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拾遺集  作者: 風羽洸海
『帝国復活』本編中
3/43

帰郷

一部と二部の間、イスファンドの家族の話。



 軍隊といっても、戦時でなければそれなりに休暇も取れる。

 そんなわけで、イスファンドが妹の出産祝いに帰省したいと言い出した時も、上司であるアーロンは快く承知した。それだけでなく、自分からも祝いの品を届けてくれと、その場で幾許かの金を渡したほどである。

 イスファンドも一応は貴族の出身だが、アーロンと同じく、その地位はごくささやかなものである。出産祝いといっても、城下町で見繕った肌触りの良い毛布など、実用的な品で事足りる。しかも妹の嫁ぎ先は裕福な商家なのだ。見栄を張っても仕方がない。

 幸い今は妹も実家に戻っており、嫁ぎ先の舅や姑たちに気を遣う必要もないので、イスファンドはごく簡素ないでたちで家路についた。


 片田舎の古い屋敷は、記憶にある姿とほとんど変わっていなかった。ナツメヤシの木陰で、使用人が荷馬車をつないで食料品や日用品を下ろしている。黄色い砂埃の舞う庭の一画には物干し縄が張り巡らされ、ずらりとかけられた衣服やシーツが、風が吹くと賑やかにバタバタとはためいた。

 家の中からは、相変わらず明るく元気な声が響いていた。廐に馬をつなぎ、祝いの品を小脇に抱えて玄関の敷居をまたぐ。

 使用人たちがイスファンドの姿を認め、お帰りなさいませ、と笑顔になった。が、誰も彼もが自分の用事に忙しく、足を洗う水を用意する者さえいない。仮にも長男なのだが、イスファンドはいつものことだとばかり、平気な顔で井戸に回り、自分で水を汲んだ。

 居間に入ると、家族がほぼ勢揃いしていた。母親となった妹は誇らしげな笑みに顔を輝かせ、赤子を膝に抱いたまま、婚家での生活について、自分の母親相手にあれこれとしゃべりまくっている。まわりで小さな弟や妹が寝そべって聞き入り、しょっちゅう茶々を入れたり、囃すような声を立てたりする。

 かと思えば、別の隅では父親と近所の親類が酒を片手に話し込んでおり、時折興奮して拳を振り上げたり、いきなり歌い出したり。

 そんな状況なので、話し声が途絶えるということはなく、また会話の内容を傍から聞いて理解しようとしても、何がなんだかさっぱり分からない。

 ここで自分の存在を知らしめようと思うなら、雷もかくやの大音声を張り上げねばなるまい。イスファンドはそうはせず、代わりに黙って、ごろごろしている幼い子供たちの間をぬって妹に近付くと、膝を付いた。

「あら、兄様! いつお帰りに?」

 やっと気付いたらしく、妹は目を丸くする。イスファンドが「おめでとう」の一言をいう間も与えず、彼女は早口にまくしたてた。

「お仕事の方はどう? その様子だと怪我も病気もしてないみたいだけど、この間まで随分ともめていたとかで、私も母様も心配してたのよ。結局王様と王太子様が仲直りなさって本当に良かったけど……王太子様と言えばあの人、アーロン様? ご無事なんでしょうね、パティラの方では一時期、咎が及んだらどうするかって不穏な空気だったらしいのだけれど、そう、それでうちのヒュマイエスが織物の仕入れで行った時もね、あ、ヒュマイエスは新しく入った使用人なんだけど、これが最悪! すぐに怠けるくせに……」

 果てしなく続く言葉の合間に、イスファンドはごく短い相槌を打つことしかできない。しかも話はどんどん脱線して、そもそも何を言おうとしていたのかなど、瞬く間にもつれた会話の糸に埋もれてわからなくなる。

 何を言っても反応の乏しい兄に飽きて、じきに妹はまた母親に向き直る。イスファンドが何の用で家に帰ってきたのか、それすらも訊こうとしない。

 とりあえず自分がいることを認識させはしたわけだ。イスファンドはそう納得すると、邪魔にならないようにそっと立って、居間から出た。

 家令をつとめる老人だけは、イスファンドをまともに扱ってくれた。

「お帰りなさいませ、イスファンド様。お荷物はお部屋に運ばせましたが……それは?」

「ああ、出産祝いの品だ。私とアーロン卿からだといって、渡しておいてはくれないか」

 イスファンドが腕にかけたままだった毛布などの包みを差し出すと、家令は「畏まりました」と応じて恭しく受け取った。この家に仕えて長い老人は、ご自分で渡されては、などと無益な言葉を口にしたりしない。

「少し休む。夕食の時に起こしてくれ」

 それだけ言うと、イスファンドはにこりとして、階段を上がって自室に向かった。

 しばらく使われていない部屋に入ると、居間の喧噪はたいして気にならなくなった。兵舎の中にいて、教練場の物音や声を聞いているのと似ている。違うのは、けたたましい笑い声や、突然爆発する泣き声がまじっていることぐらいだ。

