策を成すに欠かせざるは
悪辣軍師の後年、デニスが北方平定を進めている頃の話。
(よそで「紙とペン」というお題に合わせて書いたもの)
さて問題。
あなたは走るのが得意なだけの伝令です。読み書きもできず武芸らしい武芸もできない。体格も小柄な十四歳の小童だとしましょう。
そんなあなたが軍師様のお使いで走っていたところ、敵にとっ捕まって大猪みたいな大将の前に引き出されました。
さぁどうやったら生き延びられるでしょうか!
って俺が知りたいわ! 誰か答えてくれ!
うーわー。無理だろこれ……そもそも今、俺達が戦ってる相手ってのは北国の連中で、揃いも揃ってやたら体躯がデカイ。巨人か。
俺達のほうでも浅黒い肌と黒髪の血筋は大柄な男がけっこういて、万騎長カワード様なんか馬もでかいし、軍勢の先頭に立ってりゃ遠目にもすごく目立つ。けど、そういう頭ひとつ飛び出してるようなのが、こっちの連中の普通なんだからたまらない。逆らうとか逃げるとか、ほんと無理。
「ふん、こんな子供を密使に立てるとはな。よくよく南にはまともな人間がおらんと見える」
赤毛の大男が俺を見下ろして鼻を鳴らした。サンカラ家のアルホ、この辺りの領主だ。思わず俺は捕虜の立場も忘れて、しげしげ相手を観察した。いいなぁ、あのごっつい毛皮の上着、あったかそう。
おっと、目が合っちまった。
慌てて顔を伏せた俺に、アルホは怒りもせず、小さく苦笑しただけだった。
野蛮人と聞かされていたけど、どうやら案外そうでもないらしい。捕まった時に引きずり倒されたぐらいで、あとはそんなに乱暴な扱いもされていない。
まぁ、身ぐるみ剥がれて徹底的に所持品を調べられて、軍師様の手紙は取り上げられちまったけど。ちゃんとまた服を着せてもらえたし、寒くて歯をカチカチ鳴らしてたら毛織りの肩掛けを貸してくれたし。
……あれ? 意外と待遇いい? これ寝返ってもいいんじゃね?
責めないでくれ。俺は命が惜しい。せめて女の子とイイコトしてから死にたい!
あれこれ考えてる俺の前で、大男は密書の封蝋を剥がしてびらりと開いた。ああ……すみません軍師様。やっぱり俺には荷が勝ちすぎました。
大事な任務を託してくれた軍師様の、優雅な笑みと柔らかい声が、脳裏によみがえる。
――巷で私は、紙とペンさえあれば一国を落とせる、などと噂されているがね。しかしその評には、最も重要なものが欠けている。策を成すには、間違いなく密書を届けられる優れた脚が必要なのだよ。だからこそ君に頼むのだ――
そんな風に褒められたのは初めてだった。伝令をただの使い走りじゃなく、最も重要、だなんて言ってもらえるとは夢にも思わなかった。
だから感激して、絶対にこの人の期待に応えようと決意したんだ。
軍師様は頭が良すぎて、色々やっかまれてるのは知ってたけど、実際に本人と話してみたら全然気さくで人当たりが良くて、ちっとも怖くなかった。すごく賢いんだろうな、ってのは、なんかこう端々から感じられたけど。
でも。そんな賢い軍師様も、さすがにご存じなかったんだ。俺が仲間内で『悪運のシャイタ』なんて渾名を付けられているなんて。
本当に俺は、なんでだって神々を恨みたくなるぐらい運が悪い。会いたくない相手には必ず出くわすし、誰かが物を落とせば俺に当たるし、皆で同じメシを食っても俺のとこにだけ石が入ってたりするし。
そのくせ今まで死ぬほどの怪我も失敗もなく過ごせていて、そんな妙な運の強さに対する皮肉も込めて『悪運』なんだけど。
その運もとうとう尽きたかなぁ……。
「貴様が向かっていた先は我が従弟レンホの陣屋。とすればこれは裏切りをそそのかす毒のささやきか?」
言いながら目を通したアルホが、みるみるしかめっ面になる。うーわー。軍師様、何を書いたんですかー。
「……おい、小僧」
「はい」
「貴様が預かったのはこれだけか」
「え? はい」
身ぐるみ剥いで調べたでしょ?
と顔に出たらしい。アルホは苛立って付け加えた。
「口頭での伝言を預かっておらんのか、と訊いている! 使者なら言い含められているだろう、目的を果たすための方策だとか、あれこれ!」
「ええっ、いや、何も!? 俺は本当にただ届けるのを命じられただけです」
「それではただの使い走りではないか! ええい、貴様は本気でこれをレンホに読ませるつもりだったのか!?」
って書状を突きつけられましても。
「すみません、俺、字が読めないので」
「はぁ!? ……いや待て、そうか。あえて読めない者を使ったのか、まかり間違って内容を盗み見られないように」
呆れ声を上げた直後、ハッと何か気付いた様子で、アルホはもう一度じっくり書状を読む。
ほんっとに、何が書かれているんだろ……。
じーっと見つめていると、視線に気付いたアルホは苦笑いで教えてくれた。
「まぁ、子供には刺激が強い内容ではあるな。貴様が命がけで届けに走ったこれはな、女を口説く恋文だ。恐らくレンホの妻、白鳥の乙女ソイリに宛てたものだ」
「ええぇぇ!?」
「あの馬鹿は妻にべた惚れだからな。片時も離れたくなくて戦にも必ず帯同している。我々の間では有名な話だが、貴様のところの軍師も美女の噂には耳聡いらしい」
あの人、女癖が悪いって噂は本当だったのか!
