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賢者フィロフィーと気苦労の絶えない悪魔之書  作者: 芍薬甘草
第三章 無色透明な愛情
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第百話 魔獣ヒドラを捕獲せよ ②


 次の安息日、バンケツへのお礼を買いに行くと言って出かけた十七番は、イセレムの北部にあるバーグラ達の隠れ家に向かった。

 着いてみればそこは森にある小さな山小屋で、一見すると使われているのかすら怪しいほどのボロ屋だった。それでもそこが隠れ家だとわかったのは、小屋の周りを複数の魔物が守っているからだ。

 近くの茂みからは蛇のような頭部を持つ魔物が数匹顔を出して目を光らせ、木の枝には大型小型を問わず鳥の魔物が隣り合って停まっている。種族の違う魔物同士が争わないのは統率者がいるからだろう。


「やっと来たか、十七番」


 案の定、十七番が小屋に近づくと、中から出てきたのはグックスだった。

 彼が魔物達に視線を向けると、蛇型の魔物は茂みに消え、鳥型の魔物は一斉に飛び立っていく。周囲の哨戒にいかせたらしい。


「グックス、あなた一人ですか? バーグラ様は?」

「今は王国脱出のための手配をされている。お前への指令は俺が預かっているから心配するな」


 そう言ってグックスは懐から手紙を取り出して、十七番へと手渡した。

 手紙は一見すると白紙であったが、いつも通り魔力を通せば文字が浮かび上がるのだろう。


「……それにしても、よく生きていたな」


 十七番はさっそく指令書に魔力を通そうとしたが、グックスに話し掛けられて一旦やめた。普段は寡黙な男なので、こうした雑談の様な話題を振ってくるのは少し珍しい。


「そうですね。危うくグレイウルフに殺されるところでしたが」

「そういう意味じゃ……いや、あれについては本当に悪かった」


 小さく頭を下げたグックスを見て、十七番は意外に思う。

 会えばもっと口汚くののしられると思っていたし、最悪は裏切り者として殺そうとしてくるのではと警戒していた。それがグックスは十七番の顔を見て、どこか安堵しているような様子すらある。

 フゥッと息を吐くグックスは、ひどく疲れているように見えた。


「……何かあったのですか?」

「ああ。ここに来る途中でキイエロ王国の兵士に襲撃された」

「なっ!?」


 驚く十七番に、グックスは「幸い雑兵ばかりだったから、その場はどうにか逃げ切れたが――」と忌々しそうに話し始める。


「チャモンとカズラだろうな。たぶん王国のやつら、あの雑貨屋が俺達の拠点だったと気付いてた上で、油断させるために表向きは捜査をしなかったんだ」

「……えっと、話が見えないのですが、誰と誰ですか?」

「チャモンとカズラ――雑貨屋で店番や荷物配達に使ってた、日雇いの何でも屋だ」

「その者達に重要な情報を流していたので?」

「まさか。二人ともうちをただの雑貨屋だとしか思ってなかったはずだ。だが、さすがに雑貨屋の主人が雇った相手に顔を見せない訳にはいかなかったからな。――今では地方の兵士達にまで、俺の人相書が出回っている」

「そういうことですか」


 十七番はグックスの背後にある、ボロボロの小屋に目を向ける。

 こんな怪しい場所に潜伏するよりイセレムの宿屋に泊まればいいのにと不思議に感じていたが……人相書きが出回っていては無理だろう。


 グックスも王都にいたころは顔を晒して歩いたりはしていなかった。王都全体がお通夜ムードだったので、フードで顔を隠していても周囲に溶け込むことができたのもある。

 しかし王都を離れてしまうと事情が変わり、今度はフードで顔を隠している方が逆に目立つ。あまりコソコソとしていると、どこかの犯罪者が流れてきたのではないかと勘繰られたりするからだ。

 グックスも当然のように普通の旅人のような格好で行動し――そしてあっさりと見つかってしまった。

 もしもキイエロ王国の憲兵達が、雑貨屋はもぬけの殻なのを見越して油断させるために踏み込まず、その裏でグックスの人相書を量産してせっせと地方に流していたのであれば……確かに相手の方が一枚上手だったことになる。


「それは大変でしたね。というか、あなたはさっさと祖国に逃げたほうが良いのではないですか?」

「……いや、他人事のように言うがな、お前は俺以上に危険だったはずだぞ」

「え?」

「当然だろう、レモナの移動に合わせて俺が現れ、偽装したレモナの馬車には知らない女が転がり込んできたんだ。疑われてないわけがあるか。お前に限って十番を殺した連中に寝返ったりはしないだろうが……何故まだ無事でいる?」

