第十話 商人アキの来訪
フィロフィー達が森へと出かけていった頃、一台の荷馬車がポロ村の入り口に到着していた。
その荷馬車の御者席には赤毛を短くまとめた女性が座り、馬の手綱を握っている。荷馬車には彼女一人しか乗っておらず、あとは塩や穀物などの物資が所狭しと積まれている。
荷物を見れば行商人だとわかるものの、革鎧をきて短剣を腰に差したその姿は、雇われた護衛の傭兵のようである。
もっとも、彼女はかつて傭兵稼業に勤しんでいたのだから、そう見えるのも仕方あるまい。
彼女こそスミルスが呼んでいた行商人のアキであり、スミルスの元傭兵仲間だった。
武装している部外者が来たにもかかわらず、ポロ村の住人達はアキを笑顔で迎えいれる。
北のはて、人口も少ないセイレン領に来てくれる行商人はアキを除いて他にいない。持ってくる物資の値段は割高だったし、毛皮などのセイレン領の交易品は買い叩いて持っていくが……そこまでしてようやく利益が少し出る程度なので、悪徳商人というわけでもない。
そんなわけで、アキは村人達に好意的に顔を覚えられている。そしていつも一人で来るので、危険な道のりを単身で行商できる、元傭兵の武闘派商人として認知されていた。
――ただし実際は、アキが単身で行商に行くのはセイレン領くらいである。
確かにアキは元傭兵団の斥候で、幹部の一人になるほどの強さがあるが……それ以上にセイレン領への道には盗賊すら現れないという悲しい現実が、アキの単独行動を可能にしていた。
「こんにちはー。スミルスはいらっしゃいますかー」
彼女はセイレン家の屋敷に到着すると、扉のノッカーを叩いて声を張り上げる。しばらくして扉を開けたのはスミルスだった。普段ならまずソフィアかフィロフィーが出迎えるのだが、今は屋敷に彼しかいない。
「おお、アキか。早かったな」
「そりゃあ今回は本業の仕事だからね。それで、珍しい魔石を手に入れたんだって?」
「は? ……ああ、そうか。最初の手紙はだいぶ前に送ったんだったな」
「え?」
きょとんとするアキに対して、スミルスが一人で納得する。
フィロフィーの検査の日から今日までに、スミルスはアキに宛てた手紙を二回出している。一回目はホワイトフォックスの魔石を見つけた時で、二回目はタイアが狐になった時だ。
アキはセイレン領から少し南にあるラケッドという街で、魔法商店を構えている。
彼女がセイレン領へ物資を運ぶのは昔の仲間の好に他ならず、普段は魔石や魔導書などの高額商品を扱っているし、顧客もほぼ貴族や魔導士協会に限られる。
だからスミルスは一通目の手紙で魔石の買取をアキに頼んだのだが……残念ながら、アキが二つ目の手紙は受け取っていないことを察した。
「え、なに? まさか間違い?」
「いや大丈夫だ。ホワイトフォックスの魔石は確かにある」
「ならいいけど。――あ、もしかして他にラブレターでもくれてたのかしら?」
「受け取ってないならいい。アキに持ってきてほしい商品があったんだが」
「……ツッコミくらい入れなさいよ。泣くわよ?」
アキにじとりと睨まれて、スミルスはすっと目を逸らす。
アキはスミルスとほぼ同世代だがまだ独身で、本人はこうしてネタにしているが……アキの青春時代を共に過ごしたスミルスとしては、あまり触れたくないポイントだった。
「まあいいけどね。それで、欲しい商品って何かしら?」
「それは……まあ、ひとまずあがってくれ」
「そうさせてもらうわ。
――あ、フィロフィーちゃんはいないの? 魔法の本を持ってきたけどどうかしら? 魔石を売れば少しは余裕あるでしょう?」
そう聞いてニコリと笑うアキの目には、商人特有の光がある。
スミルスもアキには感謝しているし、今回の様な臨時収入があれば本ぐらいは買ってもいいと思っているが――今は大至急必要なものがあり、娘のための本を買っている余裕はない。
「フィロフィーなら兵士と森に出かけてるよ。――それと今回は、本より高いものを買わせて貰うさ」
スミルスはそう言って、苦笑しながらアキを屋敷の中へと案内した。
* * * * *
「とりあえず魔石を持ってくる。少し待っていてくれ」
アキをリビングに残し、スミルスは書斎の金庫――ではなく娘の部屋へと向かう。
魔石はフィロフィーが毎日使ううえに、フィロフィーがホワイトフォックスを食べれば何度でも作れる。そのため一々金庫にしまうのが馬鹿馬鹿しくなってしまったのだが――だんだんとスミルスの魔石に対する感覚が、おかしくなってきている証拠だろう。
フィロフィーは森に出かけて留守だったが、部屋には吸収しきれずに置きっぱなしにされている魔石があることをスミルスは知っている。
フィロフィーは大量の魔石を吸収すると気持ち悪くなるという事実を、既にスミルス達に話していた。
そしてそれは、フィロフィー部屋の机の上に、そのまま粗雑に置かれていた。
その色は純白だった。元々ホワイトフォックスの魔石は白いが、フィロフィーが吸収生成する過程で不純物が抜けるため、天然の魔石とは比べ物にならないほどに輝いている。大きさはスミルスの握りこぶし位はあるだろうか。形は綺麗な球体をしていて、巨大な真珠のようにも見える。
普通の魔石がただの石ころに見えるくらいの、宝石を越えた魔石が転がっていた。
スミルスはその魔石を手に取って見つめる。
タイアの魔導書を作成した時にかなり小さくなったはずの魔石が、その後のフィロフィーのフードファイトによって以前よりも大きくなっていた。
スミルスの御触書によって届けられた魔物の種類が、ポイズンマッシュマン以外はホワイトフォックスばかりだったのも大きな要因だろう。
(……って、こんなものアキに見せられるか!)
