夏掌編 【クシュナウーズ】
サイトで「夏といえばこの人!」のアンケートをとって3位に入ったクシュナウーズの掌編。
タイトルは特になし。シリアスのようなギャグのような。
フローディスの濁り酒は、口当たりの柔らかさに反してとんでもなく強い。慣れない者がうっかり過ごすと、冗談でなく命に関るほどである。
そんなわけで、その夏初めて島の一員となった彼、クシュナウーズもまた、現在浜辺で生死の境をさまよっていた――幸いなことに、比喩的な意味で。
「※◎▲~~~☆×$▽ぇっっ」
(一部音声を処理してあります)
「だーから、最初に言ったろう。こいつはキクぞ、って」
「あーあー、しょーがねーなぁ……誰だよ新入りにこんなに飲ませたのは」
「何を他人事みたいに。おまえだって飲ませてただろうが」
「を◆#□mっっ!%%%…**@★~~」
「……大丈夫かー?」
「自分で吐いてるし顔色もヤバイとこまで行ってねえし、死にゃしねえだろ。後で苦根湯を飲ませときゃ大丈夫だって」
「お、立ち上がった」
よろり。ざく、ざく、ざ……べしゃ。
「……沈んだな」
芸は身を助く、と言う。実際、歌えるおかげで今まで随分、色々な局面をうまく乗り越えられたものだ。が、まさかその芸のおかげで死にかけるとは、さしも長く生きてきた彼でも想像したことがなかった。
「をぉ……ぐるんぐるん回ってら……」
「あらあら、お目覚め? 気分はどう? ごめんなさいねー、うちの馬鹿旦那が調子に乗って献杯献杯って」
枕元で女が笑い、絞った手拭で額を拭いてくれる。クシュナウーズは返事をする気力もなく、うー、と呻いた。
「あたしもびっくりしたわァ。あんた、ちっこくてひょろっとしてて、見てくれはパッとしないのに、あんなとんでもない声が出せるなんてねェ」
あーうー。
「こないだの嵐で一番の拾いもんはあんただって、皆も言ってるよ。今日も楽しみにしてる連中がいるから、せいぜい今の内に休んどきなよ!」
なぬ!?
叫びたくとも声が出ない。うっかりしゃべると頭が割れそうだ。苦悶するクシュナウーズを放って、女はからから笑って畑仕事に出て行った。
開け放しの戸口から見える外は、陽射しが白く眩しかった。
*
一年も経てば、さすがにご当地の酒とも付き合い方を覚える。新参者も、もう新入りと呼ばれる事がなくなり、自分の船も任されるようになって。仲間たちとも、じきに気が置けなくなっていった。
そんなわけで。
「※◎▲##っ~~☆×$▽~~」
(一部音声を処理してあります)
「なんか、去年の今頃も同じ光景を見た気がするぞー。いいかげん慣れろよおまえも」
「おだてまくって歌わせて飲ませたのはおまえだろ。おーい、三の、生きてっかぁ」
「w◆#□べっ%%%…**@★~~」
「……まあ、去年よりゃマシだな」
「元気そうだ」
「どこがだ!! てめえらよくも……っb※★□$」
「ははは、怒鳴る元気があるじゃねーか」
「おまえもすっかり島のもんになったなぁ。さて、んじゃ飲み直すか!」
飲ませる奴が悪いのか、つい飲んでしまう方が悪いのか。クシュナウーズも宴の場に不慣れな青二才とは違うのだから、断る方便ならいくらでも使えるはずだった。
それが、ここでは上手く出来ない。
(この俺にも、まだ遠慮があるってのかねぇ)
海水で口をすすいで、そんなことをぼんやり思う。
たまさか与えられた居場所に図々しく上がりこんで、すっかり身内になった気分でいるけれど。実際は、勧められる酒を飲めなければ、『島のもん』になれない――否、そのふりをしていることも出来ないと、無意識に考えているから……
(馬鹿馬鹿しい)
