元気のモト
※2009年4月の拍手ネタ。新生活を始められる方も多かろうというわけで、 『激励』がテーマのSSです。
時期は帝国のどっかの幕間。ほぼセルフ二次かも。
戦争中ではなくとも、ティリス軍では訓練は毎日のこと。わけても、二軍に分かれての模擬戦は各部隊の面子がかかっているとあって、味方同士で死者も出かねないほどの激しさだ。
今日も今日とて、あちこちに青痣を作った兵士たちが、兵舎の食堂でぐったり伸びたまま酒を飲んで憂さを晴らしていた。
「うう……今日は散々だった……5回も“死んだ”のは初めてだ」
「途中から、なんかおかしなことになっちまったからなぁ。それまでは俺、ラウシール様のところで“治療”にシケこんでたから、死亡ゼロだったのに」
「せこいぞおまえ。くそー、俺もたまにはラウシール様の側につきたいよ」
「羨ましいだろ。流石に“負傷者”が溢れてる時は無理だけどな、今日は空いてたから、もう無理です立てません、って訴えて“重傷者”扱いにしてもらったんだ」
せこい悪知恵の回る兵士は、にやにやしながら自慢する。5回死んだ男はじとっと恨めしげな目をした。
「ラウシール様、俺はもう駄目です……」
「何言ってるんですか」
カゼスは兵士の腕につけられた朱色の印を拭き取りながら苦笑した。横一本線は、軽傷のしるし。剣で斬られたか槍で突かれたか、致命傷ではないが戦闘続行するには多少の支障をきたす、という程度だ。
むろん乱闘なので本当に怪我をしてもいるが、そちらは既に手当て済みである。
「まだ味方の皆さんが頑張ってるんですよ。あなたも応援に行ってあげないと」
「いや、でも、足がもう動きません。腕は痺れてるし、目の前がぐるぐる回っているし……」
ぐずぐず渋る兵士に、カゼスはやれやれと首を振った。
「仕方ありませんね。今回だけですよ。“重傷者”扱いにしてあげますから、もうしばらく休んで、元気を出してくださいね」
「ありがとうございます!」
途端、死にかけとは思えない良い笑顔になる兵士。カゼスは笑いかけたのを慌てて堪え、しかつめらしく彼の体に手をかざして“治療中”のふりをした。兵士も大人しく横たわったまま、小声でひそひそとささやく。
「助かりました。実は、今朝の飯を食い損ねてしまったんです。さっきからもう、何度も本当に倒れかけていたんですよ」
「それはお気の毒でした。朝ごはんはしっかり食べなきゃ……あ、そういえばここにちょっとだけ、堅焼きパンがあったんでした。今の内にこそっと食べます?」
カゼスはごそごそと後ろの“治療道具一式”から、ビスケット状のものを、手の中に隠すようにして取り出す。実は本人のおやつなのだが、それは内緒だ。
空腹のあまりサボリの罪悪感さえ感じなくなっていた兵士は、感謝感激して、飛びつかんばかりに頂戴した。カゼスの手ごと、自分の両手で包み込むようにして。
つまみ食いをするより早く、兵士の背筋をひんやり冷たい悪寒が走った。ぎくりと顔を上げた彼の目に入ったのは、カゼスの共犯者めかした苦笑。そしてその肩越しに――ずっと向こうで、こちらを睨んで死神もかくやの黒い恐怖を噴出する万騎長の姿であった……。
「あれは失敗だった」せこい兵士がしみじみ述懐した。「復帰した途端、アーロン卿が突撃の命令を下すんだからなぁ。しかも最前線に放り込まれて、泣きたくなったよ」
「結局、おまえも“死んだ”わけか」
「ああ。3回」
「……まあ、それは、自業自得だな……」
万騎長とて人間であるからして、時には多少の八つ当たりもする。
だがそれはそれとして、アーロンの采配はいつものように迅速的確、敵軍に付け入る隙を与えない。
相対するカワードが、
「負けるな! アーロン卿を叩きのめせたら、全員に好きなだけ酒を奢ってやるぞ!」
などと気前の良い約束をして皆を励ましているが、物理的に無理なものはどうしようもないんである。
おまけにアーロンの部下達は、指揮官のやり方にすっかり馴染んでいる者ばかりであった。すなわち、戦闘中に「そこだ、あと一押し」だの「勝利は目前だ」だのと景気付けの声をかけることは滅多にないが、終われば必ず、勝敗に関らず良い働きをした者を認め、労い報いてくれる。そういうやり方に。
ゆえに、その場の勢いで盛り上がる事はないが、劣勢になっても簡単には挫けず、乱れない。指揮官が見てくれていることを、誰もがよく知っているからだ。
……時に、いらぬ現場まで見られて、とんだ目に遭う者もいるわけだが。
「やっぱりアーロン卿はお強いよなぁ。いい加減、負け続きで嫌になってきた。一度でいいから圧勝してみたいもんだ」
「物騒なことを。カワード卿に似てきたぞ。そういつもいつもってわけじゃないだろう。今日は特に、その……」
「……痛み分け?」
「っていうか……混沌、……だな」
ぼそりとつぶやいた兵士に、相手も「ああ」とため息で応じる。二人は揃って遠い目をして、ふっと明後日の方を見やった。
