お題SS『嵐』
自サイトの辞書ポンお題企画より、師長時代のカゼス。
(適当に辞書から拾った単語をタイトルにして、読者さんからご指定頂いて書いたもの)
避けられない嵐というものがあるのだ。――と、その人は言った。
「ああ、良かった間に合った!」
玄関ホールの転移スペースに到着予告のライトが灯った瞬間、ほっとして全身の力が抜けそうになった。長い長い20分ほど、うろうろぐるぐる歩き回っていた私は、救われた思いでその人を迎えに駆け寄った。
――強力な低気圧が発達して荒天が予想されるからと、全職員に厳戒態勢が通達されたのは昨日のこと。今日は休みの予定だった者も全員が出てきて、嵐への備えに駆け回っている。
私の職場は色々デリケートな実験を行っているから、万一施設のどこかで破損や断線といった機械的な事故が起きたり、保持槽内の安定位相が撹乱されてしまったりしたら、大損害が出るのだ。特に時間のかかる素子培養をやり直すことになったら、何もかもが地崩れ的に後退してしまう。
こういう時は、内部の人間だけでは手も技術も足りない。だから治安局に応援を要請するのだけど、今回は間が悪かった。担当支局の魔術師が二人、つい先日近場で起きた事故に巻き込まれて療養中だったのだ。もう一人いる筈だけど、それはよそに回っているらしい。
それで急遽、中央から代わりを呼ぶということになって、今や遅しと待ちわびていたわけ――
「でっ!? ぉわ!!」
思わず奇声を上げてしまい、私は慌てて口を押さえた。
転移スペースに光のリボンがひらりと舞った次の瞬間、そこに現れたのは、
「まっ、魔術師長っ、さん!?」
動画や写真で何度も見た、海青色の髪をしていることで有名な、超大物だった。
ええええぇぇぇ聞いてない聞いてないよ! まさか師長なんて偉いさんが来るなんて!
動転している私に、師長さんは柔和な笑みを浮かべて一礼した。
「遅くなりました。すぐに取り掛かりますが、既に対策を始められている魔術師の方は、ほかにいらっしゃいますか」
「い、いえっ――あ、ええと」
おおお落ち着け私! 仕事モードだっ! やれば出来る子!
「失礼しました。各部署に数名ずつ魔術師がおりますが、各自担当区画……というか率直に言って自分の実験室だけですね、守るのに手一杯という状況でして。施設全体の防護に関しては治安局の方にお願いしております。いつもはこの奥の管制室で内部ネットワークを利用して術を使われていますが、A・B棟とCからF棟、それに管制室と、三人で分担されていました」
警戒態勢のフローチャートと分担を記した書類を繰りながら、私はなんとか言葉を並べていく。けれど説明の間も、師長さんは書類を覗き込むでもなく、どこか宙を見上げて視線をさまよわせていた。
「あの……誰か、うちの職員から助手を?」
出す必要がありますか、と遠慮がちに訊く。正直、皆とてもそれどころじゃないだろう。自分の持ち場を離れて師長さんのアシストにつけば、全体的な被害は抑えられるにしても、自分のところは多かれ少なかれダメージを受ける。
そう心配していたのに、返ってきたのは拍子抜けするほど軽やかな答えだった。
「ん、このぐらいなら大丈夫です」
「えっ」
「ざっとこの辺り、見てみましたけど、大体一人でカバー出来ますから大丈夫です。細かいところは各部署の皆さんに、そのままお願いしておきますんで」
「はぁ……えと、それじゃ、管制室に」
ご案内を、と言いかけた私に、師長さんは苦笑で首を振った。
「ネットワークの利用とかややこしい事すると、かえって失敗しそうなので……ここらで適当に。ちょっと待ってくださいね」
言うだけ言って、師長さんはまた心持ち上を見る。何もない、中空を。
次の瞬間、
「――っっ!?」
何か、とんでもないことが起きたのが分かった。私は魔術師じゃない、入門さえ済ませていないから分かる筈がない、なのに全身で『それ』を感じたのだ。
大きな、空気の渦。あるいは見えない翼。それとも、巨大な……天までも届く光の壁、だろうか。
そんな何かが、この人を中心に一瞬で拡がっていったのが分かった。風など吹かなかったはずなのに、髪がくしゃくしゃになってしまったように思ったほどだ。
無意識に髪をなでつけながら、私は呆然と絶句していた。
しばらくして、バタバタと足音があちこちから響いてきた。皆にも分かったんだろう。
「あっ、いた! 主任、今のはいったい」
「何をやらかしてくれたんだ、おいっ! 連絡ぐらい――」
「治安局から応援来たの? いつもと変えるんならそうと」
口々に言いかけた皆が、面白いほどぴたりと揃って声を失う。青い髪の師長さんは、ゆっくりそちらを振り向いて、少し照れ臭そうに苦笑した。