スミルスは魔石をフィロフィーのベッドに叩きつけた。魔石の硬さを知っているとはいえ、かつて金庫に保管していた頃には考えられない扱いである。
当初の予定ではアキに売る魔石はもっと小さく、形も歪なものにする予定だったのだ。
その作業はいつでもできると油断していたら、運悪くフィロフィーが出かけたタイミングでアキが来てしまったのである。
残念ながら、スミルスには魔石を削ることはできない。魔石は鋼より硬く、魔剣でも持ち出さなければ傷もつかないほどに硬い。
かつてスミルスが持っていた魔剣はとっくに借金の形になっている。
仮に魔剣が残っていても、綺麗に削れるものでもないが。
* * * * *
「遅かったわね」
「すまんな、金庫を開けるのに手間取った。――それで、これなんだが」
そう言って、スミルスはお茶でも差し出すかのように、アキの前にさっきの魔石を置いた。
スミルスにはこの魔石を素直にアキに渡すほかに道はなかった。フィロフィー達が帰って来るまで時間を稼ぐ手も考えてみたが、ついさっき出かけたばかりではどうにかできる気がしない。
いや、アキが鈍い女ならば誤魔化しきる作戦を考えただろうが、あいにくアキほど鋭い者はいない。
傭兵時代、魔物の奇襲に真っ先に気付いて防いでいたのがアキならば……女の子のいる店に行こうとしたロアードとスミルスの、財布をすかさず取り上げたのもアキだった。
「ナニコレ?」
「何って、魔石だが?」
「…………な、何よこれ!? 丸い! え、丸い? はぁ!?」
アキは目を剥いて、鼻が付きそうになるくらい顔を魔石に近づけた。
それから震える手で恐る恐る魔石を掴み、布で拭いたりルーペで確認したり、鞄からプラグの様なものがついた魔道具を持ち出したりして魔石を調べる。
「嘘、でしょ…………」
そうしてあらゆる検査をした結果、それを魔石と認めざるをえなかった。
――今更になるが、フィロフィーが生成している物質が、紛れもない魔石であることが証明された。
「やっぱり、これは凄いのか?」
「やっぱりってあなた、馬鹿じゃないの!? 凄いなんてもんじゃないわよ! まさか九尾の狐でも狩ったわけ!?」
「いや、ただのホワイトフォックス……だったと思う。たぶん」
「たぶんて何!?」
「まあ普通よりもずっとでかいホワイトフォックスだったからな。ただの魔石持ちだと思ってたんだが、もしかしたら別種だったのかもな」
「かもな、じゃないわよ! ちゃんと確認しなさいよ!」
アキに詰め寄られ、スミルスは気圧された――フリをする。
「でも、そうか。この魔石はそんなに凄いのか」
「何を寝ぼけてるのよ。傭兵時代に手に入れた魔石と比べてみなさいよ」
「い、いや、昔に俺達が手に入れたのは小さい魔石ばかりだっただろう?
それに前に王都に住んでた時、城に飾られていたのはこんなのが多かったじゃないか」
「あれは城に飾られるような一級品でしょうが! それと同じくらいの……いやあるいは……えぇ!?」
話しながらも混乱を隠し切れないアキを見て、スミルスはここぞとばかりにすっとぼける。
これこそがスミルスの作戦、「そんなに凄い魔石だと思ってませんでした作戦」だった。
アキに対して下手に言い訳をするとボロが出ると考えて、ひたすら惚けることにしたのだ。
作戦は功を奏したのか、スミルスはアキのあきれ顔と引き換えに、追及を最小限に抑えることができた。
「けど、これは値段がつけらんないわねぇ」
「え?」
「だってこれ、私に買い取れる代物じゃないわよ? だいたい引き取ったって転売先がないし」
「え……そ、そんなに凄いのか!?」
「だからそう言ってるじゃないの」
アキは動揺するスミルスに呆れつつ、魔石を調べるのをやめてスミルスの手にポンと置く。それは買い取り拒否の意思表示だ。
フィロフィーの魔石が凄いものだとは思っていたが、アキの出した買い取り拒否レベルの評価は寝耳に水だった。スミルスはわざと惚けていたつもりで、本当に魔石に対する評価が麻痺していた。
「買い取ってくれないのか!? いつも通り、買い叩いてくれてもいいんだぞ?」
「いつも通りって何よ、毛皮くらいじゃそんなに利益はないんだからね?
