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拾遺集  作者: 風羽洸海
『帝国復活』以後
18/43

皇帝陛下への贈り物 ◆

誕生日ネタ夫婦漫才。◇をつけるほどではありませんが、ほんのり甘めです。



 そもそもが個人の誕生日を盛大に祝う習慣があるデニスのこと、その皇帝ともなれば十日がかりの一大祭典となる。

 国内各地の貴族たちはもちろん、国外からも多くの使節が贈り物を携えて帝都を訪れ、連日連夜、宴に狩猟に明け暮れる。楽の音が絶えることはなく、厨房の竈は常に火が燃え盛り、笑い声が王宮のみならず都中に広がる。

 日頃は奢侈を戒めるエンリルも、この時ばかりは大いに楽しんでいた。

 さてその奥方はと言うと。

「うーむむむ……」

 祝典の始まる前から、そして始まってからも、人の見ていない時は眉間にしわを寄せて唸ってばかりいた。もちろん皇妃の務めは果たしている。すなわち、美しく華やかに装いを凝らし、日頃の奔放ぶりからは想像もつかない落ち着いた態度で賓客を迎え、笑顔をふりまくという仕事だ。

 が、ちょっと人目のない時間や場所になると、すぐに渋面になる。その原因について、厨房の料理長と王宮の女官長、それに現宰相のヴァラシュのいずれかに尋ねたならば、すぐに答えが分かっただろう。だが、幸か不幸か夫であるエンリルは、まったくその手掛かりをつかめずにいた。

 祝典が始まって五日目、ちょうど中休みのように宴が早くに終わった夜のこと。客たちに失礼を詫び、エンリルはアトッサの部屋を訪れた。

 夫婦とは言え、伝統的に王とその妻たちの住まいは別棟なのだ。それが正妃一人しか持たないエンリルであっても、例外ではない。……もっとも、それぞれの故郷の王宮では、そんな伝統は物置に放り込んでいるのだが、それはさておき。

「アトッサ殿はお疲れのようだな」

 エンリルは申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、アトッサの座る長椅子に並んで腰掛けた。二人ともまだ盛装したままだ。

「うむ、まぁ、多少な」

 アトッサは素直に認め、結い上げた髪をほどいていく。きつく引っ張って編まれているだけでも頭痛がするのに、山ほど着けられた櫛や簪など装飾品の重みで、首が折れそうだ。エンリルもその解体作業に手を貸した。

「だが自分の務めは分かっておるし、何より陛下の誕生日だ。こんな日ぐらい盛大に祝って、楽しんで貰いたい」

 白いうなじを、滝のような金髪が覆い隠す。エンリルはアトッサの言葉に「かたじけない」と礼を言いながら、彼女の長い髪を手で軽く梳いた。絹のように滑らかで柔らかい。同じ金髪でも自分のものとは大違いだ。

「だがあなたに無理をさせて、体を壊されたりしては……」

 気遣って言いかけたエンリルを、アトッサは慌てて遮った。

「何を仰せか! 無理などしてはおらぬ」

 次の瞬間はたと気付き、そうか、とアトッサはしかめっ面になった。

「私がこんな顔をしているところを、見られてしもうたわけじゃな」

 いささか大袈裟なその表情に、エンリルはつい失笑した。ごほんと咳払いしてごまかし、無理にしかつめらしくうなずく。と、アトッサは不意に大きなため息をつき、情けなさそうに片手で顔を覆った。

「申し訳ない、祝典が嫌なのではないのだ。これは、その……つまり、贈り物が用意できなくて困っていただけなのだ」

「……?」

 エンリルはただ小首を傾げた。王妃から王への誕生日祝いなら、祝典で確か用意されていた筈だ。しきたり通り、宝石と金貨の類に、新しい指輪。それに祝典の皮切りとなる祝福の花冠と口づけ。

 目をぱちくりさせているエンリルに、アトッサは赤くなって「確かに」と怒ったような声を出した。

「祝典での務めとしては、神官たちと女官長がしきたりに則って物と儀礼を用意してくれたが! そうではなくてだな、せっかくの誕生日なのだから、私としても何かひとつなりとも、その、陛下が喜ぶようなものをと……」

 言いながら彼女は次第にうなだれ、その声は勢いを失って小さくなる。

「思ったのだが……女官長に訊いてはみたのだが、刺繍も縫い物も今からでは到底まともなものは作れぬと言うし、ならば菓子のひとつでもと思うて料理長に手ほどきを受けたのだが、どうにも納得がゆかぬものしか出来ぬし、せめて何か買い求めようと宰相に助言を求めたところが、言下に一蹴されたし」

 皇帝に献上する品となれば値も張るし、私的に購入しようにも、話が漏れれば都下の商人がこぞって売り込みに来ることになり、何かと面倒の元となる。第一、金で贖えるような『品物』の中には、エンリルが本当に欲しがるようなものはない、というわけだ。

「私としては」エンリルは穏やかに微笑んだ。「アトッサ殿がそこまで心を砕いて下さったということ自体が、喜ばしい贈り物だと思うのだが」

「それでは私の気が済まぬのだ!」

 ええい物分かりの悪い、とばかりアトッサが憤慨する。それから彼女は、きっ、とエンリルを見つめた。思わず彼がたじろぐほど真剣に。

「こうして知られてしもうたからには、見栄を張っても詮無いこと。この際だから率直に尋ねたい。エンリル殿、私に出来ることならば何でもして差し上げると申せば、何をお望みになる?」

