内線一本
※2011年3月の拍手御礼SS。いつもの師長さんです。
管轄内で起こった重大事故を知らせに本庁へ『跳んで』来た支部長は、師長室にかかる不在の札にのけぞって倒れかけ、そのままの勢いで廊下を転げるように走り、突き当りの部屋に飛び込んだ。
「ああぁぁぁもう!!! なんだってこんな時に限って師長がいないんですかっっ!!」
半ば本気で泣きそうになりながら、若い支部長は副師長の机にすがりつく。
「内線一本で呼び出せる救世主、なんでしょうッ!? 呼び出して下さいっ今すぐ!!」
取り乱すあまり、手に触れた書類を、何かはわからないまま鷲掴みにしてしまう。
副師長はいつも通り淡白な表情のまま、眉をちょっと上げて、支部長の手から書類を取り返した。そして静かに一言。
「私しかおらんのでは不服かね」
「――!!」
冷水を浴びせられたように支部長が竦む。
石になってしまった支部長の前で、副師長は書類のしわを丁寧に伸ばす。まるで、どんな事故よりも今この書類の遭遇した災難こそ一大事だ、とばかりに。
「師長は最前、南部から緊急の救援要請を受けて出て行ったよ。私の見るところ、少々てこずりそうだ。――であるから、」
副師長は復活した書類を眺めてうむと小さくうなずくと、支部長に目を戻した。
「君にはすまんが、救世主以外の、今ここにいる面々で我慢してもらうしかない。なに、あの師長が来る前は我々だけで対処していたのだから、悲観したものでもなかろう。いずれにせよ、ないものねだりをしている場合ではないようだし」
カサ、と書類を置いて、彼は机に両肘をつき、少し身を乗り出した。
「簡潔に状況説明を頼む。それから一緒に考えるとしよう。我々に何が出来るか、まず何をすべきかをな」
「は……はィ……」
ありがたいお言葉のはずなのだが、支部長の返事は消え入りそうに小さかった。
地獄に仏、と喜ぶべきところかもしれないが、むしろ仏サマがいないからとうっかり閻魔大王に直訴したような感じである。
(廊下を突進する前に、一旦止まって深呼吸でもすれば良かった……)
己の不覚を嘆きつつ、いやそれどころじゃなかった、と気を取り直して報告する支部長なのであった。
----以下は拍手を10連打した場合に見られたオチ。-------
師長さーん、助けてー!
副師長の部屋に駆け込んだ時とは別の意味で、支部長が内心叫ぶこと十回。祈りが通じたのか、廊下の方から微かにカタンと所在札の動く音がした。
副師長が言葉を切って視線をドアに向け、支部長も、もしや、と聞き耳を立てる。軽い足音が近付き、控え目なノックと「失礼します」の声がして、少しだけドアが開いた。
「副師長……あ、お話し中でしたか、すみません」
ひょこりと中を覗きこんだ顔が、直後、また引っ込もうとする。副師長がそれを止めた。
「構わんよ。そっちはもう片付いたのかね」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
もにょもにょ言いながら、青い髪の魔術師長は支部長に会釈すると、遠慮がちに入室した。
「一旦、お昼を調達しに戻ることになったんで。ついでに状況をお知らせしようかなと……でも、何か取り込み中みたいですね?」
「ああ、こちらでも少々面倒な事故が起きた。しかし我々で対応できる範囲だから、君は気にせず現在の問題に取り組んでくれ。……しかし、……昼食?」
副師長が不審げな顔になる。だがカゼスの方は何の疑問もない風情で「はい」とうなずいた。
「向こうはちょっと、用意できる状況にないので。皆の分もおべんとう買って戻りますって言って、出て来たんです」
「おべんとう……」
はたで聞いていた支部長は、無意識につぶやいた。
今、この師長さんは「おべんとう」と言った。「お弁当」じゃなくて「おべんとう」だ、絶対。
何の根拠もないし、この際まったくどうでも良い些事だが、妙に確信してしまう。そんな支部長に向かって、カゼスは律儀に「あ、もちろん、お茶も」と補足説明した。副師長が眉間を押さえたのもむべなるかな。
「それは、君がせねばならん仕事なのかね」
頭の痛そうな副師長に、さしも鈍感なカゼスもやや怯む。だが彼はきっぱり「はい」と肯定した。
「現状、あそこに出入り出来るのは私だけですから。安全な道が確保できるのは多分、夜になってしまいます。それまで飲まず食わずで我慢しろとは、いくら自分達の責任だとしたって言えませんよ」
「……そうか。そういう状況か……。なら仕方がないな」
はあ、と副師長はため息をつき、自分を納得させるように数回小さくうなずいて続けた。
「分かった、早く食糧を用意して戻りたまえ。領収書を忘れないように」
「あ、はい、了解です」
師長はまるで新米局員のような返事をし、慌しく一礼して部屋を出て行く。ドアを閉める前に、申し訳なさそうに支部長にも会釈をしたが、そのせいで髪を一緒に挟んでしまったらしく、廊下に間抜けな悲鳴を響かせた。
小走りの足音が去ってしばらく、室内はえもいわれぬ空気に満たされる。
ややあって、支部長の口から無意識にため息が漏れた。それが合図だったかのように、副師長もやれやれと頭を振る。
「弁当の買い出しか……」
「内線一本出前OKの救世主、ってわけですね」
思わず苦笑した支部長に対する返事は、瞬間冷凍されそうな視線と沈黙のみ。
(師長さーん、助けてー!!)
その師長さんのせいでこんな目に遭っているのだが、懲りない支部長はまたしても、内心でついつい『救世主』を呼んでしまうのだった。
(終)