それにしたって相手を選ばないにもほどがあるだろう、ただの人妻どころか敵方だぞ!? しかも戦の最中――そりゃここしばらくは小競り合いぐらいで決戦って雰囲気じゃないけど、女を口説いてる場合じゃないだろうに。
言葉もなく口をぱくぱくさせた俺に、アルホはちょっと同情的な目つきをしてくれた。うう、本当にもう寝返っていいかな? すげえ意気込んで受けた任務が不倫の手伝いってそりゃねーよあんまりだ!
「……と見せかけておいて、実は内通を打診している、とも読める。『恵み豊かな双丘』は女の乳房に使う常套句だが、文字通り俺とレンホそれぞれが陣取った丘を示しているかもしれん。とすればこの……いや、おほん。子供には早いな」
言いかけて止められると気になるんですが! じゃなくて、やっぱりさすが軍師様だ、二重三重に敵の目を欺く仕込みをしてあるってことか。
「本当に貴様、何も聞かされていないのだな?」
「ほんっとーに、なんにも! 聞いてません!」
「ふむ、ならばこれは疑心を煽るためだけの小細工という線もあるか。慎重に読み解き、レンホに探りを入れねば」
うわ。大丈夫なのかな、これ。軍師様の策が当たってるのか、見破られてるのかどっちだろう。って俺なんかが心配しても、どうしようもないけど……。
ともあれ意外と北の大猪は頭を使う性質だったみたいで、俺はひとまず首と胴がつながったまま留め置かれることになった。
不安にそわそわしながら過ごすこと三日。唐突に俺は解放された。
苦々しい顔のアルホが俺を連れ出しにきて、もういい帰れ、だとかぽいっと放り出されたのだ。
えぇー、なんだそれ!
無事に帰れるのはありがたいけど、何がどうしてこうなった?
俺の混乱ぶりを見て、アルホは深いため息をひとつ。そして、
「親父の横槍が入った。帰ったら貴様のクソ軍師に、こんな子供に何も知らせず無謀な役目を負わせるな、と怒ってやれ」
ぐしゃりと頭を掻き回すように撫でて、送り出してくれた。その肩掛けはくれてやる、と気前の良いお土産付きで。
※
帰りついた俺を、軍師様は爽やかな笑顔で出迎えてくれた。あれおかしいな、この人の笑顔、こんな胡散臭かったっけ。
「無事で何より。ああ、土産までもらったかい、実に読み通りだな」
「読み通り、ってヴァラシュ様……どんな手品を使ったのか教えてくれませんか」
「なに、簡単な話だ。サンカラ家の長を調略するのに、少しだけ時間が足りなくてね。思わせぶりな密書で時間稼ぎをしてもらっただけさ。ご苦労だった」
親父の横槍って、それか! ここで睨み合ってる間に、総元締めを落としたわけだ。
だから恋文なのか内通してるのか何なのか、読んだ人間によって解釈自在になるよう曖昧に……って待った。
「てことは、そもそも書状が届かなくても良かった? 優れた脚が必要だ、なんておっしゃったのに」
「必要だったとも。より正確に表現するなら『紙とペンと、最適な駒』と言うべきだがね」
まったく悪びれもしないで全然別の言葉に言い換えやがった!
今回は俺がその『最適な駒』だった、むろん『優れた脚』も込みでのことだろうけど、それだけじゃなく……
「もしかして俺が『悪運』って呼ばれてるのも、ご存じで?」
「当然だとも。君なら確実に捕まる、そして生還すると見込んでの人選だ。アルホが比較的思慮深く慎重で、何より若年者に対して非常に面倒見が良いという情報も加味した上で、だがね」
開いた口が塞がらない。ちくしょう、俺もあの大猪も、いいように転がされたのか。
「こんな子供に何も知らせず無謀な役目を負わせるな、って言ってましたよ」
「ははは、気に入られたな。また彼に使いをやる折には、君に頼むとしよう。さあ、納得したら下がって休みたまえ」
「……はい」
ため息しか出ない。この人ときたら、紙もペンもなくたって、人という駒さえあれば国を落としてしまうんだろうな。悪辣だの性悪だのいじめっ子だの言われてるのも、さもありなんだ。
俺はすごすご退出しかけて、最後にせめて一矢と嫌味を投げつけてやった。
「俺がちゃんと書状を届けていたら、大変でしたね」
「それはそれで面白かったさ。妻の浮気を疑ったレンホがどんな馬鹿騒ぎを起こしてくれるか、楽しみにしていたぐらいだ。結果、名高い美女が私に靡く目もあったろうよ。いや惜しいことをした」
――駄目だこの軍師、腐ってやがる。
(了)




