夢見る親心
ヤルスが結婚して1~2年後。親馬鹿全開な話。
へゃぁ。
赤子の口から奇声が漏れた。ヤルスは深紅の目をしばたたき、困ってちょいと指を出す。ふくふくの頬をつついてやると、小さな手がもたもた動き、彼の指をしっかりと掴んだ。
「ははっ、さしもの宰相様も、父親としちゃ初心者だな」
おっかなびっくりでやんの、と、後ろから要らぬ茶々を入れたのはもちろんアテュスだ。ヤルスはむっとしたが、邪魔な見物客をつまみ出したくとも、手がふさがっていてままならない。いや、ふさがっているのは指一本なのだが。
身動き取れないヤルスの脳内を、色々と手厳しい言葉が洪水の如く駆け巡る。そのまま口に出されたら、間違いなくアテュスは毒舌の海で溺死だ。しかし、
「ぷ……、ぅ、むー……」
小さな唇からこぼれた泡のような声が、それを救った。ヤルスはため息をついただけで、アテュスを無視して我が子を見つめた。
アルテュストネは隣室で眠っている。乳母がいるおかげで一応は分担できるものの、やはり出産の疲れは簡単に癒えない。ヤルスは少し心配そうにそちらを見やったが、指を引っ張られてすぐに視線を戻した。
同じ、深い紅の目が彼を見ている――と言っても、まだ視力はごく弱いので、実際には父親の姿を認識していないのだろうが。それでも、見ている、と思うのは親心というやつなのだろうか。
(こんなに小さいものなのか)
もはや何度目になるか、飽きもせず彼はつくづくと感嘆していた。信じられないほど小さくて柔らかい手足。なのに、彼の指を掴んで離さない力強さ。
ヤルスが感慨に耽っている横から、アテュスも揺り籠を覗き込んでにっこりした。
「かぁわいいなあぁぁ~~。やっぱり赤ん坊はいいなぁ」
「寄るな邪魔だ」
ぐいと肘で押しのける。と、アテュスは逆らわずに離れ……揺り籠の反対側に回りこんだ。
「いやぁ本当に可愛い」
「…………」
「ケチケチすんなよ、減るもんじゃなし」
「減る。だから見るな」
「うわっ。理性のカタマリと名高い宰相様のお言葉とも思えない。困ったおとーちゃまですねー」
よちよち、などと言いながら、アテュスは赤ん坊にちょっかいを出す。困ったお父様のしかめっ面も、どこ吹く風。細くて柔らかい銀の髪にそうっと触れながら、アテュスは満面の笑みを浮かべていた。表情だけ見ていたら、親はこっちかと間違えそうなほどだ。
「女の子かぁ~、いいよなぁ~。父親似なのが残念だけど」
「父親似の方が美人になるとも言うぞ」
「あー。そうとも言うけど……まぁ、おまえも顔のつくりは結構きれいだもんな。うん、そーだな、きっと美人になるぞぉ」
しらっと恥ずかしい台詞を吐きながら、アテュスは赤ん坊に指を掴ませて笑う。ヤルスは言い返す気力も果てて、ただ邪険にアテュスの手を払いのけた。
アテュスは今度は本当に大人しく手をひっこめ、それ以上構うのはやめた。初めての子供に関して神経質になるのは、彼も経験済みだ。いつもと同じ気分でつつきまわしたら、冗談抜きで関節を全部バラバラにされかねない。
両手を上げて降参の仕草をすると、彼は揺り籠から半歩ほど身を退いた。しばらく静かに赤ん坊を眺め、ささやくように言う。
「……無事に、大きくなるといいな」
「ああ」
ヤルスも、この時ばかりはいたわりのこもった声で応じる。アテュスの二人目の子は、一年と生きられなかった。生まれた時から未熟だったのだ。
だがアテュスは、湿っぽい話にはしなかった。いつものように屈託のない笑みを広げ、楽しそうに続ける。
「歩けるようになったらさ、うちの奴らと一緒に遊ばせてやってくれよな。ちょっとはこう、小さい子の扱いとか優しさとか、学ばせないと」
「……それは非常に危険な予感がする」
ヤルスは呻いた。アテュスの子供は現在、長男と、双子の男女の三人いるのだが、父親に似たのか揃いも揃ってやんちゃで腕白、家はすっかり動物園状態なのである。
ヤルスとしては自分の娘をそんなところに近付けたくはないのだが、しかし、家同士の付き合いもあるし、アルテュストネは今回の妊娠から出産まで、随分とイシャーラに助けられた。今後も恐らく、親密な関係は続くだろう。……否応なく。
「まぁしかし、一緒に遊べるぐらいの歳になれば、そっちの子供達も少しは落ち着いているだろうな」
見込みは極めて薄いが、ヤルスは自分を慰めるためにそう言った。アテュスの方はそれを額面通りに受け取って笑う。
「少なくとも今よりはマシだろ。一緒に仲良く成長して、将来は我が家の嫁に、なんて事にならないかなぁ」