「あ、すみません、そうですよね。予告しなくて失礼しました。ほかの所には影響出ないようにしたつもりですけど……」
お騒がせしました、と言って頭を下げる。もちろん、文句なんて一言も出なかった。師長さんは顔を上げて、ふと思い出したように窓を見やる。つられて私達もそっちを向いた。
暗い。厚い三層ガラス越しにでも、外の不穏な空気が伝わってくる。
「雨脚が強まってきたみたいですね。皆さんどうぞ持ち場に戻ってください。大きな部分のカバーは私がやりますから、各部署内での調整とかその辺はよろしくお願いします」
師長さんの言葉で、慌てて皆、そうだった、とばかりに駆け戻って行く。がらんとなったホールで、私は思わずふっと息をついた。
「よろしければ、こちらへ。嵐が収まるまで、ここで立っていなければならないわけではありませんよね?」
「もちろん。お世話をかけます」
恐縮そうな師長さんを、応接室に案内する。腰の低い人だ。お茶を出したらまた、本当にありがたそうにお礼を言って、両手で湯飲みをそっと持つ。偉い人にありがちな、「苦しゅうない」的な気配が微塵もない。うーん、なんか意外だ。
窓の外では構内の木がしなり、雨が路面を叩きつけている。でも気象情報が騒ぎ立てるほどの嵐ではないように思えるのは……たぶん、師長さんの術のおかげだろう。
「凄いんですね」
ぽろっと口に出した私に、師長さんは不思議そうな顔をしてから曖昧に首を振った。謙遜にしては、少し自嘲のようにも見える仕草。そこには深入りしないことにして、私は話を少し逸らせた。
「師長さんぐらいの魔術師になったら、天候そのものをコントロールしてしまった方が早いんじゃありませんか? わざわざ、嵐が来る度に大慌てで避難とか防護とかしなくても」
「――避けられない嵐というものが、あるんですよ」
さりげない返事にもかかわらず、私はなぜか息を詰める。師長さんは湯飲みを持ったまま、窓の外を眺める風情で淡々と語った。
「局地的に天候を少し変えるぐらいなら、構わないでしょう。でも大規模な気象をいじると、必ずその分、どこかに影響が出る。ここをいじったらそっちに、で、そっちを慌てて直したらあっちが、ってね。しまいに手に負えなくなるのが明らかなのに、目先の利便を優先させたら後悔するだけです。それよりは多少不便でも、工夫と忍耐で乗り切る方がいい」
そこまで言って、彼は手の中のお茶に目を落とした。
「かなわない相手の存在を思い知るのも必要なことだと……私は、思います」
ささやきに近い静かな声は、遠い何かを思う深さがあるように聞こえた。
結局、嵐の被害はほとんどなく、敷地内の木の枝がちょっと折れたとか、間抜けな誰かが出しっぱなしにしていた自転車が一台スクラップになったとか、その程度で済んだ。
後処理のあれこれに追われながら、これも“避けられない嵐”のひとつかしら、などとちょっぴり皮肉に考えたりもしつつ。
「どうしたんですか、主任。この間から時々様子が変ですよ」
「失敬な、別にどうもしません。ただちょっと……人間、単なる処世術じゃなくて本当に謙虚になることって、たまには必要なんだなって思い出しただけです」
「はぁ。主任が。謙虚」
「そこ、いちいち区切って確認しない! まったく、師長さんみたいに偉い人があんなに謙虚で、うちの新入りが尊大ってどうなのよ」
きっと師長さんには、“かなわない相手”が沢山いるんだろうな。一人うちに回してくれたらいいのに……。
――などと噂されている当人は。
「だから前から何回も言ってるじゃありませんかあなたって人は学習しませんね!! あなたのやり方は独特で感覚的で突拍子もないから後でフォローする人が泣かされるんですよ、折角苦心の末に館内ネットワークと魔術を連動させる仕組みを作り上げたのに全部おじゃんだって苦情が寄せられて代わりの手法を提供しようにもあんなものはあなたにしか扱えないとか言われて」
「だから反省してるって! ていうかあの仕組みを一人で動かせって方が無理なんだからあの場合は仕方ないだろ、現実問題として人手が足りなかったわけだし」
「現場職員の中から助っ人を頼めば良かったんです、一人二人欠けたぐらいでフォロー出来ないほど貧弱な組織じゃないんですし仮にそれで損失が出たとしても広範囲の防護術を一から全部組み立て直すことに比べたら」
「ううぅぅぅ分かったよ修復は私も手伝うから……」
頭を抱えて師長室の机に突っ伏しながら、いつものごとく小言の集中豪雨にさらされていた。
本当に、避けられない嵐ってつらいよなぁ、などと心中べそをかきながら。
(終)




