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1 再会

長らく、お待たせいたしました。

 



 遠い土地。

 とある荒野から、星々が輝く夜空へと、大きな緑の光が飛び立った。

 淡く煌く緑の帯を引いてゆくその光を、そこかしこから現れた多くの下級精霊が、明滅して見送る。

 ……ただ、その姿を追う視線は、彼らだけではなかった。

 闇夜に、禍々しい深紅の炯眼が見え隠れしていた。




 ――蒼天。

 雲一つない快晴の空は、その澄み渡った色に太陽の金を浮かばせ、人々の頭上で広がっている。とは言え、今はまだ人々が本格的に活動するには、少しばかり早い時間帯。これから増えだすであろう石畳の街道を歩く人影は少なく、まばらである。

 それは、昼を過ぎればあっという間に席の奪い合いが始まる王立図書館でも、同じであった。

 古い本が並んでいる棚を黙々と整理する老司書が、わずかにしか存在しない客をちらりと見やり、小さくため息をつく。それは、今日もまた、ゆったりと読書をしてくれる方はいないだろうな……という、諦めの吐息だった。

 彼は想う。

 もう十数日も前となった、穏やかな夕暮れ時の幸福を。忘れかけていた嬉しさを取り戻させてくれた、あの瞬間のことを。

 と――キィ、と言うわずかな音が、新たな客の来訪を告げる。しばしの回想から戻ってきた司書が、応対をしなければ、と持っていた本を置き立ち上がった。そうして、極々自然に出入り口のほうへと向いたその瞳は、しかし、次の瞬間には驚愕を浮かばせることとなった。

「こんにちは」

 穏やかな声。他にも客がいることを考慮して発せられたその小さな声は、確かに、古き司書へと向けられていた。

「――エルフの御方」

 年老いた司書は、自然と浮かんでくる笑みをとめられぬまま、言葉をこぼす。それをその深い緑の瞳にうつし、穏やかな微笑みを返したのは、まさに今の今まで司書が思い描いていた、美しいエルフの青年――Izlendia(イズレンディア)であった。

「ようこそいらっしゃいました。今回はどのような御用件で?」

 実に嬉しそうにそうたずねる老司書に対し、こちらも相変わらずの微笑みで返すイズレンディア。

「今回は、仕事に関する資料を探しに来たんです」

「お仕事、ですか……?」

 はて、以前は旅人だと言っていたはず、と記憶をたどる古き司書に、彼の胸中を悟ったイズレンディアが小さな苦笑をうかべた。

「色々ありまして、しばらくこの国にとどまることになったんですよ」

 〝色々〟に本当にたくさんのことを詰め込んだイズレンディアの言葉に気付いた老司書は、そうですか、とわずかに心配げな表情でうなずく。その様子を深い英知の瞳に映したイズレンディアは、わずかな間の後、最も、と言葉を紡いだ。

「本題は別にありますが」

「本題……と言いますと?」

 にこり、とした彼の笑顔に、老司書が問う。イズレンディアはその問いに、静かに答えを紡いだ。

「もちろん――〝約束〟を果たしに」

 その時に老司書が表した驚きと笑顔は、イズレンディアがその後もこの図書館へ通う、最も大切な理由となったのだった。




 巨大魔石に関する資料を王立図書館で借り、王城へと帰る帰り道。

 イズレンディアは、この王国へ来た当初に世話になった、あの宿屋の前を通りかかった。

 石畳の通りの中、ゆったりと立ち止まった彼を追い抜く者も多い昼前。中から聞こえる喧騒は、あの日の夜とは異なるものの、彼に確かな懐かしさを呼び起こさせた。と、同時に、入口の扉の横、地面がむき出しになったそこに、自然と視線が吸い寄せられる。

 瞬間イズレンディアの口元に浮かんだのは、幼子の誕生を喜ぶ微笑みであった。

 宿屋の扉の隣、その土の上には、小さくとも精一杯陽光を浴びようと広がった、二枚の若葉。

 ――それは、もう十数日も前となる陽光の射す朝。イズレンディアがこの宿屋へと送った手紙に同封した、あの花であった。

「――精霊王の祝福を」

 小さな祝福の言葉が、喧騒に溶ける。

 イズレンディアは優しく微笑みながら、そっとその場を後にした。

 しかし、彼のその明るい緑の髪が完全に人ごみの中に消える前。宿屋の中で、彼の姿を見つけた視線があった。

「っ!」

  ゆるいウェーブの赤髪が、一歩を踏み出すごとに揺れる。手を伸ばして開いた扉のその向こうに、しかし、すでに美しいエルフの姿はなかった。

「……」

 無言のままに数秒、その濃い茶色の瞳を石畳の先へと向けていた看板娘の少女は、次の瞬間、ふっと肩の力を抜いた。

「メアリちゃーん?」

「どうしたんだー?」

 急に出入り口へと走っていった彼女を心配する声が、幾つも届く。

 看板娘の少女――メアリは、その可愛らしい顔に母親譲りの好奇心旺盛な笑みを浮かべ、くるり、と振り向いた。

「何でもありませんよー!」

 その屈託の無い笑顔は、今日も客を笑顔にする。

 メアリは思う。自らに淡い思いを抱かせるあのエルフのお客さんは、きっとまた、ここに来てくれるだろう、と。ならば、自分はこの店の看板娘として、彼を笑顔にしなければならない、と。