 ごろりとベッドに横になると、旅疲れと、我が家に帰ってきたという解放感で、イスファンドはすぐにうとうとし始めた。


 夕食の場でも、イスファンドが発した言葉といったら、「ああ」「いや」の二語しかなかった。それも、食事は美味いか、お代わりはいるか、といった質問に答える時だけ。

 絨毯の上で車座になって食事をするため、会話の線は向かい合わせの二人を結ぶだけでなく、隣や斜め前などめちゃくちゃに交差することになる。

 誰と誰が話しているのか、果たして当人たちも解っているのだろうかと訝った時期もあった。が、どうやら自分以外の家族たちは、自分が誰と何を話しているかと同時に、他の会話の線もおおむね把握しているらしいと判明すると、イスファンドはもう、ついていこうとするのを諦めてしまった。自分にはその才能がないのだ。致し方ない。

 そんなわけでイスファンドは今日もまた、家族の卓抜した才能にただ感心しながら、すさまじい喧噪を外から眺めているばかりだった。

 一度だけ、言葉の洪水がぱったり途切れた瞬間があった。それは、イスファンドに向かって妹が、何を思ったか唐突に

「兄様、楽しい?」

 と問うた時だった。その質問はなぜか一座の会話を即座に封じ込め、全員がいっせいにイスファンドの顔を見つめたのだ。

 いきなり大人数の注視にさらされ、イスファンドは片手に葡萄酒の杯を持ったまま、目をぱちくりさせる。一呼吸の間があってから、彼は妹に笑いかけ、

「ああ、楽しいよ」

 と答えた。次の瞬間には、あらそう、とばかり妹は兄から視線を外して、途切れた会話を再開する。そして奇妙な空白などなかったかのように、喧噪が復活した。

 イスファンドは杯を口に運びながら、今までにこんなことがあったかな、などと訝っていた。ちなみに、楽しいと言ったのは嘘ではない。会話の内容はまったく理解できないものの、賑やかな家族の団らんを見ているのは、決して退屈ではなかったから。


 ともあれ、実家では一泊しただけで、イスファンドはとんぼ返りに王都ティリスへ帰った。居ようが居まいが家族はさして気にとめまいが、仕事の方はそうはいかないのだ。

「早かったな。家族は息災だったか?」

 アーロンに問われ、イスファンドはいつものように控えめな微笑を浮かべて、ええ、とうなずいた。

「おかげさまで。私も骨休めができました」

「そうか」

 それは良かった、というようにアーロンは表情を和らげたが、それ以上余計な言葉は口にしない。その沈黙が生み出す静寂に、イスファンドはほっと吐息をもらした。アーロンが、問いの形に眉を上げる。イスファンドは苦笑で応じた。

「家に帰った後では、あなたの下につくことができた幸運をひときわ強く感じますよ」

「……? 光栄だと言っておくべきかな」

 不可解げな顔をしたアーロンに、イスファンドはおどけた笑みを見せて敬礼し、部屋を辞した。ここは静かだ。上司は自分の言葉に耳を傾けてくれるし、話も要点を整理して聞かせてくれる。

 そしてまた逆に、そんな職場の環境だからこそ、たまに帰郷すると家族のありがたみを感じることもできる。

 本当に、恵まれている。ありがたい話だ、などとイスファンドは少し年寄り臭い感慨を抱き、一人満足げに微笑んだのだった。


 なお、同じ頃、実家では。

「あら、兄様もう帰られたの?」

 相変わらず、いるのかいないのかわからないわねぇ、と妹が言う。母親も、まったく、とため息をついた。

「あれじゃあ都でも、さっぱりうだつが上がってないんじゃないかねぇ。噂も聞かないし、とうとう暇を出されて、落ち込んで帰ってきたのかと思ったけど」

「とりあえず、そうじゃなかったみたいね。兄様も早く結婚すればいいのに」

「そうすれば少しはやる気も出すだろうにねぇ。昔っからあの子は……」

 そうして母娘の会話はどんどん脱線していく。一応は長男の将来を心配しているのだろうが、どうもあまり真剣味がない。ぺちゃくちゃ昔話をしているところへ、家令の老人がイスファンドからの出産祝いを持ってきた。

 それを受け取った妹は、その時になってようやく、兄の帰郷の意味を悟ったのだ。そして、大袈裟なほど呆れ返って曰く。

「なんだ、兄様、早く言ってくれたらいいのに。余計な心配させないで欲しいわ」

 まったくねぇ、と相槌を打つ母親。そしてまた始まる、だから彼は、昔からああで、といった類の話。

 家令は傍らに控えたまま何も言わず、ただ諦観の微笑みを浮かべたのだった……。



(終)

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