。これを乾燥させたものは高級薬として高値で取引されている。


「冷やしてぇけど、川が遠いな。どうすっか?」

「雪じゃ駄目か?」

「綺麗な雪足りねぇし、冷やしきれんな」


 熊に限らず狩った獣はすぐに冷やさないと肉が臭くなるので、川などに沈められる事が多い。村に帰れば水路があるが、熊の巨体を道具も使わずに兵士五人(と子狐とフィロフィー)で運ぶのは相当大変だろう。

 それでもやるしかないと兵士達がため息をつく中、ケニーが得意顔で手を上げた。


「あ、僕最近冷気の魔法覚えたから冷やしますよ?」

「おお、ケニーまじか!? いつの間に練習してたんだよ」

「え? まあこっそりとっすよ、たはははは……」


 兵士達は二手に分かれ、二人は応援を呼ぶために内臓や熊の胆を持って村に走り、残りの二人は熊を解体してケニーにまわす。ケニーがそれを次々と冷やし、タイアもケニーの影に隠れてこっそりと手伝った。


 その横でフィロフィーはお目当ての薬草を回収したが、しかし一息つく事もなく、むしろいっそう警戒しながら周囲を見渡していた。


(グリちゃん、どう思います?)

『どうって?』

(普通の熊は、雪や泥の中で獲物を待ち伏せとかするのでしょうか?)

『……しないな。ご主人、気をつけろ。周りに魔物がいるはずだ』

(そんな事はわかってますわ。わたくしが聞きたいのはどんな魔物か、なのですが)

『そりゃあ熊を操れる奴だろうけれど……悪い、見れば思い出すかもしれないけど、思いつかない』

(はぁ、グリちゃんは相変わらず役に立ちませんわね)

『ぎゃふん!?』


 フィロフィーの小さなため息が、悪魔グリモの心を抉る。

 グリモにはつい先ほどまで薬草を見つけていた功績があるのだが、そこは評価して貰えないらしい。


 フィロフィーはそんなグリモの事はさて置いて、急冷機と化していたタイアを抱え上げ、近くに魔物のいる可能性を耳打ちした。

 安全を確保するならタイアよりも兵士達に魔物の存在を知らせるべきなのだが、魔物がどこかでこちらを見ていた場合、兵士達がキョロキョロし始めれば警戒して逃げてしまうかもしれない。見た目が子狐のタイアならば魔物も油断するだろうし、タイアは敵を探しだす事のできる狐の嗅覚を持っている。

 タイアを危険にさらす事になるが、動物を操るかもしれない危険な魔物を、フィロフィーは逃がすつもりはなかった。


 ――危険だから、ではなく食用的な意味で。


 タイアはフィロフィーの腕の中からするりと抜けて、単独で周囲の探索へと向かう。


「あれ、どこ行くんすかコクリさん?」

「きゅん」

「お花を摘みにって言ってますわ」

「きゅおん!?」

 

 タイアが『違う』と抗議の鳴き声をあげるが、ケニーは「遠くまで行っちゃ駄目っすよ」とだけ言って作業に戻る。ケニーは『いちいち訳すな』という抗議の鳴き声だと思ったらしい。

 兵士の前では筆談もできず、タイアはフィロフィーへの復讐を誓いながらも、単独で周囲の探索を開始した。


 先ほど熊を丸焦げにしてしまった事を悔やんでいたタイアは、汚名返上の機会に気合いをいれる。狐化したタイアに剣を振るう事はできないが、速さや筋力は人間だった頃より軒並み上がっているし、強力な攻撃手段として火や冷気の魔法も使える。

 自分で戦わずに動物を操って戦わせるような魔物なら、魔物本体は今のタイアでも勝てる位に弱いのではないか、と高を括っていた。



――こっちよ、こっちに来て


(ん? 声?)