 その表情があまりに真面目で、それはもう本当に真剣なので。

 呆気に取られたエンリルのまなざしにも、まるで怯む様子もないものだから。

「……何でも?」

 そう聞き返した声は、抑えきれなかった笑いの気配を帯びていた。

 アトッサはそれに気付かず、う、と難しそうな顔をする。

「出来ることならば、なのだが。その、つまり……肩叩きだとか、だな」

「…………肩?」

「うむ。カイロンの話では、私がうんと幼い頃、よく父上の肩を小さな手でトントン叩いて差し上げていたそうじゃ。それで、カイロンの誕生日にも、金品は要らぬゆえ肩凝りをほぐして欲しいと言われて、よく肩を揉んだりなど……」

 そこまで言った途端、とうとうエンリルがふきだした。それも盛大に。

「っく、ははっ、あはははは!」

 体をふたつに折って、心底愉快げに哄笑する。こんなに大笑いする姿を見るのは、アトッサにとっては初めてのことだった。アトッサは束の間ぽかんとし、それから見る見る真っ赤になった。

「な……何もそこまで笑われずとも良かろう! 確かに貧乏な高地の姫にはその程度が似合いかも知れぬが、それなりに真面目に考えてのことで」

「いや、失礼、はは、はははは」

 謝りながらもまだ笑うエンリル。アトッサはむうっとなって、膝にくっつかんばかりになっている相手の頭を、平手でばしっとはたいた。

 エンリルは目の端に浮かんだ涙を拭い、失敬失敬、と何度も言いながら、ようやく笑いをおさめて頭を上げた。

「悪気ではないのだ、その様が目に浮かんで、なんというか……微笑ましくて」

「微笑ましいというのは、さように大笑いするということではないぞ」

「申し訳ない。つい、今目の前におられる月の女神のお姿と比べてしまい…… その落差の大きさに、笑いを堪えかねた」

 苦笑しながらそう言ったエンリルに、アトッサも怒りをおさめる。確かに、肩叩きなどという話題は盛装でするものではないだろう。自分で可笑しくなってしまい、アトッサも小さくふきだした。

 しばし二人してくすくす笑ってから、エンリルが楽しそうに言い出した。

「だが、それは良い考えだな。ひとつ女神様の指に身を委ねてみたいものだ」

 日頃はあまり艶のある言葉を交わさない間柄なだけに、そんな台詞をさらりと言ってのけられると、アトッサは赤面するしかない。無邪気を装って自分を見つめる青褐色の瞳に、彼女は強いて意地悪な表情を作った。

「しばらくやっておらぬゆえ、心地のほどは保証せぬぞ」

 エンリルは笑って構わぬと応じると、ぽいと絨毯にクッションを投げ落とし、そこに腰を下ろして胡座をかいた。ティリス式のやり方に慣れている彼は、椅子のある部屋でもしょっちゅう平気でこういうことをするのだ。

 アトッサも絨毯に膝をつき、エンリルの背に回って肩に手をかける。指に力を入れかけた時、エンリルがその手を取り、甲に口づけした。アトッサは照れ隠しにしかめっ面をして、お返しとばかり、耳のそばに口を寄せる。唇はつけない。

「……香油のつけすぎではないか?」

 わざと小声でささやいてやったが、相手はまるで動じなかった。

「私もそう思うよ」

 苦笑しながらエンリルが彼女の手を離す。アトッサは自由になった両手で、えいこの、とエンリルの頭をぐしゃぐしゃにかき回してやった。そうやってエンリルを慌てさせて少しばかりの優越感を得ると、アトッサはゆっくりと手に力を入れた。

 固い。カイロンの肩とは比べものにならない、壮健な男の肩だ。

(この両肩にデニスが乗っているわけか)

 凝りもするわけだ。姿勢が良く活動的な普通の若者なら、そうそう肩が凝ることなどない。座業ばかりの文官だとか、一日中絨毯作りや機織りをしている女の持病だ。あるいはそこに権力者を加えても良いかも知れない。

 そんなことを考えながら、アトッサは手を動かし続ける。

 ――と、やがて。

「エンリル殿? ちょっ……わ、待っ、」

 わざとなのか何なのか、エンリルがこちらにもたれかかってきた。手を止めて支えようとしたが、とても無理だ。このままでは下敷きにされてしまう。慌てて少し後ろに下がると、そのままエンリルはぱたんとひっくり返ってしまった。アトッサの膝を枕にして。

「…………」

 なんとまあ。

 呆れた風情でアトッサは夫の寝顔を見下ろした。すっかりくつろいで、幸せそうに目を閉じている。どうしたものか、とアトッサはしばしそれを眺め、それから、やれやれと苦笑した。

 せめて一時でも、彼の心が安らぐというのなら。それに自分の膝が役立つというのなら、後で痺れるぐらい構わないではないか。

「誕生日の贈り物としては、ささやかに過ぎるが……喜んで貰えたのかな」

 アトッサは小さくささやき、我知らず慈愛に満ちた微笑を浮かべる。エンリルの額にかかる金髪を指でかきあげ、彼女はそっと唇をつけたのだった。



(終)

直後に皇帝陛下は狸寝入りがバレて、膝から頭を落とされたとかなんとか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 二人とも、若い身空で大事な者を亡くし重すぎる物を背負っている人達だから……。 いちゃいちゃして幸せそうにしてるとほっとします。こんな時間がこの後も何度もありましたように……!
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