「な、何故と言われても……」


 十七番の頭にハテナが浮かぶ。

 特に何かした覚えはなく――というより、疑われていたという話が疑わしいくらい、傭兵団には歓迎されたような気がする。だいたいあの一団がレモナ一行だと気付いたのがつい十日前のことで、それまでは少し利用しようとくらいに思っただけだ。

 どうしてこんなに好かれているのか、むしろこっちが理由を聞きたい。


「まさか、バレた上で泳がされている?」

「いや、それならお前に見張りがつくはずだが、神院からお前の後をつけてきた奴はいなかった。そこは俺の鳥達に確認させている」

「……私のような、透明化の使い手が潜んでいるとか」

「それが不可能なのは、誰よりもお前が一番よくわかっているはずだ」

「それはそうですが……では、何か人外のものが追ってきている可能性はありませんか? 例えば、そう、このくらいの大きさの子狐がついてきていたりはしませんか?」

「それこそ、魔物使いである俺が考慮しないわけがないだろう。鼠一匹お前の後を追ってきた奴はいない」

「そう、ですか」


 十七番はホッと息をつく。

 よく考えたらスミルスとタイアの会話を盗み聞きした際、十七番ジーナの話題も出ていたが、疑われていた節は全くなかった。

 色々と疑問は残るが、とにかく疑われてないなら良いのだろうか?


「それにしても、相変わらずあなたの魔物は便利ですね――と、ああ、そうでした。あなたに探して貰いたい魔物がいるのですが」

「それが潜入に必要なことなら構わないが……この変にはろくな魔物はいないぞ。ここの守りを固めるのに探してみたが――」


 グックスが話しながら、近くの茂みに目を向ける。

 するとガサガサと音を出しながら三匹の蛇が――否、三匹の蛇ではなく、胴体が途中で三つに枝分かれした、全長二メートル程のミツ首の蛇が姿を見せた。

 十七番が目を丸くして見つめていると、さらに茂みや小屋の裏から二ツ首の蛇が数匹出てくる。


 ヒドラだった。


「――こんなのが十匹くらい居ただけだ」

「…………十匹くらいって…………まさか、この辺りに居たのは根こそぎ捕まえたので?」

「ああ。この程度の魔物なら洗脳にそれほど魔力も使わないからな。 ……ただ、こいつらは蛇のくせに生命力が弱いのか、既に二匹死んでしまった。とても戦闘には使えそうにないし、鳥達の餌にでもしようかと……ん、 どうした?」

「いえ、別に……」


 探せども探せども、ヒドラが見つからなかった訳である。グックスが保護区の外に集めていたのでは、もしも十七番に魔寄せの力があったとしても見つかるわけがない。ここ数日の努力が無駄だったことがわかり、十七番は力無くしゃがみこむ。


「とりあえず鳥の餌にするのはやめてください。貴重な魔物なので」


 グックスは訝しむように見つめてくるが、その視線に答える気力もない。

 そうしてしゃがみ込んでいるうちに、バーグラからの指令書の存在を思い出す。

 十七番は指令書に魔力を通した。



 *   *   *   *   *



 それから二日後。

 十七番の目の前には、捕獲され檻に閉じ込められた数匹のヒドラの姿があった。

 言わずもがな、グックスの所にいたヒドラである。保護区の探索中に、十七番に寄ってきたところをフィロフィー達に捕まえさせた。もちろんグックスの仕込みであり、ヒドラ達は今もグックスの支配下にあるはずだ。


 場所は神院の一角に設けられた、ヒドラ用の飼育場である。十七番や傭兵団のほかにも神官や巫女、巫女見習い達が集まっていて、その中にはレナの姿もあった。レナは檻の中のヒドラを物珍しげに見つめている。


「なんだか、思ったよりも小さいのね」

「現代では、これ以上大きくなれないのですわ」

「現代では?」


 フィロフィーの言葉に、ヒドラを見ていたレナが反応して振り向く。


「はい。とある古文書によると、古き時代のヒドラはこの檻に収まらないほど巨大な魔物で、特に大きな個体だと頭が八本も九本もあったそうですわ。そのうえ頭を何度切り落としても生えてくるほど強い再生能力を持ち、それぞれの頭が炎魔法や毒魔法を操ったとか」

「そ、そう……」


 フィロフィーの説明を聞いて怖くなったのか、レナはヒドラの檻からジリジリと距離を取る。

 そんなレナにフィロフィーは笑いながら「あくまで古代の話ですから」と付け加えた。


「ご安心ください、現代のヒドラは大幅に弱体化しているので、毒も火も吐けませんから」

「……脅かさないで頂戴。でもどうして弱体化したの?」

「そうですわね、これはわたくしの仮説ですが――どうやら現代は、古代よりも大気中の魔素の量が大幅に少なくなっているようなのです。本来なら不老不死のはずのエルフが死んでしまったのもそれが原因かと」