 探索中のタイアの耳に、綺麗な女性の声が聞こえてきた。


――そうそう、こっち、こっちよ


 その声が聞こえてくるのは森の出口、ポロ村の方からだった。本当はその声は空気を伝わず、タイアの頭の中に直接語りかけてきているので、村の方から聞こえるのはそう錯覚させられているだけなのだが。


 熊の解体現場から村の方角へは、緩やかな下り坂の斜面になっている。タイアは警戒しながらも、村人の救援かもしれないと思って足早に斜面を降りていく。

 途中で一度振り返ったが、斜面の上のフィロフィー達の姿は見えなくなっていた。


 タイアは斜面を下りきり、少し歩いたところで木々の陰から急に現れたソレ(・・)と出会う。

 タイアはその時、匂いを感じていなかったので完全に油断していた。先ほどの熊発見の手柄のせいで自分の嗅覚を過信し、向かい風か追い風か、弱風か強風かという当たり前の条件すら完全に忘れていた事にようやく気付く。


  ソレ(・・)は人型の魔物だった。


 首から下だけ見れば、ボロ切れをまとった女性に見えるが、頭部は人間とはかけ離れている。楕円形の黒い卵のような頭がのっていて、目も耳も、口も髪もないのっぺらぼうだった。


「きゅっ……」

『おっと、声出すんじゃないわよ。あんたなんか食っても美味うまくないんだから』


 タイアは叫ぼうとしたが、魔物はタイアの口を両手で掴んで塞いでしまった。その握力はたいして強くはないのだが、タイアは口を開く事も抜け出す事もできない。それは魔物の能力などではなく、ただの恐怖心から体がすくみ、タイアは動けなくなってしまっていた。


『まったく、こんな子狐がよくも台無しにしてくれたものね。大変だったのよ、あの熊を雪の中に隠すの。

 ……まあ、いいわ。魔法の使える兵士がいたし、あそこで殺してもこの子達に娘の死体の回収をさせるのは難しかったでしょうかね』


 そう話す魔物の後ろから、今度は大人のホワイトフォックスが二匹現れる。

 ここでタイアは理解した。

 熊を操ったのは目の前の魔物で、そして熊だけではなくホワイトフォックスのような魔物も操れるのだと。


 そしておそらくは――自分タイアの事も操っているつもりなのだ、と。


『あなた、あの娘だけをこっちまで誘い出してくれる? 失敗したらあなたが今日の晩御飯だからね』


 まあ狐なんて美味しくないんだけどね、と魔物は付け加えた。




 タイアは黒頭の魔物の命令を受けたあと、早歩きでその場を離れた。振り向いて魔物達が見えなくなった事を確認し、そこからはゆっくりと歩きながら、フィロフィー達のいるほうへと斜面を登る。

 その足取りは重いが、タイアは別に操られているわけではなく、フィロフィーを差し出すつもりはない。おそらく黒頭の魔物には、人間のような知能が高い生き物は操れないのだろう。


 タイアはただ、悔しかった。

 目の前に突如現れた異形の魔物が怖かった。そして自分より大きなホワイトフォックス達におののいて、操られたフリをして逃げ出した。

 黒頭の魔物は今でも、タイアを操るのに失敗したとは考えてもいないだろう。何しろタイアと言えば話しかければのこのこと寄ってきて、何の抵抗もしなかったのだから。

 

(何を……やってんだよ、あたしはっ!)


 傭兵に憧れて毎日剣を振っていたが、いざ強そうな魔物に出会ってみれば、怯えて逃げる事しかできなかった。それはたとえ人間の姿であったとしても、剣を握れたとしてもきっと変わらない。

 その事実が、タイアの小さな胸を締め付ける。


 ゆっくり歩いていたタイアだったが、斜面を登りきって熊を解体している現場が見えてきていた。フィロフィーがタイアに気づき、こちらに向かって大きく手を振っている。



 タイアのここまでの行動は、客観的にみて大正解だ。

 あそこで実力のわからぬ未知の敵と戦うよりも、従うふりをしてケニーやフィロフィーに情報を伝え、兵士を集めて山狩りをする方がよほど賢い。それは疑いようがない。

 あの魔物はタイアが実は人間であることを知らない。筆談やヴィジャ盤で、黒頭の魔物の情報を流せる事を知らない。このまま合流して、魔物の詳細を伝えればタイアのやるべき事は終わりである。とても賢いやり方で、素晴らしい働きをしたと誇っていい。


(――でも、それじゃあ駄目なんだよ、あたしは)


 何が正しいかは十分にわかっていて、それでもタイアはフィロフィー達とは合流せずに、魔物の方へと踵を返した。

 

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