小さな幸せ上手◇
王宮といったら古今東西を問わず正室側室あまたというのが通例だが、ここ、ティリス王宮は現在のところ、その例外となっていた。
先王オローセスは早くに妻を亡くしてから後添いをとらず、たまに女を呼ぶことはあっても後宮に住まわせるほどの扱いはせずにきたし、現国王エンリルはいまだ少年と言える若さであり、国事や戦に忙しすぎて女どころではないからだ。
かと言って、女がいないわけではない。
王族や高級官吏の身辺を世話する女官は、良家の子女が多い。掃除洗濯など下働きの召使も半分ほどは女で、相応の給金を受け取っている。つまり、装いに金をかけられる余裕があるわけで――となれば、出入りの小間物屋も現れるという次第。
仕事の合間に少し休憩すべく、アーロンが図書館へ歩いてる時に出くわしたのも、そんな場面だった。
王宮には一般人向けの控え棟があるのだが、その外の木陰で、きゃわきゃわと女達が集まっている。こんな場所で何をしているのかと、アーロンは不審に思って足を向けた。
「あっ、アーロン様!」
気付いた女官がきゃっと声を上げる。まずいところを見付かった、と恐れつつも、思わぬ人物と言葉を交わすきっかけを得て喜んでいるのが、ありありと分かる表情だ。だが、女官達の媚びるまなざしは、当の堅物万騎長に届く手前で、ことごとく見えない壁に弾かれてしまった。
アーロンは女達が避けて出来た隙間から、事の次第を見て取り、やや渋い顔になった。小間物屋が地面に布を広げ、様々な宝飾品を並べているのだ。
「許可は得ているのか」
前置きもなく、単刀直入に問う。商人は首を竦めて、はあ、と恐縮しながら答えた。
「本宮の方に入ってはいけないと言われましたが、この辺りでなら、月に一度ささやかな商いをお許し頂いております。専らこちらにおいでのような皆様方がお客様ですんで、目の玉が飛び出すような高級品は扱っておりませんし、本宮にいらっしゃる方々に売り込むつもりもございません、はい」
「……ふむ」
アーロンは説明を聞きながら商品をざっと観察し、嘘ではなかろうと納得した。小さな髪飾りや口紅など、女達が普段使いにするようなものが中心のようだ。現に今も女官達が身に着けているものと、大差ないように見える。
中にひとつふたつ、値の張りそうな首飾りなどもあるが、恐らく単に客寄せの展示品だろう。
だが、無害だと判断する前に、彼はいくつかを指して値段を確かめてみた。返事を聞き、この分なら大丈夫だろうとうなずく。
商人もそれが分かったらしく、ほっと笑みを広げて、愛想良く冗談を飛ばした。
「どうですアーロン様、ご安心頂けたところで、おひとつ」
「売り込むつもりはないと言わなかったか」
「あ、いやいや、滅相もない。万騎長閣下に手前の扱うものを売りつけるなど、畏れ多うございますよ。お気に召したものがありましたら、差し上げます」
くれと言われる筈がないと承知の上での、気前良さを示す為だけの台詞だ。むろんアーロンもそれは分かっていた。万騎長が無償で品物を受け取ったとなれば、それはすなわち、便宜を図るための賄賂ということになる。
彼は微かに苦笑し、いや結構、と首を振った。が、ふとその目がひとつの髪飾りに吸い寄せられた。
銀細工の花に小さな黄水晶と真珠をあしらった小さなピンで、屑水晶の細い鎖が数本、シャラシャラと揺れている。優しく清楚で、紺碧の髪に映えそうな。
(喜ぶだろうか?)
無意識に、カゼスの顔を思い浮かべてしまう。
買ってやるのは簡単だ。アーロンにとっては安いものだし、フィオが張り切って髪を結い上げるだろう。だが、肝心のカゼスは?