……とにかく、無理! こんなの変に売るより、このまま王国にわたして借金の形にでもしなさいよ。というか手紙に書いておきなさい」
スミルスが出した一通目の手紙には「次に来るときにはホワイトフォックスの魔石を買い取って欲しい」としか書いてなかった。フィロフィーの能力が判明する前の話で、実際に少し珍しいというだけでたいした魔石ではなかったのだ。
「ぐう、まいったな…… 魔石の売り上げをあてにしてたんだが」
「そういえば、欲しいものがあるとか言ってたわね」
「ああ、実は一ヶ月前にもう一通手紙を出してたんだが、変化系の魔導書が欲しかったんだ」
「変化系? えっと、使うのはフィロフィーちゃん?」
「いや、使うのはタイア様だ。えっと、今度どうしても王都に行かなくてはいけないんだが、道中を女王に狙われるかもしれないからな」
「あー」
なるほど、とアキは頷く。
スミルスは咄嗟に女王のせいにしたが、これは元傭兵仲間でタイアの事情を知るアキだからこそ信じてしまう類のものだ。
とりあえず何か不都合があれば女王のせいにする、それが元傭兵団メンバーのならわしでもある。
女王にしてみればたまったものでないだろう。
「あなたも大変ね」
「まぁ団長に押しつけられたとはいえ、今は大事な家族の話さ。――で、何か持ってきてたりはしないか?」
「うーん、タイア様に渡せそうなのは持ってきてないわね。変化系は特に高いし」
「参考までに、変化系の魔導書は買うといくらだ?」
「そうね、時価なんだけど――とりあえずよく売れる狼化の魔導書で金貨九百枚、馬化の魔導書で金貨七百枚くらいね」
「……ちなみに割引は」
「無理」
「まいったな。この魔石の売り上げがあれば何とでもなるハズだったんだが――
あ、この魔石と交換、というわけにはいかないか? 多少損をしてもいいんだが」
「無理だってば。どうしてもって言うなら、それで魔導書を作れば狐にでもなれるんじゃない? 魔導書を作れる魔導士とか紹介する?」
「……それはいい。やむをえないな、今回の話は忘れてくれ」
「まあ、それを魔導書の材料にしちゃうのはもったいないわね」
別にもったいないわけではなく、狐化の魔導書には用はないし、見たくもない。
スミルスは意気消沈し、諦めてフィロフィーが何かの変身魔法の魔導書を作る事に期待することに――しようとした。
「あとは一応、タイア様が使うには問題ありそうだから省いた魔導書があるんだけど見る?」
「ん? 持ってきてるのか!?」
アキの思わぬ言葉に、スミルスは驚いてやや声が上ずる。
「まあね。これは処分品だから、売れそうな隙があれば売っちゃおうと思って常に持ち歩いてるのよ」
言いながら、アキは鞄から一冊の魔導書を取り出した。
それはフィロフィーの持つ風魔法の魔導書によく似た、薄い本の形の魔導書だった。見た目におかしな点は見られない。
「それは何が問題なんだ? ゴキブリにでも変身するのか?」
「さすがにそんな気持ち悪い魔導書は仕入れないわよ」
アキは露骨に嫌な顔をする。
しかしスミルスは、フィロフィーならば魔法を覚えられるのであれば、たとえゴキブリ変身魔法でも嬉々として使ってしまうような気がした。
ふわりとした銀髪を頭に乗せたゴキブリを想像してしまい、スミルスは小さく頭を振る。
「なんでも狼化の魔導書を作ろうとした時に、インク作りに失敗したそうなのよ。安かったから仕入れてはみたんだけど、中身があんまり実用的じゃないネタ魔法でね」
「ネタ魔法って、まさか一度変化したら元に戻れないとかじゃないだろうな」
「あはは、やぁねぇ、そんな欠陥品を売るわけないじゃない!
狼とは呼べないような貧弱な子犬の姿になっちゃうのよ。まあ変装目的には使えるでしょうけれど、変身中に刺客に襲われたらひとたまりもないわよ?」
スミルスは若干頬が引きつるのを隠せなかったが、それはさて置き購入を検討する。
確かに傭兵や戦士といった職業に憧れるタイアでは、戦えない愛玩動物への変化魔法などは嫌がるだろう。それを知っているアキが最初に切り出さなかったのも当然だ。
――本来ならば。
今回は狐化を解くため、別の生き物に変化するのを試したいだけだ。それこそ人間に戻れるならばゴキブリ変身魔法でも問題はないくらいである。さすがにタイアも泣くだろうが。
「……で、それはいくらなんだ?」
「え、買うの? これは売れ残っちゃってるから金貨四十枚でいいけど」
「タイア様を暗殺者と戦わせるつもりもないからな。とりあえず、もしもの時に身を隠せればそれでいいさ」
金貨四十枚でもセイレン家には大金だったが……スミルスは以前、フィロフィーのためアキから買った未使用の風の魔導書があるのを思い出した。
そしてフィロフィーの部屋から風の魔導書を回収し、それと交換に近い形で狼化?の魔導書を手に入れたのだった。