どこに行っても自分はよそ者だ。それはもう慣れているし、第一、ここにだってそう長くは留まらないだろう。無理に溶け込む必要などない。
(付き合ってられるか)
やめたやめた、と頭を振り、彼は自分の小屋へ続く小道に足を向けた。
*
気付けば島暮らしも三年目。島の女にもあらかたちょっかいを出してしまい、目新しいこともなくなって来た頃には、島民たちにとっても彼の歌は当たり前のものになっていた。
彼が披露した曲のいくつかを自分たちのものにして、宴の定番にして皆で歌い。
彼が求めた楽器らしきものを略奪で手に入れた時は、真っ先に渡して。
宴の度に献杯献杯、と勧めることもいつしかなくなり。
夜の海辺で、一人彼が五弦琴を爪弾く時は、誰も邪魔しないようになって。
……それはすなわち、彼を“同胞化”することを諦め、同時に“他者”のまま身内に迎え入れるという、ひとつの均衡に達したしるしかも知れなかった。
とは言え。
「gb※◎☆▲#っ!~~@☆×$▽~~」
(一部音声を処理してあります)
「……懲りねーな、おまえも」
「久々にえらく調子よく飲んでんなぁと思ったら、これだよ」
「うるせえ! ちょっと油断しただけだ! う~~、くそ……げほ」
今日は随分、酒が美味いと感じた。だからつい、いつものペースを超えて杯を重ねてしまったのだ。
この日も夏場につきものの、自然発生的宴会だった。漁の成果はそこそこ、水の心配も今のところなく、畑にはとりどりの野菜がつやつや輝いている。
とくれば、夕暮れて涼しくなると同時に皆が楽しく酒を飲みだしても、何ら不思議はない。少なくとも、この島では。
そんな“いつものこと”でも、人の心はいつも同じではない。なぜだかクシュナウーズが上機嫌だったのは、夕焼けがいつもよりきれいだったからか、獲れたての魚が予想以上に美味かったからか、あるいは、
「まあ、今日は皆ちょいと浮かれてっからなぁ。つられて飲みすぎてもしょうがねえよ」
「ケトの奴が浮かれすぎなんだよな。娘が初めてつかまり立ちしたからってよ、昼からずーっとそればっかしゃべって、にやにやしてんだから」
島の者達に伝染した幸福な気分のせいだったろうか。
「……確かにな」
クシュナウーズは苦笑し、口をすすいで立ち上がる。浜辺を戻っていくと、介抱するでもなく見物していた仲間が、彼の楽器を渡してくれた。
クシュナウーズは黙ってそれを受け取り、ひとつ、ふたつ、音を鳴らす。
(ああ、まあ、浮かれても仕方ねえよな)
やっと立ったその幼子が、彼の歌を真似たとあっては。
島の者は誰も気付かなかった。立ったんだよ見ろよ見てくれよ、とケトが騒いでいたせいかもしれないし、単にクシュナウーズが勝手にそうだと思い決めただけで、歌などではなかったのかも知れない。
(ガキのことなんざ知らねえからなぁ)
あのぐらいの幼児が、歌を歌として認識しているのかどうかも知らない。だが彼の耳には確かに、懐かしい旋律が聞こえたのだ。小さな唇の間から漏れる、音程も拍子もかなり崩れた、かすかなものだったけれど。
ポロン、と和音をひとつ。
「よっしゃ、飲み直すぞ!」
「はぁ!? おい、大丈夫かおまえ、ほんの今まで沈没しかけてたくせに」
「もう復活した。いいから、たまには俺にも飲ませろ!」
「たまには、ってなんだよ、いつも遠慮してるみたいなこと言うな図々しい」
「ぐだぐだ言うな、ケトんちの祝いだ!」
そう、今度はきちんと、空に杯を挙げてから飲もう。今この場所にまだ生きて、ささやかな喜びを享受できる、そのことに感謝して。
木々の梢を揺らし、傷痕のある頬をなぶって、海に向かって風が吹く。沈み行く太陽を追いかけるように、その涼しさは少し切なかった。
(終)