(……迷惑かも知れぬな)
ラウシールとしての立場上、最低限の身だしなみとして、腕輪や首飾りの類を着けることはあるが、どれも決して華美でないものを選んでいる。女っぽく見えるものは、ことさらに避けているので、この髪飾りのようなものだと……
(しまい込んで着けはしない、か)
それでは意味がない。カゼスとしても、貰ったものを死蔵するしかないのでは、苦にするばかりだろう。
贈り物なら、もっと別のものを。
そう結論を出すと、アーロンは小さく首を振って、その場を後にした。髪飾りを見つめて考え込んだ挙句ため息をついた万騎長に、女官らが思いっきり不審のまなざしを注いでいるのには、気付きもしないで。
当初の目的である図書館に行くつもりが、気付くとカゼスの部屋に辿り着いていた。考えながら歩いていたせいで、勝手に足が向かっていたらしい。
部屋にいるようなら、ついでだから何か欲しいものがないか、それとなく訊いてみようか。しかしカゼスは物欲があまりにも薄いからな……。
そんなことを考えつつ、壁をノックしてカーテンをくぐる。と、予想外なことに、
「あっ、アーロン! 見て下さい、これ!」
稀に見る上機嫌で、カゼスがとことこ駆け寄ってきた。幸せいっぱい、満面の笑顔である。
アーロンが驚いていると、その目の前に、カゼスが両手で小皿を捧げ持ってずいっと突き出した。載っているのは、ちょっぴり焦げすぎた四角い焼き菓子ひと切れ。
「……これは?」
当惑するアーロンに、カゼスはにこにこ説明した。
「厨房の近くを通りがかったら、料理長さんがくれたんです。焦がしてしまったからエンリル様やオローセス様には出せないけど、高い材料を使ってるからこっそり食べるわけにもいかないし、貰ってくれませんか、って」
「…………」
いやそれは単に口実で、餌付けされているのでは。
アーロンは内心そうツッコんだが、カゼスがあまりに無邪気に喜んでいるので、口に出しては言えなかった。カゼスは彼の複雑な表情を見てもいない。
「さっき部屋に戻ってきて、お茶と一緒に頂こうとしたんですけど、ほら!」
皿を回して、焼き菓子の断面の側をアーロンに向ける。乾し葡萄や杏の散らばる茶色っぽい生地に、白い松の実がいくつも覗いていた。なんと、偶然にしては出来すぎなほど、きれいな星型に並んで。
「これって、狙って出来るものじゃありませんよね。なんだか、すごく得したような……」
浮かれていたカゼスは、そこでようやく気付いて言葉を切った。
「あれ? アーロン? どうしたんですか」
「………………」
無言で脱力しつつ壁に懐く万騎長約一名。無理もあるまい。
アーロンは深呼吸をひとつして、どうにか気を取り直し、いささか疲れた風情で答えた。
「あまりに嬉しそうだから、何かよほど素晴しいものでも手に入れたのかと思ったのだが」
「え、これ、凄くないですか? 卵を割ったら黄身がふたつ出てきた! ぐらいの嬉しさだと思うんですけど」
「……まあ、そう……だな」
そんな程度でこんなに喜ばれるのなら、今度、焼き菓子を山ほど用意してやろうか。
半ば投げやりにそんなことを考える。むろん彼は、カゼスがいかに幸運と縁遠いかを知らないので、卵から黄身がふたつ出てきて何が嬉しいのか、よく分からなくても仕方がないのだが。
アーロンがそんな態度なので、カゼスはやや白けた様子で、肩を竦めて焼き菓子をひっこめた。
「あんまりこういう偶然って、私、遭遇しないんですよ。だから今日は何か良い事があるんじゃないかなー、って思ってたんです。そしたら、」
自分で言いかけて赤面し、先を続けられずに言葉を飲み込む。なにやら意味不明の仕草をしながら、菓子の皿をテーブルに戻して。
「……えーと、その、……良い事が、あったので」
むにゃむにゃ。口ごもってごまかしたカゼスに、アーロンは堪えきれずふきだした。うう、とカゼスが赤い顔のまま恨めしげな目をくれる。
アーロンはかなり努力して笑いを抑え、
「それは重畳」
なんとか真面目な口調を装って言ったのだった。
・おしまい・
-----------------
オマケの後日談。エンリル様とアーロンの会話。
「アーロン。小耳に挟んだのだが……」
「何でしょうか」
「女物の髪飾りを買うのはそなたの自由だが、公務中は身に着けてくれるなよ」
「誰ですか悪趣味な戯言を吹き込んだのは」
「違うのか。では最近、真珠の髪飾りをした女に振られたという方か?」
「それも違います!」
「昔、姉君に女装させられた上に髪飾りまで着けられたとか」
「…………」
「む、否定せなんだな」
「ですから、誰ですか、情報源は……」
(終)




