2 緑の上級精霊
突如室内に現れたのは、優しい緑をまとう、性別が特定できない人型の精霊――植物の精霊であった。
「Fearas様!!」
ルーミルが、嬉しそうな声で名を呼ぶ。その声に応えてか、緑の精霊がその柔らかな表情にうかべる微笑みを、わずかに深めた。同時に、セリオ、クロス、アーフェルの三人が、その笑みに感じた穏やかな既視感に、自然と互いの顔を見合わせる。
優しい緑の髪と瞳を持つその精霊は、人族の年齢的には十八くらいに見えた。緑のゆったりとした独特な服をまとい、空中にふわふわと浮く様もそうだが、何よりもその輪郭全てが淡い緑の光によって包まれていることが、フェアラスと呼ばれたその存在が精霊であることを示していた。
人型を取れる精霊は、そう多くは無い。元々が自然の魔力の集合体と言ってもあながち間違ってはいないかの存在たちは、そもそもあまり特定の姿を取らないのだ。ゆえに、自らその姿を形作る存在は、最低でも中級以上の力と知性をもった、精霊の中でも上位の存在のみである。
そして、そういった者たちのことを、エルフ含め多くの種族たちは古くより、〝上級精霊〟と呼んでいた。
「まさか……己が目で上級精霊を見る日が来ようとは……」
改めて緑の上級精霊へとその高貴なる視線を移したセリオが呟く中、より良き隣人たちはといえば、その言語を学んでいない人族の三人を置いて、彼ら本来の言語たる精霊言語にて会話を始めていた。
「Fireste. Re alian rous…(驚きました。まさか貴方がここへ来るなんて……)」
「Lialin! FearasSii ArbnArb rous, Merirwe! Liarei?(そうですよ! フェアラス様が人族の土地に来るなんて、想像もしていませんでした! 一体どうしたんですか?)」
「――Lin, HrRinAgramia. Arfu, IisVento Hrnes. …zin, Dikeian Re Aragsuuli RN seina…?(――あぁ、巨大魔石ですか。確かに、かの一件ではすこし派手にやってしまいましたからね。……いえ、しかし、さすがに貴方のところまで余波が届くような魔法は使っていないはず……?)」
「fi, Lin! fin, agra HrRinAgramia monto!(あ、なるほど! では、純粋に巨大魔石に興味を持った、ということなんですね!)
「Lialin. fiina, HsutoLeito Rnnes?(そういうことですか。やれやれ、どれほどの時を生きようと、好奇心旺盛なのは変わらないようで?)」
「Kurgon Re!(それはお師匠様も同じですよー!)」
「fi, kira MerRumil?(おや、鋭いところをつきますね、ルーミル君)」
「HrLialin! ――zin, Ro Re.(当然です! ――もっとも、それは僕も同じなんですけれど)」
その言葉を区切りに、互いを見合わせて笑いあう二人と一体へ、珍しくも流石に気まずそうな咳払いが、一つ。
「あ」
真っ先にその言語を普段の人族のものへと戻したのは、ルーミルであった。次いで、珍しくその深い英知の瞳を純粋な驚きに見開き、そのままの表情でクロスの方を振り向いたイズレンディアが、若干申し訳なさそうな微笑みをうかべる。
お互いにとってなんともいえない雰囲気の中、その元凶たる美しい緑の上級精霊が、その音なき声にて笑い声を響かせた。
「――つまるところ端的に言いますと、その植物の上級精霊殿は名をフェアラスと言い、久方ぶりに再会したイズレンディア殿とルーミル殿のお知り合い、と?」
「はい! でも、ただしくは知り合いなのは僕だけで、お師匠様にとっては家族のような存在なんですよ!」
「ほう。……家族、ですか」
いぜんとしてにこにこと互いに微笑みあっているフェアラスとイズレンディアへ向いたクロスの水色の瞳には、いつもとは異なり、どこか不思議そうな色がただよっている。
人族三人をすっかり放置しての知り合い三人の話が止まった後、無音にてひとしきり笑った緑の上級精霊フェアラスは、なんともいえない表情で自身を見つめるセリオたちへと一つ、子供のそれに似た礼を、ぺこりとしてみせた。それに間髪入れず見事な礼を返してみせたクロスはともかくとして、まさかここまで人間味を帯びた礼をされるとは思っていなかったセリオとアーフェルが慌てて小さな礼を返すのに、今度はルーミルが噴出する。