押しに押されて、カワードとエンリルの連合部隊が次々に突き崩され、死傷者の数が指数的に増えて行く。
「くそ、また今日も負けか! 面目ござらん、陛下!」
いまいましげに唸ったカワードの横で、エンリルは前線の兵たちを厳しい目で見つめていた。既に敗北を悟って、さっさと終わらせようとばかり、ばたばた“死んで”いく。演習だからとは言え、あまりにあからさまな戦闘放棄は、不甲斐ないばかりであった。
「実戦であったら、総崩れになって敗走しているやも知れぬな」
まったく。エンリルは頭を振ると、不意に意地悪くにやりとした。やおら馬上ですらりと剣を抜き、護衛の輪から飛び出すと、彼は剣を高々と掲げた。
「皆の者、諦めるな! 踏みとどまって戦うのだ、このままでは異世の父祖にあわせる顔がないぞ!」
よく通る凛とした声に叱咤され、すっかりやる気の抜けていた兵士たちが、ハッと我に返って羞恥に目を伏せる。空気が一変したのを見届けてから、エンリルは剣でサッと空を薙いだ。
「そなたらの力は、この程度ではないはずだ! それでもなお、敗北を前に自ら槍を受けるというのならば――」
と、彼はそこで前線でごろごろ“死人”になっている兵を見渡し、知った名前を続けて数人、呼ばわった。妻子持ちの、年季の入った兵ばかりを選んで。
「……ヴァーローズ、クラナスペス、およびその上に屍となって倒れた者は、遺族年金を没収する!!」
「なっ――!!??」
がば、と生き返る死人たち。真ん丸に見開かれた何十対もの目の注視を浴びて、エンリルはしれっと平静な顔で「余は本気だぞ」とばかりにうなずいて見せた。
そんなわけで。
「あんなめちゃくちゃな終わり方になった模擬戦は初めてだ」
袖の中で打ち身をさすりながら、3回死んだ兵士が苦笑した。5回の兵士も苦笑いし、杯に残った酒を飲み干す。
「死人が全員生き返ったんじゃ、話にならんよな。あれにはカワード卿も目を白黒させるばかりだったし」
「アーロン卿も絶句してらしたよ。流石にあの方は、じきに撤退の指揮を取られたが……あの状況では、まともな動きは出来んよなぁ。そっちがそれなら、って、こっちの死人も参戦したし」
「最後にはもう、隊列どころか、武器も盾もなかったよなぁ。あー、いてて……」
「今頃エンリル様も、アーロン卿の小言を受け流しておいでだろう」
自分らの司令官がまっとうな抗議をしてくれるとは知っているが、しかしそれが何の効果もないということも公然の秘密なのでは、あまり慰めにならない。
「まあ、早々にやる気をなくした俺達も悪かったんだ」
カワードの部隊にいた兵が自嘲気味に言い、先刻「自業自得」と言われた兵士が嬉しそうに同じ台詞をお返しした。
と、そこへ、食堂を通り抜けて近道しようとしたラウシール様がやってきた。よほど二人の兵がくたびれて見えたのか、朝飯を食い損ねた間抜けな兵を覚えていたのか、目が合うと同情的に微笑んで、ちょっと会釈をした。
「お疲れ様でした。今日はゆっくり休んで下さい。怪我、治さなくても大丈夫ですか」
「ありがとうございます! いえ、大事ありません!」
慌てて二人が姿勢を正すと、カゼスは照れたように笑って、
「それならいいんですけど。明日も頑張って下さいね」
そう言い残し、少し急ぎ足に出て行った。
帳の向こうに消える青い髪の後ろ姿を見送り、懲りない兵士がにへっと笑う。
「やっぱり、ラウシール様に励まされると一番、元気が出るよなぁ」
「おまえ、その顔、アーロン卿に見られたら明日も斬り込み隊長だぞ」
「おっと」
ぺしぺし、とにやけた頬を叩いてごまかし、兵士はもう一度、空の杯を傾けて滴が落ちてこないのを確かめてから、ようやく席を立った。
「それじゃ尚のこと、今夜はきちんと休まないとな! 先に戻るよ」
「そうか」
「おまえも早く休めよ」
「ああ。また明日な」
部屋に戻る途中で、一人になった兵士はふと立ち止まって、口の中で独りごちた。
「また明日、か」
苦楽を共にする仲間の何気ないその一言が、実は一番、きつい仕事を続ける力になっているのかもしれない。そんなこと、面と向かっては絶対に認めないけれど。
苦笑いを浮かべてまた歩き出した途端、向こうからアーロンがやってきた。慌てて彼は脇に避け、びしっと背筋を伸ばして礼をする。
「お疲れ様です!」
「ああ、おぬしも今日はご苦労だった」
アーロンは少し歩調を緩めたが、止まりはせず簡単に労って通り過ぎる。二歩ばかり行き過ぎてから、彼は何気ない態度で振り返って言い足した。
「明日は朝食を忘れるなよ」
「……畏れ入ります」
ほかになんとも答えられず、兵士は冷や汗をかきながら頭を下げる。アーロンはいつもの真面目な顔に一瞬だけ笑みを閃かせると、何事もなかったように立ち去ったのだった。
(終)
アーロンは執念深…もとい記憶力が良いのでありました。明日も頑張れ兵士A。