「いくらなんでも、気が早すぎるぞ」
ヤルスは半ば呆れ、半ば本気で怒りつつ却下した。ようやく生まれたばかりの娘を、なんだってもう他所へやる話をせねばならんのだ。
が、しかしアテュスは怯まない。
「夢見るぐらい、いいだろ? 今から息子の嫁さん確保しときたいのも、親心だよ親心。それに実際、幼馴染同士の結婚ってのが一番多いんだぞ」
統計的な根拠はあるのか、との反論を、ヤルスは奥歯で噛み潰した。そして、代わりに「そうだな」と毒のある笑みを浮かべた。娘の目がまだちゃんと見えていないのが幸いだ。彼は小さな頭を優しく撫でながら、人生訓でも説くかのごとくささやいた。
「夢見るぐらいは、いいだろう。うんと美人に育って、あの馬鹿の息子どもを思いっきりこっぴどく振ってやるんだぞ」
「……! ひっ、ひでえ!」
「何が酷いものか。我が子を守りたい親心だ」
「おま……っ! くっ、絶対おまえ、娘にあれこれ干渉しすぎて、年頃になった途端に『お父様なんて嫌い』とか言われてそっぽ向かれるぞ!」
「そっちこそ、がさつと放任が過ぎて息子には家を飛び出され、娘が友人を招いた時には『恥ずかしいから顔を見せないで』と締め出しをくらうだろうさ」
「~~~~っっ!! なんてことを!!」
思わずアテュスが揺り籠に手をついて身を乗り出す。ぐらんと大きく籠が揺れ、赤ん坊が目を丸くした。
しまった、と男二人が硬直する。直後、激しい泣き声が響き渡った。乳母がすっ飛んできて、二人を子供部屋から追い出してしまう。さあさあ、お仕事にお戻り下さい、奥様が目を覚ましてしまわれるじゃありませんか、お嬢様はわたくしにお任せを!
言い訳できる状況でもなく、二人はしおしおと退散した。廊下に出てから、図らずもまったく同時に、深ぁいため息。
ヤルスは胡散臭げにアテュスを見やり、まったくこいつのせいで、とばかり頭を振った。
「……馬鹿なことをした……」
「虚しい……」
アテュスも珍しく悄然とうなだれる。こんなざまだが彼とて今は三児の父、親子関係について色々と思うところもあるのだろう。
(少々、言い過ぎたか)
売り言葉に買い言葉で、つまらない事を言った。ヤルスは少しだけ反省すると、軽くぽんとアテュスの背中を叩いてやった。
将来またこんな風に、互いを慰め合う必要が生じたり――しない、ことを願いつつ。
「熱心にお話されていると思ったら、そんなことでしたの?」
アルテュストネが目をぱちぱちさせながら、娘を胸に抱いて問う。ヤルスはすっかり面目ない様子で、うん、と唸るように肯定した。アルテュストネは堪えきれなくなって笑いをこぼし、うつらうつらしている娘を愛しそうに見つめた。
「そんなに先の事を心配されるなんて、すっかりこの子の虜ですのね。冷血で知られる宰相様を、生まれてすぐにたぶらかすなんて、これから何人の殿方を惑わすことになるのかしら」
怖くなりそうです、などと冗談めかして笑う。ヤルスは思わずつられて失笑し、それからこほんと咳払いして表情を取り繕った。
「その冷血宰相を、最初にたぶらかしたのはどこの誰だったかな」
苦笑まじりに言い、ついと手を伸ばして妻の頬にかかる髪を後ろへやる。途端にアルテュストネは真っ赤になって抗議した。
「どっ、だ、ち、違いますっ! わ、わ、私っ、そ、そんなつもりじゃ……!」
「待て待て、落ち着け」
「ふわああああぁぁぁ――ん!!!!」
「ほら……」
「ああ、ご、ごめんなさい、驚かせてしまったわね、よしよし」
わんわん泣き続ける娘をあやしつつ、アルテュストネはまだ赤い顔で、なじるようにヤルスを睨む。おや? ヤルスは首を捻った。今のは私が悪いのか。
考えたのも束の間、彼は大人しく頭を下げ、
「すまなかった。代わろう」
謝ってから、両手を差し伸べた。そうしないと、娘を抱かせて貰えそうになかったから。
腕の中の重みと温もりを感じながら、見よう見まねでぎこちなくあやす。やがてじきに娘が泣き疲れてまたうとうとし始めると、彼は不意にずきりと胸の痛みを感じた。
なぜだか分からないまま、瞼が熱くなる。こぼれた雫が産着に落ちた。
「……どうか、なさいまして?」
アルテュストネが心配そうに、顔を覗きこんでくる。ヤルスはその額に、こつんと自分の額を預けた。
「なんでもない。多分……幸せだからだ」
それだけだよ。
ささやいて、目を閉じる。やがて優しい腕が、彼と小さな命を包んでくれるのが分かった。
(終)