そうして続いた笑いの連鎖は、しかし、今度こそ綺麗にきまったクロスの咳払いにて、幕を閉じたのだ。
ようやくまともに話を聞くことのできる状態となった場にて、実に簡潔にエルフ二人とフェアラスとの関係を並べたクロスの対応の早さは、流石、宰相閣下と言うべきか。
――最も、精霊言語での会話を全く理解できなかったにも関わらず〝久方ぶり〟という事を見抜いたクロスの観察眼は一体どうなっているのか、と思わず嬉しさ満点の笑顔の片隅にて思ってしまうイズレンディアもまた、相当な観察眼の持ち主であったが。
「それで……」
と、若干遠慮がちに、次はアーフェルが言葉を紡ぐ。
「フェアラス様は、一体どのような用向きでここに来られたのでしょう?」
至極真っ当なその質問に、やはりいつもより嬉しげな微笑みをたたえたままのイズレンディアが、さらりと答える。
「フェアラスは巨大魔石を見に来たんですよ」
そう言って、再び互いの緑の瞳に視線を合わせて笑むその表情は、フェアラスと面識がないセリオたち三人でさえ、似ていると思うほど。
「……前に会った時も思ったのですが、なんだかお二人って、家族っていうよりも恋人みたいですよね……」
「こ、恋人とは、ルーミルおまえ……いや、しかし……」
二人の姿に思わずそう呟いたルーミルの言葉に、ルーミルからそのような単語が出たことに驚愕しつつも、なるほど確かに、とこちらも思わず青に近い銀の髪をゆらして一つうなづくセリオ。
「――よくこの現状で、そのような戯れ言を思いつきますね?」
小声にて二人へと向けられたクロスの笑顔と優しげな声音の裏に、上級魔族並みの真っ黒な影が見えたのは、言うまでもない。
しかし、当然の反応として顔を青ざめさせたルーミルとセリオに加え、当事者で無いアーフェルでさえも、いつもは凛としたその表情を若干の恐怖に引きつらせた現状において、それを綺麗に流せる強者がいるのも、また事実。
「クロスさんの言う通りです。戯れ言とまでは言いませんが、それは違いますよ、ルーミル君。セリオさんも。――私とフェアラスは、友人であり、兄弟である、家族なんですから」
ふわりとした微笑みを浮かべたままに発言ができるのもそうだが、その上でクロスが現状において語ることではないと切った話題を再度持ち上げ、且つ〝戯れ言〟を訂正する、イズレンディア。
魔王をも恐れぬ、とは、まさに彼にこそ用いられるべき言葉だろう。
――ただし、実際おそらく本気になれば張り合えるくらいの実力があるのでは、と思えるほどの存在なのだから、こればかりは反論のしようもないが。
「……《賢者》とは、恐ろしい存在ですね」
と、自身が魔王級の存在としてつい先ほど怖れられていたことを棚に上げて呟いたクロスを、咎められる者はいない。
ここまでのやり取りで、すでに何度もこの微妙な雰囲気を体験している王城の間の面々だが、現状のように何度も同じようなことを繰り返しているのには、明確な理由が二つあった。
一つは、多くエルフ族の前にしか姿を現さない精霊……それも上級精霊が、平然と人族の前に姿をさらしていること。
もう一つは、こういった状態の時にこそ、通常通りのマイペースさを貫くはずイズレンディアが、ここぞとばかりに通常とは異なるマイペースさを振りまいているから、だ。
ただし、その常とは別なマイペースさも、彼らしさ、と言ってしまえばそれまでであるのだが。
「あぁ、そうですね。では見に行きましょうか? ――ルーミル君」
「あ! はい! あ、えっと……」
クロスの絶妙な毒舌もさらりと流し、気にせずフェアラスと向き合っていたイズレンディアが、唐突にそう切り出す。わずかに焦った風なルーミルが、セリオの方を振り向き、少しばかり困ったような表情を作った。
「あの、セリオ陛下……」
「? どうした?」
ルーミルのその常ならぬ表情に、セリオのみならずクロスやアーフェルまでもが小さな嫌な予感を感じ取るものの、三者三様にその様を見せることなく、言葉を向けられたセリオは極普通にその言葉の先を促した。
それに対し、一旦下げていた視線を上げ、かわりに眉を下げて再びセリオを仰いだルーミルは、実に言いにくそうな表情で、こう告げた。
「……フェアラス様が、巨大魔石のところへ、行きたい……そうです……」
困り顔のルーミルから移ったセリオたち三人の瞳は、どこかの《賢者》とやはりよく似た、穏やかな微笑みの笑顔を見た。




