五年後
無口で根暗な純情派のその後。
女は卑怯だ。
アーザートは心の中でため息をついた。そして、そんな自分にまた、憮然とする。ため息ひとつすら、満足につくことができないなんて。
目の前では一人の娘が、くるくると忙しく動き回っている。怪我人も病人も、夫と喧嘩して泣きながら飛び出してきた妻も、皆がその娘と話したがるのでは無理もない。
長い艶やかな黒髪をひとつに結い、夫に贈られたのであろう瀟洒な銀細工で留めて。質素ではあるが上等の衣服に包まれた肢体は、働き者らしく引き締まっていながらも、鹿のように優雅だ。彼女が笑うと、その場に花が咲くような気さえする。
その彼女が隣部屋に消えたのを見計らい、アーザートはふうっと長い吐息をもらした。
五年前に、誰が想像しただろう。
生意気でやかましくて乱暴で、何かと言えば人に罵詈雑言を投げつける、島育ちの粗暴な小娘が、こんなに綺麗になるだなんて。
だから女は卑怯なんだ。
アーザートはもう一度ため息をつこうとして、それを我慢した。彼女が戻ってきた。山盛りの衣服が入った洗濯籠を、ひとつは抱え、ひとつは片手で引きずって。
「アーザート、そんなところで突っ立ってないで、手伝ってよ」
少し怒ったように言うその口調や表情は、五年前と変わらない。けれど何かが決定的に違っている。アーザートは無言で歩み寄り、洗濯籠のひとつを引き取った。
五年前、死にかけたところを助けられて以後、彼女には頭が上がらなくなった。
といっても別に恩などないと思うし、仮にあるとしても、散々こき使われたのだから、お釣りが来てもいいぐらいだ。その気になればいつでも、うるさい子猫のような少女を殺すことは出来たし、あるいは自分の方が行方をくらますことも出来た。けれどもそうしなかったのは、いつでも出来るから今でなくてもいいか、と思ったのと……あとは単に、気力の有り余っている彼女を相手に喧嘩をするのが、とても面倒だったから。
そして今ではこれだ。
やれやれ、と横目で娘を見やって、彼は視線を明後日の方に向けた。正直、うるさいのも生意気なのも全然変わっていなくて、うんざりだと思うのだ。が、
「初めて会った頃に比べたら、あんたも素直になったわよね。険が取れた、っていうか。やっぱりカゼス様のお陰ね」
台詞の内容はともかく、そんな風に笑いかけられたりすると、反則だとしか言いようがなくて。ああもう、なんだって女ってのは、こんなにも。
「……おまえは全然変わらんな。旦那も気の毒に」
ぼそりと毒づいてみると、途端に彼女は「何よ」と膨れて、こちらの足を踏んづけた。昔と違って少しは加減をするようになったのか、大して痛くもない。それが余計に、胸の奥を奇妙にざわつかせる。
チッと舌打ちすると、彼女はそれを自分に対するものと取って、ますます膨れた。
「やっぱりあんたって嫌な奴!」
「お互い様だ」
卑怯者。
その一言は飲み込んで、アーザートは口をつぐむ。あとはもう、ひたすら無視の一手。
連れ立って歩くうちに彼女は機嫌を直し、あれこれと近況報告を始める。彼は聞いていないふりでそれを聞きながら歩を進める。
ややあって、不意に娘は足を止め、ひょいとアーザートの顔を覗き込んだ。
ぎょっとして立ち竦んだ彼の顔を、娘はしげしげと眺め、挙句、なにやら意味ありげににっこりすると、また何事もなかったように歩き出した。小さく歌など口ずさみながら。
「…………?」
なんだったのだろう。
アーザートはぽかんとしてそれを見送り、ややあってから気を取り直して歩き出す。
彼は気付いていなかったし、また指摘されたとしても信じなかっただろう。よりによって自分が、まるで満ち足りた者のように微笑していたのだ、などとは――。
(終)




