勝てること、勝てないこと
LOSTと帝国の間。カゼスの自堕落っぷりを赤裸々に公開。
ラウシール様なカゼスが好きだという方は読まない方が無難……。
自分の能力を否定的に考えたことなど、ないけれど。
ころり、とリトルは机の上で少しだけ転がって、シンボルを斜めに傾けたまま止まる。その表面に、窓の外の青空が映って白い雲がゆっくり動いていた。
――けれど、自分の形態については、ため息をつきたくなることもある。そのため息だって、所詮は合成ボイスの「それらしい音」に過ぎないのだが。
幼児に無用の威圧感を与えないよう、無害そうな形に。そしてまた、他人の目から見て特定の使用目的を想起されることのないように。そうして選ばれたのが、今の球形。
ころころ、と反対側に転がって、リトルはまた、ため息をついた。分かってはいる。けれど自分のこの姿は、時として……無力だ。
あまりにも無力で、なすすべもなく、文字通り手も足も出ない。
せめて、自分に手があれば。いや、何もこの球体にマジックハンドをつけろというのではない、自分の指令で動いてくれる小型作業機でもいい。
そうすれば。そうすれば、
「この混沌のるつぼを一掃してくれるのにッ!」
とうとうリトルは声に出して叫んだ。こたつにもぐりこんだまま、カゼスが上目遣いにこちらを見る。冬になって早々にこたつを据えたカゼスの部屋は、夏場以上にすさまじい様相となっていた。
机ではなくこたつで勉強や読書をするため、読み終わった本や使い終わった資料が、そのまま手の届く範囲に無造作にぽいぽいと置かれていく。そうしてこたつのまわりに地層が形成されて行く。どこかその辺に、通信タブレットが埋もれているはずだ。
いちいち階下の台所まで行くのを面倒がって、紅茶や菓子やインスタント食品まで二階の部屋に持ち込み、ポットのお湯で万事すませてしまう。
滅多に座ることのなくなった机と椅子は、完全に物置だ。メモ用紙に走り書きするためのスペースすらない。
部屋の隅に覆いをかけたバスケットがあって、そこには何日分かの洗濯物がたまっている。ちなみにゴミ箱はとっくにいっぱいで、口を縛った袋が既にひとつふたつ、ドア際に転がされている。……階下に降りてすらいないことの、まさに『動かぬ証拠』だ。
リトルはそんな環境にもう何日も、いや何週間も置かれているのだ。すべて物事を理路整然と考え、情報は分類整理し、その精神は美しい数学的世界に属するリトルである。かほどの混沌に晒されたのでは、きりもみ回転しながら怒りの叫びを上げても無理はない。
「あなたの方こそ球形になるのが相応しいですよ! その二本の腕は、足は、なんのためについているんですか!? あああっ、もう、いっそふやけて不定形生物になってしまえばいいんです!」
「おまえは寒さなんか感じないんだから、なんとでも言えるさ」
ふんだ、と拗ねた口調で言い返し、カゼスは血行が悪くてすっかり冷えている指先をこすり合わせた。
「同じ人間でも、もっとマシな環境を維持している人は大勢いるでしょうが! オーツさん辺りを見習いなさい、だいたい寒い寒いばかり言って引きこもっているから基礎代謝も低下して血行が鈍りますます冷えるんだし体温も下がるんです、少しは運動してもうちょっと燃費を良くしたらどうですか! でなきゃいっそ冬眠してください、ええ、起こしゃしませんからひと冬本当に眠ってて下さい! なんならそのまま永眠して下さっても!」
「……そこまで言うか?」
さすがにカゼスは情けない顔になり、背中を丸めて両手をこたつに突っ込んだまま、目をしばたたかせた。
まあ確かに、今の自分の部屋が冬眠中のリスの巣穴よりもごちゃごちゃで乱雑なのは、認めるにやぶさかでない。というか、そのぐらい自覚してはいる。ただ、自覚したからといってどうにかできるわけではないのが、人間の悲しいところなのだ。
もっとも、人間でないリトルには、そんな理屈に付き合う義理などない。
「幸い今日はいい天気です、窓を開けて布団を干して、部屋を片付けて掃除機をかけるのに絶好の日和ですよ。ほら、さっさとこたつから出る! でなきゃマイクロウェーブで室内のもの全部灰にしますよ!」
「その『室内のもの』には私も入ってるのかな、もしかして」
「お望みならローストして差し上げますよ」
ドスのきいた声で言い返され、カゼスは食肉用冷凍庫に蹴り込まれた気がして身震いした。それから、大きなため息をひとつ。
「分ぁかったよ、やるよ、やりますよ……」
ぶつぶつ言いながらもおとなしくこたつから出て、ごそごそ動き始める。
「まったく、おまえには敵わないなぁ」
ぼやくカゼスをリトルが監督し、こたつ布団を干したり、室内の地層を上から本棚に戻したりと、手際よく片付けを進めさせる。カゼス一人でやっていたら、絶対に途中で本を読み耽ったりして、こうはいかないだろう。
夕方には無事に掃除が終了し、見違えるように部屋はすっきりした。こたつ布団も太陽にたっぷり当てて埃をはたいたので、清潔感が戻っている。
「ふぅ、やればきれいになるもんだねぇ」
満足げにカゼスはにっこりし、ポットのお湯を注いで紅茶を淹れる。やればね、とリトルはこたつの上から冷たいツッコミを入れた。
カゼスは苦笑しながら、紅茶に少しレモンと蜂蜜を加える。黄金色の光が琥珀の中に溶けていく様子は、幻想的な雰囲気だ。
いつもはストレートかミルクティーなのに珍しい、とリトルは考えた。疲れたからだろうと結論づけた時、カゼスもこたつにもぐりこんできた。そして、小さなカップをひとつ、リトルの前に置く。
暖かい湯気で、水晶球の表面がふわりと曇った。
「……なんですか?」
「え、いや、一応。お疲れさん、ってことで」
カゼスはおどけた笑みを浮かべ、カチン、と自分のカップを軽く触れ合わせてから紅茶をすする。リトルは呆れ、それからゆらゆらとたゆたう紅茶の液面にセンサーを向けた。
柔らかい透明な光が、楽しそうに踊っている。
もちろん、機械の自分には紅茶は飲めないし、飲む振りをする機能すら備わっていない。成分を分析することはできても、味わうことなどできはしないのだ。そんなことはお互いとうに承知している。
……けれど。
「やれやれ、敵いませんね」
ごくごく小さな声で、リトルはつぶやいた。カゼスは、何だい、というように少し眉を上げたが、声に出して問いはしない。だから、リトルも黙っていた。
自分の能力を否定的に考えたことなど、ないけれど。
(それでも、こんな時は少しだけ、あなたには負けると思わされますよ)
ふんわりと立ちのぼる湯気の形を追いながら、リトルはそんなことを考えていた。
(終)