「本読まないとね!」

 小声でそう呟く彼女は、そう遠くはないだろう未来へと思いをはせ、実に楽しそうに配膳をするのだった。




「あ! お師匠様!」

 暖かな夜。夕食をすませた後、玉座の間にて、国王セリオ・シルベリア、宰相クロス・ラト・エルゼリア、そして近衛騎士団長アーフェル・ロス・リムブスの三名は、本日最後の仕事内容に、無言にて気を引き締めていた。

 その仕事内容である、外出の結果報告を行いに来たイズレンディアへと、ルーミルが駆け寄る。

「お帰りなさい! 成果はありました?」

 幼げにこてん、と小首を傾げる弟子に対し、師匠はいつも通りにこり、と笑みをうかべてうなずく。次いで、何もない空中へとのばしたその手が、数冊の本を引っ張り出した。

「一般的な魔石についての本と、百年ほど前にとある森林内にて発見された、巨大魔石群についての書。あと――」

 そこで言葉を切ったイズレンディアが、珍しくもいたずらっぽい表情で笑む。

 揃って無言にて疑問符をうかべる玉座周辺の三人を置いて、ルーミルへとその深い緑の瞳を固定したイズレンディアは、うかべる笑みをそのままに、実に楽しそうに次の言葉を紡いだ。

「――とあるエルフが自身の研究に基づいて書いた、魔石の諸情報が書かれた本もありました」

「! それって……!」

 途端に声と共に弾むように煌いたルーミルの蒼瞳が、この言葉がいかに彼にとって重要であるかを端的に表す。

 ただ、残念なことながら、認識が共通したとその笑顔だけで分かるエルフ二人のやり取りは、人間である三人には全くもって意味不明であった。

 こほん、と綺麗な咳払いが響く。

 途端、あ! と声を上げて蒼の視線を玉座へと向けるルーミルと、相変わらず穏やかな微笑みを、その中性的な美貌から消さずに本を抱えなおすイズレンディア。

 エルフ二人の意識が自らへと向いたことを確認したクロスが、いつもの綺麗な笑みをそのままに、一つうなずいた。これで良い、とばかりにほそまった彼の水色の瞳に呼応するように、かの巨大魔石の一見以来ずっと彼の側にいる水の下級精霊が、その肩にとまった。

 次いで、今度はセリオが言葉を発する。

「では、一応の資料はあった、と考えても?」

 イズレンディアへと向けられたその問いに、問いかけられた本人は穏やかにうなずいた。

「えぇ、問題ありません。と言っても、資料は資料。あの巨大な魔石を扱うのが私ではなく王城魔法使いの皆さんである分、何かと頭を悩ませることは、少なくはないとは思いますが……」

 まぁ、大概のことは何とかなるでしょう、と楽観的に語る彼に、しかしもう反論をしようと考える者はいない。

 イズレンディアをこの国に留まらせるに当たり、自分では力が足りないと伝えたルーミルでさえ、すでに多くの情報を収集し、王城魔法使い長と共に巨大魔石の研究における中心人物として、順調に研究を進めていっているのだ。

 これに加えて《賢者》たるイズレンディアが居座ってくれているのだから、むしろ心配をするほうが失礼というものである。

「分かりました。資料収集ご苦労様です」

 深くうなずき、イズレンディアを労うセリオ。国民より〝優しい王様〟と呼ばれる彼のその姿に、イズレンディアのみならずルーミルもまた、優しげな微笑みをうかべる。

 もうそろそろ王城の面々も慣れてきた、穏やかな雰囲気が玉座の間に流れ――と、その時。

 さわさわ――という、わずかな葉擦れの音と共に、ふわり、と緑の香りがその場に広がった。

「!?」

 セリオとクロスがハッと警戒した表情を作り、アーフェルが腰の剣を抜き払ったのと同時に、異常の正体が姿を現す。

 途端、イズレンディアが、一つの言葉を紡いだ。

 その深い英知の瞳に、限りない歓喜をにじませ。その優しげな美貌には、とろけそうな微笑みを浮かべて。心の底から、嬉しそうな声音で。

「――Fearas(フェアラス)

 それは、精霊言語によって紡がれるものの中でも、特に力ある〝名〟の、一つであった。

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