五十音掌編「さ」
二部と三部の間、サルカシュの話。
【ささやかな願い】
「サルカシュ殿?」
さしものラウシール様も化けの皮を維持できず、間の抜けた声をもらす。ことほどさように、それは奇妙な光景だった。何しろ、並外れた体格の偉丈夫が、己の半分ほどの背丈もないような幼い少女らに囲まれて地べたに座り、にこにこと嬉しそうに、あろうことか、花冠を作っている、のである。
「あの……、何をしてらっしゃるんですか?」
見ての通り、それ以外のなにものでもないのは分かっているのだが、それでも訊かずにおれないのが人情だろう。困惑して首を傾げたカゼスを見上げ、サルカシュは屈託なく笑った。
「や、これは、ラウシール殿。こちらに来てお座りになりませんか。木陰は涼しゅうございますぞ」
「……はあ」
誘われるまま、カゼスはとことこと近くに寄って、花を避けて草の上に腰を下ろす。川辺の木陰はそよそよと風が通り、蒸し暑いエラードの夏を和らげてくれた。辺りにはとりどりの野の花が咲き乱れ、白、赤、黄色の華やかな絨毯を織り成している。
そんな花々の中から、茎のしなやかなものを選び、サルカシュは大きな手を器用に動かして冠を編み上げた。そして、一人の少女の頭に恭しく載せてやる。
「どうぞ、お姫様」
冠を貰った少女は、はにかみながらも誇らしげな笑みを広げた。他の少女たちが羨ましそうにそのまわりに集まる。
「器用ですねぇ」
カゼスが感心すると、サルカシュは照れくさそうに頭を掻いた。
「昔、妹によく編んでやったのですよ。妹は指が少々……その、不自由でして」
そう言って彼は、懐かしそうに幼い少女らを見やった。
「たまたまここを通りかかったところ、あの子が一人だけ、冠をぼろぼろにしておりましてね。見かねてつい、というわけです」
灰かぶりからお姫様に変身した少女は、ひとしきり皆に自慢した後で、サルカシュの足にぴょんと乗っかった。
「決めた! あたし、大きくなったらサルカシュ様のお嫁さんになる!」
唐突な宣言に、大人ふたりは堪えきれずに失笑する。だが少女は気を悪くした風もなく、嬉しそうにサルカシュを見上げて続けた。
「だからね、サルカシュ様、結婚式にはまた花冠を編んで。宝石とか金銀とか、そういうのは要らないの。とびきりきれいな花冠を作って、皆の前であたしの頭に載せて、ね」
無邪気な夢想を語り、少女は自身も花のように頬を染めて笑う。サルカシュは優しく、少女の黒髪をそっと撫でた。
「その頃には、そなたにはもっと相応しい相手がいるだろうよ。だが結婚式に招いてくれるなら、花嫁に相応しい冠を謹んで進呈しよう」
「本当? じゃあ、約束ね」
小さな手が誓いのしるしを求めて差し出される。サルカシュはそれを取り、普段の握手とは違う形で握った。少女は満足した様子でうなずき、手を離すと、恥ずかしそうに、小さな声で言い足した。
「でもやっぱり、サルカシュ様のお嫁さんになりたいなぁ。だって、サルカシュ様はとってもお強いもの」
おやおや、とサルカシュが苦笑する。その視線から逃げるように、少女は照れ笑いを浮かべて、ぱたぱたと仲間達のところへ戻って行った。
小さな背を見送ってから、サルカシュは立ち上がって草を払った。
「さて、我々も行きますか」
カゼスも同意して腰を上げたが、横に並ぶとサルカシュはつくづく改めて大きかった。あの少女が成長したところで、この身長に釣り合うほどになるとは思えない。のっぽの花婿と小さな花嫁を想像し、カゼスはくすくす笑った。
「? どうされました」
「いえ、ちょっと、サルカシュ殿の結婚式を想像してしまって」
笑いを堪えて答えたカゼスに、サルカシュは複雑な苦笑を浮かべた。そして、ふと足を止めて振り返る。少女達はまだ、川辺で遊んでいた。
「……現実になれば、良うござるが」
ぽつりと彼がつぶやいたので、カゼスは目をぱちくりさせた。視線に気付いてサルカシュは振り返り、「ああ、いえ」と慌てる。
「私が花婿というのはともかく、あの少女が花嫁になれたら、という意味でござるよ。あの子は、私が強いから、と言いましたが、あれは、何というか……強い男を選びたいというよりも、選ばねばならぬとでも言うようで……むろん男は強くあらねばなりませぬが、しかし」
適切な言葉が見付からず、サルカシュは口ごもった。その言わんとするところを察し、カゼスも表情を改めて、今までとは違う目で少女達の姿を見やった。
「そうですね。弱い人なら、戦に出されてすぐ死んでしまうから……。嫁ぐなら、ちょっとやそっとでは死なない相手がいいと、無意識に分かっているんでしょう。あんなに幼いのに」
子供は時代を映す鏡だ。本人達は自覚しておらずとも、その言動や考え方は、彼らをとりまく社会の空気をそのまま表している。あの少女はきっと、寡婦となった女達の姿を見てきたのだろう。だから、将来自分が嫁ぐならそうならない相手がいい、とにかく死なない事が大切だ、と、そう言ったのだ。
「……あの子が、安心して花嫁になれる時代がくれば良いですね。そんな心配をしなくても、好きな相手と一緒になれるような」
「ええ。その時には本当に私が花冠を載せてやりたいものです」
サルカシュもしんみりと言う。どれほど強かろうと、彼は武人だ。何度も死神の手をかいくぐって来ただけに、ほんの僅かな手違いで命を落としたかもしれないという事実も、身に染みて解っている。
たかだか五年か六年ばかり先の、ごくささやかな願いでさえ、叶うかどうかは怪しいものであるということも――。
「大丈夫」
見透かしたように、カゼスが言った。
「きっと叶いますよ。だって、今はもうエンリル様が王になられたんですから。この先、エラードは平和になるに決まってます。きっとあの子は幸せな結婚をして、あなたはその式で花冠を捧げるんですよ」
驚いた顔をするサルカシュの前で、カゼスはにっこりと微笑んだ。
「そう、信じましょう」
その笑みは優しく穏やかでありながら、確かな力強さがあった。
(ああそうだ、本当にそうなるだろう)
心の中でサルカシュは無意識に安堵する。もちろん、その未来が実現する確約など、神でもなければ出来はしない。だがカゼスの笑みには、神ほどではないにせよ、未来を約束する力があるように思われたのだ。
サルカシュは笑顔で深くうなずいて、歩みを再開した。
「では、もっと上手に花冠を編む練習をしておかねばなりませんね」
「そうそう。……ところで、花冠ってどうやって作るんですか?」
「ご存じない?」
「はぁ。作ったことありませんから」
ではお教えしましょうか、いえ花が可哀想ですから、などと他愛無い話をしながら、二人はゆっくり、ラガエの街に戻って行く。その足跡を追うように、そよ風が優しく花々を揺らしていった。
(終)