「ふーん」

「ヒドラが特に不運だったのは、なまじ再生能力が失われずに残ってしまったことですわね。再生能力の形成に魔力リソースを大きく取られてしまう結果、こんな貧弱な魔物に成り下がってしまったのでしょう」


 フィロフィーの説明を聞いて、十七番は檻の中のヒドラに憐れみの目を向ける。


(――否。私は違います)


 その姿を一瞬、透明化にリソースを取られた自分と重ねてしまった十七番は、考えをかき消そうと首を振った。


「それで、君はその弱体化してしまったヒドラを本当に飼育できるのかね?」


 今後はレナの奥にいた、髭を蓄えた初老の神官から疑問の声が上がる。着ている深緑の服からして、かなり高位の神官だろう。

 彼からの質問に、フィロフィー待ってましたとばかりにニヤリと笑う。


「お任せください。ヒドラ用の餌を用意してありますから」

「餌?」

「はい。魔力を帯びた特別な餌ですわ」


 そう言ってフィロフィーは、袖から卵のような小さくて丸い物体を取り出して、その場の観衆達に見せた。


「今説明した通り、ヒドラは本来なら強力な再生能力を持っています。ですから――」


 フィロフィーは言いながら、餌を檻の中に投げ入れる。その餌を、一匹の二ツ首のヒドラが首を伸ばして飲み込んだ。


 それから数十秒も経つと、餌を食べたヒドラに変化が起きる。ヒドラの二つの首の間がボコボコと膨れ上がり始めたのだ。

 観衆が口を開けて見つめる中――しばらくすると三本目の首が生え、ヒドラはひとまわり大きな三ツ首のヒドラになっていた。


「――ですからこうして、足りない魔力を外部から補ってやればいいのですわ。再生能力さえちゃんと機能すれば、ヒドラという魔物はちょっとやそっとでは死にません。檻に入れたストレスで死ぬなどありえませんから」


 衝撃的な光景を目にして、神官達が色めき立つ。

 十七番が彼らの様子を眺めていると、神官達の輪の中にいたテルフレッド神官が、輪を抜けてこちらに近寄ってきた。


「ところでフィロフィーさん、このヒドラはその餌を一回食べただけで首が一本増えましたけど……その餌を与え続けて、ヒドラが古代の化け物レベルまで強くなったりはしないのですか?」


 彼は声を潜めて話しているが、フィロフィーのそばにいた十七番にはその声が届く。


「おっしゃる通り、今のと同じ餌をやり過ぎれば、ヒドラは化け物レベルにまで強くなってしまいますわ」

「なんと!」

「ですがご心配には及びません。今回はあくまでも、デモンストレーションとして少し多めの量を与えたに過ぎませんから。餌の効力はいくらでも調節できますので、あとでちゃんと薄めたものを用意しますわ」

「ああ、そうでしたか。 ――ところで、餌の製造方法は教えていただけるのですよね?」

「もちろんそのつもりですわ。 ……ですから、オリン陛下の方には……」

「はは、お任せ下さい。フィロフィーさんとは今後とも良き隣人でありたいですから」

「うひゅひゅ、ありがとうございます。つきましてはテルフレッド様にひとつお願いがあるのですが」

「何ですか?」

「捕まえたヒドラのうち一匹を、研究用にわたくしに回していただけませんでしょうか? 餌の調整や負荷試験などを行いたいので」

「それはこちらからお願いしたいくらいですが、一匹で良いので?」

「ええ、一匹で大丈夫です。死なせるつもりもありませんから」


 聞こえてきたのは実務担当者同士の極めて事務的な会話であったが……一昨日グックスに聞いたある情報(・・・・)が、十七番の脳裏をよぎる。


「あの、フィロフィーさん」

「どうかしましたかジーナさん?」

「もし万が一、餌の与え過ぎでヒドラが強くなってしまった時はどうするのですか?」

「その場合は少し攻撃して、回復に魔力を消費させることになりますわね」

「そうですか」

「はい。そのようなことにならないよう、細心の注意を払うつもりではいますわ」


 淡々と話すフィロフィーに、何か隠し事をしているような様子は微塵も感じない。


(やはりグックスの見間違いではないでしょうか? ……否、もしこれが演技なのであれば……)


「ジーナさん?」

「あ、すいません。少し考えこんでしまって」

「お疲れでしたら休んで下さいね。今日はヒドラに追いかけられて大変だったんですから」

「はい、ありがとうございます」

「さてと、いったいどの子を貰っていきましょうか……」


 そう言ってフィロフィーは、視線を檻の中のヒドラにうつして微笑みかける。


 ヒドラ達はフィロフィーの笑顔に何かを感じとったのか、一斉に威嚇を返していた。


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